『音惚花活気好@kakky』=垣内政治的《霊界物語学》の日記的な雑記の様なレポート状の諸々?

出口王仁三郎聖師による弥勒胎蔵経『霊界物語』を『音惚花活気好@kakky』的に学問してみるランダムレポート?

第43章 濡衣(ヌレギヌ) (93)

2007年03月26日 02時43分10秒 | Weblog
霊界物語 第二巻 霊主体従 丑の巻 第六篇 神霊の祭祀(サイシ)

 シオン山はかくのごとく
大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)の機略縦横の戦略によつて、
容易に抜くこと能(アタ)はず、
かつ三方の神将はますます勇気を増しきたり、
魔軍はもはや退却するのやむなき苦境に陥つた。

 このとき常世姫(トコヨヒメ)より密使が来た。

 『汝(ナンヂ)らはいかに苦境に陥るとも
  断じて一歩も退却すべからず。
  持久戦をもつて大八洲彦命以下の諸神将を、
  シオン山に封鎖せよ。
  われは竜宮城をはじめ、芙蓉山(フヨウザン)、
  モスコー、ローマ、竜宮島をこの機に乗じて占領せむ』

とのことであつた。

 美山彦(ミヤマヒコ)、国照姫(クニテルヒメ)、
武熊別(タケクマワケ)はこの命を奉じて、
あくまでも退却せざることになつた。

ここに竜宮城の諸神将は、芙蓉山およびローマ、
モスコーの魔軍の攻撃にあひ、苦戦の情況を察知し、
神国別命(カミクニワケノミコト)、元照彦(モトテルヒコ)をして、
ローマ、モスコーへ向はしめ、
真鉄彦(マガネヒコ)をして芙蓉山に向はしめた。

竜宮城には言霊別命(コトタマワケノミコト)、花森彦(ハナモリヒコ)、
主将としてこれを守ることとなつた。

言霊別命は内部の統制にあたり、花森彦は敵軍の襲来に備へた。

 常世姫の夫神(ヲツトガミ)八王大神常世彦(ヤツワウダイジントコヨヒコ)は、
三軍の将として芙蓉山を始めローマ、モスコーの攻撃に全力を注ぎ、
常世姫は魔我彦(マガヒコ)、魔我姫(マガヒメ)とともに再び竜宮城に入り、
稚桜姫命(ワカザクラヒメノミコト)に深く取入り、
表面猫を被(カブ)つて柔順に仕へてゐた。

しかして言霊別命、花森彦を失墜せしめ、
みづから城内の主権を握らむと考へてゐた。

 常世姫は常世(トコヨ)の国(クニ)より来れる
容色艶麗並(ナラ)びなき唐子姫(カラコヒメ)を城中に入れ、
言霊別命、花森彦に近く奉仕せしめた。

唐子姫の涼(スズ)しき眼(マナコ)は、
つひに花森彦を魅(ミ)するにいたつた。

花森彦は唐子姫に精神を奪はれ、大切なる神務を忘却し、
夜ひそかに手を携へて壇山(ダンザン)に隠れ、
ここに仮(カリ)夫婦として生活をつづけた。

 言霊別命は力とたのむ花森彦を失ひ、
ほとんど為(ナ)すところを知らなかつた。
花森彦の妻桜木姫(サクラギヒメ)はおほいに驚き、かつ怒り、かつ怨み、
涕泣(テイキフ)煩悶の結果つひに発狂するにいたつた。

言霊別命以下の神将は大いにこれを憂ひ、
いかにもして花森彦の行衛を探り、
ふたたび城内に還らしめ桜木姫に面会せしめなば、
たちまち全快せむと協議の結果、神卒を諸方に派遣し、
その行方を探らしめた。

城内はおひおひ神卒の数を減じ、漸次守備は手薄になつた。

 桜木姫はますます暴(アレ)狂ふのである。
言霊別命は今や稚桜姫命の前に出で、シナイ山の戦況を奏上する時しも、
桜木姫は走り来つて言霊別命を抱き、

 『恋しき吾が夫ここにゐますか』

と、かつ泣き、かつ笑ひ、無理に手も脱けむばかりにして、
自分の居間に帰らむとする。

常世姫は心中謀計の図にあたれるをよろこび威丈高(イダケダカ)になつて、
『言霊別命』と言葉に角(カド)を立てて呼びとめ、

 『汝(ナンヂ)は常に行状悪(アシ)く内外ともに
  その風評(ウハサ)を聞かぬものはなし。
  しかるに天罰は眼のあたり、
  いま稚桜姫命の御前にて醜態を暴露したり。
  桜木姫の発狂せしは貴神司(キシン)が原動力なり。
  これを探知したる花森彦は温順の性(タチ)なれば、
  過去の因縁と断念してすこしも色に表はさず、
  桜木姫を汝に与へ、
  みづからは唐子姫とともにこの場を遁れたるなり。
  花森彦は決して女性(ヲミナ)の情(ナサケ)に絆(ホダ)されて、
  大事を誤るがごとき神司(カミ)に非ず。
  しかるに危急存亡の場合、
  命をしてかかる行動に出でしめたるは、
  全く汝が罪のいたすところ、これにてもなほ弁解の辞あるや』

と、理を非にまげ、誣言(ブゲン)をもつて稚桜姫命の心を動かさむとした。

言霊別命は居なほつて常世姫にむかひ、

 『こは奇怪なることを承(ウケタマ)はるものかな。
  貴神司(キシン)は何の証拠あつて、かくのごとき暴言を吐きたまふや』

と言はせもはてず、常世姫は眼(マナコ)を怒らし、口を尖らし、
少しく空を仰いで、フフンと鼻で息をなし、

 『証拠は貴神司(キシン)の心に問へ』

と睨(ネ)めつけた。

 桜木姫は言霊別命を花森彦と誤解し、
狂気の身ながらも常世姫にむかつて飛びつき、

 『汝は何故なれば最愛の吾夫にたいし、暴言を吐くか。
  われは夫に代り、目に物見せてくれむ』

と、いふより早く髻(タブサ)に手をかけ、力かぎりに引きずりまはした。
常世姫は声を上げて救けを叫んだ。
城内の神司(カミガミ)はこの声に驚いて諸方より駈(カ)けつけた。

 言霊別命の濡衣(ヌレギヌ)は容易に晴れず、稚桜姫命の厳命により、
竜宮城を追放さるることとなつたのである。

ここに稚桜姫命は常世姫の誣言を信じ、言霊別命を追放し、
花森彦を壇山より召還し、城内の主将たらしめむとしたまうた。

ここに天稚彦(アメノワカヒコ)は協議の結果壇山にむかひ、
花森彦を招き帰らしめむと出発せしめられた。

天稚彦は容色美(ウル)はしき男性(オノコ)にして、稚桜姫命を助けてゐた。

 天稚彦は天(アメ)の磐船(イハフネ)に乗つて壇山にむかひ、
花森彦に稚桜姫命の命を伝へ、かつ唐子姫との手を断り、
一時も早く帰還せむことを伝へた。

 花森彦はおほいに悦び、ただちに迷夢を醒まし、
天の磐船に乗つて竜宮城に帰還し、
稚桜姫命の帷幄(イアク)に参ずることとなつた。

 城内は常世姫、花森彦の二神司(ニシン)が牛耳(ギウジ)を執(ト)つてゐた。
実に竜宮城は常世姫の奸策によつて、
何時(イツ)破壊さるるか分らぬ状態であつた。

 天稚彦は唐子姫の姿を見るより、
にはかに精神恍惚として挙措(キヨソ)動作度(ド)を失ひ、
つひに手に手をとつて山奥深く隠遁し、竜宮城へは帰つてこなかつた。

 稚桜姫命といふ美(ウル)はしき妻神(ツマガミ)があり、
また八柱(ヤハシラ)の御子(ミコ)のあるにもかかはらず、
唐子姫に心魂を蕩(トロ)かしたるは、返す返すも残念な次第である。

 (大正十年十一月八日、旧十月九日、外山豊二録)

『音惚花活気好@kakky』的『第43章 濡衣(93)』分解(一)

2007年03月26日 02時41分40秒 | Weblog
霊界物語 第二巻 霊主体従 丑の巻 第六篇 神霊の祭祀(サイシ)

平成十八(2007)年三月二十六日 旧二月八日(月)

 シオン山はかくのごとく
大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)の機略縦横の戦略によつて、
容易に抜くこと能(アタ)はず、
かつ三方の神将はますます勇気を増しきたり、
魔軍はもはや退却するのやむなき苦境に陥つた。

 このとき常世姫(トコヨヒメ)より密使が来た。

 『汝(ナンヂ)らはいかに苦境に陥るとも
  断じて一歩も退却すべからず。
  持久戦をもつて大八洲彦命以下の諸神将を、
  シオン山に封鎖せよ。
  われは竜宮城をはじめ、芙蓉山(フヨウザン)、
  モスコー、ローマ、竜宮島をこの機に乗じて占領せむ』

とのことであつた。

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常世姫は俗な言い方をすると、

『鬼の居ぬ間の洗濯』

をしてやろうと考えたわけである。

確か、将棋でも飛車角を封じるのに、
こんな戦法があった様な気がするけれど、
筆者は将棋はあまり得意ではないから、
あまり深入りするのはやめておこう。

天の神々が霊山を拠点にするのは、
天地の神々と交流する為だが、
常世姫の様な魔神達は、世界征服の拠点として、
こうした主要地の占領を企むわけである。

けれども確かに霊山に高く昇れば、
天上の神々と交流し易いかもしれないが、
肝心なのは交流する者の身魂の清澄度である。

身魂が磨けてさえいれば、
その人が居るところが天地の中心になる。

こういう人のことを『王』というのである。

だから当然、常世姫の様な心が曲った者が霊山を征服しても、
地上の心の眼が暗んだ連中には脅威に思えるかもしれないが、
天地の神柱にとっては痛くも痒くも無いことなのだ。

しかしながら、冒頭に、

『大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)の機略縦横の戦略によつて』

とある様に、誠の神様は、こういう知略戦をあまり好かないから、
誠一筋の国祖 国常立尊 様も、
自ら立てた戒律によって下からつつかれ、
御退隠のやむなきに至る結果となる。

その上、こういう醜い世のさまを嫌った天地の神々の怒りを買い、
大洪水まで発生して、
地上の大掃除が行われることになってしまうわけだ。

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 美山彦(ミヤマヒコ)、国照姫(クニテルヒメ)、
武熊別(タケクマワケ)はこの命を奉じて、
あくまでも退却せざることになつた。

ここに竜宮城の諸神将は、芙蓉山およびローマ、
モスコーの魔軍の攻撃にあひ、苦戦の情況を察知し、
神国別命(カミクニワケノミコト)、元照彦(モトテルヒコ)をして、
ローマ、モスコーへ向はしめ、
真鉄彦(マガネヒコ)をして芙蓉山に向はしめた。

竜宮城には言霊別命(コトタマワケノミコト)、花森彦(ハナモリヒコ)、
主将としてこれを守ることとなつた。

言霊別命は内部の統制にあたり、花森彦は敵軍の襲来に備へた。

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確か、何処かの記録で、王仁三郎聖師自ら、

「霊界物語に出て来る神様は、
 一人の人間のことではなく国のことである」

という様なことを仰っておられるのを眼にしたことがある。

つまり、ここに出て来る各神々も、
おそらく誰か一人のことではなく、
世界の何処かの国家を象徴しているのだろう…
ということになるのだが、
勿論、各地域の小さな世界の中で、
一人々々が、これらの神々の様に働いていることもあるので、
この神々はまた、各自一人々々の中にも存在しているのだ。

自分という主人公の神が、自分の中に1人いて、
各神々が良心や邪心になって、
常に自己の内部で戦っているわけだ。

これをいわゆる雑念という。

そのことが分って来ると、
『霊界物語』の拝読の仕方もグンと向上する。

みんな善悪両方の心を持っている。

そして善が勝っている人と、悪が勝っている者があるのだが、
それを外に見ると、世の中はどんどん乱れるばかりである。

各自が自分自身の中にそれらを観て、反省材料にすることが、
本当の『立て直し』神行なのである。

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 常世姫の夫神(ヲツトガミ)八王大神常世彦(ヤツワウダイジントコヨヒコ)は、
三軍の将として芙蓉山を始めローマ、モスコーの攻撃に全力を注ぎ、
常世姫は魔我彦(マガヒコ)、魔我姫(マガヒメ)とともに再び竜宮城に入り、
稚桜姫命(ワカザクラヒメノミコト)に深く取入り、
表面猫を被(カブ)つて柔順に仕へてゐた。

しかして言霊別命、花森彦を失墜せしめ、
みづから城内の主権を握らむと考へてゐた。

 常世姫は常世(トコヨ)の国(クニ)より来れる
容色艶麗並(ナラ)びなき唐子姫(カラコヒメ)を城中に入れ、
言霊別命、花森彦に近く奉仕せしめた。

唐子姫の涼(スズ)しき眼(マナコ)は、
つひに花森彦を魅(ミ)するにいたつた。

花森彦は唐子姫に精神を奪はれ、大切なる神務を忘却し、
夜ひそかに手を携へて壇山(ダンザン)に隠れ、
ここに仮(カリ)夫婦として生活をつづけた。

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ここで着目すべきは、八王大神常世彦のことを、
『ヤツワウオホカミ』と言わずに、
『ヤツワウダイジン』と言っていることだ。

『ダイジン』と言えば『大臣』をすぐに思い出す。

『ヤツワウ』というのは『各地を結ぶ』という意味で、
つまり日本で言ったら『国会の大臣』という意味になる。

要するに『総理大臣』である。

人間でいうと『頭脳』がこれである。

この考え方でいうと言霊別命は大和魂で、
花森彦は雅心(ミヤビ)というところだろうか?

そんなわけで、雅な花森彦は唐子姫に精神を奪われてしまう。

つまり、本来の日本精神は何処へやら、
海外文明に恋焦がれて、
まったく外国人に落ちぶれてしまっている、
ということになるのである。

…ということは常世姫というのも、
誰か特定個人のことを言っているわけではなく、
何か他のものを象徴していると察しが着くのだが、
これはつまり物質至上主義全体を象徴している様だ。

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 言霊別命は力とたのむ花森彦を失ひ、
ほとんど為(ナ)すところを知らなかつた。

花森彦の妻桜木姫(サクラギヒメ)はおほいに驚き、かつ怒り、かつ怨み、
涕泣(テイキフ)煩悶の結果つひに発狂するにいたつた。

言霊別命以下の神将は大いにこれを憂ひ、
いかにもして花森彦の行衛を探り、
ふたたび城内に還らしめ桜木姫に面会せしめなば、
たちまち全快せむと協議の結果、神卒を諸方に派遣し、
その行方を探らしめた。

城内はおひおひ神卒の数を減じ、漸次守備は手薄になつた。

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大和魂をもって敵に当ろうにも、肝心の御公家さん達が、
外来文明に恋焦がれて、
日本人本来の態度で常世姫等と対峙することが出来ない、
ということを言っている様に筆者には思えて来るのだが、
そんなことを言っている筆者だって、
充分、和洋折衷を活用して、
この『霊界物語学の日記』を運営しているのだから、
なんとも歯がゆいところがあるのは否めない。

文章は横書きで左から右へ書かねばならず、
日本語らしく右上から縦書きに書き込みたいし、
文字だって、もっと自由自在に外字を使って構成したいけれど、
WEBの世界の基礎がアルファベットであるから、
なかなかそうも行かない。

もっとも、この『霊界物語学の日記』は、
日本人向けということよりも、
海外ユーザー向けという方に比重が傾いていそうだから、
これはこれでよいのかもしれないが、
もう一歩、奥に進んで『ヒノモト』の精神でいったら、
世界中が神の国であるから、
日本贔屓ばかりでやるわけにもいかない。

つまり、そういうことなのだ。

『霊界物語』でも順次明らかになって来るけれども、
言霊は何も日本語だけではない。

英語、漢語、ラテン語、サンスクリット語、エスペラント語、
その他、世界中の言葉まで使って書かれている。

『エツパツパ』とかいう、何処かの土人の言葉まで出て来る。

『半殺し』とかいう、何処かの村だけで通用する言葉もある。

言霊についての視野がもっと拡がらないと、
本当のことは、なかなか見えて来ないわけである。

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 桜木姫はますます暴(アレ)狂ふのである。
言霊別命は今や稚桜姫命の前に出で、シナイ山の戦況を奏上する時しも、
桜木姫は走り来つて言霊別命を抱き、

 『恋しき吾が夫ここにゐますか』

と、かつ泣き、かつ笑ひ、無理に手も脱けむばかりにして、
自分の居間に帰らむとする。

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ところで横浜には桜木町という有名な町がある。

筆者もこの二年ほど、随分、この桜木町に用があった。

この四月から、また縁が薄くなる様だけれども、
横浜の桜木町といったら、今では『みなとみらい』とかもあり、
横浜の観光を語る上で、重要なスポットになっている様だが、
『桜』といえば、妙に日本を象徴する花の様に言われているが、
『桜』は別に、日本固有の花ではない。

日本神話でも、ニニギノミコトが、
この桜を連想させるコノハナサクヤヒメを嫁にしたのがもとで、
地上での長久の因を失ってしまったということが書かれているが、
日本人も、咲いてすぐ散る桜に心をとろかしているうちは、
なかなか日本人の本当の力を発揮することは出来まい。

今の日本でも、やたら桜をテーマにした歌が流行るけれども、
こういう時代には、なかなか本当の好景気はやって来ない。

どうしたって格差社会になるから、寿命が短いのである。

何故なら、桜は平安時代以降、この小さな日本列島に限定して、
園芸によって日本固有のものが増やされたものであって、
平安時代以前の、本当の日本では、現中国原産の梅の花を、
最も珍重していたのだ。

これを日本が中国文明に憧れて、
そうしたものだと誤解しているのが現代の定説の様だが、
本来は素盞嗚尊が治めていた世界を代表する花だったのだ。

つまり、それが本当の日本である。

ところが、平安時代以降、この小さな日本列島の独立を考えた皇室が、
梅を退けて桜を珍重する様になった。

この小さな国家の独立という発想そのもが、
唐子姫が象徴する海外思想からの悪影響の最たるものなのである。

常世姫が竜宮城を執拗に狙っているというのも、
つまりは、この日本列島を言っているのであるが、
本来の日本は、こんなに小さなものではないのである。

それが神素盞嗚大神の世界観であり、
菊花紋を用いる皇族の本来の世界観である。

梅の花は五弁の花で、世界の五大陸を象徴している。

これは花心がユーラシア大陸で、アフリカ、オーストラリア、
南北アメリカ、南極大陸の五大陸が花弁なのだ。

それで神は『くに』のことを『六合』というのである。

桜は、日本列島固有の花の様に思われがちだが、そうではない。
野生種は中国にもある。

一般に桜が日本固有の花だと思われているのは、
代表的な日本の桜が、日本で創られた品種改良種だからである。

つまり人工の花であって、天然の品種ではない。
それが人目に美しいのは『ひとながら』の花だからである。

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『音惚花活気好@kakky』的『第43章 濡衣(93)』分解(二)

2007年03月26日 02時39分57秒 | Weblog
常世姫は心中謀計の図にあたれるをよろこび威丈高(イダケダカ)になつて、
『言霊別命』と言葉に角(カド)を立てて呼びとめ、

 『汝(ナンヂ)は常に行状悪(アシ)く内外ともに
  その風評(ウハサ)を聞かぬものはなし。
  しかるに天罰は眼のあたり、
  いま稚桜姫命の御前にて醜態を暴露したり。
  桜木姫の発狂せしは貴神司(キシン)が原動力なり。
  これを探知したる花森彦は温順の性(タチ)なれば、
  過去の因縁と断念してすこしも色に表はさず、
  桜木姫を汝に与へ、
  みづからは唐子姫とともにこの場を遁れたるなり。
  花森彦は決して女性(ヲミナ)の情(ナサケ)に絆(ホダ)されて、
  大事を誤るがごとき神司(カミ)に非ず。
  しかるに危急存亡の場合、
  命をしてかかる行動に出でしめたるは、
  全く汝が罪のいたすところ、これにてもなほ弁解の辞あるや』

と、理を非にまげ、誣言(ブゲン)をもつて稚桜姫命の心を動かさむとした。

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要するに、常世姫は、

「花森彦と桜木姫の乱心は、
 言霊別命の不徳のいたすところであるから、
 言霊別命、お前が責任を取れ!」

と、こういう無茶苦茶なことを言っているわけである。

まあ、これを言ったところで、常世姫は、
花森彦よりも言霊別命の方が格上であると認めている様なものなのだが、
素盞嗚尊(スサノヲノミコト)が五十猛(イソタケル)神々の乱行の責任を負わされ、
高天原から追放させられた様なことと同じ事を、
常世姫はここでやらかしてやろうとしているわけである。

しかし、言霊別命は、案外ヤンキーのニイチャンであるから、
容易にそんな屁理屈を飲もうとはしないわけだ。

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言霊別命は居なほつて常世姫にむかひ、

 『こは奇怪なることを承(ウケタマ)はるものかな。
  貴神司(キシン)は何の証拠あつて、かくのごとき暴言を吐きたまふや』

と言はせもはてず、常世姫は眼(マナコ)を怒らし、口を尖らし、
少しく空を仰いで、フフンと鼻で息をなし、

 『証拠は貴神司(キシン)の心に問へ』

と睨(ネ)めつけた。

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こういうことは現代でも、
野党が与党総裁を攻撃する時によくやる手だが、
客観的に観ていると、なんとも醜いものである。

つまり、配下の不祥事の責任を取って、総裁に退け、
という様な、俗っぽいやり方で争っているわけだ。

現代の日本人は、日本人でありながら、
本当の日本の偉大さ、尊さを忘れている罰当たりな民族である。

だから梅の花まで、現代の中国人に取られてしまっている有り様だ。

その中国が、現代の如き勢いで開花しているのも、
これもきっと何か理由が無ければいけないことであるが、
こういう事も『霊界物語』を拝読しているとよくわかって来る。

現代の日本国は桜の花を愛してやまない小さな民族に、
成り下がってしまっているわけだが、
その上、唐子姫にまで精神を取られて、大和魂は廃れ切っている。

それで海外主催の催し物での一番を狙って、
懸命に挑戦を続けているけれど、
やっぱりそれでは日本人本来の実力が出し切れるものではない。

それでも最近は、日本人選手が健闘しているのだから、
日本人くらい吸収率の高い民族もまたいないのである。

けれども、そういう柔軟さを、常世姫は、

 『汝(ナンヂ)は常に行状悪(アシ)く内外ともに
  その風評(ウハサ)を聞かぬものはなし。
  しかるに天罰は眼のあたり、
  いま稚桜姫命の御前にて醜態を暴露したり。』

といって頭ごなしに押さえ付けてしまおうとしているわけだ。

つまり、音楽の世界でいうと、

 「日本の音楽は猿真似ばかりでオリジナリティがない。」

と、海外のミュージシャンから小馬鹿にされる様な状況である。

それで、日本を愛する音楽関係者が、一所懸命日本らしさを出すために、
『桜』を看板に取り上げているわけだけれども、
使っている楽器自体が外来のものばかりで、
この小さな日本列島で生まれたものは、まったくないと言ってよいのだ。

三味線だってサンシンだって、
結局は外来の楽器を桜の様に改良したものなのだ。

だから、日本人は、どうしても、
この小さな日本列島に閉じ篭るのをやめて、
本来の祖である神素盞嗚大神的日本観に復帰しないと、
どうしても本来のプライドを取り戻せないのである。

つまり、日本列島から朝鮮に渡り、ヒマラヤを拠点にして、
世界の精神的統治を行った素盞嗚尊を慰める為に出来たのが、
全ての楽器のルーツなのだ、ということに帰らないとならない。

花を愛でるのも同じことである。

その代表的な花が、平安時代以前に珍重された梅であり、
現中国の国花になっている梅なのだ。

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 桜木姫は言霊別命を花森彦と誤解し、
狂気の身ながらも常世姫にむかつて飛びつき、

 『汝は何故なれば最愛の吾夫にたいし、暴言を吐くか。
  われは夫に代り、目に物見せてくれむ』

と、いふより早く髻(タブサ)に手をかけ、力かぎりに引きずりまはした。
常世姫は声を上げて救けを叫んだ。
城内の神司(カミガミ)はこの声に驚いて諸方より駈(カ)けつけた。

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『桜』といえば、戦前の日本でも『同期の桜』が流行した様に、
軍人の愛花である。

つまり、日本軍の特効覚悟の戦意を象徴しているのが、
この桜木姫の乱心といえるだろう。

そういう意味では、確かに乱心しているけれども、
現代の日本人が、桜をもって世界に対抗しようとしている心も、
あながち憎んでばかりもいられない屈折した愛国心の現れなのだ。

その強力な本能を、この小さな日本列島に閉じ込めるのではなく、
スサノヲ的世界観に復活させる事が出来たなら、
日本人の本当の力が甦ることになるのである。

けれども第二次世界大戦の時に、日本はアメリカを目の敵にして、
死物狂いで、この桜木姫の様に噛み付いて行き、
結果、敗戦して、その力を全世界から封印されることになる。

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 言霊別命の濡衣(ヌレギヌ)は容易に晴れず、稚桜姫命の厳命により、
竜宮城を追放さるることとなつたのである。

ここに稚桜姫命は常世姫の誣言を信じ、言霊別命を追放し、
花森彦を壇山より召還し、城内の主将たらしめむとしたまうた。

ここに天稚彦(アメノワカヒコ)は協議の結果壇山にむかひ、
花森彦を招き帰らしめむと出発せしめられた。

天稚彦は容色美(ウル)はしき男性(オノコ)にして、稚桜姫命を助けてゐた。

 天稚彦は天(アメ)の磐船(イハフネ)に乗つて壇山にむかひ、
花森彦に稚桜姫命の命を伝へ、かつ唐子姫との手を断り、
一時も早く帰還せむことを伝へた。

 花森彦はおほいに悦び、ただちに迷夢を醒まし、
天の磐船に乗つて竜宮城に帰還し、
稚桜姫命の帷幄(イアク)に参ずることとなつた。

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仮にこの追放された言霊別命が、
本当の大和魂を復古させようとしていた出口王仁三郎聖師だとすると、
壇山に隠れていた花森彦は現代の日本に似ているかもしれない。

壇山といえば朝鮮のことだと思うが、
今、世界がアジアの中心と考えているのは、
中国、朝鮮半島、インドであって、
日本はちょっと蚊屋の外状態であるけれども、
そういうことを言っているのだ。

ちょっと前まで、その朝鮮半島との関係改善の為に、
韓流ブームがあったりしたけれど、たぶん世界フィギアで、
キム・ヨナ選手が金メダルを取ったくらいの頃が、
そのピークだったろう…

それが、今日、この日記を書く直前に、
史上初めて、日本選手が男女共にメダルを獲得したというのは、
たぶん、何か大きな意味のあることの様に思えるのだが…

そんなことを感じているのは筆者だけだろうか?

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 城内は常世姫、花森彦の二神司(ニシン)が牛耳(ギウジ)を執(ト)つてゐた。
実に竜宮城は常世姫の奸策によつて、
何時(イツ)破壊さるるか分らぬ状態であつた。

 天稚彦は唐子姫の姿を見るより、
にはかに精神恍惚として挙措(キヨソ)動作度(ド)を失ひ、
つひに手に手をとつて山奥深く隠遁し、竜宮城へは帰つてこなかつた。

 稚桜姫命といふ美(ウル)はしき妻神(ツマガミ)があり、
また八柱(ヤハシラ)の御子(ミコ)のあるにもかかはらず、
唐子姫に心魂を蕩(トロ)かしたるは、返す返すも残念な次第である。

 (大正十年十一月八日、旧十月九日、外山豊二録)

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まだまだ真の大和魂の復古は実現してはいないけれども、
日本人の持つ底力は侮るべからず、海外文化に心を奪われながらも、
首の皮一枚でその面目を保っている。

…というところか…

アジアの平和が、北朝鮮の崖っプチ外交で保たれている現状を観ても、
なんとも、この霊界物語の偉大さがクローズ・アップされるばかりだが、
こんな読み方が出来るのも、世界広しといえども筆者だけだろう…

一日も早く、日本人が、
スサノヲの世界観に復活する日を待つばかりである。

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

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第42章 甲冑(カツチウ)の起源 (92)

2007年03月19日 00時42分09秒 | Weblog
霊界物語 第二巻 霊主体従 丑の巻 第六篇 神霊の祭祀(サイシ)

 南方の敵将武熊別(タケクマワケ)は、
美山彦(ミヤマヒコ)および国照姫(クニテルヒメ)の二回の計略も
ぜんぜん失敗にをはり、
尋常一様の画策にては容易に目的を達しがたきを知り、
部下の魔軍をことごとく数千万の黒熊(クロクマ)と化せしめた。

 さうして東軍の吾妻別(アヅマワケ)、南軍の大足彦(オホダルヒコ)、
西軍の磐樟彦(イハクスヒコ)の陣営にむかひ、夜陰に乗じて、
一せいに咆哮(ハウカウ)怒号の声とともに襲撃した。
三軍の神将卒は不意の襲撃に驚き右往左往に散乱した。

武熊別は勢(イキホヒ)を得て、
まつしぐらにシオン山の山頂目がけて馳(ハ)せのぼり、
大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)の陣営を襲ひ、
かつ十六社の宮を破壊せむとした。

大八洲彦命以下の神将は不意の襲来に驚き、みづから奥殿に入り、
宮比彦(ミヤビヒコ)とともに天津神(アマツカミ)にむかつて救援を請ひたまうた。

 このとき十六社の宮は既に武熊別の部下なる数多(アマタ)の黒熊に
破壊されむとする間際であつた。

たちまち社殿の扉は自然に開かれ、
中より数千万羽の金鵄(キンシ)あらはれ、黒熊の群にむかひ、
口より火焔を吐き、縦横無尽に翔(カケ)めぐつた。

 数千万の黒熊はたちまちその毛を焼かれ、
一時に羆(ヒグマ)となつて熱さに悶(モダ)え苦しみつつ、
北方の雪山目がけて遁走し、積雪の中に残らずもぐり入り、
やうやく焼死をまぬがれた。

 焼死をまぬがれた熊の群は、
火傷(ヤケド)のために表皮は全部剥落して真裸(マツバダカ)となつた。

熊の群は雪山に雪を分け土を掘り、穴を造つてその中に潜み、
傷の癒(イ)ゆるを待つた。

さしも激しき火傷は漸次恢復して、
全身ことごとく白毛を生じ白熊と変化した。

 山麓にありし東西南の諸神将はやうやく散軍を集め、
陣営もとに復し、勇気はますます隆盛であつた。

武熊別はあまたの味方を失ひ、
ふたたび国照姫(クニテルヒメ)の魔軍をかつて再挙を企てた。

今度は魔軍を数千万の亀と化し、
山上目がけて密かに這(ハ)ひ登らしめた。
山上は亀をもつて埋(ウヅ)もれた。

亀は一斉に口より火焔を吐き、
四十八棟の社殿および幄舎(アクシヤ)を一時に焼尽し、
神軍を全部焼滅ぼさむとする勢(イキホヒ)であつた。

神軍はこれを見て、一々亀の首を斬らむとした。
数万の亀は一時に首を甲の中に潜め、
打てども斬れども何の痛痒(ツウヨウ)も感ぜず、
ただカツカツ音の聞ゆるばかりである。

 亀はだんだん折重なつて山を築き、諸神将を取囲み、
一歩も動かざらしめむとした。
さうして口々に烈しき火焔を甲のなかより
紅蓮(グレン)のごとくに吐きだし、神軍を悩ますのであつた。

 ここに大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は宮比彦(ミヤビヒコ)に神策を授け、
十二社の神殿に到らしめた。
さうして神殿に奉献されたる神酒(ミキ)を
一滴づつ数百の甕(カメ)にうつした。

たちまち天に黒雲おこり、大雨(タイウ)降りそそぎて、
瞬(マタタ)くうちに数百の甕は満ちあふれた。
その雨水は全部芳醇なる神酒と化した。

このとき何処(イヅク)ともなく数十羽の怪しき鳥族(テウゾク)現はれて、
甕に浸(ヒタ)り、羽撃(ハバタ)きしていづくともなく消え去つた。

 芳(カンバ)しき酒の匂ひは山上に溢るるばかりであつた。
この匂ひを嗅(カ)いだ数万の亀の群はにはかに首を出し、
先を争うて酒甕の前へ駆(カ)けりつき、背のびをなし、
首を長く突出して残らず甕の酒を飲み干し、敵地にあるを忘れて、
一せいに酔狂ひ踊りまはつた。

 このとき山上の神将神卒は、彼らを討つは今この時なり。

醒めては容易に討つこと難しと、
おのおの刀を引抜き首を一せいに斬らむと計つた。

大八洲彦命はこれを遮(サヘギ)り、
諸神司(シヨシン)をして亀群(キグン)の酔狂状態を観覧せよと命じた。

 神将神卒は命にしたがひ、袖手(シウシユ)傍観することとなつた。
亀はますます面白き手つきをなして踊り狂ひ、
たがひに争ひを始めた。
その光景は何ともいひえない面白き場面であつた。

 山上の神将神卒は思はず手を拍ち、
つひには亀の踊の面白さに引つけられて、自分もそろそろ歌を唄ひ、
亀の群に交つて敵味方ともに踊り狂うた。

そろそろ亀は毒が廻つた。黒血(クロチ)を吐(ハ)く、仰向けに倒れる、
そろそろ苦悶しはじめた。

たちまち味方の神将神卒は帯刀を抜き、
亀の首をずたずたに斬り放ち、残らずこれを亡ぼし、
甲を剥いで各自の武具となし、これを身に鎧(ヨロ)うた。

これが戦争に甲冑(カツチウ)を着するにいたつた嚆矢(コウシ)である。

 (大正十年十一月八日、旧十月九日、谷口正治録)

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嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

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『音惚花活気好@kakky』的『第42章 甲冑の起源 (92)』分解

2007年03月19日 00時40分07秒 | Weblog
霊界物語 第二巻 霊主体従 丑の巻 第六篇 神霊の祭祀(サイシ)

平成十八(2007)年3月19日 旧2月1日(月)

 南方の敵将武熊別(タケクマワケ)は、
美山彦(ミヤマヒコ)および国照姫(クニテルヒメ)の二回の計略も
ぜんぜん失敗にをはり、
尋常一様の画策にては容易に目的を達しがたきを知り、
部下の魔軍をことごとく数千万の黒熊(クロクマ)と化せしめた。

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『霊界物語』を拝読していると、
最初から勝ち組と負け組が決まっていることが分って来て、
段々安心して拝読出来る様になるのだが、
それでもやっぱり山在り谷在りで、
善の側でも大きな決済をする時がある。

国祖の御退隠とか、大洪水とか、
勝つ側の神が一時岩窟に閉じ込められたりとか…

出口王仁三郎聖師率いる大本関係者も、
戦時中は非国民扱いされ、
宗教弾圧を受けて投獄されたりしたけれど、
最終的には、戦後にはまったく意味をなさなくなる、
不敬罪一つを負わされたのみで、
無事無罪放免となって勝利を得る。

近代、この大本に憧れて、各種の新新興宗教が勃興して、
いろいろとマスコミで問題視扱いされ、
無差別テロを起こして解体させられたオーム真理教の様な団体も、
未だに大本の逆転劇に憧れを抱いている様だが、
やはり大本の様に、常に一方的に叩かれていた組織とは違い、
無差別テロなどという実力行使に出てしまった罪は、
どうしたって無罪放免というわけにはいかないものだ。

実力行使してしまっては、
織田信長に滅ぼされた僧兵連中と大差無い。

宗教としての面目を保ち得ていないのだ。

現段階の霊界物語は、未だ宗教というものがなく、
善悪の神々が、常に玉座を巡ってこの様に争っていた頃の話だが、
遠い遠い昔話しではあるけれども、
何処となく現代に応用することが出来ない話でもないような所に、
不思議な魅力があるわけである。

けれども、大救世主神である神素盞嗚大神は、
こういう醜状をリセットするために、
大洪水という形をとることになる。

現代も、地球温暖化による、
緩やかな大洪水の驚異に晒されているわけだが、
歴史は繰り返すということなのだろうか?

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 さうして東軍の吾妻別(アヅマワケ)、南軍の大足彦(オホダルヒコ)、
西軍の磐樟彦(イハクスヒコ)の陣営にむかひ、夜陰に乗じて、
一せいに咆哮(ハウカウ)怒号の声とともに襲撃した。
三軍の神将卒は不意の襲撃に驚き右往左往に散乱した。

武熊別は勢(イキホヒ)を得て、
まつしぐらにシオン山の山頂目がけて馳(ハ)せのぼり、
大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)の陣営を襲ひ、
かつ十六社の宮を破壊せむとした。

大八洲彦命以下の神将は不意の襲来に驚き、みづから奥殿に入り、
宮比彦(ミヤビヒコ)とともに天津神(アマツカミ)にむかつて救援を請ひたまうた。

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大八洲彦命等の正神達と、魔軍との決定的な違いは、
『天津神にむかつて救援を請』ふことが出来る点だ。

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 このとき十六社の宮は既に武熊別の部下なる数多(アマタ)の黒熊に
破壊されむとする間際であつた。

たちまち社殿の扉は自然に開かれ、
中より数千万羽の金鵄(キンシ)あらはれ、黒熊の群にむかひ、
口より火焔を吐き、縦横無尽に翔(カケ)めぐつた。

 数千万の黒熊はたちまちその毛を焼かれ、
一時に羆(ヒグマ)となつて熱さに悶(モダ)え苦しみつつ、
北方の雪山目がけて遁走し、積雪の中に残らずもぐり入り、
やうやく焼死をまぬがれた。

 焼死をまぬがれた熊の群は、
火傷(ヤケド)のために表皮は全部剥落して真裸(マツバダカ)となつた。

熊の群は雪山に雪を分け土を掘り、穴を造つてその中に潜み、
傷の癒(イ)ゆるを待つた。

さしも激しき火傷は漸次恢復して、
全身ことごとく白毛を生じ白熊と変化した。

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金鶏とか、黒熊とか、白熊とか、
まったくお伽噺の様な内容であるから、
読んでいて思わず吹き出してしまったり、
呆れて閉じてしまったりする方も出て来るとは思うが、
『霊界物語』的には、そういうことも惟神(カムナガラ)の選別なのだ。

つまり、今後『霊界物語』を通じて、
神の救いを得られるかどうかの…

それにしても、普通に考えたら、動物の外装の色というのは、
主に保護色としての環境適合能力の現れである筈だから、
雪で真っ白な氷河などで生活する熊の毛が白くなるのは、
外敵から身を守り、獲物に目くらましを与えるためだと考える方が、
なんとなく無難な感じがするし、
同様に黒熊の毛が黒いのは、
森林で身を隠すためのものと考えた方が、
なんとなく自然である。

金鶏は、太陽を象徴しているけれども、
やっぱり金色の光を放つ太陽に身を隠すのが目的ではなかろうか?

この金鶏の影が黒い鴉(カラス)なんだそうだが、
こういう発想は、まったく非科学的だ。

つまり『霊界』そのものが、
科学の遠く及ばない非科学的な世界なのである。

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 山麓にありし東西南の諸神将はやうやく散軍を集め、
陣営もとに復し、勇気はますます隆盛であつた。

武熊別はあまたの味方を失ひ、
ふたたび国照姫(クニテルヒメ)の魔軍をかつて再挙を企てた。

今度は魔軍を数千万の亀と化し、
山上目がけて密かに這(ハ)ひ登らしめた。
山上は亀をもつて埋(ウヅ)もれた。

亀は一斉に口より火焔を吐き、
四十八棟の社殿および幄舎(アクシヤ)を一時に焼尽し、
神軍を全部焼滅ぼさむとする勢(イキホヒ)であつた。

神軍はこれを見て、一々亀の首を斬らむとした。
数万の亀は一時に首を甲の中に潜め、
打てども斬れども何の痛痒(ツウヨウ)も感ぜず、
ただカツカツ音の聞ゆるばかりである。

 亀はだんだん折重なつて山を築き、諸神将を取囲み、
一歩も動かざらしめむとした。
さうして口々に烈しき火焔を甲のなかより
紅蓮(グレン)のごとくに吐きだし、神軍を悩ますのであつた。

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なんとなく日本の怪獣映画を代表する『ガメラ』を思い出すが、
こいつらはかなりセコイ。

…まあ、ガメラの様に甲羅の穴から火を出して回転して飛んだら、
もうちょっとカッコイイけれど、流石にそこまでは突飛ではない。

…とはいえ、ガメラは何処かの国の放射能実験の影響で、
突然変異した怪獣だそうだら、元はこの亀の生き残りだったのかも…

…などと有り得ない話をして楽しみたくなる様な滑稽な描写だが、
太古から伝わる神話というものは、大体こんな感じである。

要は、人類が生物の頂点に立つ以前の物語であるから、
実際にこんな魔物もいたのかもしれない…

もしかするとこれは、近代の戦車の譬えなのかも…

砲弾を弾き返す戦車の出入り口から首を出して、
双眼鏡で敵の様子を探りつつ進むのを、
この兵士を直接倒そうとすると、中に潜ってハッチを閉じ、
今度は砲弾を発射し、機関銃を連射して応戦する。

まさに、この亀達は、現代の戦車そのものだ。

動きも地上を鈍臭く這い回るだけだし…

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 ここに大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は宮比彦(ミヤビヒコ)に神策を授け、
十二社の神殿に到らしめた。
さうして神殿に奉献されたる神酒(ミキ)を
一滴づつ数百の甕(カメ)にうつした。

たちまち天に黒雲おこり、大雨(タイウ)降りそそぎて、
瞬(マタタ)くうちに数百の甕は満ちあふれた。
その雨水は全部芳醇なる神酒と化した。

このとき何処(イヅク)ともなく数十羽の怪しき鳥族(テウゾク)現はれて、
甕に浸(ヒタ)り、羽撃(ハバタ)きしていづくともなく消え去つた。

 芳(カンバ)しき酒の匂ひは山上に溢るるばかりであつた。
この匂ひを嗅(カ)いだ数万の亀の群はにはかに首を出し、
先を争うて酒甕の前へ駆(カ)けりつき、背のびをなし、
首を長く突出して残らず甕の酒を飲み干し、敵地にあるを忘れて、
一せいに酔狂ひ踊りまはつた。

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…なるほど、素盞嗚尊の八岐大蛇退治だな…と、
筆者はすぐに閃いたが、閲覧者の皆さんはどうだろう?

勿論、八岐大蛇退治には、もっと深い意味があるから、
こんな風に具体的に、
お神酒を使う様な作戦ばかりではないのだけれども…

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 このとき山上の神将神卒は、彼らを討つは今この時なり。

醒めては容易に討つこと難しと、
おのおの刀を引抜き首を一せいに斬らむと計つた。

大八洲彦命はこれを遮(サヘギ)り、
諸神司(シヨシン)をして亀群(キグン)の酔狂状態を観覧せよと命じた。

 神将神卒は命にしたがひ、袖手(シウシユ)傍観することとなつた。
亀はますます面白き手つきをなして踊り狂ひ、
たがひに争ひを始めた。
その光景は何ともいひえない面白き場面であつた。

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…なんだ?
こんな風にお神酒くらいで楽しく踊って過ごせるなら、
このまま戦をやめて、
皆で楽しくお神酒を囲んで暮らせばよいのに…

…と筆者は思ったのだが、結果と言えば…

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 山上の神将神卒は思はず手を拍ち、
つひには亀の踊の面白さに引つけられて、自分もそろそろ歌を唄ひ、
亀の群に交つて敵味方ともに踊り狂うた。

そろそろ亀は毒が廻つた。黒血(クロチ)を吐(ハ)く、仰向けに倒れる、
そろそろ苦悶しはじめた。

たちまち味方の神将神卒は帯刀を抜き、
亀の首をずたずたに斬り放ち、残らずこれを亡ぼし、
甲を剥いで各自の武具となし、これを身に鎧(ヨロ)うた。

これが戦争に甲冑(カツチウ)を着するにいたつた嚆矢(コウシ)である。

 (大正十年十一月八日、旧十月九日、谷口正治録)

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お神酒が魔軍にとっては毒になる…という風に、
筆者はこれまで、どうやら勘違いしていた様である。

『このとき何処(イヅク)ともなく数十羽の怪しき鳥族(テウゾク)現はれて、
 甕に浸(ヒタ)り、羽撃(ハバタ)きしていづくともなく消え去つた。』

という部分を見逃していたらしい…

つまり、これが毒になったのである。

だから、この時のお神酒は、
正神達が飲み干しても毒になったのだ。

けれど、その毒が原因で、魔軍の亀達が死んだのではない。

正神軍が刀でもって首を打ち払って皆殺しにしたのだ。

こんなことをするから、国祖も退隠することになり、
大洪水まで発生することになるのである。

武具だけ剥ぎ取って捕虜となし、
丁重に扱って味方にしてしまえばよいものを…

そんな悪い因縁を持つ甲冑だから、
現代の兵士達は身につけないで戦地に赴くのだろう…

『徳治国家(トクチコッカ)』は、まだまだ憧れの理想郷だ。

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

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第41章 十六社の祭典 (91)

2007年03月11日 22時39分04秒 | Weblog
霊界物語 第二巻 霊主体従 丑の巻 第六篇 神霊の祭祀(サイシ)

 シオン山は難攻不落の堅城鉄壁にして、
如何(イカ)なる鬼神といへども、これを攻略するは容易の業に非ず。

ここに西方の陣を固むる敵将国照姫(クニテルヒメ)は鬼雲彦(オニクモヒコ)、
清熊(キヨクマ)らと謀り、謀計をもつてこの目的を達せむと画策した。

 しかるにシオン山の本営にては、神明の霊威と、
天使大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)の明察とにより、
探女(サグメ)の真相を探知し、危(アヤフ)きを免(マヌガ)れたる神恩を感謝し、
かつ味方の無事を祝福するため、盛大なる祭典が執行された。

神軍の過半は祭典に列し、をはつて各(カク)もとの守備につき、
また半分の余る神軍は交代して、
山上の祭典に列する仕組(シグミ)であつた。

 十六社の宮にはおのおの
八塩折(ヤシホヲリ)の酒を大なる甕(カメ)に充(ミタ)して供進(グシン)された。
敵の軍臣に非ざるものはいづれといへども、
その当日のみは参拝を許さるることとなつた。

 ここに数多(アマタ)の女性(ニヨシヨウ)あり、
順礼の姿に身を装ひ麗しき顔(カンバセ)したる
美姫(ビキ)続々として山上へ登り、この祭典に列し、
かつ神威の無限なるを口をきはめて讃美しつつあつた。

時しも十六社の祭典は一時に行はれ、
神饌神酒(ミケミキ)を捧(ササ)ぐるものは若き女性ならざるべからず。

しかるに今は戦場のことなれば女性の影もなく、
男臣(ナンシン)の武者ぶり勇ましけれど、
いづれの男臣も何となくあきたらぬ思ひに沈みつつありし時なれば、
麗しきあまたの女性の数奇(スキ)を凝らして参上り来れる姿を見て、
大いに喜び、身心をとろかし、
中には眉や目尻を下る軍卒さへあらはれた。

いづれ劣らぬ花紅葉(モミヂ)、色香争ふその態(サマ)に、
並(ナミ)ゐる神将神卒も見惚(ミト)れつつ、
戦ひの庭にあることをも打ち忘れてゐた。

 宮比彦はその美しきもつとも年若き女性に向ひ、

 『今は戦場のこととて神に仕(ツカ)ふる乙女の一柱(ヒトハシラ)だもなし。
  願はくは汝(ナンヂ)ら神に至誠奉仕の信仰あらば、
  直ちに立つて神饌神酒を供せよ。
  また技芸あるものは立つて神楽(カグラ)を奏し奉(タテマツ)れ』

と呼ばはつた。

天女に等しき乙女らは一斉に立つて神饌神酒を供し奉り、
かつ神楽を奏して神慮を慰め奉つた。

祭典の式も無事終了し、
諸神司(シヨシン)は軍卒に至るまで直会(ナホラヒ)の宴に坐し、
神饌神酒を拝戴することとなつた。

数多の乙女は酒杯の間に往来して盛に取りもつた。
酒はおひおひまはつてきた。
忽(タチマ)ち呂律(ロレツ)の廻らぬ者、眼を剥(ム)く者、耳の聞えぬ者、
頭の痛む者、手足の痺(シビ)れる者、吐く者、下痢(クダ)す者、
腹を痛め胸を苦しめ七転八倒黒血(クロチ)を吐く者もできてきた。

そこにもここにも石ころのやうに転(コロ)びまはつて、
不思議な手つきをなし
虚空を掴(ツカ)んで倒れむとする者も現はれてきた。

 たちまち十六社の神殿鳴動し、各宮々の扉は自然に開かれ、
中より数多の金鵄(キンシ)現はれて宴席の上を縦横無尽に飛び舞うた。

今まで苦しみつつありし一同は
残らず元気恢復して一柱の怪我あやまちもなかつた。

今まで花顔柳腰(クワガンリウエウ)の乙女と見えしは魔神の変化にて、
見るみる面相すさまじき悪鬼と化し、あるひは老狐と変じ、
毒蛇となつて、四方に逃げ散つた。
これは国照姫(クニテルヒメ)以下の神軍剿滅(ソウメツ)の残虐なる奸策であつた。

 ここにシオン山の全軍は、神助により全部その危難を救はれ、
以後戦場に酒と女性を入れぬこととなつた。

 (大正十年十一月六日、旧十月七日、桜井重雄録)

『音惚花活気好@kakky』的『第41章 十六社の祭典 (91)』分解

2007年03月11日 22時38分06秒 | Weblog
霊界物語 第二巻 霊主体従 丑の巻 第六篇 神霊の祭祀(サイシ)

平成十八(2007)年二月十一日 旧一月二十二日(日)

 シオン山は難攻不落の堅城鉄壁にして、
如何(イカ)なる鬼神といへども、これを攻略するは容易の業に非ず。

ここに西方の陣を固むる敵将国照姫(クニテルヒメ)は鬼雲彦(オニクモヒコ)、
清熊(キヨクマ)らと謀り、謀計をもつてこの目的を達せむと画策した。

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大洪水の立て替え以前の物語だから、
これでいいといえばいいのだが、正直言って、

「またかよ?」

という感じの、うんざりする城取り合戦の始まりだ。

太古の神々が合戦好きだったことは、
世界中の神話が証明している。

旧約聖書は勿論、インド神話やギリシャ神話、
古い神話ではないけれど、エドガー・ケイシーの
「ケイシー・リーディング」とかいう記録に残された、
大洪水以来のアトランティスで、
はるか太古から繰り返された戦乱…

太古は、心のままに自由自在に変身できる、
現代人からは想像も出来ない構造の肉体だったらしいのだが、
要するに、人類の姿形の規定が、
ホモ・サピエンス型に決まったばかりの頃、
他のスタイルを提案していた連中が、
今でいう悪魔とか魔神と呼ばれる部類で、
その決定に対して抗議の戦闘を繰り返していたのである。

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 しかるにシオン山の本営にては、神明の霊威と、
天使大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)の明察とにより、
探女(サグメ)の真相を探知し、危(アヤフ)きを免(マヌガ)れたる神恩を感謝し、
かつ味方の無事を祝福するため、盛大なる祭典が執行された。

神軍の過半は祭典に列し、をはつて各(カク)もとの守備につき、
また半分の余る神軍は交代して、
山上の祭典に列する仕組(シグミ)であつた。

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筆者も、ここのところこの『探女』の様な、
いわゆる悪女批判をたっぷりやって来ているから、
もしかしたら”女嫌い”なのではないかと
誤解されているかもしれないので、
一応フォローしておくのだが、
筆者は御人形さんの様な美女とお近づきになると、
すぐに恋愛を意識してしまう惚れっぽい男である。

だいたいそういう女の子は、政治事とか、天下取りとか、
恋人の取り合いにもあまり頓着しない、
いわゆる『フリーセックス』系なのかな?
と思えてしまうくらいに大らかな気性の美人なので、
要するに遊び上手で、
やりくり上手のサバケタ美人というところか?

勿論、真面目な女の子も嫌いではないけれど、
イイコでも考え方が狭そうな感じのコには近付かない。

『探女』というのは狡猾いから、
そういうのは、男でも女でも、筆者は嫌いである。

まあ、深入りしない表面的なつきあいなら出来るけど、
『探女』系と深い付き合いになるのは常にお断りである。

よく「穴さえ着いてればいいじゃないか」と、
簡単に言ってくれる方もいるけれど、
だからこそ満足出来る相手でなければ興醒めするのだ。

持久力ある愛の行為には、
よほど満足出来る相手でないと臨めない。

これは誰でも同じだろう…

…とにかく、そんな狡猾い敵方の『探女』を捕らえたんだから、
まあ安心して祝杯を上げたくなっても無理もなかろう…

筆者でも、ライブの時は大体楽しく飲むけれど、
一緒に飲みたくない方は、自然と敬遠してしまっている。

祝杯は本当に気心の知れた連中とあげると心底楽しいものだ。

恋愛も同じで、筆者は行きずりの関係というのは苦手だ。
ちゃんとつきあう気がわかない限り、
ほとんど異性には近寄らない。

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 十六社の宮にはおのおの
八塩折(ヤシホヲリ)の酒を大なる甕(カメ)に充(ミタ)して供進(グシン)された。

敵の軍臣に非ざるものはいづれといへども、
その当日のみは参拝を許さるることとなつた。

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要するに明らかな敵以外は無礼講で飲めるパーティーだ。

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 ここに数多(アマタ)の女性(ニヨシヨウ)あり、
順礼の姿に身を装ひ麗しき顔(カンバセ)したる
美姫(ビキ)続々として山上へ登り、この祭典に列し、
かつ神威の無限なるを口をきはめて讃美しつつあつた。

時しも十六社の祭典は一時に行はれ、
神饌神酒(ミケミキ)を捧(ササ)ぐるものは若き女性ならざるべからず。

しかるに今は戦場のことなれば女性の影もなく、
男臣(ナンシン)の武者ぶり勇ましけれど、
いづれの男臣も何となくあきたらぬ思ひに沈みつつありし時なれば、
麗しきあまたの女性の数奇(スキ)を凝らして参上り来れる姿を見て、
大いに喜び、身心をとろかし、
中には眉や目尻を下る軍卒さへあらはれた。

いづれ劣らぬ花紅葉(モミヂ)、色香争ふその態(サマ)に、
並(ナミ)ゐる神将神卒も見惚(ミト)れつつ、
戦ひの庭にあることをも打ち忘れてゐた。

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学生時代は、幼馴染みと男同士で飲みに行く、
というのが当たり前だったけれど、
大人になってからは、男同士で飲むというのは、
なんだか腹のさぐり合いみたいで胸くそ悪くなることが多いので、
基本的に嫌いである。

企業パーティーとか、そういう時は、
口に入れるものだけ入れたら、お先に失礼するに限る。

別に偉い立場ではないから、気を使う必要もない。

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 宮比彦はその美しきもつとも年若き女性に向ひ、

 『今は戦場のこととて神に仕(ツカ)ふる乙女の一柱(ヒトハシラ)だもなし。
  願はくは汝(ナンヂ)ら神に至誠奉仕の信仰あらば、
  直ちに立つて神饌神酒を供せよ。
  また技芸あるものは立つて神楽(カグラ)を奏し奉(タテマツ)れ』

と呼ばはつた。

天女に等しき乙女らは一斉に立つて神饌神酒を供し奉り、
かつ神楽を奏して神慮を慰め奉つた。

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要するにホステス役を頼んでいるわけだ。

正しい神々にして、こんな具合だから、
大洪水も無理なかろう…

今でも法的には、
タレントに接待をさせるのは禁止行為だけれども、
それをホステスがいないから、代行しろ、
といっている様なものだ。

まあ、この世の中では、実際には黙認だけど…

温暖化、環境破壊、…身から出た錆というところか…

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祭典の式も無事終了し、
諸神司(シヨシン)は軍卒に至るまで直会(ナホラヒ)の宴に坐し、
神饌神酒を拝戴することとなつた。

数多の乙女は酒杯の間に往来して盛に取りもつた。
酒はおひおひまはつてきた。

忽(タチマ)ち呂律(ロレツ)の廻らぬ者、眼を剥(ム)く者、耳の聞えぬ者、
頭の痛む者、手足の痺(シビ)れる者、吐く者、下痢(クダ)す者、
腹を痛め胸を苦しめ七転八倒黒血(クロチ)を吐く者もできてきた。

そこにもここにも石ころのやうに転(コロ)びまはつて、
不思議な手つきをなし
虚空を掴(ツカ)んで倒れむとする者も現はれてきた。

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まともな淑女なら、穢らわしいといって断ることを、
進んでやるからには、やはり裏があるわけだ。

仕事がほしい、とか、玉の輿に乗りたい、とか…

ここでは、こんな風に神々を骨抜きにするのが目的だ。

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 たちまち十六社の神殿鳴動し、各宮々の扉は自然に開かれ、
中より数多の金鵄(キンシ)現はれて宴席の上を縦横無尽に飛び舞うた。

今まで苦しみつつありし一同は
残らず元気恢復して一柱の怪我あやまちもなかつた。

今まで花顔柳腰(クワガンリウエウ)の乙女と見えしは魔神の変化にて、
見るみる面相すさまじき悪鬼と化し、あるひは老狐と変じ、
毒蛇となつて、四方に逃げ散つた。
これは国照姫(クニテルヒメ)以下の神軍剿滅(ソウメツ)の残虐なる奸策であつた。

 ここにシオン山の全軍は、神助により全部その危難を救はれ、
以後戦場に酒と女性を入れぬこととなつた。

 (大正十年十一月六日、旧十月七日、桜井重雄録)


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ここではこんな奇蹟が起こったからいいけれど、
現実社会では、まずこんなことはない。

また、乙女の正体が現れて魔神に変化するということも、
実際には起きないけれども、
その態度の変わり様を、細部にいたるまで観察していれば、
その本性を感じ取れないことではないだろう。

『ここにシオン山の全軍は、神助により全部その危難を救はれ、
 以後戦場に酒と女性を入れぬこととなつた。』

それくらい、男は女に騙され易いということだ。
要するに男が女の美しさに弱いから悪いのである。
別に女の美しさのせいではない。

筆者でも職場にタイプの女性がいたら、
まず仕事に手なんかつくものではない。

どうやって口説くかばかりを考えてしまうが、
幸か不幸か、そんな気にさせる女性がいない職場だから、
最近は仕事に比較的に集中して楽しくやっている。

それでも、妄想の中は自由だから、
時々、タイプの女性を頭に描いていろいろ考えてしまう…

そんな具合だから、欲望を満たしたければ、
まず仕事から完全に解放された時でないと難しい。

仕事場は、男にとっては一種の戦場である。

だから女性が男女同権を期待するなら、
女扱いされなくても怒ったりせず、
職場に恋愛ざたは持ち込まないことだ。

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

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第40章 山上の神示 (90)

2007年03月05日 00時22分17秒 | Weblog
霊界物語 第二巻 霊主体従 丑の巻 第六篇 神霊の祭祀(サイシ)

 ここに大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は、
稚桜姫命(ワカザクラヒメノミコト)の神命を奉じ、
シオンの霊山にのぼり地鎮祭をおこなひ、
かの顕国(ウツシクニ)の御玉の母岩(ボガン)の現はれたる聖跡を中心として、
十六社の白木(シラキ)の宮(ミヤ)を造り、鵜(ウ)の羽をもつて屋根を覆ひ、
金銀珠玉種々の珍宝をちりばめ、荘厳優美たとふるにものなく、
旭(アサヒ)に照り夕陽に輝き、その状は目も眩(マバユ)きばかりであつた。

 一つの宮に一つの玉を神体として祭り、十二社と称へた。
他の四個の宮には、鶴野姫(ツルノヒメ)、大森別(オホモリワケ)、
生代姫命(イクヨヒメノミコト)および姫古曽(ヒメコソ)の神を鎮祭し、
荘厳なる祭祀(サイシ)は挙行された。

 その他、楼門、広間等大小三十二棟を造り、
いづれも白木造りにして檜皮(ヒハダ)をもつて屋根を覆(オホ)ひ、
千木(チギ)、堅魚木等(カツヲギトウ)実に崇高の極みであつた。

この十六の宮とともに四十八棟となり、
あまたの重臣はこれに住みて神明に日夜奉仕した。

 ここに宮比彦(ミヤビヒコ)を斎主とし、
一切の神務を主宰せしめられた。

シオン山はもとより荘厳なる霊山である。
しかるに今や四十八棟の瀟洒(セウシヤ)たる社殿幄舎(アクシヤ)は建て並べられ、
荘厳の上になほ荘厳を加へた。

 このとき常世姫(トコヨヒメ)の部下たる美山彦(ミヤマヒコ)、
国照姫(クニテルヒメ)は杵築姫(キツキヒメ)を部将とし、鬼雲彦(オニクモヒコ)、
清熊(キヨクマ)ら数多(アマタ)の魔軍を率ゐて鬼城山(キジヤウザン)を立ちいで、
東西両方面より、シオン山を占領せむと計画しつつあつた。

また南方よりは別働隊として主将武熊別(タケクマワケ)は、荒熊(アラクマ)、
駒山彦(コマヤマヒコ)を率ゐ、シオン山を奪取せむとし、
ここに東西南三方よりこれを占領するの計画を定めた。

 このこと忽(タチマ)ち天使大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)の知るところとなり、
東の山麓には吾妻別(アヅマワケ)を主将とし、香川彦(カガハヒコ)、
広足彦(ヒロダルヒコ)を部将として防衛の陣を張り、
西の山麓には磐樟彦(イハクスヒコ)を主将とし、上倉彦(カミクラヒコ)、
花照彦(ハナテルヒコ)を部将とし、あまたの神軍をもつてこれを守らしめた。

南方の山麓には大足彦(オホダルヒコ)を主将とし、奥山彦(オクヤマヒコ)、
安世彦(ヤスヨヒコ)を部将とし、あまたの神軍と共にこれを守らしめ、
北方の山麓には真鉄彦(マガネヒコ)少しの神軍と共に
万一に備へることとなつた。

また山上の本営には大八洲彦命を総大将として真道彦命(マミチヒコノミコト)、
花森彦(ハナモリヒコ)、谷川彦(タニガハヒコ)、
谷山彦(タニヤマヒコ)が固く守ることとなつた。

 三方より押寄せたる敵軍は、
難攻不落の霊山を攻撃せむとするは容易の業(ワザ)に非ず、
遠くこれを囲みて睨(ニラ)み合ひ、
互ひに火蓋を切らざること長きに渉つた。

ここに南軍の将武熊別は探女(サグメ)を放つて
一挙にこれを討ち破らむとした。

南軍の神将大足彦(オホダルヒコ)の陣営を夜ひそかに足音を忍ばせ、
横切る女性(ニヨシヨウ)があつた。

数多(アマタ)の神卒は怪しみ、
四方よりこの女性を囲み捕へて大足彦の陣中に送つた。

女性の衣をことごとく剥(ハ)ぎあらため見るに、
一通の信書があつた。

これは東軍の敵将美山彦にあて、
武熊別より送るところの密書のやうである。

 その文意は、

 『常世姫すでに竜宮城を陥(オトシイ)れむとす。
  されど敵は克(ヨ)く防ぎ、克く戦ひ容易に抜くべからず。
  大国彦の援軍を乞ひ、大勢をもり返したれば、
  味方の士気頓(トミ)に加はり来り、
  竜宮城の陥落は旦夕(タンセキ)に迫る。
  汝らは吾らを顧慮するところなく、
  全力を尽してシオン山を攻め滅せ。
  時を移さず竜宮城を屠(ホフ)り、
  地(チ)の高天原(タカアマハラ)の諸神将を討伐し、
  その機に乗じて応援に向はむとの、常世姫の密書来れり。
  これを貴下(キカ)に報告す』

と記してあつた。

 大足彦は南軍の指揮を安世彦(ヤスヨヒコ)に一任し、
ひそかに遁れて竜宮城の警衛に尽力してゐた。

安世彦はこの密書を探女の手より奪ひ大いに驚き、
吾妻別(アヅマワケ)、真鉄彦(マガネヒコ)、磐樟彦(イハクスヒコ)を
山上の陣営に集めて密議をこらした。

諸将はおほいに驚き、シオン山は難攻不落にして、
一卒これに当れば万卒進むあたはざるの要害なり。

軍の半(ナカバ)を割き速やかに一方の血路を開き、
竜宮城に応援せむことを決議され、
その決議の結果は大八洲彦命の前にいたされた。

大八洲彦命はしばし思案に暮れゐたりしが、
直ちにその決議を排(ハイ)し諸将にむかひ、

 『竜宮城には大足彦警衛のために帰還しをれば、
  深く案ずるに足らず。
  加ふるに真澄姫(マスミヒメ)、言霊別命(コトタマワケノミコト)、
  神国別命(カミクニワケノミコト)ら智勇兼備の神将の固く守りあれば、
  いかなる邪神もこれを抜くあたはざるべし。
  これ必ず敵の奸策ならむ』

と事もなげに刎(ハ)ねつけられた。

このとき安世彦色をなしていふ。

 『貴神(キシン)は稚桜姫命(ワカザクラヒメノミコト)の御上を憂慮したまはざるや。
  万一この密書にして偽(イツハ)りなれば重畳(チヨウデフ)なり。
  されど油断は大敵、
  当山は寡兵(クワヘイ)をもつて克(ヨ)く衆を防ぐに足る。
  しかるに竜宮城陥(オチイ)りなば、地の高天原もまた危(アヤフ)からむ。
  是非に応援軍を出し、もつて竜宮城の危急を救ひたまへ』

と決心の色を表はし、容易に意志を枉(マ)ぐべき形勢は見えなかつた。

 真鉄彦、磐樟彦、吾妻別も、安世彦の提案に賛成した。
部下の神卒はこの風評を耳にし、大部分は竜宮城の危険を信じ、
一時も早く帰城せむことを唱ふるにいたつた。

 大八洲彦命は断乎としてその衆議を排し、決心の色を表はし、

 『しからば諸神司(シヨシン)は吾が指揮を用ゐざるや。
  今は詮なし、たとへわれ一柱(ヒトハシラ)になるとも、
  当山は誓つて退却せじ、
  また一卒をもわれは帰城応援せしむるの意志なし』

と主張した。

ここに宮比彦は恭(ウヤウヤ)しく神前に出で神勅を奏請したるに、
たちまち神示あり、

 『探女をわが前に伴なひきたれ』

とあつた。

宮比彦は神示を大八洲彦命に恭しく伝へた。

大八洲彦命は安世彦に命じ、
神示のごとく探女を神前に曳(ヒ)き来らしめ、庭石の上に引据ゑた。

たちまち探女の身体は上下左右に震動し、かつ自ら口を切つて、

 『武熊別の密使にして、
  実際は竜宮城の陥落近きにありといふは虚偽なり。
  貴軍の士気を沮喪(ソソウ)せしめ、かつ陣容を紊(ミダ)し、
  その虚に乗じ一挙にシオン山を攻略せんずの攻軍の奸計なり』

と白状するや、たちまち大地に倒れた。

 ここに諸神将は神明の威力と、大八洲彦命の明察力に感歎し、
今後は命(ミコト)の命令には一切背(ソム)かずと誓つた。

 探女は大八洲彦命の仁慈によつて、神卒に守られ、
武熊別の陣営近く護送せられたのである。

 (大正十年十一月六日、旧十月七日、外山豊二録)

『音惚花活気好@kakky』的『第40章 山上の神示 (90)』分解(一)

2007年03月05日 00時19分16秒 | Weblog
霊界物語 第二巻 霊主体従 丑の巻 第六篇 神霊の祭祀(サイシ)

平成十八(2007)年3月5日 旧1月16日(月)

 ここに大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)は、
稚桜姫命(ワカザクラヒメノミコト)の神命を奉じ、
シオンの霊山にのぼり地鎮祭をおこなひ、
かの顕国(ウツシクニ)の御玉の母岩(ボガン)の現はれたる聖跡を中心として、
十六社の白木(シラキ)の宮(ミヤ)を造り、鵜(ウ)の羽をもつて屋根を覆ひ、
金銀珠玉種々の珍宝をちりばめ、荘厳優美たとふるにものなく、
旭(アサヒ)に照り夕陽に輝き、その状は目も眩(マバユ)きばかりであつた。

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こんな風に神を祭りたいという心は純粋で美しいもの。

けれども、如何にその心が純粋で美しくとも、
一度形に顕わしてしまえば、それで人間というものは一段落つき、
その心を顕わそうとした時の純粋さも美しさも、
いつしか慢心にとってかわる時が来るものである。

たとえばここには、

『かの顕国(ウツシクニ)の御玉の母岩(ボガン)の現はれたる聖跡を中心として、
 十六社の白木(シラキ)の宮(ミヤ)を造り』

とあるけれども、如何に白木の宮といえども、
数百年の後には黒くくすみ、
そのまま放置しておけば、やがて朽ち果てるのは必定である。

もし、その美しさを保とうと思えば、
定期的に改装工事をせねばなるまい。

その都度、きっと大きな出費があるに違いないが、
はたして末裔は、その御先祖様が持ったのと同じ純粋さと、
美しい心でもってその改装工事を着手することが出来るであろうか?

また、その間も、人類の文明は変化を繰り返し、
また流行も変わるであろうから、
その時、白木に勝る耐久力を持つ素材が開発された時にも、
やはり、古式に則って白木の宮として改装をするだけの純粋さを
保ち得るだろうか?

まったく、それが国宝であるとか、
世界遺産であるとか認定されるものであるならば、
国が費用を投じ、また世界が費用を投じて修繕改装もするであろうが、
そこまで永続性のある国際社会が、それまでに完成していなければ、
きっとこれらの白木の宮の様に、やがては大洪水によって、
一度は海中に沈む運命となるに違いない。

けれども、この時、きっと神々は、とても熱い心で、
この工事を竣工したのであろう…

いや待て、出口王仁三郎聖師はちょっと違っていた。

皇道大本(コウドウオホモト)時代、
やがては大本事件によって破壊される宿命を知りながら、
莫大なる費用を投じて大本に神殿などの施設を建設しながら、
王仁三郎聖師は、時々、妙に哀しげにそれを眺めていたそうだ。

時には信徒の一人に、これもやがては壊される、
ということをポツリとこぼしてもおられたそうだ。

この時の大八洲彦命も、そんな心持ちであったのだろうか?

かのヒットラーでも、永続性のある遺産を残そうと思うならば、
石造にするべきだということを常々言っていたそうだが、
実際、今、世界中に残っている遺跡のほとんどは石造である。

日本の木造の国宝は、
どれも定期的に修繕工事が施されながら守られているが、
やはり謎の●●遺跡というのは、皆、石造である。

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 一つの宮に一つの玉を神体として祭り、十二社と称へた。
他の四個の宮には、鶴野姫(ツルノヒメ)、大森別(オホモリワケ)、
生代姫命(イクヨヒメノミコト)および姫古曽(ヒメコソ)の神を鎮祭し、
荘厳なる祭祀(サイシ)は挙行された。

 その他、楼門、広間等大小三十二棟を造り、
いづれも白木造りにして檜皮(ヒハダ)をもつて屋根を覆(オホ)ひ、
千木(チギ)、堅魚木等(カツヲギトウ)実に崇高の極みであつた。

この十六の宮とともに四十八棟となり、
あまたの重臣はこれに住みて神明に日夜奉仕した。

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宮を造る時の順序として、そこそこの神を祭る時には、
この様に木造の宮を用いる。

最も尊い神を祭る時には石造の宮を用いると、
後に『霊界物語』にも記されているけれど、
その寿命を考えたら、やっぱりそれが本当であろう。

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 ここに宮比彦(ミヤビヒコ)を斎主とし、
一切の神務を主宰せしめられた。

シオン山はもとより荘厳なる霊山である。
しかるに今や四十八棟の瀟洒(セウシヤ)たる社殿幄舎(アクシヤ)は建て並べられ、
荘厳の上になほ荘厳を加へた。

 このとき常世姫(トコヨヒメ)の部下たる美山彦(ミヤマヒコ)、
国照姫(クニテルヒメ)は杵築姫(キツキヒメ)を部将とし、鬼雲彦(オニクモヒコ)、
清熊(キヨクマ)ら数多(アマタ)の魔軍を率ゐて鬼城山(キジヤウザン)を立ちいで、
東西両方面より、シオン山を占領せむと計画しつつあつた。

また南方よりは別働隊として主将武熊別(タケクマワケ)は、荒熊(アラクマ)、
駒山彦(コマヤマヒコ)を率ゐ、シオン山を奪取せむとし、
ここに東西南三方よりこれを占領するの計画を定めた。

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今だったら、近代建築物とか近未来的建築物に、
こんな風に木材を用いることはほとんどないだろう。

かといって、石を切り出すのもなかなか大変だから、
化学技術を利用した新素材を用いるに違いないのだが、
この建築寿命というのを考慮すると、
神話の読み方もまた変わって来るにちがいない。

この頃は、せいぜい木造建築が主流であったから、
こんな風に警護の神卒を多勢必要としたというわけか…?

…まあ、筆者に言わせれば、本来滅びることのない心を、
やがては滅び消え去る形に顕わそうというのだから、
その警護も、こんな風に仰々しくなっても仕方がないのだが、
そもそも、それが争いの元であると思うのだ。

今、筆者が他で運営している『地上天国建設委員会の日記』でも、
大本の後継者問題について触れているところだが、
あれも、大本の動産、不動産などの財産を巡って、
至仁至愛とは程遠い争い、確執、睨み合いが続いているので、
それも全て、形に顕わしてしまった物の取り合いが生み出している。

まったくもって愚にもつかない問題である。

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 このこと忽(タチマ)ち天使大八洲彦命(オホヤシマヒコノミコト)の知るところとなり、
東の山麓には吾妻別(アヅマワケ)を主将とし、香川彦(カガハヒコ)、
広足彦(ヒロダルヒコ)を部将として防衛の陣を張り、
西の山麓には磐樟彦(イハクスヒコ)を主将とし、上倉彦(カミクラヒコ)、
花照彦(ハナテルヒコ)を部将とし、あまたの神軍をもつてこれを守らしめた。

南方の山麓には大足彦(オホダルヒコ)を主将とし、奥山彦(オクヤマヒコ)、
安世彦(ヤスヨヒコ)を部将とし、あまたの神軍と共にこれを守らしめ、
北方の山麓には真鉄彦(マガネヒコ)少しの神軍と共に
万一に備へることとなつた。

また山上の本営には大八洲彦命を総大将として真道彦命(マミチヒコノミコト)、
花森彦(ハナモリヒコ)、谷川彦(タニガハヒコ)、
谷山彦(タニヤマヒコ)が固く守ることとなつた。

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たぶん、こんな言い方をすると厳粛神聖極まりない神々に対して、
まったく無礼千万なのだと思うのだが、
昔は娯楽が少なかったから、こんな風に肉弾相討つ様な、
緊張感溢れる戦いが、
神々にとっての最大の娯楽だったのではなかろうか?

今でも、吾々がプロ・アマ問わず、各スポーツを観賞するのは、
そういう心の名残りだと思う。

筆者でも、ハードロックの様な、
ちょっと血の気の多い音楽をやっているのは、
やっぱりそういう闘志のはけ口になっているところが大である。

子供の頃は泣き虫で弱虫だったけれど、
青少年の頃に、ブルース・リーや大山倍達、仮面ライダーの影響で、
格闘技などの体技を身につけることに熱中して、
泣き虫を克服して来た経験があるけれど、
人間、とかくたまって来た時には吠えたいものだ。

また、体中使って、割と無茶な肉体労働をしたりすると、
日頃の鬱憤が発散されたりもする…

勿論、それだって一時的な気分転換というか、誤魔化しで、
根本的な問題は解決してはいない場合が多いのだが、
人間、いい汗かいて、ひとッ風呂浴びて、
ビールをカーッと空けて、うまいもんでも喰って、
コロンと寝てしまえば、大概のやなことは忘れてしまうものだ。

そういうことを妙に格好をつけて我慢していると、
やっぱり軍事の様な本格的なことをやって、
大々的な破壊活動をやってみたくなってしまう様である。

そういう意味では、こういう神々が、人跡未踏的な霊山に集まって、
神々同志で戦う分には、平野の呑気な連中にとっては、
かえって有難いことなのかもしれないとも思えて来る。

…とはいえ、やがては、
そんな霊山も沈んでしまうほどの大洪水を招くのだから、
現代の地球温暖化のことも含めて、ちょっと考えてしまう。

ちなみに、霊界物語のことは神々の時間軸で書かれてあるから、
吾々凡人共が千年かかって感じることを、
神々はほんの十年弱程度で感じているのだ。

だから人間から見たら百年で陸が沈む様に見えていても、
神々からは、吾々にとっての一年にも満たない時間で沈む様に、
見えているのだ。

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 三方より押寄せたる敵軍は、
難攻不落の霊山を攻撃せむとするは容易の業(ワザ)に非ず、
遠くこれを囲みて睨(ニラ)み合ひ、
互ひに火蓋を切らざること長きに渉つた。

ここに南軍の将武熊別は探女(サグメ)を放つて
一挙にこれを討ち破らむとした。

南軍の神将大足彦(オホダルヒコ)の陣営を夜ひそかに足音を忍ばせ、
横切る女性(ニヨシヨウ)があつた。

数多(アマタ)の神卒は怪しみ、
四方よりこの女性を囲み捕へて大足彦の陣中に送つた。

女性の衣をことごとく剥(ハ)ぎあらため見るに、
一通の信書があつた。

これは東軍の敵将美山彦にあて、
武熊別より送るところの密書のやうである。

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これをいわゆる霊域というのだが、
日本でも全国各地に、
それぞれ代表的な神様が祭られているけれど、
その神様の配下にたくさんの眷属がいて、
普通、人間はその眷属の配下に守られて、
各霊域の中で平和な暮らしを営む様になっている。

けれど、明治維新後、廃藩置県が行われ、
また戦後の復興で、交通網も充実し、
今では北海道から沖縄まで移動するのに、
飛行機を使えば一日かからないほどに時間が短縮された。

…まあ、飛行機ははるか上空を飛ぶから、
霊山の神々の視野の外にいるから比較的安全なのだが、
霊山より低い所に降りたら、
いちいち土地の神々に御挨拶しながら旅をしないと、
けっこう危険である。

空港から目的地まで、
地元の運転手に導かれて移動している分には、
その間に各霊域の眷属達も顔を覚えてくれるから、
あまり事故に遭うことも無いけれど、
自動車で単身での移動であったり、
よそ者だけが同乗している乗り物が、
勝手に霊域を侵したりすると、
大事故が発生したりするものである。

これは敵対する霊域の眷属が、
よそものの侵入を拒むのである。

単身でも、霊格が上で、広い霊域に顔が知れていれば、
割と何処に行っても安全であるが、
どんな土地にも、そういう情報に通じないヤクザ神や、
正しい分別を失っている亡霊とかがいたりするから、
そんな連中に突然襲われて、苦しい思いをしたりするものだ。

海や山は、そういう意味でも危険な霊域であるから、
霊媒体質の人は、よく注意しないとならない。

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『音惚花活気好@kakky』的『第40章 山上の神示 (90)』分解(二)

2007年03月05日 00時17分49秒 | Weblog
 その文意は、

 『常世姫すでに竜宮城を陥(オトシイ)れむとす。
  されど敵は克(ヨ)く防ぎ、克く戦ひ容易に抜くべからず。
  大国彦の援軍を乞ひ、大勢をもり返したれば、
  味方の士気頓(トミ)に加はり来り、
  竜宮城の陥落は旦夕(タンセキ)に迫る。
  汝らは吾らを顧慮するところなく、
  全力を尽してシオン山を攻め滅せ。
  時を移さず竜宮城を屠(ホフ)り、
  地(チ)の高天原(タカアマハラ)の諸神将を討伐し、
  その機に乗じて応援に向はむとの、常世姫の密書来れり。
  これを貴下(キカ)に報告す』

と記してあつた。

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これはいわゆる情報撹乱作戦である。

敵勢に偽情報を流して混乱を煽って、
その隙に乗じようというわけだ。

身近な例だと、

「あ、あれなんだ?」

と、突然声をかけて、相手が、

「え?」

と、そちらに視線を向けた隙によろしくやって、

「バカは見る~~~」

とはやして喜び遊ぶのと一緒である。

「あ、お前大変だ!ケツが二つに割れてるぞ!」

と、突然声をかけられて、

「え?」

と慌ててお尻を自分で触ってから気付いて、

「やられた~~~」

となるやつの、ちょっと本格的なバージョンである。

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 大足彦は南軍の指揮を安世彦(ヤスヨヒコ)に一任し、
ひそかに遁れて竜宮城の警衛に尽力してゐた。

安世彦はこの密書を探女の手より奪ひ大いに驚き、
吾妻別(アヅマワケ)、真鉄彦(マガネヒコ)、磐樟彦(イハクスヒコ)を
山上の陣営に集めて密議をこらした。

諸将はおほいに驚き、シオン山は難攻不落にして、
一卒これに当れば万卒進むあたはざるの要害なり。

軍の半(ナカバ)を割き速やかに一方の血路を開き、
竜宮城に応援せむことを決議され、
その決議の結果は大八洲彦命の前にいたされた。

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まあ、諸般の事情を知らない安世彦は、
この密書にまんまと踊らされ、
同類の神々が集まって大騒ぎして会議を開き、
あわや敵の罠にはめられる寸前の所までいったわけだけれど、
ここでラッキーだったのは、独断に走らずに、会議の結果を、
ちゃんとリーダーの大八洲彦命に報告したところだ。

組織というのは、こういう時に有効だろう。

経験豊富で諸事情に通じたリーダーがいてくれるということは、
こういう時に有難いものである。

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大八洲彦命はしばし思案に暮れゐたりしが、
直ちにその決議を排(ハイ)し諸将にむかひ、

 『竜宮城には大足彦警衛のために帰還しをれば、
  深く案ずるに足らず。
  加ふるに真澄姫(マスミヒメ)、言霊別命(コトタマワケノミコト)、
  神国別命(カミクニワケノミコト)ら智勇兼備の神将の固く守りあれば、
  いかなる邪神もこれを抜くあたはざるべし。
  これ必ず敵の奸策ならむ』

と事もなげに刎(ハ)ねつけられた。

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大八洲彦命は、いつもこんな感じで、
事を起こす前に問題の本質を見抜いてしまうから、
敵にふりまわされることはまず無いのだが、
凡人がなかなかそういう境地になれるものではない。

筆者でも、今でこそ、
こんな風に『霊界物語』を冷静に分解しているけれども、
一時期、当って砕けろ式で、一度は相手の策に乗りかけて、
土壇場で窮地を抜け出す様な体験も何度もしたし、
いつまでもしがらみがついてまわりそうな相手には、
将来関わり合いたく無いと思われる様なしこりを、
わざと残して縁を切ったりすることもよくやったから、
あまり偉そうなことは言えないのだが、
幸か、不幸か、筆者には相談出来る人が、
上にも下にもいなかったから、
これはこれで避けられない方策だったのだが、
やはり、この『霊界物語』と出会ったおかげで、
随分、いろんな意味で、
一層、大胆且つ慎重になれた様に思う。

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このとき安世彦色をなしていふ。

 『貴神(キシン)は稚桜姫命(ワカザクラヒメノミコト)の御上を憂慮したまはざるや。
  万一この密書にして偽(イツハ)りなれば重畳(チヨウデフ)なり。
  されど油断は大敵、
  当山は寡兵(クワヘイ)をもつて克(ヨ)く衆を防ぐに足る。
  しかるに竜宮城陥(オチイ)りなば、地の高天原もまた危(アヤフ)からむ。
  是非に応援軍を出し、もつて竜宮城の危急を救ひたまへ』

と決心の色を表はし、容易に意志を枉(マ)ぐべき形勢は見えなかつた。

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安世彦等の神々も一旦決議した上は、それは、

「武士に二言無し」

であるから、そう簡単に引き下がれるものではない。

けれど、ここで素直に大八洲彦命に従う様なら、
たぶん妙な屈服感も味わうことも無いのだが、
男という生き物は、例え相手の方が正しくとも、
負けた怨みというものはなかなか消えないものだ。

その時は感服した様でも、
将来もし大八洲彦命が窮地に陥った時に、
この時の怨みが吹き出して来て寝返ったりするものである。

要するに、こういう小さなすれ違いは、
放っておくと悪い因縁になって行くのだから、
自らよく道を尋ね学んで、省みる努力を重ねる必要がある。

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 真鉄彦、磐樟彦、吾妻別も、安世彦の提案に賛成した。
部下の神卒はこの風評を耳にし、大部分は竜宮城の危険を信じ、
一時も早く帰城せむことを唱ふるにいたつた。

 大八洲彦命は断乎としてその衆議を排し、決心の色を表はし、

 『しからば諸神司(シヨシン)は吾が指揮を用ゐざるや。
  今は詮なし、たとへわれ一柱(ヒトハシラ)になるとも、
  当山は誓つて退却せじ、
  また一卒をもわれは帰城応援せしむるの意志なし』

と主張した。

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大八洲彦命といえば和光同塵とうイメージがちょっと強いけれど、
こういう和光同塵ではない厳格さを見せてくれると、
筆者はちょっと嬉しい。

やっぱり大八洲彦命はお釈迦さんの前世というだけあって、

『天上天下唯我独尊』

的な強烈な個性があるというわけだ。

個性といえば悪魔のことだと誤解している方もある様だから、
これは大事なことだ。

同じコセイにも、

『修理固成』

ということもある。

常に最善に向って作り直し変わって行く強さが必要である。

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ここに宮比彦は恭(ウヤウヤ)しく神前に出で神勅を奏請したるに、
たちまち神示あり、

 『探女をわが前に伴なひきたれ』

とあつた。

宮比彦は神示を大八洲彦命に恭しく伝へた。

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なるほど、大八洲彦命と安世彦等の睨み合いは、
やはり人と人との対立の様なもので、
意地の張り合いになると後に怨みを残すから、
その裁決を神に仰ごうというわけだ。

けれど、これも、この頃だからすんなり行くわけで、
現代だったら、はたしてどうだろう?

…というより、宮比彦の様に神前に神勅を仰ごうなどという人が、
はたして出て来るかどうか…

それが現代の大問題だ。

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大八洲彦命は安世彦に命じ、
神示のごとく探女を神前に曳(ヒ)き来らしめ、庭石の上に引据ゑた。

たちまち探女の身体は上下左右に震動し、かつ自ら口を切つて、

 『武熊別の密使にして、
  実際は竜宮城の陥落近きにありといふは虚偽なり。
  貴軍の士気を沮喪(ソソウ)せしめ、かつ陣容を紊(ミダ)し、
  その虚に乗じ一挙にシオン山を攻略せんずの攻軍の奸計なり』

と白状するや、たちまち大地に倒れた。

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こういうことは実際ある。

寝ている時なら『金縛り』というわけだが、
これは筆者が『世界平和の祈り』に出会ってしばらくの頃、
アパートの隣人が養母と仲良しで、
ある時、こちらに遊びに来ていたのだが、
その人が筆者の信仰について尋ねて来たので、
筆者が何のためらいもなく、

「俺はスサノヲなんだよね…」

と一言いってやったら、
その人は毎日隣室から般若心経を読経しているのが聞こえて来る様な、
信心深い人だったらしいけれど、
筆者を試そうとしたらしく、それなら祈ってくれというので、
互いに正座して向き合って、
筆者が合唱して黙して心内で『世界平和の祈り』を唱えると、
しばらくすると、

「ああ、気持ちいい風が吹いて来る…」

と眼をつぶったまま言いながら、上体をユラユラと揺すり始めた。

傍で養母も眼を皿の様に開けて凝視していたけれど、
事態がなかなか了解出来なかったらしかったので、
筆者の方で、途中でそれをやめて終わらした。

別に筆者は信者がほしいわけではなく、
『世界平和の祈り』の真の価値を理解してくれる同胞が欲しかったので、
こういう神霊実験みたいなことには興味が無かったのだ。

それに、この場合は、
何か白状させたいことがあったわけでもないから、
こういう妙な振動をする現象を目撃した体験があるというだけで、
筆者には充分参考になることである。

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 ここに諸神将は神明の威力と、大八洲彦命の明察力に感歎し、
今後は命(ミコト)の命令には一切背(ソム)かずと誓つた。

 探女は大八洲彦命の仁慈によつて、神卒に守られ、
武熊別の陣営近く護送せられたのである。

 (大正十年十一月六日、旧十月七日、外山豊二録)

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つまり、諸神将も『寄らば大樹の陰』的な烏合の衆なわけなのだが、
それでも各自バラバラにしておくよりは、束ねておいた方が、
世の為人の為に安全であるというわけだ。

それからこの探女は、
大八洲彦命の下に置いて改心させるに値しない者だったということか?

それとも、こうして丁重に送り返してやれば、
それが縁で敵勢の中から改心する者が現れるかもしれないから…
という策でもあったのだろうか?
…と、筆者はついつい勘ぐってしまうのだが、
結局、善悪正邪の立て別けは厳格で、相容れないものは決して相容れない。

戻る所に戻り、納まるべき所に納まる方が好いということだろう…


嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

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