『音惚花活気好@kakky』=垣内政治的《霊界物語学》の日記的な雑記の様なレポート状の諸々?

出口王仁三郎聖師による弥勒胎蔵経『霊界物語』を『音惚花活気好@kakky』的に学問してみるランダムレポート?

第22章 神前の審判 (122)

2007年10月29日 03時29分12秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第六篇 青雲山

 天山(テンザン)には黄色(キイロ)の玉を祀(マツ)り、
宮殿を造営してこれを鎮祭し、
埴安(ハニヤス)の宮(ミヤ)と名づけられたり。

斎代彦(トキヨヒコ)を八王神(ヤツワウジン)とし、
妻斎代姫(トキヨヒメ)をして神業を補佐せしめ、
谷山彦(タニヤマヒコ)を八頭神(ヤツガシラガミ)となし、
谷山姫(タニヤマヒメ)をして神政を補助せしめられける。

谷山姫は嫉妬猜疑の念ふかく、
斎代姫の命令をきくことを非常に不快に感じゐたり。

夫婦は、つねに犬猿のごとく、たがひに嫉視反目をつづけ、
それがために天山城内の神政は、つねに紛擾絶えざりける。

 茲(ココ)に八王大神(ヤツワウダイジン)は、
部下の邪霊荒国彦(アラクニヒコ)を谷山彦の肉体に憑依(ヒヨウイ)せしめ、
また荒国姫(アラクニヒメ)といふ邪霊を谷山姫に憑依せしめたり。

これより谷山彦夫妻の性行は俄然一変し、
斎代彦夫妻をしりぞけ、
みづから八王神たらむことをくはだてける。

斯(カ)くのごとく悪心を起したるは
全く憑霊(ヒヨウレイ)の所為(シヨイ)なり。

ここに谷山彦は妻の使嗾(シソウ)により、
埴安の宮司国代彦(クニヨヒコ)、国代姫(クニヨヒメ)の夫婦を手に入れ、
国魂を盗ましめ、八王神の身に失策を招かしめ、
その目的を達せむとし、種々の手段をめぐらしゐたりける。

 しかるに宮司の国代彦は正義の神司(カミ)なれば、
容易にその心を動かすべからざるを悟り、
妻の国代姫を甘言をもつて説得せむと計りぬ。

国代姫は谷山彦夫妻に招かれけるが、谷山彦はいふ、

 『汝の弁舌をもつて夫国代彦の心を動かし、
  国魂を盗み出さしめなば、
  吾はただちに八王神の位に上り、
  汝ら夫妻を八頭神の地位に据ゑむ』

と言葉たくみに説き立てたり。

国代姫はその成功を危ぶみ、
かつ天地の律法に背く由を述べ、これを謝絶せむとするとき、
何心なく夫の国代彦はこの場に現はれ来りぬ。

谷山彦にむかひて前述の謀計を打明けたるに、
国代彦は一も二もなく賛成の意を表しけり。

国代姫は夫の言に驚き、
涙とともにその悪行をとどめむとて泣きて諫言したりけれども、
国代彦は決心の色を面に現はし、
今この場において谷山彦の意見に反対を表せむか、
いかなる危害の身辺に及ばむも計り難しと、
わざと空惚(ソラトボ)けていふ、

 『吾は天則違反の行為ならむと察すれども、
  諺(コトワザ)にも勝てば善神、敗れば邪神といふことあり。
  吾が出世栄達の道を開かせたまふならば、
  よろこんで貴下(キカ)の命を奉ぜむ』

と即答したりける。

 谷山彦夫妻は大いに喜び、埴安の宮の祭典をおこなひ、
これを機(シホ)に宮司国代彦をして
玉を盗み出さしめむとしたりければ、
国代彦は同形同色の偽玉(ニセダマ)を造り、
深く懐に秘めて祭典に列し、
みづから鍵を出して宮の扉を開き種々(クサグサ)の供物(クモツ)を献じ、
ひそかに偽玉を谷山彦に手渡ししたるに、
谷山彦は素知らぬ顔を装ひ、これを懐中に秘しゐたりけり。

祭典は無事に終了し、八王神斎代彦、斎代姫も列席し、
直会(ナホラヒ)の宴は盛んに開かれ、
八百万神司(ヤホヨロヅガミ)は神酒に酔ひ、歌をうたひ、踊り狂ふ。

このとき国代彦はたちて歌をうたひ、しきりに踊りはじめけり。

その歌は、

 『時世時節(トキヨジセツ)は怖(コワ)いもの
  深山(ミヤマ)を越えて谷越えて
  常世(トコヨ)の国(クニ)の涯(ハテ)の涯(ハテ)
  黄(キ)が気(キ)でならぬ玉の守(モ)り
  時世時節は怖いもの
  谷は変じて山となり
  山は代つて谷となる
  変れば変る世の中よ
  頭(カシラ)は今に尻尾となり
  尻尾は転げて谷底へ
  落ちて苦しむ眼前(マノアタリ)
  何の用捨も荒国彦(アラクニヒコ)の
  霊(タマ)の憑(カカ)りし谷と山
  どこの国代(クニヨ)か知らねども
  木々(キギ)〈黄々(キギ)〉の木魂(コダマ)に響くなり
  埴安宮(ハニヤスミヤ)の玉欲(ホ)しと
  谷と山から攻めてくる
  谷と山から狙(ネラ)ひをる
  照る日の影は清くとも
  雲霧たつは山の谷
  虎狼も隠れすむ
  気をつけ守る国世彦(クニヨヒコ)
  玉は日に夜に曇るなり
  曇る玉こそ替玉(カヘダマ)よ』

といつて面白く踊り狂ふ。

ここに八王大神斎代彦はこの歌を聴き、谷山彦の謀叛を悟り、
ただちに夫妻を捕へて厳しく詰問したり。

谷山彦は答ふるに実をもつてせり。

 ここに斎代彦は谷山彦夫妻の職を免じ、国代彦、
国代姫をして八頭神の後を襲(オソ)はしめむと宣言せり。

この時謙譲の徳高き国代彦夫妻は、

 『命(ミコト)の大命実に有(ア)りがたく、
  身にあまる光栄なれど、
  われはかかる聖職に任ぜらるるの資格なし。
  願はくば以前のごとく宮司(グウジ)たらしめられたし。
  谷山彦夫妻は思ふに元より
  かかる悪事を企つるごとき邪神にはあらず。
  悪霊の憑依によつて
  かかる無道(ブダウ)の行動に出でられしならむ。
  すみやかに神前にともなひゆきて
  厳粛なる審神(サニハ)を奉仕し、
  その上にて裁断あらむことを』

と涙を流し赤心面(オモテ)にあふれて奏上したりける。

斎代彦は打ちうなづき、
直ちに二人の審神を開始されけるに、
たちまち二人は上下左右に身体震動し、
邪神荒国彦(アラクニヒコ)は谷山彦の体内より、
荒国姫(アラクニヒメ)は谷山姫の体内より、
神威に畏れて脱出し、悪狐の正体を現はし、
常世の国にむかひて雲を霞と逃げ去りにけり。

 邪神の脱け出でたる後の谷山彦夫妻は、
夢から醒めたるごとく前非を悔い、
かつ邪神の謀計の恐ろしきを悟り、
それより心をあらため、神々を篤く信じ、
元の誠心に立ちかへりけり。

斎代彦は今までの谷山彦夫妻の行動は、
まつたく邪神憑依の結果となし、その罪を赦(ユル)し、
元のごとく八頭神の聖職に就かしめたりける。

 (大正十年十一月十八日、旧十月十九日、土井靖都録)

『音惚花活気好@kakky』的『第22章 神前の審判 (122)』分解

2007年10月29日 03時28分20秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第六篇 青雲山

平成十九(2007)年十月二十九日 旧九月十九日(月)

 天山(テンザン)には黄色(キイロ)の玉を祀(マツ)り、
宮殿を造営してこれを鎮祭し、
埴安(ハニヤス)の宮(ミヤ)と名づけられたり。

斎代彦(トキヨヒコ)を八王神(ヤツワウジン)とし、
妻斎代姫(トキヨヒメ)をして神業を補佐せしめ、
谷山彦(タニヤマヒコ)を八頭神(ヤツガシラガミ)となし、
谷山姫(タニヤマヒメ)をして神政を補助せしめられける。

谷山姫は嫉妬猜疑の念ふかく、
斎代姫の命令をきくことを非常に不快に感じゐたり。

夫婦は、つねに犬猿のごとく、たがひに嫉視反目をつづけ、
それがために天山城内の神政は、つねに紛擾絶えざりける。

--------------------------------------------------------------

ここまで来ると、どうも神様は、世の中が安定するよりも、
こんな風に、何処かに対立関係を設けて、
わざと世の中を混ぜ返す様にしているのではないか?
とさえ思えて来る。

要するにイエスマンばかりで神政を行う様には
していないわけだ。

天山も確か今の中国にあるのだが、
天山といっても、実際は名ばかりで、地続きの山だから、
地獄の上に出来たイボみたいなものであるから、
こんな風に内政は『テンてこ舞い』をしているのだろう…

天山の国魂は黄色の玉で、
これを鎮祭する宮殿を『埴安(ハニヤス)の宮』と名づけたわけだが、
『埴(ハニ)』とは即ち『糞(クソ)』のことである。

ちなみに黄色は広い意味でクソの色である。

糞は臭いけれども、農事にとっては好い肥料になるわけだし、
実際、糞が落ちた所は植物が元気よく繁殖する。

つまり『埴』は肥料ということで、
よく肥えた土地柄ということになる。

土地を耕すのも、この天山の内政同様、
混ぜ返すのが基本である。

つまり肥料が土地に満遍なく行き届く様にする為には、
あまり平和に治まっていてはいけないということになろう…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 茲(ココ)に八王大神(ヤツワウダイジン)は、
部下の邪霊荒国彦(アラクニヒコ)を谷山彦の肉体に憑依(ヒヨウイ)せしめ、
また荒国姫(アラクニヒメ)といふ邪霊を谷山姫に憑依せしめたり。

これより谷山彦夫妻の性行は俄然一変し、
斎代彦夫妻をしりぞけ、
みづから八王神たらむことをくはだてける。

斯(カ)くのごとく悪心を起したるは
全く憑霊(ヒヨウレイ)の所為(シヨイ)なり。

ここに谷山彦は妻の使嗾(シソウ)により、
埴安の宮司国代彦(クニヨヒコ)、国代姫(クニヨヒメ)の夫婦を手に入れ、
国魂を盗ましめ、八王神の身に失策を招かしめ、
その目的を達せむとし、種々の手段をめぐらしゐたりける。

--------------------------------------------------------------

『斯(カ)くのごとく悪心を起したるは
 全く憑霊(ヒヨウレイ)の所為(シヨイ)なり。』

などと、一応、優しくかばい立てする様な表現をしているが、
本当の所は、その身魂が、こういう憑霊によく馴染むから、
容易に憑霊を受け入れてしまうのである。

もし、身魂が磨けていたら、憑霊の方が消滅してしまうか、
または憑くに憑けないで逃げ去ってしまうものだ。

世の中、善人みたいな顔していても、
みんなこんな具合に交ざり物である。

畜生身魂に取り憑かれていると、
怒る時に、その表情に化けの皮が表れるものだ。

大体、親分肌の中途の身魂には狸が取り憑いている。

目玉をギョロッとさせて、口を尖らせ、どもりながら怒るのは、
先ず間違い無く狸憑きであるから、これを覚えておくと、
怒られてもあまり気にならないものである。

筆者も時々、他人を怒る時は、
狸を呼んで怒鳴らせることがあるが、
いちいち息をつまらせてどもるので、
口で怒りながら、腹では笑ってしまうことがよくある。

一言添えておくけれど、
『憑かれる』のと『憑かせる』のでは、
力関係が全然違うので混同しない様に。

『憑かれる』のは負けているが、
『憑かせる』のは使ってやるのだ。

けれど、天狗以上の神様が憑いて怒る時は、
全然どもったりしないで、凄い迫力で大きな声で淀み無く話す。

ちょうど役者が、舞台で台詞を朗々と語る様な迫力がある。

あと龍神は、口より先に体が動く。

不言実行型なので、龍神に睨まれたら、逃げるのはかなり難しい。

基本的に、筆者は組織が苦手なので、
そこで人の上に立つ努力をするのはもっと苦手だ。

大体、人の上に立ちたがる連中の気が知れないので、
正義がどうのこうのといわなくても、
この手の悪霊に憑かれることがない。

出世欲があるから、この手の悪霊に憑かれるのだ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 しかるに宮司の国代彦は正義の神司(カミ)なれば、
容易にその心を動かすべからざるを悟り、
妻の国代姫を甘言をもつて説得せむと計りぬ。

国代姫は谷山彦夫妻に招かれけるが、谷山彦はいふ、

 『汝の弁舌をもつて夫国代彦の心を動かし、
  国魂を盗み出さしめなば、
  吾はただちに八王神の位に上り、
  汝ら夫妻を八頭神の地位に据ゑむ』

と言葉たくみに説き立てたり。

国代姫はその成功を危ぶみ、
かつ天地の律法に背く由を述べ、これを謝絶せむとするとき、
何心なく夫の国代彦はこの場に現はれ来りぬ。

谷山彦にむかひて前述の謀計を打明けたるに、
国代彦は一も二もなく賛成の意を表しけり。

--------------------------------------------------------------

こんなひ弱な神に、大事な玉を預けるその心が判らないが、
この地上では、ある意味、命あってのモノだねだから、
何が何でも強く出なければいけない、ということでもない。

弱い者は、弱いんだからしょうがない。

そんな弱い者を使っている上の神々に責任があるわけだし、
それなりに思惑もあるのだろう…

弱い者が強い者を相手に詭弁を用いて難を逃れるのも、
地獄の沙汰では立派な兵法である。

しかし、その詭弁や策の精算を、
後でまとめて引き受ける事になるのが、
国祖の神であるということを忘れないように。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

国代姫は夫の言に驚き、
涙とともにその悪行をとどめむとて泣きて諫言したりけれども、
国代彦は決心の色を面に現はし、
今この場において谷山彦の意見に反対を表せむか、
いかなる危害の身辺に及ばむも計り難しと、
わざと空惚(ソラトボ)けていふ、

 『吾は天則違反の行為ならむと察すれども、
  諺(コトワザ)にも勝てば善神、敗れば邪神といふことあり。
  吾が出世栄達の道を開かせたまふならば、
  よろこんで貴下(キカ)の命を奉ぜむ』

と即答したりける。

--------------------------------------------------------------

『勝てば善神、敗れば邪神』

とは、即ち、

『勝てば官軍、負ければ賊軍』

ということである。

どっちにしても『つよいものがち』の思想である。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 谷山彦夫妻は大いに喜び、埴安の宮の祭典をおこなひ、
これを機(シホ)に宮司国代彦をして
玉を盗み出さしめむとしたりければ、
国代彦は同形同色の偽玉(ニセダマ)を造り、
深く懐に秘めて祭典に列し、
みづから鍵を出して宮の扉を開き種々(クサグサ)の供物(クモツ)を献じ、
ひそかに偽玉を谷山彦に手渡ししたるに、
谷山彦は素知らぬ顔を装ひ、これを懐中に秘しゐたりけり。

祭典は無事に終了し、八王神斎代彦、斎代姫も列席し、
直会(ナホラヒ)の宴は盛んに開かれ、
八百万神司(ヤホヨロヅガミ)は神酒に酔ひ、歌をうたひ、踊り狂ふ。

このとき国代彦はたちて歌をうたひ、しきりに踊りはじめけり。

--------------------------------------------------------------

またここでも偽玉の御活躍である。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

その歌は、

 『時世時節(トキヨジセツ)は怖(コワ)いもの
  深山(ミヤマ)を越えて谷越えて
  常世(トコヨ)の国(クニ)の涯(ハテ)の涯(ハテ)
  黄(キ)が気(キ)でならぬ玉の守(モ)り
  時世時節は怖いもの
  谷は変じて山となり
  山は代つて谷となる
  変れば変る世の中よ
  頭(カシラ)は今に尻尾となり
  尻尾は転げて谷底へ
  落ちて苦しむ眼前(マノアタリ)
  何の用捨も荒国彦(アラクニヒコ)の
  霊(タマ)の憑(カカ)りし谷と山
  どこの国代(クニヨ)か知らねども
  木々(キギ)〈黄々(キギ)〉の木魂(コダマ)に響くなり
  埴安宮(ハニヤスミヤ)の玉欲(ホ)しと
  谷と山から攻めてくる
  谷と山から狙(ネラ)ひをる
  照る日の影は清くとも
  雲霧たつは山の谷
  虎狼も隠れすむ
  気をつけ守る国世彦(クニヨヒコ)
  玉は日に夜に曇るなり
  曇る玉こそ替玉(カヘダマ)よ』

といつて面白く踊り狂ふ。

ここに八王大神斎代彦はこの歌を聴き、谷山彦の謀叛を悟り、
ただちに夫妻を捕へて厳しく詰問したり。

谷山彦は答ふるに実をもつてせり。

--------------------------------------------------------------

筆者も歌は大好きだけれども、
歌で喜怒哀楽を表現するのは芸術的で好いとして、
こんな風に、戦略の道具に使われるのは、
なんだか淋しい話である。

メッセージソングなどというのもあるけれど、
最近は、本心から、あまりこういう物騒な歌は
好かなくなって来た。

頭がいいのは認めるし、筆者だって昔は、
こんな歌をよく詠んだけれども、
平和を求める本心からは、凡そ遠いものだ。

こんな歌を聞いても、腹が立つばかりで、
何の高揚感もない。

芸術としては、まったく無価値な歌である。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 ここに斎代彦は谷山彦夫妻の職を免じ、国代彦、
国代姫をして八頭神の後を襲(オソ)はしめむと宣言せり。

この時謙譲の徳高き国代彦夫妻は、

 『命(ミコト)の大命実に有(ア)りがたく、
  身にあまる光栄なれど、
  われはかかる聖職に任ぜらるるの資格なし。
  願はくば以前のごとく宮司(グウジ)たらしめられたし。
  谷山彦夫妻は思ふに元より
  かかる悪事を企つるごとき邪神にはあらず。
  悪霊の憑依によつて
  かかる無道(ブダウ)の行動に出でられしならむ。
  すみやかに神前にともなひゆきて
  厳粛なる審神(サニハ)を奉仕し、
  その上にて裁断あらむことを』

と涙を流し赤心面(オモテ)にあふれて奏上したりける。

斎代彦は打ちうなづき、
直ちに二人の審神を開始されけるに、
たちまち二人は上下左右に身体震動し、
邪神荒国彦(アラクニヒコ)は谷山彦の体内より、
荒国姫(アラクニヒメ)は谷山姫の体内より、
神威に畏れて脱出し、悪狐の正体を現はし、
常世の国にむかひて雲を霞と逃げ去りにけり。

--------------------------------------------------------------

『雨降って地固まる』

というわけだけれども、あまり素直に目出度し、愛でたし、
という気分にもなれなくなったのは、
やっぱり、この先に国祖の御退隠と大洪水があるからだ。

ちなみに、一度、こうした悪霊に憑かれた者は、
除霊して頂いた後に、余程精進しないと、
一度汚れた身魂は、時と供に、綻びが広がって、
もっと悪い霊に憑かれる場合が多い。

どうせなら、大宇宙の主神の心、天地の祖神の心になりきり、
善悪合わせ飲む大聖になってしまえば、
また、もう少し大きな世界が広がって来るだろう。

大洪水後の神素盞嗚大神(カムスサノヲノオホカミ)の世界は、
そんな心の広い世界である。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 邪神の脱け出でたる後の谷山彦夫妻は、
夢から醒めたるごとく前非を悔い、
かつ邪神の謀計の恐ろしきを悟り、
それより心をあらため、神々を篤く信じ、
元の誠心に立ちかへりけり。

斎代彦は今までの谷山彦夫妻の行動は、
まつたく邪神憑依の結果となし、その罪を赦(ユル)し、
元のごとく八頭神の聖職に就かしめたりける。

 (大正十年十一月十八日、旧十月十九日、土井靖都録)

--------------------------------------------------------------

確かに、雑巾も布巾も、汚れたらまた洗えば使えるが、
降ろし立ての新品の頃の様には、二度とは復活しない。

洗っても、洗っても、少しずつ黒ずんで来るものだ。

雑巾、布巾、手拭い、タオル、ハンカチ、その他衣類などは、
汚れてナンボである。

そこらへんが判って来ると、こんな争いも激減するのだ。

これまったく、埴安の宮の黄色の玉の御威光である。

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------  

第21章 狐の尻尾 (121)

2007年10月22日 02時05分17秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第六篇 青雲山

 ヒマラヤ山には純銀(ジユンギン)の玉をその国魂(クニタマ)とし、
白銀(シロガネ)の宮(ミヤ)に恭(ウヤウヤ)しく鎮祭し、
高山彦(タカヤマヒコ)は八王神(ヤツワウジン)に任ぜられ、
高山姫(タカヤマヒメ)は妻となりて神業を補佐し、
ヒマラヤ彦は、八頭神(ヤツガシラガミ)となり、
ヒマラヤ姫を妻とし、神政を監掌し、
一時よく上下ともに治まりける。

白銀の宮には玉国別(タマクニワケ)が宮司として恭(ウヤウヤ)しく奉仕したり。

 ここに八王大神常世彦(ヤツワウダイジントコヨヒコ)は、
部下の武寅彦(タケトラヒコ)、武寅姫(タケトラヒメ)および猛依別(タケヨリワケ)に命じ、
種々の秘策を授けて、この国玉を奪取せしめむとしゐたりけり。

武寅彦は毎日毎夜宮詣(ミヤマウ)でにことよせ、
昼夜間断なくつけ狙(ネラ)ひゐたれば、
玉国別は武寅彦らの行動を訝(イブ)かり、
ひそかに同形同色の擬玉(ニセダマ)を造り、
これを神殿に鎮祭しおきたり。

武寅彦らは玉国別の妻なる国香姫(クニカヒメ)に、
種々の手段をもつて近づき、珍らしきものを与へ、
巧言令色いたらざるなく、
やうやくにして国香姫を薬籠中のものとなしにける。

しかして武寅彦は、ある日国香姫にむかひ、

 『貴女(アナタ)にして白銀の宮に鎮まれる純銀の国魂を、
  夫玉国別に奪はしめ、
  これを常世国(トコヨノクニ)の八王大神に献じなば、
  汝(ナンヂ)夫婦をヒマラヤ山の八王神に任じたまふべし。
  他人の幕下にいつまでも、
  唯々諾々(イイダクダク)として神妙に仕ふるも、
  悪きことには非ざれども、
  かの庭前(ニハサキ)の小松を見られよ、
  大木の蔭に立てる小松はいつまでも幹(ミキ)細く
  葉薄く日蔭の境遇に甘んじ、
  幾年を経(ヘ)るも立派に成長する時期なし。
  しかるに同じ時に植ゑられたる小松も、
  大木の蔭に隠れざる松は、年とともに成長し、
  幹強く枝繁り、衝天の勢(イキホヒ)を有するに非ずや。
  貴下(キカ)はかくの如き、不利益なる地位に甘んずるよりも、
  人は一代、名は末代といふ諺(コトワザ)あり。
  このさい奮起して純銀の玉を奪ひとり、
  身の栄達を計られよ』

と口をきはめて巧妙に説得したりければ、
国香姫は幾度も頭を縦(タテ)にふり、
肩をゆすり、会心の笑(エミ)をもらし、
武寅彦にむかつて夫の玉国別をして
その目的を達せしむることを予約したりけり。

 ここに国香姫は曲人(マガビト)の甘言に惑はされ、
夫玉国別にむかひ種々言葉をつくして、
国魂を盗み取らしめむとしたれども、
玉国別は天地の律法を厳守せる正義の神司(カミ)なれば、
国香姫の言を聴いておほいに怒り、
ただ一言の下に叱責したるが、
たちまち「省(カヘリ)みよ」といふ律法を思ひ出し、
にはかに笑顔(エガホ)をつくりていふ。

 『これには深き仔細のあることならむ。
  吾は最愛なる汝のために玉を盗みだし、
  夫婦諸共一度に出世をなさむ』

と、わざと嬉しげに答へたり。

国香姫は夫の逐一承諾せることを、
武寅彦に急ぎ報告したり。

ここに武寅彦は願望成就の時こそ来れり、
八王大神の賞賜に預からむものと、
身も心も飛びたつばかり、
勇み進みて夜半、玉国別の館を訪れにける。

 玉国別は喜んで、これを迎へ、
山海の珍味佳肴(カカウ)をもつて饗応し、丑満(ウシミツ)の頃、
武寅彦らをともなひ白銀の宮に詣で、
自分は黄金(コガネ)の鍵をもつて社(ヤシロ)の錠(ヂヤウ)をはづし、
扉をひらき大なる麻(アサ)の袋に擬玉をつつみ持ちだし、
ふたたび扉を閉ぢ、武寅彦にむかつていふ。

 『首尾よく国魂は手に入れり。
  一時も早くこの場を立ち去り、
  玉の湖の畔(ホトリ)にいたりてこれを渡すべし。
  長居(ナガイ)は発覚の恐れあり』

とみづから先に立ち、
夜陰に紛れて玉の湖の畔に出たりける。

 このとき玉国別は武寅彦外二人にむかひ笑つていふ。

 『貴下らは実によく巧妙に化けさせたまへども、
  如何(イカン)せむ、
  背後に白き狐の尻尾の見ゆるは不都合ならずや。
  吾は実にヒマラヤ山に住む年経(トシヘ)たる大狸なれども、
  貴下らのごとく少しも尾を見せしことなし』

といひつつ武寅彦らの顔を穴のあくほど覗(ノゾ)き見るにぞ、
三人は、玉国別の言葉に感歎していふ。

 『われは貴下の見らるるごとく、常世国の白狐なり。
  しかるにいま貴下にその正体を看破せられたるは、
  実に慚愧(ザンキ)のいたりなり。
  貴下は何ゆゑに尻尾の見えざるや』

と訝(イブ)かり問ふにぞ、
玉国別はここぞとばかり肩をゆすり、鼻ぴこつかせ、
得意満面の体にて、

 『さればとよ。
  吾は純銀の玉を近く守りをれば、
  その玉の徳によりて天地の間に
  いかなる貴き神も吾が正体を見きはむるものなし。
  貴下らもこの玉に一度手を触れたまひなば、
  吾らのごとくよく化けおほさるべし』

と笑ひつついふ。

武寅彦は矢も楯もたまらず、

 『われにこの玉を持たせたまはずや』

と羨(ウラヤ)まし気に顔をのぞき、
玉国別の首はいづれにふれるやを凝視しをる。

玉国別はたちまち首を左右にふり、

 『なかなかもつて滅相千万、
  この玉は常世国の八王大神に奉(タテマツ)るまでは
  他見は許されぬ』

ときつぱりと刎(ハ)ねつけたりければ、
武寅彦らは両手を合せ、

 『常世国まで帰る道はなかなか長し。
  万一途中にて吾が尻尾を他神に発見せられなば
  身の一大事なり。
  お慈悲にただ一度わが手に触れさせたまへ』

と歎願するを、玉国別はわざと不承不承(フシヨウブシヨウ)に、

 『然らば望みを叶へさせむ。
  三人とも一度に白狐の全正体をあらはし、
  この麻袋(アサブクロ)に飛び込み、
  おのおの自由に手を触れられよ』

と言ひ放てば、ここに三人ともたちまち白狐と変じ、
先を争ひて布袋(フクロ)に飛び込みにけり。

玉国別は、手早く袋の口を締め、

 『サア悪神(ワルガミ)ども思ひ知つたか。
  狐の七化(ナナバ)け、如何(イカ)にたくみに化けるとも、
  狸の八化(ヤバ)けには叶ふまじ』

といひつつ袋を大地に幾度となく抛(ナ)げつくれば、
白狐は痛さに堪へかね苦しき悲しき声をあげて救ひを求めける。

玉国別は、

 『邪神の眷属(ケンゾク)馬鹿狐、容赦はならぬ』

といひつつ袋に重き石を縛(シバ)りつけ、
玉の湖の深淵(フカミ)へどつとばかりに投げ込みにける。

たちまち湖水は左右にひらき波浪たち騒ぎ、擬玉も狐と共に、
ブクブクと音をたてて湖水の底深く沈没したりける。

このこと常世彦の耳に入り、純銀の国魂は玉の湖の底深く、
白狐と共に沈めるものと確信されたりければ、
これより白銀の宮の国魂を奪はむとする計画(タクミ)は、
あとを絶ちにける。

 (大正十年十一月十八日、旧十月十九日、加藤明子録)

『音惚花活気好@kakky』的『第21章 狐の尻尾 (121)』分解

2007年10月22日 02時03分27秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第六篇 青雲山

平成十九(2007)年十月二十二日 旧九月十二日(月)

 ヒマラヤ山には純銀(ジユンギン)の玉をその国魂(クニタマ)とし、
白銀(シロガネ)の宮(ミヤ)に恭(ウヤウヤ)しく鎮祭し、
高山彦(タカヤマヒコ)は八王神(ヤツワウジン)に任ぜられ、
高山姫(タカヤマヒメ)は妻となりて神業を補佐し、
ヒマラヤ彦は、八頭神(ヤツガシラガミ)となり、
ヒマラヤ姫を妻とし、神政を監掌し、
一時よく上下ともに治まりける。

白銀の宮には玉国別(タマクニワケ)が宮司として恭(ウヤウヤ)しく奉仕したり。

--------------------------------------------------------------

これは大洪水以前の設定だけれども、大洪水後は、
神素盞嗚大神(カムスサノヲノオホカミ)が世界救済の本拠地にするのが、
このヒマラヤである。

現在ではチベット仏教の聖地であることで有名だ。

釈迦もキリストも、この地で学んだとか学ばないとか、
諸説あり、その証拠らしきものもある。

特にイエスについては、チベットでは、
イッサ伝説として語り継がれているそうだ。

大洪水以前の、国祖御神政時代には、
純銀の玉が鎮祭されていたということだが、
白銀(シロガネ)というと、高山の雪化粧をすぐに思い出す。

このヒマラヤの型になっているのが、日本の富士山である。

『霊界物語』では、ヒマラヤのことを地教山といい、
富士山のことを天教山という。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 ここに八王大神常世彦(ヤツワウダイジントコヨヒコ)は、
部下の武寅彦(タケトラヒコ)、武寅姫(タケトラヒメ)および猛依別(タケヨリワケ)に命じ、
種々の秘策を授けて、この国玉を奪取せしめむとしゐたりけり。

武寅彦は毎日毎夜宮詣(ミヤマウ)でにことよせ、
昼夜間断なくつけ狙(ネラ)ひゐたれば、
玉国別は武寅彦らの行動を訝(イブ)かり、
ひそかに同形同色の擬玉(ニセダマ)を造り、
これを神殿に鎮祭しおきたり。

武寅彦らは玉国別の妻なる国香姫(クニカヒメ)に、
種々の手段をもつて近づき、珍らしきものを与へ、
巧言令色いたらざるなく、
やうやくにして国香姫を薬籠中のものとなしにける。

--------------------------------------------------------------

青雲山同様、ここでも偽玉策を用いてるわけだ。

これらと比べて万寿山では、外敵の干渉には全く屈しなかったが、
内部の衝突は割と激しかった様だが、
とかく物事は、内治まれば外に敵対し、外治まれば内部で葛藤する。

そういう大小に共通する摂理を学び取ることが出来るだろう…

内乱の恐れがある時は、外に仮想敵を想定すれば、
その内乱は治め易くなる。

だからといって、これをあまり乱用すれば、
世の中に敵が無いのに、
敵でも無いものを敵にすることになるのだから、
これに選ばれたものこそ、いい迷惑、ということにもなりかねない。

しかしながら、ここでは武寅彦等が、
実際に不穏な動きを見せているのだから、
これに対する用心を、先手を打ってしておくのも、
正しいことではあるのだろうけれども、
その為に、いちいち、こんな風に策を用いねばならぬ、
というのが、なんとも歯がゆい限りだ。

中有界の閻魔様なら、一目で善悪を別けてしまい、
その裁断には、何ものも逆らうことが出来ないというのに、
高天原の神々は、案外とろくさい様な気もして来る。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

しかして武寅彦は、ある日国香姫にむかひ、

 『貴女(アナタ)にして白銀の宮に鎮まれる純銀の国魂を、
  夫玉国別に奪はしめ、
  これを常世国(トコヨノクニ)の八王大神に献じなば、
  汝(ナンヂ)夫婦をヒマラヤ山の八王神に任じたまふべし。
  他人の幕下にいつまでも、
  唯々諾々(イイダクダク)として神妙に仕ふるも、
  悪きことには非ざれども、
  かの庭前(ニハサキ)の小松を見られよ、
  大木の蔭に立てる小松はいつまでも幹(ミキ)細く
  葉薄く日蔭の境遇に甘んじ、
  幾年を経(ヘ)るも立派に成長する時期なし。
  しかるに同じ時に植ゑられたる小松も、
  大木の蔭に隠れざる松は、年とともに成長し、
  幹強く枝繁り、衝天の勢(イキホヒ)を有するに非ずや。
  貴下(キカ)はかくの如き、不利益なる地位に甘んずるよりも、
  人は一代、名は末代といふ諺(コトワザ)あり。
  このさい奮起して純銀の玉を奪ひとり、
  身の栄達を計られよ』

と口をきはめて巧妙に説得したりければ、
国香姫は幾度も頭を縦(タテ)にふり、
肩をゆすり、会心の笑(エミ)をもらし、
武寅彦にむかつて夫の玉国別をして
その目的を達せしむることを予約したりけり。

--------------------------------------------------------------

現代でも、政界の乱れやら、国を護る立場にある筈の皆さんが、
いろんな綻びを露呈して、お粗末な限りであるけれど、
同時に、下万民とか、一昔前の中流階級の中から、
随分と綻びが広がり始め、嘆かわしい限りなのだが、
こういう、いわゆる仏教的娑婆世界のグダグダを超越した所から、
早く、これらの皆さんの精霊が復活する様に、
筆者は、ただただ祈るばかりである。

天地の祖神様の御加護を頂きますように。

大体、出世欲、権勢欲とは、一体、何の為に必要なのだろうか?

世の為人の為と志を持って立ち上がるのはよいとして、
果たして、その志を、世の中の全ての皆さんが、
喜んで歓迎してくれるのだろうか?

筆者の『みんなしあわせになれ』というプロジェクトだって、
これをおおいに歓迎する皆さんもあれば、
他人のしあわせなど憎たらしくてしょうがない、
という皆さんだって、実際にあるのを筆者はよく知っている。

筆者も、初めの頃は、
こういう敵対する皆さんに改心してもらうことを重視して、
その助力を得るために、この道に入って、
あれこれたくさん学んだが、
結果了解出来たのは、
敵対する皆さんには、何を言っても無駄である、
ということだった。

歓迎してくれる皆さんとだけ、
どんどん先へ進んで行けばよいのだ。

場合によっては、別に誰が歓迎してくれなくてもよい、
ということもある。

他人のしあわせなど、千差万別なのだから、
筆者一人でどうすることも出来るものでもない。

こういうことが判って来ると、偉くなりたい、ということも、
あまり考えなくなるものである。

実際、世の中で、そこそこ出世して、
偉くなっている皆さんのことをどうこういうのではなく、
筆者は、筆者らしくすればよいのだ。

たとえば、いきなり今、筆者が、
この国の総理大臣にされてしまったとしたら、
世の中はいったいどうなってしまうだろう…

また、筆者が、今、やりたいと思って準備して来たことは、
いったいどうなってしまうだろう?

天然の摂理でもって日陰に置かれているなら、
その日陰にあることを受け入れて、
本分を全うすれば充分だ。

その逆に、天然の摂理でもって、上の位に置かれているなら、
それを全うすることに尽くす以外にはなかろう…

人為的にあれこれいじくろうとするから、
要らぬ苦労をするのだ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 ここに国香姫は曲人(マガビト)の甘言に惑はされ、
夫玉国別にむかひ種々言葉をつくして、
国魂を盗み取らしめむとしたれども、
玉国別は天地の律法を厳守せる正義の神司(カミ)なれば、
国香姫の言を聴いておほいに怒り、
ただ一言の下に叱責したるが、
たちまち「省(カヘリ)みよ」といふ律法を思ひ出し、
にはかに笑顔(エガホ)をつくりていふ。

 『これには深き仔細のあることならむ。
  吾は最愛なる汝のために玉を盗みだし、
  夫婦諸共一度に出世をなさむ』

と、わざと嬉しげに答へたり。

国香姫は夫の逐一承諾せることを、
武寅彦に急ぎ報告したり。

ここに武寅彦は願望成就の時こそ来れり、
八王大神の賞賜に預からむものと、
身も心も飛びたつばかり、
勇み進みて夜半、玉国別の館を訪れにける。

--------------------------------------------------------------

これも青雲山での成り行きに、よく似た展開だ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 玉国別は喜んで、これを迎へ、
山海の珍味佳肴(カカウ)をもつて饗応し、丑満(ウシミツ)の頃、
武寅彦らをともなひ白銀の宮に詣で、
自分は黄金(コガネ)の鍵をもつて社(ヤシロ)の錠(ヂヤウ)をはづし、
扉をひらき大なる麻(アサ)の袋に擬玉をつつみ持ちだし、
ふたたび扉を閉ぢ、武寅彦にむかつていふ。

 『首尾よく国魂は手に入れり。
  一時も早くこの場を立ち去り、
  玉の湖の畔(ホトリ)にいたりてこれを渡すべし。
  長居(ナガイ)は発覚の恐れあり』

とみづから先に立ち、
夜陰に紛れて玉の湖の畔に出たりける。

--------------------------------------------------------------

もし、玉国別が、玉の御神威に対して、
心から信頼を置いていたら、
こんな偽玉を造ったりするわけがない。

つまり、なんだかんだいって、正義の心強し、
という玉国別だって、純銀の玉を、
ただの宝玉としか思っていないから、
これを盗まれない為に偽玉を造って敵を欺こうとするのだ。

要するに、この宝玉も、それを預かる者の身魂次第で、
どういう風にでも神力のレベルを上下させるわけだ。

王仁三郎聖師は、宝玉など用いなくても、
竹の杓子に歌を書き込み、それを弟子や信徒に渡して、
それを媒介にして、いろんな神徳を発揮していた。

この玉は形体でしかないのだ。

物質は何でも霊魂の器であり宮になり得るものだから、
その辺の石ころを丁寧に磨いた玉であっても、
霊魂を込めれば、それなりに神徳を発揮するし、
紙の人形にだって、霊魂を込めることが出来る。

衣類や、抜けた髪の毛一本にでも、霊魂は込められる。

つまり、厳しくいうと、この玉国別も、
体主霊従に毒されているのだ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 このとき玉国別は武寅彦外二人にむかひ笑つていふ。

 『貴下らは実によく巧妙に化けさせたまへども、
  如何(イカン)せむ、
  背後に白き狐の尻尾の見ゆるは不都合ならずや。
  吾は実にヒマラヤ山に住む年経(トシヘ)たる大狸なれども、
  貴下らのごとく少しも尾を見せしことなし』

といひつつ武寅彦らの顔を穴のあくほど覗(ノゾ)き見るにぞ、
三人は、玉国別の言葉に感歎していふ。

--------------------------------------------------------------

『蛙(カワズ)は自ら白状する』

とかなんとかいうのがあった様な気がするけれど、
ここで玉国別は、自ら畜生身魂に堕落してしまっていることを、
白状してしまっている。

仮にも尊い高天原の神として純銀の玉を守る任にありながら、
例え、敵をからかうつもりで言ったとはいえ、
自らを狸と言うなどとは、天に対して、
もっての他の裏切り行為である。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 『われは貴下の見らるるごとく、常世国の白狐なり。
  しかるにいま貴下にその正体を看破せられたるは、
  実に慚愧(ザンキ)のいたりなり。
  貴下は何ゆゑに尻尾の見えざるや』

と訝(イブ)かり問ふにぞ、
玉国別はここぞとばかり肩をゆすり、鼻ぴこつかせ、
得意満面の体にて、

 『さればとよ。
  吾は純銀の玉を近く守りをれば、
  その玉の徳によりて天地の間に
  いかなる貴き神も吾が正体を見きはむるものなし。
  貴下らもこの玉に一度手を触れたまひなば、
  吾らのごとくよく化けおほさるべし』

と笑ひつついふ。

武寅彦は矢も楯もたまらず、

 『われにこの玉を持たせたまはずや』

と羨(ウラヤ)まし気に顔をのぞき、
玉国別の首はいづれにふれるやを凝視しをる。

--------------------------------------------------------------

嘘ばっかり言っている。

まさに狐と狸の化かし合いで、霊主体従といっても、
実に低級なる霊主体従のありようである。

心霊界のことが判り初めの頃は、
誰でもこんなことをやって得意になってしまうものだが、
こういうことを慢心というのである。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

玉国別はたちまち首を左右にふり、

 『なかなかもつて滅相千万、
  この玉は常世国の八王大神に奉(タテマツ)るまでは
  他見は許されぬ』

ときつぱりと刎(ハ)ねつけたりければ、
武寅彦らは両手を合せ、

 『常世国まで帰る道はなかなか長し。
  万一途中にて吾が尻尾を他神に発見せられなば
  身の一大事なり。
  お慈悲にただ一度わが手に触れさせたまへ』

と歎願するを、玉国別はわざと不承不承(フシヨウブシヨウ)に、

 『然らば望みを叶へさせむ。
  三人とも一度に白狐の全正体をあらはし、
  この麻袋(アサブクロ)に飛び込み、
  おのおの自由に手を触れられよ』

と言ひ放てば、ここに三人ともたちまち白狐と変じ、
先を争ひて布袋(フクロ)に飛び込みにけり。

--------------------------------------------------------------

嘘の身魂、畜生の身魂を懲らすには、
やはり、嘘の身魂、畜生の身魂を用いる、
ということになるだろうか…

王仁三郎聖師が、最初の霊界修行の折に、
恨みに燃える狐の親子になんといって救ったか、
よく思い出してみよう。

「人間に生まれられますか?」

「生まれられるのだ。」

というアレである。

玉国別が布袋(ホテイ)のフクロに飛び込ませたからといって、
これがミロクのやり方だ、などとは勘違いしない様に…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

玉国別は、手早く袋の口を締め、

 『サア悪神(ワルガミ)ども思ひ知つたか。
  狐の七化(ナナバ)け、如何(イカ)にたくみに化けるとも、
  狸の八化(ヤバ)けには叶ふまじ』

といひつつ袋を大地に幾度となく抛(ナ)げつくれば、
白狐は痛さに堪へかね苦しき悲しき声をあげて救ひを求めける。

玉国別は、

 『邪神の眷属(ケンゾク)馬鹿狐、容赦はならぬ』

といひつつ袋に重き石を縛(シバ)りつけ、
玉の湖の深淵(フカミ)へどつとばかりに投げ込みにける。

たちまち湖水は左右にひらき波浪たち騒ぎ、擬玉も狐と共に、
ブクブクと音をたてて湖水の底深く沈没したりける。

このこと常世彦の耳に入り、純銀の国魂は玉の湖の底深く、
白狐と共に沈めるものと確信されたりければ、
これより白銀の宮の国魂を奪はむとする計画(タクミ)は、
あとを絶ちにける。

 (大正十年十一月十八日、旧十月十九日、加藤明子録)

--------------------------------------------------------------

それでも嘘は嘘である。

これもまた、国祖の御退隠と、
大洪水の因縁の一つになって行くわけだ。

こんな嘘の出所であるヒマラヤを、
世界救済の拠点にした神素盞嗚大神(カムスサノヲノオホカミ)は、
そこが清らかな所だから選んだわけではないということが判る。

先ず、第一に、嘘で汚された場所を選び、
そこから救いを始められたのだ。

王仁三郎聖師が、明治の世に日本に現れたのも、
同じ事情によるのである。

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------  

霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第六篇 青雲山

2007年10月15日 02時20分08秒 | Weblog
第20章 晴天白日 (120)

 青雲山(セイウンザン)上の黄金(コガネ)の宮(ミヤ)は竣工を告げ、
いよいよ国魂(クニタマ)として、
黄金(ワウゴン)の宝玉を鎮祭することとはなりぬ。

神澄彦(カムズミヒコ)は玉守彦(タマモリヒコ)を招き、

 『さきに保管を命じたる宝玉を持参せよ』

と命ずれば玉守彦は、
預かりし玉を恭(ウヤウヤ)しく奉持してこれを奉(タテマツ)り、
荘厳なる儀式の下に国魂は祀(マツ)られけり。

ここに玉守彦は、黄金の宮の司(ツカサ)となり、
厳重に守護することとなりぬ。

 玉守彦の侍女に良姫(ヨシヒメ)なるものあり。
つねに玉守彦夫妻に忠実に仕へ、
とくに玉守彦には信任もつとも深ければ玉守彦は、
何事も良姫に相談するを常とせり。

玉守姫(タマモリヒメ)は夫の良姫を深く信ずるを見て、
嫉妬心をおこし、自暴自棄となりて、日夜飲酒にふけり、
隣人を集め踊り狂ひ、ややもすれば酒気に乗じて、
夫の秘密を口ばしるのみならず、
玉守彦と良姫の間には汚(キタナ)き関係あるがごとくいひふらしける。

 玉守彦は、妻の日夜の放埒を見るに忍びず
厳しく訓戒を加へたるに、
玉守姫はたちまち眉を逆立て目を瞋(イカ)らせ、
顔色するどく、狂気のごとくなりて、玉守彦にむかひ、

 『貴下(キカ)は平素妾(ワラハ)を疎んじ、
  侍女の良姫を寵愛し、妾に侮辱を与ふ。
  もはや堪忍袋の緒も切れたれば、
  妾はこれより八王神(ヤツワウジン)の御前に出で、
  夫の隠謀の次第を逐一訴へ奉(タテマツ)らむ』

といふより早く家を飛びだし、
八王神の御前に夫の罪を残らず奏聞したりける。

奏聞の次第は、

 『玉守彦は大切なる黄金の宝玉を預かりながら、
  この玉を吾物にせむと謀り、
  真(マコト)の宝玉には黒く墨をぬり、
  別に同形の石の玉を作り、これに金鍍金(キンメツキ)をかけ、
  真の玉は宝珠山(ホウジユサン)の奥深くこれを埋(ウヅ)め、
  擬玉(ニセダマ)を差出して黄金の宮に祀り、
  後日時を得て真の宝玉を取りだし、
  玉の神力(シンリキ)によりて青雲山の城塞を乗取り、
  八王(ヤツワウ)、八頭(ヤツガシラ)の神(カミ)を放逐し、
  おのれとつて代り八王神とならむと、
  不軌(フキ)を謀りつつあり。
  夫ながらも実に恐ろしき悪逆無道の者なり。
  すみやかに捕へて獄に投じ、国の害を除かせたまへ』

と嫉妬の炎すさまじく、身をゆすりて泣きつ訴へにけり。

ここに八王神神澄彦は、八頭神吾妻彦(アヅマヒコ)を招きて、
玉守姫の訴への次第を物語り、
ただちに玉守彦を召し捕へしめたり。

 玉守彦は妻の玉守姫とともに、吾妻彦の前に呼び出され、
きびしき訊問を受けたるが、玉守彦は、
言葉さはやかにその無実を陳弁し、かつ、

 『玉守姫は嫉妬ふかく、今は狂者となれり、
  かならず彼がごとき狂者の言を信じたまふなかれ。
  至誠は天に通ず。
  願はくば天地の大神(オホカミ)も吾が赤誠を照覧あれ』

と天を拝し地を拝し、涕泣(テイキフ)して訴へたり。

このとき玉守姫は首を左右に振り吾妻彦にむかひ、

 『玉守彦は大胆不敵の曲者(クセモノ)なり。
  彼はたしかに国魂を宝珠山に埋(ウヅ)め、
  この黄金の宮の国魂は擬玉を祀りをれり。
  その証拠は現在妻の妾とともに山中に匿(カク)しおきたり。
  何時(ナンドキ)にてもその所在(アリカ)をお知らせ申さむ』

とあわただしく苛(イラ)ち気味に奏上するにぞ、
玉守彦は言辞(コトバ)を荒(アラ)らげて、妻にむかひ、

 『女の姦(カシ)ましき要(イ)らざる讒言(ザンゲン)、
  いまに天地の神罰はたちどころに到らむ、慎(ツツシ)めよ』

と睨(ネ)めつけたるに、玉守姫は躍気となり、

 『夫は何を呆(ハウ)け顔(ガホ)に弁解するや。
  宝珠山の谷を渡るとき、川の中にて二匹の兎を生捕にし、
  また宝珠山の松の大木に大いなる鮭の生(ナ)りをりたるを妾が見つけ、
  夫と共にこれをむしり帰りて、その夜兎と鮭を料理し、
  祝酒を飲みしことをよもや忘れたまふまじ。
  そのとき宝珠山に玉を埋めおきたるを忘れたるか』

と烈火のごとくなりて述べ立つる。

玉守彦は吾妻彦にむかひ、

 『ただ今お聞きおよびのとほり、妻の玉守姫は発狂し、
  取とめなきことを述べたて候(サフラフ)。
  彼がごとき狂人の言は御採用なからむことを乞ひまつる』

と奏上せるに、吾妻彦は玉守姫の狂者たることを知り、
ここに玉守彦の疑ひは全く晴れ、許されて家に帰りぬ。

 八王大神常世彦(ヤツワウダイジントコヨヒコ)は、
黄金の宮の国魂を奪はむとし、部下の国足彦(クニタルヒコ)、
醜熊(シコグマ)、玉取彦(タマトリヒコ)に命じ、種々の奸策を授けたり。

ある日のこと国足彦らは夜陰に乗じ、
黄金の宮に入り国魂を首尾よく盗み、
遠く常世(トコヨ)の国(クニ)へ逃げ帰りたり。

八王神神澄彦は国魂を拝せむと諸神司(シヨシン)をしたがへ神殿に進み入りしに、
神前の堅牢なる錠前(ヂヤウマヘ)は捻切(ネヂキ)られ、
肝腎の国魂は紛失しゐたりける。

 『八王大神の部下国足彦、醜熊、玉取彦、
  玉を取つて常世の国に立帰る。
  藻脱(モヌケ)の空(カラ)の宮の神徳弥顕著(イヤチコ)ならむアハヽヽヽ』

と認めありぬ。

八王神は顔色青ざめ、

 『吾は貴重なる国魂の守護を命ぜられながら、今これを敵に奪取され、
  大神にたいして謝すべき辞(コトバ)なし。
  この玉なきときは八王の聖職を奪はれ、かつ重き罪に問はれむ。
  いかがはせむか』

と歎きたまふをりしも、玉守彦はすすみ出で、

 『八王神よ、必ず神慮を悩ましたまふこと勿(ナカ)れ。
  吾は宝玉の保護を命ぜられてより、今日あることを前知し、
  擬玉(ニセダマ)を作りて奉斎し、真正(シンセイ)の国魂の宝玉は、
  宝珠山の奥深く楠樹(クスノキ)の下に大切に埋め置きたり。
  直ちにこれを掘出して更めて鎮祭したまへ』

と誠を色に現はして奏上したり。

神澄彦はおほいに喜び、
ただちに玉守彦を先頭に、あまたの神司(カミ)を遣(ツカ)はし、
白木(シラキ)の輿(コシ)を作りて宝玉を納め、青雲山に奉迎せしめ、
ここにあらためて立派なる遷座式(センザシキ)を挙行し、
玉守彦は疑ひ解けて晴天白日となり、
かつその注意周到なる行動を激賞され、
重く用ゐらるることとなり、天下に盛名を馳(ハ)せにけり。

 (大正十年十一月十八日、旧十月十九日、河津雄録)

 (第一九章~第二〇章、昭和十年一月十六日、
  於別府・亀の井旅館、王仁校正)

『音惚花活気好@kakky』的『第20章 晴天白日 (120)』分解

2007年10月15日 02時17分47秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第六篇 青雲山

平成十九(2007)年10月15日 旧9月5日(月)

 青雲山(セイウンザン)上の黄金(コガネ)の宮(ミヤ)は竣工を告げ、
いよいよ国魂(クニタマ)として、
黄金(ワウゴン)の宝玉を鎮祭することとはなりぬ。

神澄彦(カムズミヒコ)は玉守彦(タマモリヒコ)を招き、

 『さきに保管を命じたる宝玉を持参せよ』

と命ずれば玉守彦は、
預かりし玉を恭(ウヤウヤ)しく奉持してこれを奉(タテマツ)り、
荘厳なる儀式の下に国魂は祀(マツ)られけり。

ここに玉守彦は、黄金の宮の司(ツカサ)となり、
厳重に守護することとなりぬ。

--------------------------------------------------------------

先ず、霊主体従のヒノモトの民であるという自負があるならば、
こんな風に『国魂』とか『宝玉』などというものが出て来たら、
眉に唾つけてよく見極める様にした方がよい。

要するに、今風にいうと、神の民ともあろうものが、
自分自身の中に生まれながらに宿っている
神の子の本性を開発しようともせず、
いたずらに珍しい宝玉とかを得て、その不思議な力でもって、
楽していい思いをしようと考えることが第一番に間違っている。

勿論、正しい努力をして、ある程度まで上り詰めれば、
財力が財をもたらしてくれる様になるから、
そこまで行った人が楽して儲けているのは、
そこまでたっぷり苦労を重ねたからなのだから問題ない。

なんといっても、誠の努力が報われるのが『みろくの世』である。

努力して得たものは、小さな物でも山の様に有り難いし、
苦労して登った山の頂きから眺める景色の絶景を楽しむのは格別だ。

なんでもそうだ。

勿論、こんな風に神様から国魂の宝玉を預かることも、
気苦労の耐えないことだから、それを立派に務め上げるのだって、
決して楽なことではない。

楽が出来ると思って神行に参加するのは大間違いである。

神様の道に入ったら、きついことばかりであると思ってよい。

たくさんの人を楽しませる芸の道だって、
並み大抵の苦労では成り立たない。

筆者が週に一度、限られた時間の中で、
『霊界物語の日記』を書き込むのだって、
本当に大変なことなのだ。

ただし、それを本当に大変だと思い込んだら、
こちらもやってられなくなるので、
これは楽しいことだと言い直して、
自らモチベーションを上げているのである。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 玉守彦の侍女に良姫(ヨシヒメ)なるものあり。
つねに玉守彦夫妻に忠実に仕へ、
とくに玉守彦には信任もつとも深ければ玉守彦は、
何事も良姫に相談するを常とせり。

玉守姫(タマモリヒメ)は夫の良姫を深く信ずるを見て、
嫉妬心をおこし、自暴自棄となりて、日夜飲酒にふけり、
隣人を集め踊り狂ひ、ややもすれば酒気に乗じて、
夫の秘密を口ばしるのみならず、
玉守彦と良姫の間には汚(キタナ)き関係あるがごとくいひふらしける。

--------------------------------------------------------------

筆者も、永年使われる立場で、いろんな人の下で働いたが、
とかく繁昌している店には看板娘なるものがいて、
社長は、その看板娘を大事にするものだが、
その奥方は、若い頃は美人だったのに、流石に寄る年並で、
歳が容貌に出て来る様になると、やり手の旦那社長が、
看板娘と浮気でもしてはいないかとか、
お得意様の美人と、何処かでよろしくやっているのではないかとか、
そういうことをしょっちゅうやり始める物で、
それが水商売だったら、更に面倒で、
筆者なども、そんな細々としたことを社長自ら愚痴をこぼされて、
こちらはただただ自分の夢に向かって進む過程で、
お世話になっているだけなのに、そんな話をされたって困るばかり、
正直言って社長の愚痴を聞いてあげた後で、
では解決策を…などとちょっと御意見をしようものなら、
「お前に何がわかるんだよ」という風に鼻で笑われる、
という様な面白くない思い出を何度も味わったものだが、
人間関係の中で、この痴話喧嘩くらい鬱陶しいものは無いと思う。

実際、筆者が知っている限りでは、
こういうことでごたごたやってる所は、大概長続きしない様だ。

昔の人は、

「夫婦喧嘩は犬も喰わない」

といって相手にしなかったみたいだが、
これはどんな宗教より真理を語っている様に思う。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 玉守彦は、妻の日夜の放埒を見るに忍びず
厳しく訓戒を加へたるに、
玉守姫はたちまち眉を逆立て目を瞋(イカ)らせ、
顔色するどく、狂気のごとくなりて、玉守彦にむかひ、

 『貴下(キカ)は平素妾(ワラハ)を疎んじ、
  侍女の良姫を寵愛し、妾に侮辱を与ふ。
  もはや堪忍袋の緒も切れたれば、
  妾はこれより八王神(ヤツワウジン)の御前に出で、
  夫の隠謀の次第を逐一訴へ奉(タテマツ)らむ』

といふより早く家を飛びだし、
八王神の御前に夫の罪を残らず奏聞したりける。

--------------------------------------------------------------

勿論、これは男女だけの問題だけでは無く、
会社組織などでの上司と部下の関係などでもあり得ることだ。

上司にとっては、仕事がよく出来て、
なんでも気安くやってくれる部下が可愛いものだが、
部下は部下で、新人の頃は、何も知らないから、
何でも言うことを聞くけれども、
段々、仕事のことやら給与のことが分かって来ると、
努力しても直接の儲けにつながらないことに対して、
そんなに一生懸命にはなれなくなるものだ。

その仕事が、上司も何も関係なく、
本人が好きで打ち込めるものなら、
趣味と実益を兼ねているのだから、
どんなことでも進んでやれるかもしれないが、
経験を積んだ先輩がたくさんいると、
組み合いまでは行かないまでも、
少しずつ知恵をつけてくれて、アマチュアではないのだから、
一銭の得にもならないことを、餓鬼みたいにやるもんじゃないと、
要するに、手間賃のつり上げ方を教えてくれる様になる。

使う方も、そういうことをよく分かっているから、
対策として、よくやるライバルを持って来て、
そちらを可愛がって、仕事をやらなくなった職人を焦らせて、
互いに競って働く様にしようとするものなのだが、
ここでの玉守姫は、なんだか、
労働争議でごねている組み合いの様にも見えて来る。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

奏聞の次第は、

 『玉守彦は大切なる黄金の宝玉を預かりながら、
  この玉を吾物にせむと謀り、
  真(マコト)の宝玉には黒く墨をぬり、
  別に同形の石の玉を作り、これに金鍍金(キンメツキ)をかけ、
  真の玉は宝珠山(ホウジユサン)の奥深くこれを埋(ウヅ)め、
  擬玉(ニセダマ)を差出して黄金の宮に祀り、
  後日時を得て真の宝玉を取りだし、
  玉の神力(シンリキ)によりて青雲山の城塞を乗取り、
  八王(ヤツワウ)、八頭(ヤツガシラ)の神(カミ)を放逐し、
  おのれとつて代り八王神とならむと、
  不軌(フキ)を謀りつつあり。
  夫ながらも実に恐ろしき悪逆無道の者なり。
  すみやかに捕へて獄に投じ、国の害を除かせたまへ』

と嫉妬の炎すさまじく、身をゆすりて泣きつ訴へにけり。

ここに八王神神澄彦は、八頭神吾妻彦(アヅマヒコ)を招きて、
玉守姫の訴への次第を物語り、
ただちに玉守彦を召し捕へしめたり。

--------------------------------------------------------------

筆者も前回、こんな結婚はしたくないと主張したけれども、
要するに、
最初からこんな風になるのが目に見えてる邪推な女とは、
いかに高天原の神々からの命令だからといって、
愛せないのだから慎んでお断りすればよいものを、
わざわざ結婚して悪の本性を露見させることもなかろうと、
こんな結婚は絶対にいやだと主張したのだ。

これでも玉守姫は、
精一杯、自分なりの誠を尽くしてるつもりなのだ。

確かに、考え方によっては、こんな悪妻を持たされるのも、
何かの因果ということになるのだろうけれども、
最初からそれが見え透いていて結婚するのは、
あまりに不合理である。

もっとも、この地上では、
神々から見たらまともに愛せる者など、
一人探し出すのも大変な筈なので、
選んでいたらどうにもならないとは思うけれども、
そうまでして結婚しなければならない理由もなかろう…

他に、何か利用価値というか、そういうものがあるなら、
俗的で政略的であるから、
それはそれで義もあるかもしれないが…

まったくもって醜悪の限りである。

だったら最初から、こちらももっといやらしくなって、
お互いに邪な心持ちで、
バランスよく愛し合って暮らしている方がいいような気もする。

つまり、こんな風に、
正体を暴き出すための仕掛けをやるのではなく、
悪と交わる時には、悪になり切って愉快に暮らせばよい、
ということである。

そうしながら、少しずつでも進歩して行けばよい。

それがまた、立直しの精神でもある。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 玉守彦は妻の玉守姫とともに、吾妻彦の前に呼び出され、
きびしき訊問を受けたるが、玉守彦は、
言葉さはやかにその無実を陳弁し、かつ、

 『玉守姫は嫉妬ふかく、今は狂者となれり、
  かならず彼がごとき狂者の言を信じたまふなかれ。
  至誠は天に通ず。
  願はくば天地の大神(オホカミ)も吾が赤誠を照覧あれ』

と天を拝し地を拝し、涕泣(テイキフ)して訴へたり。

--------------------------------------------------------------

アダムがエバに誘惑されて善悪を知る木の実を食べてしまい、
神様から姿を隠している時に、神様から呼び出され、
神様に、お前は何故隠れるのか?と問われた時に、
こんな風に見苦しく、
エバに喰っても死なないから食えと言われたから、
私も禁じられた木の実を食べました、とかなんとか答えた。

男のくせに女々しくも、自分が犯した罪を棚にあげて、
女のエバが全て悪い様なことをいって、
責任逃れをしようとしたのだ。

玉守彦も、こんなことになることが目に見えているから、
仕掛けをしたのであるならば、そういえばいいものを、
やっぱり、何か煮え切らないものがあるので、
それを言わずに、言葉を濁らせている。

どうせならここで、実は自分は、
妻のこんな気性が心配だったので、
妻を騙すのは申し訳ないけれども、
先回りしていろいろと仕掛けをしておいたのです。

とかなんとか堂々と白状していれば、
まだカッコイイところが少しはあるのだが、
つまりは上司が恐くて本当のことがいえない意気地の無さが、
ここに現れているのであり、また、心の中では、

「あんたは上司の癖に、これくらいのことが見抜けないのか?」

という、上司を侮っている邪な心があるのである。

それをカモフラージュする為に泣き落とし的に涕泣しているのだ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

このとき玉守姫は首を左右に振り吾妻彦にむかひ、

 『玉守彦は大胆不敵の曲者(クセモノ)なり。
  彼はたしかに国魂を宝珠山に埋(ウヅ)め、
  この黄金の宮の国魂は擬玉を祀りをれり。
  その証拠は現在妻の妾とともに山中に匿(カク)しおきたり。
  何時(ナンドキ)にてもその所在(アリカ)をお知らせ申さむ』

とあわただしく苛(イラ)ち気味に奏上するにぞ、
玉守彦は言辞(コトバ)を荒(アラ)らげて、妻にむかひ、

 『女の姦(カシ)ましき要(イ)らざる讒言(ザンゲン)、
  いまに天地の神罰はたちどころに到らむ、慎(ツツシ)めよ』

と睨(ネ)めつけたるに、玉守姫は躍気となり、

 『夫は何を呆(ハウ)け顔(ガホ)に弁解するや。
  宝珠山の谷を渡るとき、川の中にて二匹の兎を生捕にし、
  また宝珠山の松の大木に大いなる鮭の生(ナ)りをりたるを妾が見つけ、
  夫と共にこれをむしり帰りて、その夜兎と鮭を料理し、
  祝酒を飲みしことをよもや忘れたまふまじ。
  そのとき宝珠山に玉を埋めおきたるを忘れたるか』

と烈火のごとくなりて述べ立つる。

--------------------------------------------------------------

う~~~ん、やっぱり、こんなことになりそうな女を、
見抜いていながら結婚した玉守彦は、筆者は好きになれん!

要するに、こんな危なっかしい女でも、
上の言うことを聞いて妻にもらって、
うまく手なづけられれば、自分の株が上がって、
出世の糸口をつかめるだろう、
とかいうしたたかな計算があって、
こんな不本意な結婚をするからいけないのだ。

騙された玉守姫も愚かだけれど、
騙した玉守彦は、男として鬱陶しいこと甚だしいな。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

玉守彦は吾妻彦にむかひ、

 『ただ今お聞きおよびのとほり、妻の玉守姫は発狂し、
  取とめなきことを述べたて候(サフラフ)。
  彼がごとき狂人の言は御採用なからむことを乞ひまつる』

と奏上せるに、吾妻彦は玉守姫の狂者たることを知り、
ここに玉守彦の疑ひは全く晴れ、許されて家に帰りぬ。

--------------------------------------------------------------

この吾妻彦という奴も、案外、心汚いやつだ。

青雲山が聞いて呆れる。

これでは暗雲山だ。

やっぱり、これじゃ、
後の世に国祖の御退隠や大洪水があっても、
文句はいえないわけだ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 八王大神常世彦(ヤツワウダイジントコヨヒコ)は、
黄金の宮の国魂を奪はむとし、部下の国足彦(クニタルヒコ)、
醜熊(シコグマ)、玉取彦(タマトリヒコ)に命じ、種々の奸策を授けたり。

ある日のこと国足彦らは夜陰に乗じ、
黄金の宮に入り国魂を首尾よく盗み、
遠く常世(トコヨ)の国(クニ)へ逃げ帰りたり。

八王神神澄彦は国魂を拝せむと諸神司(シヨシン)をしたがへ神殿に進み入りしに、
神前の堅牢なる錠前(ヂヤウマヘ)は捻切(ネヂキ)られ、
肝腎の国魂は紛失しゐたりける。

 『八王大神の部下国足彦、醜熊、玉取彦、
  玉を取つて常世の国に立帰る。
  藻脱(モヌケ)の空(カラ)の宮の神徳弥顕著(イヤチコ)ならむアハヽヽヽ』

と認めありぬ。

--------------------------------------------------------------

ガキの喧嘩じゃあるまいし、
真善美愛の模範たるべき国魂の神様が、
なんたるお下劣なやり方だろうか…

正々堂々と、敵の目の前に本物を見せつけておいて、
これを奪う邪心を失わせるくらいの気高さがなければ…

イエス・キリストだって言っている。

「汝、もし、右の頬を打たれなば、その左の頬をも差し出せ。」

「もし盗賊が上着を盗むのをみつけたら、
 その下着をもくれてやれ。」

こんな玉、そんなに欲しければ、
いくらでもくれてやったらいいのだ。

みろくの神の道は『天恩無窮』である。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

八王神は顔色青ざめ、

 『吾は貴重なる国魂の守護を命ぜられながら、今これを敵に奪取され、
  大神にたいして謝すべき辞(コトバ)なし。
  この玉なきときは八王の聖職を奪はれ、かつ重き罪に問はれむ。
  いかがはせむか』

と歎きたまふをりしも、玉守彦はすすみ出で、

 『八王神よ、必ず神慮を悩ましたまふこと勿(ナカ)れ。
  吾は宝玉の保護を命ぜられてより、今日あることを前知し、
  擬玉(ニセダマ)を作りて奉斎し、真正(シンセイ)の国魂の宝玉は、
  宝珠山の奥深く楠樹(クスノキ)の下に大切に埋め置きたり。
  直ちにこれを掘出して更めて鎮祭したまへ』

と誠を色に現はして奏上したり。

--------------------------------------------------------------

こんな嘘で固めたことをやるから、
国祖の神政は覆されたのだ。

その上に、この神澄彦の心の不自由で暗いこと…

これだから厳の御霊の世は、
どんどん滅びに向かっていくのだ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

神澄彦はおほいに喜び、
ただちに玉守彦を先頭に、あまたの神司(カミ)を遣(ツカ)はし、
白木(シラキ)の輿(コシ)を作りて宝玉を納め、青雲山に奉迎せしめ、
ここにあらためて立派なる遷座式(センザシキ)を挙行し、
玉守彦は疑ひ解けて晴天白日となり、
かつその注意周到なる行動を激賞され、
重く用ゐらるることとなり、天下に盛名を馳(ハ)せにけり。

 (大正十年十一月十八日、旧十月十九日、河津雄録)

 (第一九章~第二〇章、昭和十年一月十六日、
  於別府・亀の井旅館、王仁校正)

--------------------------------------------------------------

つまり、この神々は、この国魂の宝玉よりも格下なのだ。

もっとも、美術館の美術品が盗まれれば、
その館長が責任を追求され、
銀行の貯金が奪われれば、その頭取が責められるのは当然だが、
神の道はそういうものではあるまい。

ましてや、霊主体従の道を広めるべき神々なのだから…

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------  

第19章 楠(クス)の根元(ネモト) (119)

2007年10月08日 22時55分02秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第六篇 青雲山

 青雲山(セイウンザン)は、
八王神(ヤツワウジン)として神澄彦(カムズミヒコ)任ぜられ、
神澄姫(カムズミヒメ)妻となり、
吾妻彦(アヅマヒコ)は八頭神(ヤツガシラガミ)となり、
吾妻姫(アヅマヒメ)はその妻となりたまひて、
青雲山一帯の神政を司(ツカサド)ることと定まりにける。

 青雲山には国魂(クニタマ)として、黄金(コガネ)の玉を祭るべく、
盛んに土木を起して、荘厳無比なる宮殿の建立に着手されたり。
この宮殿を黄金(コガネ)の宮(ミヤ)といふ。

宮殿の竣工するまで、
玉守彦(タマモリヒコ)をして大切にこの宝玉を保護せしめたまひぬ。

 この黄金の玉は、十二個の国魂のうちにても、
もつとも大切なる国魂なり。

八王大神一名常世彦(トコヨヒコ)は、
いかにもしてこの玉を手に入れむとし、
部下の曲人(マガビト)、国足彦(クニタルヒコ)、
醜熊(シコクマ)、玉取彦(タマトリヒコ)に内命を下し、
つねに玉守彦の保護せる国魂を手に入れむと、
手を替へ品を代へ、つけ狙(ネラ)ひゐたりける。

 玉守彦は、大切なるこの宝玉を敵に奪はれむことを恐れ、
ひそかに同形の石玉を造り、これに金鍍金(キンメツキ)を施し、
真正(シンセイ)の玉には墨を塗りて黒玉(クロタマ)となしゐたるを、
玉守彦の妻玉守姫(タマモリヒメ)はこの様子をうかがひ知り、
玉守彦に向つてその不都合を責め、
かつ偽玉(ニセダマ)を造りたる理由を尋ねてやまざれば、
玉守彦はやむを得ずして答ふるやう、

 『この黄金(コガネ)の玉は天下稀代(キタイ)の珍品にして、
  再び吾らの手に入るべきものに非ず。
  われこの玉の保管を命ぜられしを幸ひ、
  同形の偽玉を造り、これを宮殿竣工の上、殿内深く納め、
  真正の玉はわが家に匿(カク)しおき後日この玉の徳によりて、
  吾ら夫婦は、青雲山(セイウンザン)の八王神(ヤツワウジン)となり、
  一世の栄華を極めむと思ふゆゑに、吾は偽玉を造りたり』

といひつつ玉守姫の顔をのぞき見しに、
玉守姫は喜色満面にあふれ、
おほいに夫の智略を誉め立てにける。

 玉守彦は、智慧浅く、口軽く、嫉妬深き妻の玉守姫に、
秘密を看破されしことを憂ひ、終日終夜頭(カウベ)を垂れ、
腕を組み、溜息をつき思案にくれける。

女は嫉妬のために大事を洩(モ)らすことあり、
いかにせば妻を詐(イツハ)り、
この秘密の漏洩を防がむかと苦心焦慮したる結果、
ここに玉守彦は、真偽二個の玉を玉守姫に預けおき、

 『吾は数日間山中を跋渉し、真宝玉の匿し場を探し来らむ。
  汝(ナンヂ)は大切にこの宝玉を片時も目放さず堅く守るべし。
  この玉は吾ら夫婦の栄達の種なり』

と、まづ名利慾をもつて玉守姫を欺(アザム)き、
自分は山に入りて兎を擒(イケド)り、
また海にいたりて鮭を捕へ、
夜中ひそかに宝珠山(ホウジユザン)にわけ入り、
広き谷川の瀬に兎を笊(ザル)に容(イ)れ浅瀬に浸(ヒタ)し置き、
八尾の鮭を大樹の枝につるし、
何喰はぬ顔にて数日の後わが家に帰り、
玉守姫に、適当なる匿し場所を探し得たることを、
喜び勇み報告したりける。

玉守姫はおほいに喜び、

 『善は急げといふことあり。
  一時(イチジ)も早く、この黒き黄金の宝玉を匿しおかむ』

と玉守彦の袖(ソデ)をひきて、
そはそはしき態度を現はし急(セ)き立てたり。

玉守彦は、

 『しからば明朝未明に吾が家を出で、
  汝とともに宝珠山にゆかむ』

と答へ、その夜は夫婦ともに安眠し、
早朝黒き玉を携(タヅサ)へ山深くわけ入りける。

途中かなり広き谷川の流れあり。

二人は浅瀬を選びて渡りはじめ、川の中ほどにいたりし時、
バサバサと音するものあり。

玉守姫は耳敏(ミミサト)くこれを聴きつけ、
眼(マナコ)を上流に転じ見るに、
川中には一個の笊が浅瀬にかかり動きゐたり。

夫婦は不思議にたへずと近より、
笊の葢(フタ)を明け見れば不思議や、
中には兎が二匹動きゐたり。

玉守姫は玉守彦にむかひ、

 『これは実に珍しき獲物なり。
  天の与へならむ。幸先(サイサキ)よし』

と笊と共にこれを拾ひて、なほも山奥深くわけ入りにける。

 鬱蒼たる老松は天をおほひ、昼なほ暗きまでに繁りゐる。

その樹下に夫婦は横臥して息を休めゐたりしが、
玉守姫はフト空を仰ぎ見るとたんに、

 『ヤー不思議』

と絶叫したり。

玉守彦は素知(ソシ)らぬ顔にて、

 『不思議とは何事ぞ』

と言ひも終らざるに、玉守姫は頭上の松の梢を指さし、

 『この松には沢山の鮭の魚生(ナ)りをれり』

といふ。

玉守彦はいかにも不思議千万とあきれ顔に答へ、
ただちにその木にのぼり、
鮭を一々(イチイチ)樹の枝よりむしり取りぬ。

夫婦は鮭と兎を重たげに担ひ、なほも山深くわけ入り、
楠の大木の根元(ネモト)に玉を埋(ウヅ)めて帰り来たりける。

 ここに夫婦は兎と鮭を料理して、祝ひの酒を飲み、
雪隠(セツチン)にて饅頭喰ひしごとき素知らぬ顔にて
日八十日(ヒヤソカ)、夜八十夜(ヨルヤソヨ)を過したりける。

 (大正十年十一月十八日、旧十月十九日、栗原七蔵録)

『音惚花活気好@kakky』的『第19章 楠の根元(119)』分解

2007年10月08日 22時53分13秒 | Weblog
『音惚花活気好@kakky』的『第19章 楠の根元(119)』分解

霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第六篇 青雲山

平成十九(2007)年十月八日 旧八月二十八日(月)

 青雲山(セイウンザン)は、
八王神(ヤツワウジン)として神澄彦(カムズミヒコ)任ぜられ、
神澄姫(カムズミヒメ)妻となり、
吾妻彦(アヅマヒコ)は八頭神(ヤツガシラガミ)となり、
吾妻姫(アヅマヒメ)はその妻となりたまひて、
青雲山一帯の神政を司(ツカサド)ることと定まりにける。

 青雲山には国魂(クニタマ)として、黄金(コガネ)の玉を祭るべく、
盛んに土木を起して、荘厳無比なる宮殿の建立に着手されたり。
この宮殿を黄金(コガネ)の宮(ミヤ)といふ。

宮殿の竣工するまで、
玉守彦(タマモリヒコ)をして大切にこの宝玉を保護せしめたまひぬ。

--------------------------------------------------------------

『霊界物語』を拝読し始めた頃は、これらの聖山の型が、
いったい日本国内のどの山に当るのか?
ということを知りたくて仕方が無かったが、
今はそういうことはどうでもよくなっている。

とりあえず、現代では中国に同じ名前の山が存在する。

王仁三郎聖師の説く世界観の中では、神代の日本は、
今の日本列島だけの国土ではなく、
アジア全域を指して日本と称していたということだ。

三国志などで有名な『三韓』も、
今、定説になっている朝鮮半島くらいの大きさではなく、
やはり、今のアジア全域に相当する範囲を称して、
『三韓』と称していたそうだ。

つまり、神代の日本と三韓は、ほとんど同一のものだったわけだが、
要するに神代というのは、旧約聖書のバベルの塔崩壊以前の時代であるから、
今の様に言語はバラバラではなく、皆、同じ言葉を使っていたのだから、
大陸で『三韓』と呼ばれるものが『日本』であってもおかしくはないのだ。

今でこそ、日本語、韓国語、中国語、英語、フランス語、
ドイツ語、イタリア語、ヘブライ語、サンスクリット語、等々、
たくさんの言語に別れてしまっているけれども、
神代の昔は、一つの言語で統一されていたのだから、
日本人が日本語こそは、世界言語のルーツだと主張しようと、
外国人が自国語こそが、世界の言語のルーツだと主張しようと、
本当のことは、皆、思い込んでいるだけで判らないのだから…

ところで、最近、筆者は、デジタルMTRで録音編集をしている時に、
日本語で歌ったトラックを進めたり戻したりしながら、
不要なノイズを消したり、いろいろと加工しているのだが、
戻る時に、録音テープを逆回転させる様に、
日本語がローマ字で逆読みされると、
その撥音が、なんだか中近東辺りの言葉に似ていると思えて仕方がない。

ヘブライ語だとか、アラブ語だとか、たぶん、あの辺の言葉だ。

例えば、『みんなしあわせになれ』と録音したものを巻き戻すと、

『MINNASHIAWASENINARE』→『ERANINESAWAIHSANNIM』

と言っている感じになるわけだ。

筆者は正確な中近東の言葉を知らないので、
あくまでフィーリングなのだけれど、
案外、日本語とヘブライ語の関係は、
こういうことなのかもしれないと思うと、
筆者は想像力逞しく、
ちょっとしたロマンに浸ることが出来て愉快だ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 この黄金の玉は、十二個の国魂のうちにても、
もつとも大切なる国魂なり。

八王大神一名常世彦(トコヨヒコ)は、
いかにもしてこの玉を手に入れむとし、
部下の曲人(マガビト)、国足彦(クニタルヒコ)、
醜熊(シコクマ)、玉取彦(タマトリヒコ)に内命を下し、
つねに玉守彦の保護せる国魂を手に入れむと、
手を替へ品を代へ、つけ狙(ネラ)ひゐたりける。

--------------------------------------------------------------

『霊界物語』を拝読し始めた頃は、
やっぱり筆者も身贔屓だったので、青雲山の型は、
きっと関東の箱根の山であるに違いないと思った。

富士山は『天教山』と呼ばれていたそうだが、
それは大陸の『エベレスト』の型なのだ。

青雲山は、このエベレストの近くにあるので、
富士山の近くにある箱根が、
青雲山であってもおかしくないと思ったのだ。

この頃、筆者は、何度か、
箱根や富士山方面にドライブに出かけた。

この道に入りかけの頃は、
聖地とか聖域、聖山と呼ばれる様な所には、
出かけてみたくて仕方がなかったのだが、
現代の様に、山を削って宅地造成し、
海岸も埋め立て地にされて、自然の潟が減少し、
日本列島の国魂もボロボロになりかけている時代で、
聖地がどうのこうのと騒いでみても、
あまり意味がないことに気付いてしまったので、
とにかく『霊界物語』をせっかく頂いたのだから、
小宇宙である自分自身の中から統一し、
自分自身から『地上天国』を拡大する方が大事である、
という方針でやっている。

十二の国魂石が重要な意味を持っていたのは、
大洪水以前の神代のことであって、
ちょうど戦前の神国日本の様なものである。

日本にとっては第二次世界大戦が大洪水の様なものだから、
戦後は、これらの国魂石に頼る理由が無いわけである。

戦後の日本は、神素盞嗚大神の時代に入っているのだ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 玉守彦は、大切なるこの宝玉を敵に奪はれむことを恐れ、
ひそかに同形の石玉を造り、これに金鍍金(キンメツキ)を施し、
真正(シンセイ)の玉には墨を塗りて黒玉(クロタマ)となしゐたるを、
玉守彦の妻玉守姫(タマモリヒメ)はこの様子をうかがひ知り、
玉守彦に向つてその不都合を責め、
かつ偽玉(ニセダマ)を造りたる理由を尋ねてやまざれば、
玉守彦はやむを得ずして答ふるやう、

 『この黄金(コガネ)の玉は天下稀代(キタイ)の珍品にして、
  再び吾らの手に入るべきものに非ず。
  われこの玉の保管を命ぜられしを幸ひ、
  同形の偽玉を造り、これを宮殿竣工の上、殿内深く納め、
  真正の玉はわが家に匿(カク)しおき後日この玉の徳によりて、
  吾ら夫婦は、青雲山(セイウンザン)の八王神(ヤツワウジン)となり、
  一世の栄華を極めむと思ふゆゑに、吾は偽玉を造りたり』

といひつつ玉守姫の顔をのぞき見しに、
玉守姫は喜色満面にあふれ、
おほいに夫の智略を誉め立てにける。

--------------------------------------------------------------

こんなことを言われて喜んでいる玉守姫は、
実に曲者(クセモノ)だ。

戦国時代以降、内助の功によって、
夫の出世を助ける妻というものは、
末代の語り種になるほど重宝なものではあるが、
玉守彦の本心は、ただただ黄金の玉を守るのが目的で、
こんな細工をしているのであるが、
それを妻に認めさせるのに、
こんな言い訳を用意しなければならないというのも、
夫婦だからといって、必ずしも皆、魂のレベルが同じである、
というわけではないことを、よく教えてくれている。

現世において、結婚して夫婦になるということは、
こんな具合で、既に曲者との化かし合の始まりなのか…
と思うと、恋愛やら、夫婦生活とかいうものに対して、
あまり憧れがなくなってしまうのは、
実に嘆かわしい限りであるけれど、
これがこの世の中の実情であるのだから、
ここで神の道を歩むことの意味を、
よく腹へ叩き込んでおこうと思う。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 玉守彦は、智慧浅く、口軽く、嫉妬深き妻の玉守姫に、
秘密を看破されしことを憂ひ、終日終夜頭(カウベ)を垂れ、
腕を組み、溜息をつき思案にくれける。

女は嫉妬のために大事を洩(モ)らすことあり、
いかにせば妻を詐(イツハ)り、
この秘密の漏洩を防がむかと苦心焦慮したる結果、
ここに玉守彦は、真偽二個の玉を玉守姫に預けおき、

 『吾は数日間山中を跋渉し、真宝玉の匿し場を探し来らむ。
  汝(ナンヂ)は大切にこの宝玉を片時も目放さず堅く守るべし。
  この玉は吾ら夫婦の栄達の種なり』

と、まづ名利慾をもつて玉守姫を欺(アザム)き、
自分は山に入りて兎を擒(イケド)り、
また海にいたりて鮭を捕へ、
夜中ひそかに宝珠山(ホウジユザン)にわけ入り、
広き谷川の瀬に兎を笊(ザル)に容(イ)れ浅瀬に浸(ヒタ)し置き、
八尾の鮭を大樹の枝につるし、
何喰はぬ顔にて数日の後わが家に帰り、
玉守姫に、適当なる匿し場所を探し得たることを、
喜び勇み報告したりける。

--------------------------------------------------------------

『敵を欺くには先ず味方から』

というわけで、これが玉守彦の妻に対する細工というわけだが、
世の中、何かと男女の問題が起きた時、
優遇されるのは可弱い女であるから、
まさかの時に、妻の言葉よりも、夫の言葉の方が信用される様に、
ちょっとした仕掛けをしなければならないというのも、
神の御用というものは、まったくきついものである。

だいたい、こんな黄金の玉などを任されさえしなければ、
玉守彦も、妻をだます為の細工などしなくてもよいのだが、
これでは、いったい何が誠の道なのかわからなくなってしまう。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

玉守姫はおほいに喜び、

 『善は急げといふことあり。
  一時(イチジ)も早く、この黒き黄金の宝玉を匿しおかむ』

と玉守彦の袖(ソデ)をひきて、
そはそはしき態度を現はし急(セ)き立てたり。

玉守彦は、

 『しからば明朝未明に吾が家を出で、
  汝とともに宝珠山にゆかむ』

と答へ、その夜は夫婦ともに安眠し、
早朝黒き玉を携(タヅサ)へ山深くわけ入りける。

途中かなり広き谷川の流れあり。

--------------------------------------------------------------

玉守姫は、子供の様に、この黄金の玉さえあれば、
お家の栄達が実現されると信じ込んでいるのだから、
可愛いといえば可愛いのだが、愚かといえば、実に愚かだ。

筆者は、こういうことを本能的に避けたいのか…

若い頃は、恋はしたものの、どうしても深入りは出来なかった。

先ずは、目の上のたん瘤ともいうべき、
『神の道』の正体を見定めたかったからなのだが、
わかってみれば、恋愛とか、結婚は、つまり、
『仏創って魂入れず』式のものであって、
動物的な繁殖行為でしかない。

美しいといってみても、
いつまでも若い頃の様な美しさは保てないし、
出世がどうのこうのといってみても、
永久に御安泰であるなどというわけがない。

肉体の生活には、常に不安と心配がつきものである。

その不安を解消する為に、いろいろと仕事をするわけだが、
ここに記されていることも、先の不安を除くための細工である。

つまり、大本の誠の道で禁じられている『取越し苦労』が嵩じて、
こんな珍業が執り行われているのだ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

二人は浅瀬を選びて渡りはじめ、川の中ほどにいたりし時、
バサバサと音するものあり。

玉守姫は耳敏(ミミサト)くこれを聴きつけ、
眼(マナコ)を上流に転じ見るに、
川中には一個の笊が浅瀬にかかり動きゐたり。

夫婦は不思議にたへずと近より、
笊の葢(フタ)を明け見れば不思議や、
中には兎が二匹動きゐたり。

玉守姫は玉守彦にむかひ、

 『これは実に珍しき獲物なり。
  天の与へならむ。幸先(サイサキ)よし』

と笊と共にこれを拾ひて、なほも山奥深くわけ入りにける。

--------------------------------------------------------------

ついこの間、筆者も自転車通勤で出勤の折に、
降ったりやんだりの雨に振り回されて、
合羽を着たり脱いだりした挙げ句、
あんまり面倒なので龍神に文句を垂れた直後に、
五千円札を拾って機嫌を取り直したことがあったけれど、
だからといって、それがここでの玉守姫の様に、

『天の与へならむ。幸先よし』

などと本気で喜んだりはしなかった。

勿論、冗談半分で、そんなことも思ってもみたけれど、
どう考えても、誰かがうっかり落としたものを、
ちょうどタイミングよく筆者が通りかかって拾ったのに過ぎない。

前に、仕事が無くて、ナンバーズ4で一獲千金を狙っていた時、
筆者は毎朝、トランプをルーレット代りにして、
四つの数字を選んでいたのだが、
その日に限って二通りの数字を出してしまった。

その朝は、朝から妙な気分で、
何か気持ちが騒いで仕方が無かったのだが、
その妙な胸騒ぎのせいで、いつもなら気軽に二口買うものを、
用心して一口だけ買ったら、
悔しいことに買わなかった方の数字が当選していた。

どうせ、予感を与えてくれるなら、
当る方を選ばせてくれればよいものをと、
本当に悔しかったものだが、
その後、まるでナンバーズ4を買っても、
数字がかすりもしなくなったので、
やらなくなって、もう久しい。

話は変わるが、マルチ・レベル・マーケティングを始めて、
初のダウンをつけてもらった日も、その連絡がある前に、
なんだか妙に胸騒ぎがして気味が悪かったのだが、
しばらくすると携帯が鳴って、初のダウンがついたという連絡で、
その時は、とても嬉しかったものだが、いつも不思議に思うのは、
ラッキーがある前は、妙に不安にかられる胸騒ぎがするということだ。

勿論、これは筆者独特の感覚なのだが、
どうやら、筆者の未来に好事が近づいて来ると、

『好事魔多し』

が、先にやって来るらしい。

『天の蔵に宝を積め』

であるから、五千円ばかりを掴んで、天の宝を失うのもつまらないし、
ナンバーズ4が一度当りかけただけで、その後の好運を失っても、
またつまらないというわけなのだろう…

川で笊に閉じ込められた兎がいるというのは、
誰かがそうしているのだから、それは天の恵みではない。

それを勝手にもらっていったら誰かの獲物を横取りしたことになる。

玉守姫は、そんな風に思わなかったのだろうか?

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 鬱蒼たる老松は天をおほひ、昼なほ暗きまでに繁りゐる。

その樹下に夫婦は横臥して息を休めゐたりしが、
玉守姫はフト空を仰ぎ見るとたんに、

 『ヤー不思議』

と絶叫したり。

玉守彦は素知(ソシ)らぬ顔にて、

 『不思議とは何事ぞ』

と言ひも終らざるに、玉守姫は頭上の松の梢を指さし、

 『この松には沢山の鮭の魚生(ナ)りをれり』

といふ。

玉守彦はいかにも不思議千万とあきれ顔に答へ、
ただちにその木にのぼり、
鮭を一々(イチイチ)樹の枝よりむしり取りぬ。

夫婦は鮭と兎を重たげに担ひ、なほも山深くわけ入り、
楠の大木の根元(ネモト)に玉を埋(ウヅ)めて帰り来たりける。

--------------------------------------------------------------

『松に鮭がなる』という発想はどうなのだろう?

鳥や、動物の中には、獲物を枝にかけて干しておくものもいるが、
いくら木から人が湧いたという事情があるとはいえ、
松の枝に鮭がなったりするわけがない。

勿論、これは先刻承知の通り、夫の玉守彦が仕掛けたものだが、
この時点で、玉守彦が玉守姫を愛していないということが、
明らかになる。

つまり、この頃の神々の結婚が、恋愛によるものではなく、
高天原の神々の協議による組み合わせであるから、
こんな風に、とても夫婦とも思えない行いが出来るわけである。

筆者は、やっぱり、こんな結婚はいやである。

御神行が全部終わったら、凡人として、メロメロの恋愛結婚をして、
こんな夫婦にならない様にしたいものだ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 ここに夫婦は兎と鮭を料理して、祝ひの酒を飲み、
雪隠(セツチン)にて饅頭喰ひしごとき素知らぬ顔にて
日八十日(ヒヤソカ)、夜八十夜(ヨルヤソヨ)を過したりける。

 (大正十年十一月十八日、旧十月十九日、栗原七蔵録)

--------------------------------------------------------------

妻の狂態はどうであれ、
元々は、夫の玉守彦が捕らえた兎と鮭だから、
これは盗難とか横取りの類いではないのだが、
こんな嘘で固めた夫婦は、どんなに賢いといっても、
筆者はやっぱり断然いやである。

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------  

第18章 神霊の遷座(118)

2007年10月01日 00時13分57秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第五篇 万寿山

 霊鷲山(リヨウシウザン)は磐樟彦(イハクスヒコ)が修業の霊場にして、
天神地祇(チギ)の中にてももつとも先見の明ある神々の
ひそみて時を待ちたまふ神仙境なれば、
等閑に附すべき所にあらずとし、
磐樟彦は諸神司(シヨシン)とはかり霊窟のほとりに
大宮柱太敷(オホミヤバシラフトシ)く造営し、
神人(カミガミ)らの修業所として鄭重に設備をほどこし、
三(ミ)ツ巴(ドモエ)の神紋は、社殿の棟に燦然として朝日に輝き、
夕日に照り映えじつに壮観をきはめたりける。

満山ことごとく常磐(トキハ)の老松をもつて覆(オホ)はれ、
得もいはれぬ神々(カウガウ)しさなり。

社殿の境内には千年の老松、杉、檜(ヒノキ)、楓(カヘデ)、
雑木苔生(ム)して中天高く聳(ソビ)えたち、
諸鳥の囀(サヘヅ)る声はあたかも天女のきたりて
音楽を奏するかと疑はるるばかりなりける。

 ここにいよいよ社殿は完全に建て上げられたり。
八王神磐樟彦(ヤツワウジンイハクスヒコ)、磐樟姫(イハクスヒメ)をはじめ、
八頭神(ヤツガシラガミ)なる瑞穂別(ミヅホワケ)、
瑞穂姫(ミヅホヒメ)は神霊鎮祭のため神衣を着し、
参拝さるることとなりけり。

 祭官としては、神世彦(カミヨヒコ)斎主となり、
守国彦(モリクニヒコ)副斎主となり、
大川彦(オホカハヒコ)は祓戸主(ハラヒドヌシ)となり、
国清彦(クニキヨヒコ)は後取(シドリ)を奉仕し、
清川彦は神饌長(シンセンチヤウ)となり、
常立別(トコタチワケ)は神饌副長を奉仕し、
供物は海山河野(カハヌ)の種々(クサグサ)の珍らしきものを
横山(ヨコヤマ)なして献(タテマツ)られける。

神饌のなかに鴨(カモ)、山鳥、猪(イノシシ)、海魚(ウミウヲ)、
川魚(カハウヲ)などあまた八足(ヤタリ)の机代(ツクエシロ)に盛られあり。

ここに旗照彦(ハタテルヒコ)、
久方彦(ヒサカタヒコ)はこの供物を一見して、

 『穢(ケガ)らはしき物を神前に献(タテマツ)るは何の故ぞ。
  神は清浄を喜び汚穢(ヲエ)を嫌はせたまふ。
  しかるにかくのごとき禽獣や魚類の肉を献り、
  机上や神殿を汚し神慮を怒らせ、
  加ふるに博く万物を愛せよとの、
  天地の律法を侵害し生物を殺して神饌に供するは、
  何たる心得違ひぞ。
  神は律法を定めて殺生を固く禁じたまへり。
  神威を冒涜するの罪軽からず。
  すみやかにこの神饌を撤回し清浄無穢の神饌に改めよ』

と二神司(ニシン)は肩をゆすりながら
顔色赤く気色(ケシキ)ばみて述べ立てたり。

これを聞くより清川彦(キヨカハヒコ)、
常立別(トコタチワケ)は容(カタチ)をあらため襟(エリ)を正し、
二神司に向つていふ。

 『貴下(キカ)らは今吾らが献らむとする神饌にたいして
  色々と故障をいれたまふは心得ぬことどもなり。
  いはんやかかる芽出度(メデタ)き
  大神遷座(オホカミセンザ)の席においてをや。
  せつかく選(エ)りに選(エ)り、
  清めし上にも清め千辛万苦の結果、
  山野河海(カカイ)をあさりて漸く集めえたる宇豆(ウヅ)の神饌を、
  汚穢の供物なればすみやかに撤回せよとの貴下の暴言、
  実に呆然たらざるをえず。
  貴下らは祓戸(ハラヒド)の行事をなんと心得らるるや、
  恭(ウヤウヤ)しく祓戸の神の降臨を仰ぎ奉(タテマツ)り、
  清きが上にも清き神饌なり。
  万一これをも汚穢の供物なりとせば、
  祓戸の神の御降臨は一切無意義にして、
  ただ単に形式のみに終らむ。
  吾らは大神の祭典に奉仕せむとする以上は、
  つねに霊主体従(レイシユタイジユウ)の法則により赤誠をこめて奉仕す。
  いづくんぞ形式的に祓戸の神業を奉仕し、
  体主霊従(タイシユレイジユウ)の逆事(サカゴト)に習はむや。
  つつしんで二神司(ニシン)の御熟考を請ひ奉る』

と顔色をやはらげながら陳弁したりしに、
旗照彦、久方彦は直ちに反対していふ。

 『貴下の言は一応もつともらしく聞ゆれども、
  すべて大神は仁慈をもつて神の御心となし、
  博(ヒロ)く万物を愛育したまふ。
  しかるにその広き厚き大御心を無視し、
  神の愛によりて生り出でたる生物を殺し、
  天地の律法を破壊し、大罪を犯(ヲカ)しながら、
  なほもこれを大神の清き神饌に供せむとするは何事ぞ。
  仁慈の神の大御心を無視したる暴逆無道(ブダウ)の挙動にして、
  これに勝れる無礼の行為はなかるべし。
  是非々々この供物は瞬時も早く撤回されたし。
  貴下は強情をはり神饌長の職をもつて、
  このままにして吾らの言を容(イ)れず、
  汚穢に充ちたる祭事を敢行さるるにおいては、
  吾らはただ今かぎり折角の御盛典に列すること能(アタ)はず』

 吾が意を固執して動く色なく、清川彦、
常立別は大いに当惑しつつありしが、
双方の論争を聞きかねたる斎主神世彦は、

 『諸神司(シヨシン)暫時論争を中止したまへ。
  吾いま大神の神慮を奉伺し神示をえて正邪を決すべし』

と、ただちに件の大岩窟に白き祭服のまま進み入り神の教示を乞ひ、
ふたたび祭場にかへりて神教を恭(ウヤウヤ)しく諸神司に伝へたり。

神教はきはめて簡単にして要を得たものなりき。

すなはちその教示は、

 『神は一切の万物を愛す。
  神の前に犠牲とさるる一切の生物は幸(サイハヒ)なるかな。
  そは一の罪悪を消滅し、新しき神国に生れ出づればなり』

との理義明白なる神示なりける。

双方の争論はこの神示を尊重し、うやうやしく祭典を完了し、
天地にとどろく言霊(コトタマ)の祝詞(ノリト)に
四方(ヨモ)の神人(カミガミ)集まりきたりて、
荘厳無比の遷座祭は執行されたりけり。

 (大正十年十一月十七日、旧十月十八日、栗原七蔵録)
 (第一六章~第一八章、昭和十年一月十六日、
  於みどり丸船室、王仁校正)

『音惚花活気好@kakky』的『第18章 神霊の遷座 (118)』分解(一)

2007年10月01日 00時13分00秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻 第五篇 万寿山

平成十九(2007)年十月一日 旧八月二十一日(月)

 霊鷲山(リヨウシウザン)は磐樟彦(イハクスヒコ)が修業の霊場にして、
天神地祇(チギ)の中にてももつとも先見の明ある神々の
ひそみて時を待ちたまふ神仙境なれば、
等閑に附すべき所にあらずとし、
磐樟彦は諸神司(シヨシン)とはかり霊窟のほとりに
大宮柱太敷(オホミヤバシラフトシ)く造営し、
神人(カミガミ)らの修業所として鄭重に設備をほどこし、
三(ミ)ツ巴(ドモエ)の神紋は、社殿の棟に燦然として朝日に輝き、
夕日に照り映えじつに壮観をきはめたりける。

--------------------------------------------------------------

『天神地祇(テンシンチギ)』というのは、
たった四文字で天地の道理を示した見事な熟語だと思う。

『天の神(カミ)と地の祇(カミ)』ということで、
『霊界物語』的には『天津神国津神(アマツカミクニツカミ)』ということだ。

『天の神』は、霊そのままを示す神で、
『地の祇』は、氏神(ウジガミ)様である。

そしてこれらの中にも、先見の明の深浅があって、
霊鷲山には、先見の明の深い神々が集まり、
ひそんで時を待っていたというのである。

早合点すれば、日本の鎖国と同じ様なことだが、
織田信長が海外と交わりながら、日本の行く末を観た時、
日本では侍同志が相争って、将軍職か関白職に就けば天下人だ、
などと、戦国時代当時の民は、
熱病にうなされたかの様に競い合い、
首を取り合っているばかりで、まったく野蛮極まり無かった。

この国に武士などというものがある限り、
海を渡って宣教に来る様な文明を持った諸外国には、
到底適うまい。

しかも、武将の頂点に立つ、将軍、関白であれ、
結局は朝廷の道具以外の何物でもない。

考えてみれば、この日本の世界進出にとって、
最も目の上のたん瘤は朝廷なのではないか?

朝廷に気に入られる為に、諸国は争い、
農民、町民は皆苦しめられているのだ。

こんなものがある限り、日本は海外諸国に、
あっという間に呑み込まれてしまうに違い無い。

これを叩かずに、本当の天下統一、天下泰平はない。

…ということが見えてしまい、遂に信長は、
日本の伝統である皇室を生臭坊主共同様に、
すべて滅ぼしてしまう必要があると感じて、
これを進めつつあった。

何かと悪役扱いされる明智光秀は、
仮に信長の観る通りの世の中であったとして、
信長が朝廷を倒して世界進出を始めても、
信長亡き後に、この日本の伝統を守れる者など、
そう易々と出よう筈もない、という考えから、
信長の暴走を諌めようと本能寺の変に立ち上がったが、
本能寺では光秀の案に相違して、
驚き慌てた阿野(アノ)の局(ツボネ)が、
信長の恥を恐れて背後から槍で突き殺してしまった。

事ここに及んでは、主君の恥を世に晒すわけにも行かず、
光秀は信長の死を切腹として世に伝え残すべく、
自ら謀反の長として、秀吉に討たれたことにして、
明智光秀としての生涯を一切終了し、
その後は千利休として豊臣秀吉の相談役として、
天下太平の事業に尽くしたが、
世継ぎを得られなかった秀吉は、
老いて真の天下人としての先見暗くなり、
千利休は再びその栄誉を捨てて、
僧侶となり天海を名乗って、
鎖国政策を実現する徳川の知恵袋になって尽くしたという。

なんとなく筆者には、
この霊鷲山が日光東照宮の様にも思えて来た。

つまりは、万寿山の聖地である霊鷲山の天神地祇は、
弥勒出現の為に日本を鎖国して、
海外から守った徳川幕府の様にも思える。

結局、文明開化の後、軍国主義に偏り過ぎ、
覇道政策に勢いづき過ぎて拡大した領土を失った日本は、
多勢に無勢の例に漏れず、
第二次世界大戦で敗戦の憂き目に遭い、
その後の奇跡的な経済復興も、
後見人ともいえるアメリカに対して、
恩知らず的に勢力を拡大しようとして、
手痛いしっぺ返しを喰らい、
今の様なことになってしまっている。

日本は、黙ってその精神の美を極めてさえいれば、
海外からの尊敬を得て、
黙っていても慕われる王国の徳を持ちながら、
力で恨みを晴らす様なやり方をして、
いつも痛い目に遭わされる。

ちょうど、老いた親の様なもので、
若い働き盛りの子供達にしたら、
親を捨てることなど簡単だが、
その親が精神的に立派で尊敬出来る親ならば、
黙っていても、面倒見させて頂きます、
という心にもなれるが、
老いてよぼよぼの親に、いつまでも説教ばかりされたり、
やることなすこと口出しされたりすると、
なんだか腹立たしくなって、
やっつけてやりたくなるような、
逆恨みを煽ってしまうわけだ。

信長や秀吉は、日本への愛が強過ぎて、
日本を力で世界一にしようと焦った。

しかし、光秀や家康は、
もう少し冷静に日本の実力を観て鎖国したのだ。

つまり、万寿山や霊鷲山が
如何に清らかな聖地であるとしても、
それは地上でどんぐりの背比べをした中でのことで、
誠の神様の前では小さなものである
ということをよく理解したので、
霊鷲山を神仙境として俗世から聖別して守ったのだ。

日本の鎖国も、敗戦も、
そういうことだということが判れば、
『世界の王』というものがどういうものかが、
愛国心が強過ぎて目が眩んでいる日本人にも、
きっと判ることだろう…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

満山ことごとく常磐(トキハ)の老松をもつて覆(オホ)はれ、
得もいはれぬ神々(カウガウ)しさなり。

社殿の境内には千年の老松、杉、檜(ヒノキ)、楓(カヘデ)、
雑木苔生(ム)して中天高く聳(ソビ)えたち、
諸鳥の囀(サヘヅ)る声はあたかも天女のきたりて
音楽を奏するかと疑はるるばかりなりける。

--------------------------------------------------------------

こんな美しい自然に囲まれた環境を、
地球に取り戻す為には、
先見の明のある国津神達は、余程の覚悟を持って、
地球環境を食い荒らす仕組と
戦わなければならないだろうが、
戦ったところで、所詮は、日本と同じ運命で、
結局は強い者勝ち式に
押さえ込まれてしまうのが関の山だ。

華やかな虚飾に満ちた妄想を形に変えることで、
それを栄華の極みと思い込み、
互いに墓穴を掘り、首を絞め合いながら、
その負債を未来になすりつけるだけの
愚かで貪欲な野獣達の前では、
きっとこんな天女が奏でる様な神秘の音楽を、
聞き分けることは出来まい。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 ここにいよいよ社殿は完全に建て上げられたり。
八王神磐樟彦(ヤツワウジンイハクスヒコ)、磐樟姫(イハクスヒメ)をはじめ、
八頭神(ヤツガシラガミ)なる瑞穂別(ミヅホワケ)、
瑞穂姫(ミヅホヒメ)は神霊鎮祭のため神衣を着し、
参拝さるることとなりけり。

--------------------------------------------------------------

さあ、わが日本が、この万寿山だとしたら、
こんなに素晴らしい所は一体何処にあるのだろうか?

こんな素晴らしい所は、科学文明未発達だった過去か、
これから人類が何もかも頭を切り替えて徹底的に努力して、
立直しが出来た未来で無ければお目にかかれないだろう…

これを知って絶望するなら、この世界はもう終りだ。

こんな世界が実現出来るなら、と、
今からでもやり方を改めていくなら、
その人達が未来の世界の救世主ともなろう…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 祭官としては、神世彦(カミヨヒコ)斎主となり、
守国彦(モリクニヒコ)副斎主となり、
大川彦(オホカハヒコ)は祓戸主(ハラヒドヌシ)となり、
国清彦(クニキヨヒコ)は後取(シドリ)を奉仕し、
清川彦は神饌長(シンセンチヤウ)となり、
常立別(トコタチワケ)は神饌副長を奉仕し、
供物は海山河野(カハヌ)の種々(クサグサ)の珍らしきものを
横山(ヨコヤマ)なして献(タテマツ)られける。

神饌のなかに鴨(カモ)、山鳥、猪(イノシシ)、海魚(ウミウヲ)、
川魚(カハウヲ)などあまた八足(ヤタリ)の机代(ツクエシロ)に盛られあり。

--------------------------------------------------------------

こんな風に国を上げての祭事をやれる様になったら、
日本も本当に世界の王に相応しい国になるのだ。

それは武力でも、経済力でもない。

前政権は志半ばで倒れたけれども、
それはまだ時が早過ぎたからだけである。

前政権は前政権で、美しい国造りを目指して、
政界内の膿をよく絞り出してくれた。

そして、日本政府がそんなことをやっている間に、
世界中が京都議定書の重要性を再認識し始め、
国内の優良企業も、政府に頼らず、自らの意志で、
立直しの方向に進もうとしているではないか?

全体のことを観たら、これは評価に値することであろう…

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

ここに旗照彦(ハタテルヒコ)、
久方彦(ヒサカタヒコ)はこの供物を一見して、

 『穢(ケガ)らはしき物を神前に献(タテマツ)るは何の故ぞ。
  神は清浄を喜び汚穢(ヲエ)を嫌はせたまふ。
  しかるにかくのごとき禽獣や魚類の肉を献り、
  机上や神殿を汚し神慮を怒らせ、
  加ふるに博く万物を愛せよとの、
  天地の律法を侵害し生物を殺して神饌に供するは、
  何たる心得違ひぞ。
  神は律法を定めて殺生を固く禁じたまへり。
  神威を冒涜するの罪軽からず。
  すみやかにこの神饌を撤回し清浄無穢の神饌に改めよ』

と二神司(ニシン)は肩をゆすりながら
顔色赤く気色(ケシキ)ばみて述べ立てたり。

--------------------------------------------------------------

さて、旧約聖書 創世記 によれば、
エデンの園を追放されたアダムとエバの間に出来た兄弟、
カインとアベルは、成長して互いに神に愛されたので、
互いに献祭をして、互いの収穫物を互いの祭壇に献じて、
神を讃えた。

カインは農耕に励み、祭壇には農作物を献じて神を祭り、
アベルは牧畜を営み、祭壇で羊を焼いてその煙りを神に献じた。

この時、主なる神は、何故かカインの献上物を拒み、
アベルの献上物を祝福して受けた。

長男カインは、これに嫉妬して遂にアベルを石で打ち殺した為、
主なる神の呪を受け、アダムとエバの元から追いやられ、
東の地で神の監視を受けながら子孫を増やし、
あらゆる職業の祖となった。

一方、殺されたアベルが受けた祝福を継いだのは、
後に生まれたセツだった。

このセツの血統から大洪水のノアが出ることになる。

この時、地上にはカインの子孫が栄え、
あらゆる暴虐はあふれ、
それは遂に天上の神の怒りに触れ、
大洪水による滅亡という判決がくだされることになる。

アダムの子、セツの子孫であるノアは、
密かに大洪水の予言を受け、預言に従い、
山にこもって方舟の建造に日々を費やす様になる。

これを見聞きした、カインの子孫達は、
ノアを嘲(アザケ)ったが、
遂に予言の通り、大洪水が発生し、
方舟に乗らなかった一切の生物は、
地上から滅亡させられることになった。

つまり、農作物も、何もかも、
大洪水によって滅ぼされたが、
元々、水の生き物である魚介類などは、
何の障りもなく生き残ったのだ。

ノアの方舟に招かれたのは、
地上一切の生物の中から選ばれた、
一対の生き物達だったわけだ。

勿論、水害に強い植物は生き残ったろうし、
大洪水後も地上に残すべき植物の種も、
方舟で守られたのだ。

大洪水は、即ち『水の洗礼』であるから、
それは一切の天災地災人災を示すものである。

火山の噴火、大地震、大暴風雨、
戦争、革命、暴動、犯罪、疫病等々、
これらのものは全て『大洪水』の一部なのだ。

これらの大洪水から救ってくれるものは、
筆者が知る限り、この『霊界物語』だけである。

これによって目覚めた人々が、自ら立って、
世界救済の事業に立ち上がるのが、
立直しの真相である。

そしてこれは、現代実現したことではなく、
これから実現して行くことなのだ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

『音惚花活気好@kakky』的『第18章 神霊の遷座 (118)』分解(二)

2007年10月01日 00時11分15秒 | Weblog
これを聞くより清川彦(キヨカハヒコ)、
常立別(トコタチワケ)は容(カタチ)をあらため襟(エリ)を正し、
二神司に向つていふ。

 『貴下(キカ)らは今吾らが献らむとする神饌にたいして
  色々と故障をいれたまふは心得ぬことどもなり。
  いはんやかかる芽出度(メデタ)き
  大神遷座(オホカミセンザ)の席においてをや。
  せつかく選(エ)りに選(エ)り、
  清めし上にも清め千辛万苦の結果、
  山野河海(カカイ)をあさりて漸く集めえたる宇豆(ウヅ)の神饌を、
  汚穢の供物なればすみやかに撤回せよとの貴下の暴言、
  実に呆然たらざるをえず。
  貴下らは祓戸(ハラヒド)の行事をなんと心得らるるや、
  恭(ウヤウヤ)しく祓戸の神の降臨を仰ぎ奉(タテマツ)り、
  清きが上にも清き神饌なり。
  万一これをも汚穢の供物なりとせば、
  祓戸の神の御降臨は一切無意義にして、
  ただ単に形式のみに終らむ。
  吾らは大神の祭典に奉仕せむとする以上は、
  つねに霊主体従(レイシユタイジユウ)の法則により赤誠をこめて奉仕す。
  いづくんぞ形式的に祓戸の神業を奉仕し、
  体主霊従(タイシユレイジユウ)の逆事(サカゴト)に習はむや。
  つつしんで二神司(ニシン)の御熟考を請ひ奉る』

と顔色をやはらげながら陳弁したりしに、
旗照彦、久方彦は直ちに反対していふ。

--------------------------------------------------------------

東西の神秘主義に精通する者は、この献上物に対する問題で、
必ず二分するのではないだろうか?

これらの言い伝えでも、東洋人は米を食し、西洋人は麦を食せ、
とか言われているらしいので、筆者もしばらくは、
菜食主義に偏り、米食を優先し、
パンなどは避ける様にしたものだが、
今では、どちらでもあまり気にしなくなったし、
生活の都合上、パン食の方が便利だから
パンが主食の様なものだ。

更に、ラーメンなどの麺類も好きだから、
当然、麦を食する機会の方が多い。

さて、肝心の米食だが、
その米自体が、昔の米に比べたら栄養不足で、
美味しい白米ほど、不健康の元であることは、
食通の皆さんには、
もうかなり浸透している事実であろう。

また、人間は大食すると健康を害し、
性格も獣化して愛念に乏しくなる。

地球全体が栄養不足である現代において、
この『祓戸(ハラヒド)の行事』は、
必要欠くべからざるものである。

物質的な栄養も偏って採れば
かえって健康を害するものだが、
そんな栄養不足な食品でも、
『祓戸(ハラヒド)の行事』で浄化したものを少量採れば、
清らかな肉体造りになるのだから、
食料危機を考えねばならない現代に於いて、
これは無視することが出来ないものだ。

科学や医学などの学問に偏っていると、
霊が育たないから、
その辺を見逃してはならないのである。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 『貴下の言は一応もつともらしく聞ゆれども、
  すべて大神は仁慈をもつて神の御心となし、
  博(ヒロ)く万物を愛育したまふ。
  しかるにその広き厚き大御心を無視し、
  神の愛によりて生り出でたる生物を殺し、
  天地の律法を破壊し、大罪を犯(ヲカ)しながら、
  なほもこれを大神の清き神饌に供せむとするは何事ぞ。
  仁慈の神の大御心を無視したる暴逆無道(ブダウ)の挙動にして、
  これに勝れる無礼の行為はなかるべし。
  是非々々この供物は瞬時も早く撤回されたし。
  貴下は強情をはり神饌長の職をもつて、
  このままにして吾らの言を容(イ)れず、
  汚穢に充ちたる祭事を敢行さるるにおいては、
  吾らはただ今かぎり折角の御盛典に列すること能(アタ)はず』

--------------------------------------------------------------

要するにこの旗照彦、久方彦の言葉は、
アダムとエバの長男で、アベルを殺したカインの心と
同じ所から発せられているといえる。

つまり、朝鮮人でありながら、日本の大学で勉強し、
箱根の山に籠って統一原理を発表した
文鮮明牧師の説に従うならば、
それは愛の減少感によって堕落して悪魔になった
天使長ルーシェルの心だ。

国祖 国常立命が御退隠する時も、
素盞嗚尊が高天原を神退われて地上を彷徨った時も、
出エジプトのモーセがエジプト王子の立場を追われ、
砂漠を彷徨っていた期間も、
ナザレのイエスが傷だらけで十字架を担いで、
ゴルゴダの丘に向って歩いた時も、
きっとこの愛の減少感と戦う試練の時だったのだ。

…ということは天使長ルーシェルは、
この愛の減少感に負けた為、
悪魔の位置に堕落したのだろうか?

筆者に言わせれば、それはお互い様で、
天国にでも栄枯盛衰はあり、春夏秋冬の四季があり、
秋冬の枯れ衰える時機があってこそ、
次の春夏があり栄盛が来る。

天国ばかりが常春というのは不公平だから、
アダムとエバも春夏秋冬を経験して逞しくならなければ、
一人前の神の子には成長出来ない道理である。

つまり、旗照彦、久方彦の言葉は自ら手を汚す事をしない、
苦労知らずの戯れ言なのだ。

そうなって来ると、
天地創造の始めから主神のお手伝いをして来た、
天使長ルーシェルからみたら、
お坊っちゃま、お穣ちゃまのアダムとエバは、
なんとも頼りなく見えたことだろう…

それは最大の苦労者である主神様からしたって
同じことである筈だ。

そういう苦労を乗り越えて来れば、
この献上物の数々の有り難みがわかって当然であろう。

つまり自ら手を汚すことをしないで、
綺麗事ばかり言っている旗照彦、久方彦は、
まだまだボンボンなのだ。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

 吾が意を固執して動く色なく、清川彦、
常立別は大いに当惑しつつありしが、
双方の論争を聞きかねたる斎主神世彦は、

 『諸神司(シヨシン)暫時論争を中止したまへ。
  吾いま大神の神慮を奉伺し神示をえて正邪を決すべし』

と、ただちに件の大岩窟に白き祭服のまま進み入り神の教示を乞ひ、
ふたたび祭場にかへりて神教を恭(ウヤウヤ)しく諸神司に伝へたり。

神教はきはめて簡単にして要を得たものなりき。

--------------------------------------------------------------

現代人はなかなかこんな機会に恵まれないだろうから、
ぶっちゃけて言えば、この『霊界物語学の日記』こそが、
現代人にとっての斎主神世彦であり、
この日記こそが神の教示を乞うべき大岩窟であろう。

そう考えれば筆者の御用も、なかなか天晴れなものである。

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------

すなはちその教示は、

 『神は一切の万物を愛す。
  神の前に犠牲とさるる一切の生物は幸(サイハヒ)なるかな。
  そは一の罪悪を消滅し、新しき神国に生れ出づればなり』

との理義明白なる神示なりける。

双方の争論はこの神示を尊重し、うやうやしく祭典を完了し、
天地にとどろく言霊(コトタマ)の祝詞(ノリト)に
四方(ヨモ)の神人(カミガミ)集まりきたりて、
荘厳無比の遷座祭は執行されたりけり。

 (大正十年十一月十七日、旧十月十八日、栗原七蔵録)
 (第一六章~第一八章、
  昭和十年一月十六日、於みどり丸船室、王仁校正)

--------------------------------------------------------------

『霊界物語』天祥地瑞によれば、
国津神の食べ物として許された一切の生き物は、
その前世において天津罪を犯し、
その罪の為に封印された曲津神達であるから、
国津神達に食されることによってその罪を許され、
再び神の道を出直す為に
人間に生まれることが出来る様になるのだ。

つまり、地上一切から、この罪が浄化されたら、
国津神である人類は食べ物を失うことになるのだが、
その代り、その肉体もずっと昇華して、
それこそ霞を食べてでも生きられる様な
繊細な肉体になるのだ。

みんな一緒に救われて
昇華して行く様になっているのだから、
地上にこれまでの様な食べ物があるうちは、
地上天国の完成は、
まだまだずっと先のことなのである。

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

--------------------------------------------------------------
--------------------------------------------------------------