『音惚花活気好@kakky』=垣内政治的《霊界物語学》の日記的な雑記の様なレポート状の諸々?

出口王仁三郎聖師による弥勒胎蔵経『霊界物語』を『音惚花活気好@kakky』的に学問してみるランダムレポート?

第7章 旭光照波(キヨククワウセウハ) (257)

2010年11月29日 14時59分01秒 | Weblog
霊界物語 第六巻 霊主体従 巳の巻 第一篇 山陰の雪

 鬼大蛇(オニヲロチ)虎狼(トラオホカミ)や曲霊(マガツヒ)の
 醜女探女(シコメサグメ)の訪(オトナ)ひは
 峰(ミネ)の嵐(アラシ)か鬼城山(キジヤウザン)
 落ちゆく滝のナイヤガラ
 水音(ミナオト)高き雄健(ヲタケ)びの
 中(ナカ)に落(オ)ちあふ四柱(ヨハシラ)は
 神の御国(ミクニ)を立てむとて
 鬼(オニ)の棲家(スミカ)を竜館(タツヤカタ)
 荒(アラ)ぶる神の訪(オトナ)ひも
 松吹(マツフ)く風(カゼ)と変(カハ)る世(ヨ)の
 汚れを流す河水(カハミヅ)に
 禊(ミソ)ぐ身魂(ミタマ)ぞうるはしき
 花の顔(カンバセ)月の眉(マユ)
 焦眉(セウビ)の急を救はむと
 神の教(ヲシ)へのいや深き
 谷に落(オ)ちあふ宣伝使(センデンシ)
 右に左に名残(ナゴリ)を惜(ヲ)しみ
 別れの涙拭(ナミダヌグ)ひつつ
 東と西に立雲(タツクモ)の
 雲路(クモヂ)を分けて月照彦(ツキテルヒコ)の
 神の司(ツカサ)や足真彦(ダルマヒコ)
 春立(ハルタ)ち初(ソ)めし春日姫(カスガヒメ)
 木々の梢(コズエ)は青々(アヲアヲ)と
 綻(ホコロ)び初(ソ)めし春姫(ハルヒメ)の
 長閑(ノド)けき胸も夢の間の
 儚(ハカ)なき別れ暁(アカツキ)の
 鐘(カネ)の響(ヒビ)きに撞(ツ)き出され
 歩(アユ)みも慣(ナ)れぬ旅(タビ)の空(ソラ)
 岩根(イハネ)に躓(ツマヅ)き転(マロ)びつつ
 何処(ドコ)をあてとも長(ナガ)の旅(タビ)
 常世(トコヨ)の国(クニ)の常闇(トコヤミ)の
 荒野(アレノ)さまよふ痛(イタ)ましさ
 ここに四人の宣伝使(センデンシ)
 神(カミ)の御言(ミコト)を畏(カシコ)みて
 各(オノ)も各(オノ)もが独(ヒト)り旅(タビ)
 折角遇(セツカクア)ひし四柱(ヨハシラ)の
 厳(イヅ)の司(ツカサ)の生(イ)き別(ワカ)れ
 くつろぐ暇(ヒマ)もナイヤガラ
 滝のごとくに流れ行く
 淋(サビ)しき山野(サンヤ)を辿(タド)りつつ
 心の駒(コマ)ははやれども
 疲(ツカ)れはてたる膝栗毛(ヒザクリゲ)
 歩(アユ)みになやむ姫御前(ヒメゴゼ)の
 心の空(ソラ)はかき曇(クモ)り
 浪風荒(ナミカゼアラ)き現世(ウツシヨ)の
 救(スク)ひの船(フネ)と現(アラ)はれて
 雲(クモ)か霞(カスミ)か春日姫(カスガヒメ)
 花(ハナ)の姿(スガタ)をさらしつつ
 春とはいへどまだ寒き
 霜の晨(アシタ)や雪の空(ソラ)
 月(ツキ)をいただき星(ホシ)を踏(フ)み
 天涯万里(テンガイバンリ)の果(ハテ)しなき
 心淋(ココロサビ)しき独(ヒト)り旅(タビ)
 草(クサ)を褥(シトネ)に木葉(コノハ)を屋根(ヤネ)に
 やうやう浜辺(ハマベ)に着(ツ)きにけり。

 ここに四人の宣伝使がゆくりなくも、
鬼城山(キジヤウザン)の虎穴に入りて目出度く対面を遂げたるは、
全く大神(オホカミ)の経綸(シグミ)の糸に操(アヤツ)られたるなるべし。

四人の神司(カミガミ)は仁慈の鞭をふるひ、
美山彦一派の邪悪を言向(コトム)け和(ヤハ)し、
意気揚々として谷間を下り、
音に名高きナイヤガラの大瀑布(ダイバクフ)に禊(ミソギ)を修し、
ホツと一息つく間もなくなく涙の袖(ソデ)の生別れ、
吾が天職を重んじて、
東西南北に袂(タモト)を別ちたるなり。

すべて大神の宣伝に従事するものはあくまでも同行者あるべからず。
他人を杖(ツエ)につくごときことは、
到底宣伝使の資格無きものなり。

山野河海を跋渉し、
寒さと戦ひ、
飢を忍び、
あらゆる艱難辛苦を嘗(ナ)め、
吾が身魂(ミタマ)を錬磨し、
浮世の困苦を自ら嘗め、
あるひは蛇の室屋(ムロヤ)に、
あるひは蜂の室屋に出入して、
神明の依さしたまへる天職を喜びて尽すべきものなり。

宣伝使に下したまへる裏(ウラ)の神諭(シンユ)にいふ。

『汝(ナンジ)ら神の福音(フクイン)を宣(ノ)べ伝ふ時、
 前途に当つて深き谷間あり。
 後(アト)より、
 虎、
 狼、
 獅子などの猛獣襲ひ来り、
 汝を呑(ノ)まむとすることあるも、
 少しも恐るることなかれ。
 神を力に誠を杖(ツエ)に、
 寄せくる悪魔を言向けやはせ。
 一人の旅とて恐るる勿(ナカ)れ。
 誠の神は誠ある汝を守り、
 汝の背後に付き添ひて太(フト)き功(イサヲ)を立てさせむ。
 厳霊(イヅノミタマ)を元帥に、
 瑞霊(ミヅノミタマ)を指揮官に、
 直日(ナホヒ)の御魂(ミタマ)を楯となし、
 荒魂(アラミタマ)の勇みを揮ひ、
 和魂(ニギミタマ)の親みをもつて、
 大砲小砲(オホヅツコヅツ)となし、
 奇魂(クシミタマ)の覚りと、
 幸魂(サチミタマ)の愛を、
 砲弾または銃丸(ジユウグワン)となし、
 よく忍びよく戦へ。
 神は汝と共にあり』

 神人ここに合一して、
神と人との真釣合(マツリアヒ)、
神の勅(ミコト)を身に受けて、
いよいよ高天原(タカアマハラ)を伊都能売魂(イヅノメミタマ)の神(カミ)の命(ミコト)、
荒磯の浪も鎮まる長閑(ノドカ)さよ。

春日姫(カスガヒメ)は尊き神の守護の下に、
夜に日をつぎて北東へ北東へと進みつつ、
常世国(トコヨノクニ)の東岸に現はれける。

 天青く山清く、
浪静かに紺碧の海面は大小無数の島嶼(タウシヨ)を浮べ、
眼界遠く見わたす東(アヅマ)の海面に、
金色(コンジキ)の一字形(イチジガタ)の光は横に長く靉(タナビ)き、
雲か浪かと疑ふばかり、
その麗しきこと言語の尽す限りにあらず。

ややありて浮び出でたるごとく、
金色の太陽は浪を破り、
雲を排し分け悠々と清き姿を現はしたまひ、
その光は静かなる海面をサーチライトのごとく照破して、
金色の漣(サザナミ)は広き海面に漂(タダヨ)ふ。

こなたを目がけて純白の真帆(マホ)を揚げ、
静かに寄せくる一艘の船あり。

見れば紫の被面布(ヒメンプ)をかけたる宣伝使は、
船の舳(ヘサキ)に直立し、
白扇(ハクセン)を高くさしあげて、
何事か謡(ウタ)ひつつ船は岸辺に刻々と近寄り来たりぬ。

 (大正十一年一月十七日、旧大正十年十二月二十日、加藤明子録)

『音惚花活気好@kakky』的『第7章 旭光照波 (257)』分解(一)

2010年11月29日 14時57分16秒 | Weblog
霊界物語 第六巻 霊主体従 巳の巻 第一篇 山陰の雪

平成二十二(2010)年十一月二十九日 旧十月二十四日(月)

 鬼大蛇(オニヲロチ)虎狼(トラオホカミ)や曲霊(マガツヒ)の
 醜女探女(シコメサグメ)の訪(オトナ)ひは
 峰(ミネ)の嵐(アラシ)か鬼城山(キジヤウザン)
 落ちゆく滝のナイヤガラ
 水音(ミナオト)高き雄健(ヲタケ)びの
 中(ナカ)に落(オ)ちあふ四柱(ヨハシラ)は
 神の御国(ミクニ)を立てむとて
 鬼(オニ)の棲家(スミカ)を竜館(タツヤカタ)
 荒(アラ)ぶる神の訪(オトナ)ひも
 松吹(マツフ)く風(カゼ)と変(カハ)る世(ヨ)の
 汚れを流す河水(カハミヅ)に
 禊(ミソ)ぐ身魂(ミタマ)ぞうるはしき

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「住めば都」とは云うけれども、
「霊界物語」を読んで、いろんな事が判って来ると、
人間が集まる所に出向くのが、
矢鱈怖くてしょうがなくなる時期がある。

それこそ、

「他人を見たら曲津と思え。」

…という様な気分になる方が多いのではなかろうか?

それで木の花姫の命の宣伝神達は、天教山で各自、被面布を頂き、
里の神々の正体が観えない様にして、宣伝をしたわけだが、
吾々、凡夫達は、この被面布を頂いていないのだから、
本当は見えてもいないのに、すれ違う人達全てが、
鬼大蛇、虎狼や、曲霊の醜女探女に見えてしまい、
自分だけは清らかなので、
ちょっと外気に触れただけでも汚れてしまうと、
必要以上にピリピリと神経質になる様な、
そんな気分になってしまう事があると思う。

最近、地下鉄に乗ろうとすると、
通勤時間には女性専用になる車両があるのをよく見かける。

あれなども、筆者としては、ああやって本当は痴漢などする筈もない、
善良な男性達を、欲求不満で無実の男性を痴漢にしてしまう事態から、
保護してあげている様な気がするのである。

勿論、正真正銘、本物の痴漢もいるわけだが、
一度も痴漢被害に遭った事もないストレス満々の女性に巻き込まれ、
無実の男性が痴漢にされてしまう事が絶対にないとは言い切れない気がする。

当然、女性だって九割九分九厘は、
そんな変なヒステリーを持っていないとは思うのだが、
こんな世の中だから、出会う男性の全てが痴漢に見えてしまう女性が、
絶対にいないとは云い切れないと思うのだが、
そういう現象と対比すると、もしかしたら判り易いかもしれない。

正直言って筆者も、若い頃は、
ホモ系の同性に近寄られた事が二~三度あったせいで、
ある時期、知らない男性をまともに見れずに警戒した時期があった。

特に菊門を守るという事ばかりだけでなく、
知らない同性に気安く触られるだけで違和感というか、
恐怖に感じた時期もあったので、
これが女性だったら、もっと酷い警戒心を抱くのだろうな…と、
同情的に且つ妄想チックに想像を逞しくするのだ。

そういうお馬鹿な妄想だけでなく、
若い頃は見知らぬ他人が全て敵に見えたりするわけで、
要するにそれは被害妄想なのだが、
常に目つきが悪くなって、いつ誰に襲われても反撃できる様な、
そういう不要な危機意識でいっぱいになるヤンチャな時期もあると思うので、
そういう事と対比させて想像してみるのもよいかもしれない。

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 花の顔(カンバセ)月の眉(マユ)
 焦眉(セウビ)の急を救はむと
 神の教(ヲシ)へのいや深き
 谷に落(オ)ちあふ宣伝使(センデンシ)
 右に左に名残(ナゴリ)を惜(ヲ)しみ
 別れの涙拭(ナミダヌグ)ひつつ
 東と西に立雲(タツクモ)の
 雲路(クモヂ)を分けて月照彦(ツキテルヒコ)の
 神の司(ツカサ)や足真彦(ダルマヒコ)
 春立(ハルタ)ち初(ソ)めし春日姫(カスガヒメ)

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純粋な志を抱いて、熱心に誠心誠意を尽くして、
世の為人の為の言動を誰彼かまわずしていると、
周囲から敬愛を通り越した感情などを持たれてしまい、
いわゆる恋愛感情的なものではなく、地上天国実現、
ミロクの世の神業という高尚な目的の為の色恋抜きの活動なのだから、
そちら方面に迷わないでほしい…という様な、
やはりモテ過ぎるのも辛い…などという独りよがりな妄想に、
悪酔いしてしまう時期もあると思う。

どんな人間でも、自分はカッコイイ、モテテいる。
…と思えた方が威勢がつくし、実際フットワークも軽くなるので、
こういう事が悪い事だとは筆者もいうつもりはないのだが、
宗教的道徳観としては、それは不謹慎な事の様に思えるわけだ。

筆者も妄想好きの部類であるから、やはり、
自分がチヤホヤされていると勘違いしているだけでも、
悪い気分ではなかったりするということを随分経験したので、
そういう自分を恥じたくないならば、自分は表舞台から退いて、
ただただ「霊界物語」そのものや、王仁三郎文献そのものを、
陳列に並べて、皆様、ご自由にご覧ください。
…と、一筆添えて、あとはほったらかしにしておくのが一番よい。
…という様な気分になるのである。

本当は人づてに、体温を感じながら真理を伝える方がよいのだが、
同性同士ならばまだかろうじてよいけれど、
異性同志の場合は、どうしても色情、恋愛沙汰、遂には妊娠騒動と、
それはそれは大騒ぎになってしまう可能性もあると思うので、
そうなると頭でっかちに真理だけを追求するというのが困難になる筈だ。

こういう葛藤を抜きにして、この地上での天使の活動も有り得ない事だろう…

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 木々の梢(コズエ)は青々(アヲアヲ)と
 綻(ホコロ)び初(ソ)めし春姫(ハルヒメ)の
 長閑(ノド)けき胸も夢の間の
 儚(ハカ)なき別れ暁(アカツキ)の
 鐘(カネ)の響(ヒビ)きに撞(ツ)き出され
 歩(アユ)みも慣(ナ)れぬ旅(タビ)の空(ソラ)
 岩根(イハネ)に躓(ツマヅ)き転(マロ)びつつ
 何処(ドコ)をあてとも長(ナガ)の旅(タビ)

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やれ宣伝神だ、やれ何処そこの高貴な血筋の神々だ…と云ってみても、
権威の外に出て流浪の身ともなれば、だいたいこんなもので、
岩根に躓いて転んだりしながら、心淋しい旅になったりするが、
そんな事を当たり前に感じて暮らしてい名も無い平民凡夫にとっては、
何一つ騒ぐ事もない当たり前の事で、
そんな境遇でも屁をこいて笑ってられる様な逞しさが自然に備わっている。

筆者もバブル崩壊以後、住む家も失い、愛車を移動家屋にして、
ギターと携帯電話を頼りになんとか食いつないだ時期もあったが、
流石にこれら神々の様な、雨や寒さを凌ぐものさえない流浪の旅までは、
まったく経験した事がないので、そんな境遇に放り出されたら、
はたして生きていけるかどうか自信は無いし、例え家を失っても、
愛車という移動家屋が残っていたのは神様の有難い御加護だと強く感じた。

しかもギターを弾いて歌うという芸が残っていたので、
そんな流浪の旅にも威勢をつける事が出来たし、
何よりまだまだ体力と気力が充分に余っていたから、
怖いもの知らず的に誠の神の実在を信じて身を投げ出す勇気もあったが、
頼りの移動家屋だった愛車を車検にも出せずにエンジンが焼きついて、
縁者の援助を受けて廃車費用を借りて廃車処分して、
貧しいながらも住む所が見つかり、態勢を整えつつも、.
その援助の御恩に頭が上がらないみじめな境遇からなんとか抜け出し、
今の様なコジンマリとしてはいても五分の魂くらいは保っていられる所まで、
なんとか這い上がってやってこれただけでも、
これらの神々の苦労に比べれば随分と楽な修行をさせて頂いたなあ…
…としみじみと思えて来て、誠の神様と御縁の皆様への感謝に溢れるばかりだ。

今、筆者は王仁三郎聖師が遺した「皇道経済」の意味を自分なりに理解して、
「みんなしあわせになれプロジェクト日記」時代に発案した
「グローバルメーソン計画」と融合させて、

『世界万民に対して、一人生れると10億円の生涯定期預金を皇道政府から給付し、
 皇道国際銀行で毎月発生する200万円の銀行利息で、
 事業を興し円滑な生活が出来る様にしてしまう。』

…という様な事をツイッターで定期的につぶやいているのだが、
もし資本主義社会でこれまでとんとん拍子でやって来れていたなら、
きっとこんな発想には、思いも至らなかったのだろうな…と、
自分なりに苦労させられて来た事への意味を、自分なりに覚り、
更に出口王仁三郎聖師と誠の神様と御縁の皆様の御加護に対する感謝が、
益々深まるばかりである。

嗚呼、惟神霊幸倍坐世。

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 常世(トコヨ)の国(クニ)の常闇(トコヤミ)の
 荒野(アレノ)さまよふ痛(イタ)ましさ
 ここに四人の宣伝使(センデンシ)
 神(カミ)の御言(ミコト)を畏(カシコ)みて
 各(オノ)も各(オノ)もが独(ヒト)り旅(タビ)
 折角遇(セツカクア)ひし四柱(ヨハシラ)の
 厳(イヅ)の司(ツカサ)の生(イ)き別(ワカ)れ

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この宣伝使の一人旅というのは、どうしようもない定めである様だが、
いつも完全に一人旅というわけではなく、
しばらくは師匠と弟子の様な関係になり、
家族か兄弟の様に仲良く、三蔵法師と孫悟空達の様な旅をする事もある。

旅の途中にお互いに誤解が生じて葛藤したりしながら磨かれて、
やがて各自に自立出来るところまで成長するわけだが、
そういう観方をするならば、実は結婚生活も、就職も、
この宣伝使の旅と根本的には似通った構造を持っているものだと筆者は思うのだ。

先ず親子。

互いに尊敬し合う理想的な親子もあれば、
まったく反対に常に憎しみ合うほどの確執を抱えた地獄的親子もある。

夫婦もまた然りであるわけだが、親子の場合は年功序列的に、
一般的には親の方が先に死んでくれるので、
特に地獄的な関係にある親子の場合は、
その生涯の別れが修行の終わりの様になる。

一方、互いに尊敬し合っていた理想的な親子にしてみれば、
どちらが先に死んでも、生涯の知己を失った悲しみに襲われて、
もうこの世に生きている希望も無いという様な絶望感に、
倒れ伏してしまう場合もあるかもしれない。

そうなると、その死別を境に、
奈落の底に突き落とされた様な地獄を味わう場合もあろう。

繰り返すが、これは夫婦でも同じだし、仲間でもライバルでも同じだと思う。

どんな結びつきでも、肉体を持った関係は、
必ずいつか一人ほっちにされる時が来るわけだ。

「宣伝使は一人旅」

という厳しい決まりがあるのは、
いつでも一人ぼっちで堂々と宣伝活動が出来る様な、
心構えを培っておけば、こういう事態にも、
あまり動揺せずに済む可能性が高くなるからに違いない。

…とはいえ、当の出口王仁三郎聖師は、
地上での唯一の神業理解者であった出口直大本開祖が御昇天された折には、
なりふり構わず泣き叫んだそうである。

この辺のところが出口王仁三郎聖師の人間的魅力なのではなかろうか?
…と筆者には思えるのであるけれども…

正直言って筆者は、そこまでして今生の別れを悲しむほどの神業理解者に、
まだ出会った事が無いので、育ての母が他界した時にも、
茫然として三日三晩寝もせずにいたけれど、まだ一滴も涙をこぼした事がない。

逆に、

「不自由な身体を、やっと脱ぎ捨てて、
 自由の霊魂になる事が出来てよかったな…
 今度生まれて来る時は、もっとよい境遇の所に生まれて来て、
 人並みに、娘らしく、女として生まれた喜びを、
 存分に味わえる様な人生を送っておくれ。
 おかあちゃんの人生は立派だったけれど、
 辛い事ばかりの割に合わん人生だったんだから…」

…という思いの方が強く残っているからだ。

筆者にとっては育ての母にさえ、貧困ゆえの悔しさを感じるのであるから、
そうした悔しさを一切知らずにのほほんと死んで行く皆さんの事を思って、
悲しい別れの涙など一滴も出る道理がないのも無理は無いと、
その事だけでも理解してくれる読者の方がおられたら、
それだけでも筆者にとっては充分に慰めと救いになると感じるのである。

筆者としては世界中に皇道経済が実施されるまでは、とてもとても、
遠慮会釈も無く、なりふりかまわず泣き乱れる様な気分になれないのだ。

出口王仁三郎聖師の様に、
そうした神業を徹底的に理解してくれている真実の知己との別れでもなければ…

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 くつろぐ暇(ヒマ)もナイヤガラ
 滝のごとくに流れ行く
 淋(サビ)しき山野(サンヤ)を辿(タド)りつつ
 心の駒(コマ)ははやれども
 疲(ツカ)れはてたる膝栗毛(ヒザクリゲ)
 歩(アユ)みになやむ姫御前(ヒメゴゼ)の
 心の空(ソラ)はかき曇(クモ)り
 浪風荒(ナミカゼアラ)き現世(ウツシヨ)の
 救(スク)ひの船(フネ)と現(アラ)はれて
 雲(クモ)か霞(カスミ)か春日姫(カスガヒメ)
 花(ハナ)の姿(スガタ)をさらしつつ
 春とはいへどまだ寒き
 霜の晨(アシタ)や雪の空(ソラ)
 月(ツキ)をいただき星(ホシ)を踏(フ)み
 天涯万里(テンガイバンリ)の果(ハテ)しなき
 心淋(ココロサビ)しき独(ヒト)り旅(タビ)
 草(クサ)を褥(シトネ)に木葉(コノハ)を屋根(ヤネ)に
 やうやう浜辺(ハマベ)に着(ツ)きにけり。

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上記の様な筆者であるから、ここでの春日姫の淋しさなど、
なんとも平和な贅沢なものの様で、微笑ましくさえも思えてしまうのだ。

究極、貧苦に悩む世の中が終わり、地上天国が実現すれば、
せいぜいこれくらいの事が悲劇中の悲劇になるのであろう…
…と思えば、彼女と二人で恋愛映画や昼のメロドラマ、
夜のトレンディードラマ、韓流ドラマとかをみて、
デレデレもしていられるに違いない。

恋の痛手に身を焦がし…淋しき流浪の旅に出る。

…なんてロマンチックな事だろう。

または、世界救済の使命を受けて、勇ましく一人旅に出るなんて、
まるで坂本龍馬の脱藩旅行みたいで、なんとも希望に満ちた旅立ちではないか?

花も嵐も踏み越えて、嶮しい孤独の旅もなんのその。

…である。

「みんなしあわせになれ_第三十五回横浜市南区文化祭区民ステージ」


筆者はこの映像での様に、公の場で、
日本古来の言霊思想に基づいた「みんなしあわせになれ」を、
こんなミスボラシイ演出で歌う事が出来るだけでもアドレナリンが噴出するし、

「MAGNUM FORCE(歌詞付き)~ 全世界のTOY GUN 愛好家たちに捧ぐ ~」


この映像の様に、世界中の愛好家の皆さんが愛する玩具のピストルで、
一緒になって優雅に遊んでいられるだけで、
逆に世界平和へのメッセージを発信出来る現代文明の進歩と恩恵に、
酔いしれ、また心を熱くすることが出来るのである。

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『音惚花活気好@kakky』的『第7章 旭光照波 (257)』分解(二)

2010年11月29日 14時18分49秒 | Weblog
 ここに四人の宣伝使がゆくりなくも、
鬼城山(キジヤウザン)の虎穴に入りて目出度く対面を遂げたるは、
全く大神(オホカミ)の経綸(シグミ)の糸に操(アヤツ)られたるなるべし。

四人の神司(カミガミ)は仁慈の鞭をふるひ、
美山彦一派の邪悪を言向(コトム)け和(ヤハ)し、
意気揚々として谷間を下り、
音に名高きナイヤガラの大瀑布(ダイバクフ)に禊(ミソギ)を修し、
ホツと一息つく間もなくなく涙の袖(ソデ)の生別れ、
吾が天職を重んじて、
東西南北に袂(タモト)を別ちたるなり。

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ちょうど今、北朝鮮が韓国領土の島に砲撃をして、
民間人に犠牲が出たのをきっかけに、
日韓米中が政治的な繋がりを再確認して、
東アジアの平和の為に心を一つにせざるを得ない状況に追い込まれ、
そうなれば自然にこの流れにロシアだって同調せざるを得なくなる。

…という事が起きているのと類似した事の様に思うのだが、
はたしてどうだろか?

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すべて大神の宣伝に従事するものはあくまでも同行者あるべからず。
他人を杖(ツエ)につくごときことは、
到底宣伝使の資格無きものなり。

山野河海を跋渉し、
寒さと戦ひ、
飢を忍び、
あらゆる艱難辛苦を嘗(ナ)め、
吾が身魂(ミタマ)を錬磨し、
浮世の困苦を自ら嘗め、
あるひは蛇の室屋(ムロヤ)に、
あるひは蜂の室屋に出入して、
神明の依さしたまへる天職を喜びて尽すべきものなり。

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要するに社会に不安要素が無くなれば、
北朝鮮を鎮める為に手を結んだ各国家も、
そうした不安を忘れて、各国の利益と繁栄だけの事を考えて、
のびのびと独自の幸福を追求する事が出来る様になるわけで、
この文章は、一人旅というものが一見淋しく不幸な事の様に描かれているが、
実は一人旅くらい気楽でのびのびとした自由な天国はないんだよ。
…と教えてくださっている様な気もしないでもない筆者なのである。

そうして傍に理想通りの異性でもいた日には、
食事もトイレも忘れて抱きしめて抱きしめて抱きしめ抜いて…

…という具合に、世間様に何一つ憚る事も無く、
この世の春を満喫出来るわけだ。

宣伝使が勇むのは、この世に、ほんの小さな悲しみがあれば、
月光仮面の様にそこに飛んで行き、その悲しみを慰めて、
笑顔を取り戻させてやりたいという、熱い思いばかりであろう。

それが出来ない時にこそ、宣伝使は自己嫌悪の深い闇に堕ち込み、
苦悩するのであろうから、
そんな宣伝使の一人旅にとって、ただ一つ頼みになるのは、
誠の神様への信仰と、その道を守ろうとする強い意志だけであり、
他にどんな友の慰めがあっても、なかなか救われるものではない。

…という、実をいえば、物凄く贅沢な苦労なのである。

どちらにしてもやってみなければ、
想像だけではなかなか判らない事ではあると思うのだけれども…?

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宣伝使に下したまへる裏(ウラ)の神諭(シンユ)にいふ。

『汝(ナンジ)ら神の福音(フクイン)を宣(ノ)べ伝ふ時、
 前途に当つて深き谷間あり。
 後(アト)より、
 虎、
 狼、
 獅子などの猛獣襲ひ来り、
 汝を呑(ノ)まむとすることあるも、
 少しも恐るることなかれ。
 神を力に誠を杖(ツエ)に、
 寄せくる悪魔を言向けやはせ。
 一人の旅とて恐るる勿(ナカ)れ。
 誠の神は誠ある汝を守り、
 汝の背後に付き添ひて太(フト)き功(イサヲ)を立てさせむ。

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こういう事は、まだ一歩も踏み出していない身魂に対して云う事で、
入社したての社員が先輩や上司から頂く激励の様なものだ。

一歩、危険な社会に放りだされれば、
人の中に眠っていた自己防衛本能がテキパキと動き出し、
野性の勘を発揮して、あらゆる困難をスリルくらいに感じて、
勇んでチャレンジして行く様な情態になって行くものだ。

どんな道でも、はじめの一歩を踏み出せるかどうかにかかっている。

そんな風に筆者は思うのだが、違うだろうか?

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 厳霊(イヅノミタマ)を元帥に、
 瑞霊(ミヅノミタマ)を指揮官に、
 直日(ナホヒ)の御魂(ミタマ)を楯となし、
 荒魂(アラミタマ)の勇みを揮ひ、
 和魂(ニギミタマ)の親みをもつて、
 大砲小砲(オホヅツコヅツ)となし、
 奇魂(クシミタマ)の覚りと、
 幸魂(サチミタマ)の愛を、
 砲弾または銃丸(ジユウグワン)となし、
 よく忍びよく戦へ。
 神は汝と共にあり』

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こういう事も、ただこの字を読んで憧れているだけでは判らないと思う。

やってみてその深い意味も身にしみて来て、
何度もつまづいて立ちあがり乗り越えるうちに、
そりゃそうだ。面白いのう。

…という事になる様な気がするのである。

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 神人ここに合一して、
神と人との真釣合(マツリアヒ)、
神の勅(ミコト)を身に受けて、
いよいよ高天原(タカアマハラ)を伊都能売魂(イヅノメミタマ)の神(カミ)の命(ミコト)、
荒磯の浪も鎮まる長閑(ノドカ)さよ。

春日姫(カスガヒメ)は尊き神の守護の下に、
夜に日をつぎて北東へ北東へと進みつつ、
常世国(トコヨノクニ)の東岸に現はれける。

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筆者はこういう事をホイホイとやっているのが「ルパン三世」とか、
「未来少年コナン」の腕白な登場人物達である様な…
まあ、あれはアニメであるけれど、例えば筆者の、

「おとぼけハリー大作戦 第一話 鉄の城(紙芝居系)Part 1.wmv」


「おとぼけハリー大作戦 第一話 鉄の城(紙芝居系)Part 2.wmv」


「ALL TO A MASH / おとぼけハリー大作戦(紙芝居系)第二話 不思議な女」


の「おとぼけハリー」の様な感じなのではなかろうか?
…と感じるのだ。

ちょっとまだこの頃の「霊界物語」の表現は大袈裟な気がする。

実際、世の中の名も無き人々の中には、
こういう人はたくさん隠れている様にも感じるのである。

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 天青く山清く、
浪静かに紺碧の海面は大小無数の島嶼(タウシヨ)を浮べ、
眼界遠く見わたす東(アヅマ)の海面に、
金色(コンジキ)の一字形(イチジガタ)の光は横に長く靉(タナビ)き、
雲か浪かと疑ふばかり、
その麗しきこと言語の尽す限りにあらず。

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誰もが知っている吾々が住む地上の夕方の空にも、
時々こんな雲が現れる気がする。

それが飛行機雲のなれの果てだったりするとちょっとガッカリだが、
飛行機が無かった昔なら、きっとそんな雄大な景色を眺めて、
心純粋な神々は心を熱くし、勇気を出して一人ぼっちの宣伝の旅に、
自ら拍車をかける事が出来たのに違いない。

まだインターネットを使えなかった頃の筆者も、
よく似たようなロマンに浸った覚えがある。

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ややありて浮び出でたるごとく、
金色の太陽は浪を破り、
雲を排し分け悠々と清き姿を現はしたまひ、
その光は静かなる海面をサーチライトのごとく照破して、
金色の漣(サザナミ)は広き海面に漂(タダヨ)ふ。

こなたを目がけて純白の真帆(マホ)を揚げ、
静かに寄せくる一艘の船あり。

見れば紫の被面布(ヒメンプ)をかけたる宣伝使は、
船の舳(ヘサキ)に直立し、
白扇(ハクセン)を高くさしあげて、
何事か謡(ウタ)ひつつ船は岸辺に刻々と近寄り来たりぬ。

 (大正十一年一月十七日、旧大正十年十二月二十日、加藤明子録)

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ヒーロー登場!

…という感じで、颯爽とした雄姿を想像できる。

「タイタニック」では若い男女が船の舳先に立っていちゃついていたが、
男という奴は、船の舳先に一人でいると、
ついついと恰好つけて立ってみたくなるもので、
たぶんそれは、何も坂本龍馬だから恰好よく見えた。

…というものでもないのかもしれないと筆者は思うのだ。

潮風受けながら男が一人で堂々と構えて立っていれば、
ちょっとやそっとの間抜け面でも、なんだか恰好よく見えて来る。

船というやつは、なんとなくそんな不思議な効果がある乗り物だ。

だからノアの方舟などが、
救いの船に引き合いに出される事が多いのかもしれない。

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

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第6章 暗雲消散(アンウンセウサン) (256)

2010年11月21日 19時37分44秒 | Weblog
霊界物語 第六巻 霊主体従 巳の巻 第一篇 山陰の雪

 ここに月照彦天使(ツキテルヒコノカミ)、
足真彦(ダルマヒコ)、
春日姫(カスガヒメ)、
春姫(ハルヒメ)は、
悠々と温泉に入りて心身を清め、
いづれも携(タヅサ)へ来れる包みより立派なる衣服を取出し、
心も身をも新しく着換(キカ)へながら、
天地にむかひて恭(ウヤウヤ)しく天津祝詞(アマツノリト)を奏上し、
かつ感謝し終りて美山彦の居間に立現はれ、
細紐(ホソヒモ)をもつて手足を縛(シバ)り、
長柄(ナガエ)の杓(シヤク)に水を汲(ク)みて、
その顔面および全身に注ぎ酔を醒させけるに、
美山彦は驚きてにはかに酒の酔を醒し見れば、
四人の男女は枕頭に儼然として控へゐる。

夢か、
現(ウツツ)か、
幻か、
美山彦はあたりをきよろきよろ見廻すをりから、
春日姫は声をはげまし、

 『汝(ナンヂ)悪党の張本美山彦、妾(ワラハ)が宣伝歌を耳を澄して聴けよ』

といふより早く、

『三千世界一度に開(ヒラ)く梅の花
 開いて散りて実(ミ)を結ぶ
 時鳥(ホトトギス)声は聞けども姿は見せぬ……』

と謡(ウタ)ひ始めけるに、
美山彦は頭上を鉄槌(テツツイ)にて打ち叩(タタ)かるるごとく、
胸を引裂かるるごとき心地して、
苦しみ悶(モダ)えだしたり。

春日姫は声もさはやかに、
又もや流暢(リウチヤウ)なる声調にて頻(シキ)りに謡ふ。

美山彦は七転八倒目をむき、
泡を吹き、
洟(ハナ)を垂らし、
冷汗を滝のごとく流して苦しみもだえける。

 春日姫は言葉を重ねて、

『妾(ワラハ)かつて汝を帰順せしめむとして、
 この山河を過ぐるをりしも、
 汝の部下の鬼熊彦(オニクマヒコ)らの悪人現はれきたり、
 妾は女の身のつひに衆寡敵せず、
 侍女春姫と共にこの館に捕虜(トラ)はれ、
 日夜の侮辱をうけ、
 悲しみの月日をおくり、
 大切なる宣伝を妨げられたるは、
 千載の恨事(コンジ)なり。

 されど至仁至愛の大神は、
 決して悪を悪とし、
 敵を敵としてきため給ふことなく、
 あくまで慈愛の乳房を哺(フクマ)せ、
 改心を迫らせたまふなり。

 妾は今汝を殺さむとせば、
 あたかも嚢中(ナウチユウ)の鼠のごとし。

 されど五六七(ミロク)神政の宣伝使たる妾らは、
 汝らごとき小人を苦しむるに及ばず、
 慈愛をもつて汝が生命を救はむ。

 汝今より翻然(ホンゼン)として前非を悔い、
 真心に立ちかへらば、
 汝が縛(イマシ)めの繩を解き、
 自由の身となさむ』

と宣示すれば、
美山彦は無念の切噛(ハガ)みを為(ナ)し、

『殺さば殺せ。
 か弱き女性の分際として、
 われに向つてさも横柄(ワウヘイ)なるその言葉つき、
 目に物見せむ』

と縛(イマシ)めの繩を引切らむとして藻掻(モガ)きはじめたり。

されど繩は強くして切れず、
眼をいからし、
恨(ウラ)めし気に春日姫を睨(ネ)めつけゐたる。

このとき月照彦天使、足真彦は、

 『アヽ美山彦、汝は吾が顔に見覚えあるか』

と被面布(ヒメンプ)をめくれば、
美山彦はおほいに驚き、
歯をガチガチ震(フル)はせながら、
たちまち色蒼白(アヲザ)め、
唇は紫色に変化したりける。

 折しも大広間にあたりて叫喚の声聞え来たる。
即ちこの場は春姫に監視せしめ、
三人は大広間に現はれ見れば、
いづれの奴原(ヤツバラ)も、
足真彦、春日姫の二人に手足を縛(シバ)られたることを覚り、
おのおの声を放ちて泣き叫ぶなりける。

三人は又もや宣伝歌を高唱したるに、
いづれも激しき頭痛胸痛を感じ、
縛られたるまま前後左右にコロコロと回転しはじめたり。
なほも三人は宣伝歌をしきりに唱へつづくる。

酔つぶれたる奴原は、
一時に酔をさまし、

 『救けて、救けて』

と口々に叫ぶ。

春日姫は禿頭(ハゲアタマ)の鬼熊彦にむかひ、

 『汝は常世城(トコヨジヤウ)において腕(カヒナ)を折りし蚊取別(カトリワケ)ならずや』

と尋ぬれば、
蚊取別は手足を縛られながら、

 『カ ト リ ワ ケ』

とわづかに答へける。

 ここに三人は、
いよいよ天地の大道(タイドウ)を説き宣伝歌を謡ひ、
つひに彼らに憑依(ヒヨウイ)せる邪神を退去せしめ、
各自の縛(イマシメ)を解きやりければ、
一斉に両手を合はせてひざまづき、
その神恩に感謝し声を揃(ソロ)へて天津祝詞(アマツノリト)を、
足真彦の導師の言葉につれて、恭(ウヤウヤ)しく奏上したり。

 その勇ましき声は九天に轟(トドロ)きわたり、
今まで暗澹たりし黒雲の空は、
その衣(コロモ)を脱ぎて処々(トコロドコロ)に青雲の破れを現はし、
つひには全くの蒼空(アオゾラ)と化し去りにける。

 美山彦は、つひに我を折り帰順の意を表したるにぞ、
ここに四人は、美山彦以下に天教山(テンケウザン)の教示を諭(サト)し、
向後(カウゴ)を戒め、悠々として鬼城山(キジヤウザン)を下り、
ナイヤガラの瀑布(バクフ)に一同身を浄(キヨ)め、
ふたたび宣伝使として諸方を遍歴したりける。

 (大正十一年一月十六日、旧大正十年十二月十九日、外山豊二録)

『音惚花活気好@kakky』的『第6章 暗雲消散(256)』分解(一)

2010年11月21日 19時36分56秒 | Weblog
霊界物語 第六巻 霊主体従 巳の巻 第一篇 山陰の雪

平成二十二(2010)年11月21日 旧10月16日(日)

 ここに月照彦天使(ツキテルヒコノカミ)、
足真彦(ダルマヒコ)、
春日姫(カスガヒメ)、
春姫(ハルヒメ)は、
悠々と温泉に入りて心身を清め、
いづれも携(タヅサ)へ来れる包みより立派なる衣服を取出し、
心も身をも新しく着換(キカ)へながら、
天地にむかひて恭(ウヤウヤ)しく天津祝詞(アマツノリト)を奏上し、
かつ感謝し終りて美山彦の居間に立現はれ、
細紐(ホソヒモ)をもつて手足を縛(シバ)り、
長柄(ナガエ)の杓(シヤク)に水を汲(ク)みて、
その顔面および全身に注ぎ酔を醒させけるに、
美山彦は驚きてにはかに酒の酔を醒し見れば、
四人の男女は枕頭に儼然として控へゐる。

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『悠々と温泉に入りて心身を清め、
 いづれも携(タヅサ)へ来れる包みより立派なる衣服を取出し、
 心も身をも新しく着換(キカ)へながら、
 天地にむかひて恭(ウヤウヤ)しく天津祝詞(アマツノリト)を奏上し、
 かつ感謝し』

筆者は今月の17日(水)に満五十歳の誕生日を迎え、
いよいよ「霊界物語」でも「始終臭い」などと揶揄される、
四十九歳を無事卒業するので、今月第一週目に、

朝拝「天津祝詞・神言・石笛・讃美歌・霊界物語拝読・感謝祈願・基本宣伝歌奏上」

させて頂く為の新しい衣服を新調した。

…といっても、何分低予算なので、なるべく家計に響かず、
小奇麗に見える程度のものなのだが、
「愛善苑東京豊玉分苑月例祭(ツキナミサイ)」で、祭員の皆様が着る着物の色に合わせた、
出来るだけ安価な青いトレパンと白いパーカーである。

それでもやはり「霊界物語」にもある様に衣類も神様なので、
これに着替えて各家月例祭(ツキナミサイ)を十年ぶりくらいに我が家で挙行させて頂いた。

普通の衣服はハンガーにかけたままだったり、布団の上に脱ぎっぱなしなのだが、
この祭祀用に揃えた上下だけは、百円均一で見つけたB4サイズのソフトケースに、
きちんと折り畳んで収納して、普段は着ない様にしている。

…とはいえ、実はパーカーだけは、先日、ここでも紹介した、

「MAGNUM FORCE(歌詞付き)~ 全世界のTOY GUN 愛好家たちに捧ぐ ~」



以上の映像の中でも着用しているのだが、これ以降、普段は黒づくめの恰好だ。

先月までは今年の猛暑もまだ引きずっていたので、
下はデカパン一丁、上はTシャツ一枚という、実にオープンな格好で、
毎日お祭りするのも容易であったのだが、
今月になって祭祀用の衣服を決めたら、心身お粗末な情態の時には、
なかなか祭祀をさせて頂けなくなって来たのがちょっと不思議だ。

この現象について、解釈はいろいろとあると思うのだが、
先月絶好調で毎日、家で祭祀させて頂けたのは、衣装に拘らず、
神様とナーナーの関係でやらせて頂けたからか?
もしくは厳格な神様の方が、
こんなオープンな態度の筆者を相手にしてなかったからなのか?

出口王仁三郎聖師も仰っているが、人間以外の生物は、
全て神様に対して無遠慮であり、大胆で用心深く堂々としているが、
唯一、人類だけが、遠慮とか礼儀というものに拘るもので、
筆者の場合、家でのお祭りまで衣類に気を使ったのは、
神様に対する礼儀心というか、遠慮とか慎みの様なものを抱き、
ちょっと神聖ごっごを楽しんでしまっているからなのかもしれない。
…とも、ちょっと思えている今日この頃でもある…。

そんなわけで今月は、よほど心身がシャキッとした時以外は、
祭祀が恥ずかしくて出来ない様な感じになってしまっているので、
…たぶん、これまで事情あって祭祀が出来なくなった間にたまった
心身の垢の様なものを浄化して頂いたり、
筆者の御縁の皆様の悪因縁なども、半分、瑞霊的役割でもって筆者が引き受け、
まとめて浄化する為に、六年ぶりに風邪をひいたのかもしれない。
…とも思い、また、地元横浜のみなとみらいに、
アジア太平洋経済協力「APEC」に参加した、
各国首脳が横浜に持って来た悪因縁などを、
筆者の肉体を通して浄化させられたのかも?

…などと神業めいた事を考えてもみたりもするのだが、実際、
今月は寒かろう冬に備えて食品以外の必要物資を、出来るだけ安価な品ばかり選び、
たくさん仕入れた結果、ちょっと早めに小遣いがいつもの月末近くの額になったので、
風邪を引く前に、神様に対して、

「出来たら今月は月末まで無駄遣いせずに、
 今ある物だけでやりくりしたいので御加護お願いします。」

…とお願いしたら、途端に風邪をひいて外出不可能になったので、
その後、今日まで、必要経費以外は一銭も使わずに済んでいる現状である。

月末近辺にどうしても外出の必要があるので、
この経費だけは出費せざるを得ないのだが、それは最初から想定内なので、
筆者としては実に、

「災い転じて福となす」

…的な、神様の御加護を感じているところである。

今日まで鍋物とカレーと米飯と、
プラントミネラル原液という筆者愛用のスーパーサプリメントだけで、
充分持ちこたえているし、先月まで割と安くて美味しいものばかり食べていたので、
ハードロッカーとしてはちょっと問題なくらいお腹が出て来たので、
華の東京の新橋のお店で、人前で実演する機会も与えてもらえたりしていて、
ダイエットの必要性を強烈に感じていたところを、実際2キロ体重が減ったし、
先月まで真面目に正座して祭祀していたので、傷めた左ひざが治らず、
ちょっと困っていたが、風邪療養でコンディションが良い日だけ、
着替えて祭祀させて頂いているおかげで、左ひざの痛みはたぶん完治した。

今後は、あまり急いで無理せず体力づくりをしながら、
落ち着いて祭祀させて頂ける様に願っているところで、
こういう諸事情を考慮すると、筆者が今月、六年ぶりにひいた風邪が、
実は筆者の将来を見据えた一石四鳥的御神徳であったという風に、
結果が証明してくれいているところである。

嗚呼、惟神霊幸倍坐世。

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夢か、
現(ウツツ)か、
幻か、
美山彦はあたりをきよろきよろ見廻すをりから、
春日姫は声をはげまし、

 『汝(ナンヂ)悪党の張本美山彦、妾(ワラハ)が宣伝歌を耳を澄して聴けよ』

といふより早く、

『三千世界一度に開(ヒラ)く梅の花
 開いて散りて実(ミ)を結ぶ
 時鳥(ホトトギス)声は聞けども姿は見せぬ……』

と謡(ウタ)ひ始めけるに、
美山彦は頭上を鉄槌(テツツイ)にて打ち叩(タタ)かるるごとく、
胸を引裂かるるごとき心地して、
苦しみ悶(モダ)えだしたり。

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筆者は、

『三千世界一度に開(ヒラ)く梅の花
 開いて散りて実(ミ)を結ぶ
 時鳥(ホトトギス)声は聞けども姿は見せぬ……』

という宣伝歌を観ても聴いても、心身快適になるので、
どうしもて、この宣伝歌を聞いて、

『頭上を鉄槌(テツツイ)にて打ち叩(タタ)かるるごとく、
 胸を引裂かるるごとき心地して、
 苦しみ悶(モダ)えだし』

…た、美山彦の心情が理解できないのだ。

世の中には、筆者がこれを口に出したり、
紙に書いて見せたりすると、鬼の様な形相になって、
筆者を頭ごなしに批難して来る方もある事は経験したが、
やはり、それらの皆さんが、何故そうなるのかは判らない。

一つ思い当たる事があるとすれば、
筆者の様な身分の者が、そんな生意気な事を言うな。
…という、一種の差別的、バラモン教的つよいものがちな心境から、
そういう態度になるのかな?…というぐらいが、
筆者にようやく想像できるところなのである。

誰か他に、この宣伝歌を聞いて美山彦同様の苦しみを味わう方があったら、
その方に直接感想をお伺いしてみたいという興味と好奇心があるばかりだ。

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春日姫は声もさはやかに、
又もや流暢(リウチヤウ)なる声調にて頻(シキ)りに謡ふ。

美山彦は七転八倒目をむき、
泡を吹き、
洟(ハナ)を垂らし、
冷汗を滝のごとく流して苦しみもだえける。

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この描写から筆者が連想出来るのは、
美山彦の本性がそれほど凶悪ではないのだろうな…という事だ。

ちょっと話が脱線するけれども、今朝「007/ムーンレイカー」を観た。

筆者は正直いってロジャー・ムーアの頃の007は子供地味ている気がして、
今日まで全然見なかったのだが、前作「私を愛したスパイ」くらいから、
少しずつロジャー・ムーアもジェームズ・ボンドの役作りが出来て来たらしく、
美しいボンドガールとのラブシーンにも照れがなくなり見易くなっている。

実際「死ぬのは奴らだ」「黄金銃を持つ男」までは、
少年少女向け活劇映画の様になり、元々ロジャー・ムーアという役者さんが、
硬派系でラブシーンが苦手なのではないかな?…と思え、
初代ショーン・コネリーからのいやらしくないラブシーンを演じられないから、
作品にしまりが無いのかな?…と思ってみたりしたのだが、
この「ムーンレイカー」からはクールなボンドが戻って来て、
特撮部分は時代相応にバレバレでしょぼいが、それ以外の命がけのアクションは、
なかなか見応えがあって楽しめた。

さて、このロジャー・ムーア時代の007には「ジョーズ」という御馴染の悪役がいた。

不死身なのではないか?…と思えるこの悪役は前作から二作続けての登場だったが、
この「ムーンレイカー」での後半に宇宙ステーションの中で、
ボンドが言った差別批判の台詞で改心して、悪役転じて善玉になってシリーズを去る。

最初から憎めないキャラだったわけだが、この「ムーンレイカー」では、
ただ顔をみただけでナイフを出して身構えたボンドガールの一人を殺そうとするが、
その後、ロープウェイでボンドを殺し損ねて瓦礫の中でもがいている時に、
メガネのたぶんブスキャラ(実は美女)に助け出され、その後カップルになり、
最後には宇宙ステーションでボンド達を助け、地上軍に救助されてシリーズを去るので、
なかなかほのぼのとした気分にさせてもらえるのだが、
なんとなく、ここでの美山彦の改心に通ずるものがある様な気がして来るのだ。

美山彦が今、春日姫にこんな目に遭わされているのは、
三年間、虜にされて、強姦もせずにネチネチ口説き続けた事に対する女の復讐心なのだが、
ちょっと俗的な赤裸々解釈をし直すと、春日姫の陰の本音としては、

「よくも三年もの間、女の私に手も出さずに、
 蛇の生殺しの様にネチネチ口説き続けてくれたな。
 そんなに妾に女としての魅力がないのか?馬鹿にして。
 今こそ三年間の屈辱を晴らしてくれる。」

…という精神的には清らかならぬ肉体的本能も働きかけていたのではなかろうか?

その辺の、大人の女の事情みたいなものは「007シリーズ」の様な作品を観ていると、
少しはわかるのではなかろうか?…という気がするが、
「霊界物語」を神聖侵すべらざる神書と盲信しておられる皆様が、
筆者のこんな解釈をみたら目くじら立てて怒り狂うかもしれないので、
とりあずこの話題はこの辺までにさせて頂こうと思う。

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 春日姫は言葉を重ねて、

『妾(ワラハ)かつて汝を帰順せしめむとして、
 この山河を過ぐるをりしも、
 汝の部下の鬼熊彦(オニクマヒコ)らの悪人現はれきたり、
 妾は女の身のつひに衆寡敵せず、
 侍女春姫と共にこの館に捕虜(トラ)はれ、
 日夜の侮辱をうけ、
 悲しみの月日をおくり、
 大切なる宣伝を妨げられたるは、
 千載の恨事(コンジ)なり。

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しかしながら筆者には、この『妾(ワラハ)』という主語が気になる。

何故なら『妾(ワラハ)=妾(メカケ)』だからである。

俗に「めかけ」というのは正妻ではなく、二号さん以下や愛人さん、
遊女の皆さんがいうことと同じだからだ。

勿論、武士などの御姫さんも「わらは」という言い方をするので、
身分的には上の方なのだろうけれども、若干淫靡な気が混在しているのが、
この「妾」という文字なのではなかろうか?

筆者としては、女性は『わたくし』という言い方をした方が、
この様な淫靡な気が希薄になり、上品な表現になる様な気がする。

そんなわけで、筆者のつまらぬこだわりから、
この春日姫の霊性を判断すると、男女の交わりという事を、
一種の社交辞令の様に考える事が出来るタイプの姫様の部類なのでは?
…という思いが湧いて来るのである。

実際、春日姫と言う名前の「春」の文字からも連想出来る様に、
色恋抜きにはおられぬ身魂というか…
一緒に苦労の旅に出た鷹住別とのなれそめも、
あまりおしとやかな在り方では無かったのだし…

女性の因果な部分を抱えながら、正しい神の方に加わって悪と戦いたいという、
まだ善悪混淆の情態にある様に感じられるわけである。

それだから、この発言も、一見筋が通っている様で、
自分から「自分は女である」という具合で、
勇ましそうで、実は女々しい発言になっている気がするのだが、どうだろうか?

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 されど至仁至愛の大神は、
 決して悪を悪とし、
 敵を敵としてきため給ふことなく、
 あくまで慈愛の乳房を哺(フクマ)せ、
 改心を迫らせたまふなり。

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この部分は、実に大救世主神そのままの事を言っているので、
この聖言によって、実は美山彦のみならず、
春日姫の弱い部分も一緒に救ってくださる至仁至愛の大神様の
大御心を惟神に表現させられている様な気がするのである。

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 妾は今汝を殺さむとせば、
 あたかも嚢中(ナウチユウ)の鼠のごとし。

 されど五六七(ミロク)神政の宣伝使たる妾らは、
 汝らごとき小人を苦しむるに及ばず、
 慈愛をもつて汝が生命を救はむ。

 汝今より翻然(ホンゼン)として前非を悔い、
 真心に立ちかへらば、
 汝が縛(イマシ)めの繩を解き、
 自由の身となさむ』

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…まあ、正しそうで、実は「幼い女の泣きべそ啖呵」なのだろうな…
…と…筆者は感じてしまうのだ。

まだまだ全然潔くはないのである。

神聖厳格なる皇大神様から観たら、本当はこの春日姫も、
美山彦と同罪なのだろうな…と思えるわけだ。

世間ではよく女性の美しさを表現する時に、

「罪な女」

…などということがある。

男性でもそうだけれど、不本意にモテテしまう場合、
フル気などかけらも無い女性に一方的に思いを寄せられて、
その事に全く気付かずにいるうちに、
いつの間にか、か弱い女心を結果的に傷つけていた。

…という事もあるわけで、
そんな場合、こういうモテ男も、一方的に世間様から、

「女泣かせの罪なやつ」

…などと悪評されてしまう事もあるわけだ。

ここで肉慾に必死に抵抗している男女の心を感じ取るのは、
ちょっと不謹慎に思えるかもしれないが、
そこが体慾の抗し難いところ…というか、
男女の間のデリケートな部分というか…

例え相手が蛇蝎の如く嫌いなタイプの相手であっても、
まったく見向きもされないというのは癪に障るという
浅ましくも憎みきれない人間の弱さ…というか…

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と宣示すれば、
美山彦は無念の切噛(ハガ)みを為(ナ)し、

『殺さば殺せ。
 か弱き女性の分際として、
 われに向つてさも横柄(ワウヘイ)なるその言葉つき、
 目に物見せむ』

と縛(イマシ)めの繩を引切らむとして藻掻(モガ)きはじめたり。

されど繩は強くして切れず、
眼をいからし、
恨(ウラ)めし気に春日姫を睨(ネ)めつけゐたる。

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やはり男女差別の意識を双方が持っていて、
互いに「バカにするな」…と張り合っている感じである。

理性は理性…快楽は快楽…という、肉体の持つ性的反応というのは、
一個の人間を自殺に追い遣るほど制御不能な場合があるわけで、
こうした問題が常につきまとうからこそ、
今でも世の中では、想像も及ばない様な凶悪な色恋沙汰の殺人事件とかも、
しょっちゅうあちこちで発生してしまうのであろう…

そんな世の中の現状と比べれば、
この「霊界物語」に登場する神々のお粗末さは、
実に実に可愛らしい甘っちょろいもので、
まだまだ救い様がある身魂達の改心物語である様な気がするのである。

世間にはよくある凶悪事件の様な救い難い悪は、
この「霊界物語」には登場していない様に思うわけで、
筆者が思うに、この程度の欠陥であるならば、
至仁至愛の大神様の救いに預かる事が出来るという身魂の各種について、
詳細に記されているという観方も出来る様な気がするのである。

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『音惚花活気好@kakky』的『第6章 暗雲消散(256)』分解(二)

2010年11月21日 17時21分25秒 | Weblog
このとき月照彦天使、足真彦は、

 『アヽ美山彦、汝は吾が顔に見覚えあるか』

と被面布(ヒメンプ)をめくれば、
美山彦はおほいに驚き、
歯をガチガチ震(フル)はせながら、
たちまち色蒼白(アヲザ)め、
唇は紫色に変化したりける。

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今でも凶悪犯罪の裁判レポートで、
顔色一つ変えない凶悪犯の様子が報道される事があるが、
美山彦はそれに比べたら、まだまだ善が残っているからこそ、
こんな風に滑稽に顔色が変わるのであろうと思うのだが…?

極悪非道の身魂であれば、逆にこんな醜態を晒さずに、
無表情に落ち着きはらっているのではないだろうか?

そして、そんな極悪非道の身魂は救いようが無いから、
遂には死刑執行される側に振り分けられる…という事ならば、
至仁至愛の大神様の救いの神業にも矛盾がなくなる様な気がするのである。

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 折しも大広間にあたりて叫喚の声聞え来たる。
即ちこの場は春姫に監視せしめ、
三人は大広間に現はれ見れば、
いづれの奴原(ヤツバラ)も、
足真彦、春日姫の二人に手足を縛(シバ)られたることを覚り、
おのおの声を放ちて泣き叫ぶなりける。

三人は又もや宣伝歌を高唱したるに、
いづれも激しき頭痛胸痛を感じ、
縛られたるまま前後左右にコロコロと回転しはじめたり。
なほも三人は宣伝歌をしきりに唱へつづくる。

酔つぶれたる奴原は、
一時に酔をさまし、

 『救けて、救けて』

と口々に叫ぶ。

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筆者がまだ二十代の頃、バイトの帰りに横浜駅から京急に乗って、
弘明寺駅に向かう満員電車で、心の中で「世界平和の祈り」を唱えていたら、
すぐそばで吊革につかまっていた原始人的な顔つきの男が突然口を切り、

「いいかお前ら?お前ら何も知らないだろうけれど、
 もうすぐこの世は終わるんだ。何もかも破壊されて消え失せるんだ。」

…とかいう終末論的な事を、
何かに取り憑かれたかの様に声を上げてまくしたて始めた。

筆者も頭は痛くはならなかったが、場所柄も考えずに、
理性が効かなくなった低級霊が、この方の口を借りて発動してるのは判るが、
ここで鎮魂の姿勢をとるのもパフォーマンス的に踊らされる様でいやだな…
と思っていたら、他の人が、

「うるさい!」

…といって諌めていたのだが、
すぐ次の駅…たぶん日ノ出町駅くらいだと思ったが、
その辺で下車して消え去ってしまった。

筆者は今年、満五十歳になったので、

「やっとゴッドになれた。」

…とか、

「いよいよ言霊自在の年齢になったか…」

などと自分で自分を持ち上げて喜んでいるのだが、
あれから二十五年以上もの間、世界にはいろいろあったけれど、
あの男が言った様な破滅は実現しなかった。

あの男も酒を飲ませて酔っている間に捕縛して、
宣伝歌を歌えば苦しんだのだろうか?

しかし、実際、社会人達は、社会のルールに酔わされ、縛られているも同然だから、
あの時、

「うるさい!」

…と諌めたサラリーマン風の男性こそ、実はここで酔って捕縛された悪玉達と、
近い位置関係にあるのではなかろうか?

…とも思う事が出来てしまうし、それは悪い方に考え過ぎだ…とも、
言えない事も無いのかもしれない…

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春日姫は禿頭(ハゲアタマ)の鬼熊彦にむかひ、

 『汝は常世城(トコヨジヤウ)において腕(カヒナ)を折りし蚊取別(カトリワケ)ならずや』

と尋ぬれば、
蚊取別は手足を縛られながら、

 『カ ト リ ワ ケ』

とわづかに答へける。

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これまた全然関係ないかもしれないが、
筆者は凡そ二十年前にここを初めて目にした時、

 『カ ト リ ワ ケ = カ ト リ ッ ク』

という第一印象を持ったのだ。

「霊五体五の霊主体従」というのが、
この「霊界物語」の「ヒノモト」観であると思うのだが、
カトリックは肉欲を不浄として多くのタブーを設け、
その厳しい戒律を守る事をよしとする理想論的宗教という事になるのかな?
…とも思うわけで、そうした偏った価値観が十字軍の様なものを産み出し、
反カトリックを悪魔とか魔女として殺戮する事が正義である。
…という様な過激思想のもとになっているのではなかろうか?
…と、当時の筆者は考えたのである。

はたしてそれが正解かどうかは、判らないのだけれども…

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 ここに三人は、
いよいよ天地の大道(タイドウ)を説き宣伝歌を謡ひ、
つひに彼らに憑依(ヒヨウイ)せる邪神を退去せしめ、
各自の縛(イマシメ)を解きやりければ、
一斉に両手を合はせてひざまづき、
その神恩に感謝し声を揃(ソロ)へて天津祝詞(アマツノリト)を、
足真彦の導師の言葉につれて、恭(ウヤウヤ)しく奏上したり。

 その勇ましき声は九天に轟(トドロ)きわたり、
今まで暗澹たりし黒雲の空は、
その衣(コロモ)を脱ぎて処々(トコロドコロ)に青雲の破れを現はし、
つひには全くの蒼空(アオゾラ)と化し去りにける。

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筆者も以前は大声で天津祝詞を奏上し、
「霊界物語」の拝読も、出来るだけ大声張り上げてやったものだが、
今年の七月頃から再開した拝読は、
「愛善苑東京豊玉分苑」でのやり方に倣い、
普通に話す程度の音量で、なるべく涼やかにやろうと心がけている。

しかし、それでも気が入って来ると、徐々に声が大きくなっているので、
一般常識的に近所迷惑にならないかと、ちょっと気になる事がよくある。

しかし本音としては、もっと大声で堂々と、朗々と拝読したいと思う。

寝ている御近所様の身魂を揺り動かす様な拝読で無ければつまらない。
…という思いが、筆者のハードロック魂の様なものをくすぐるのだ。

このちょっとしたストレスを解消する方法として、
次の手段方法は考えてあるのだが、
まだ実行に移す段階にまでは至っておらず、
その準備段階として、今年の九月頃から、
いろいろな話が寄って来て、筆者の身魂の錆落としの様な事が、
先ず優先して行われていた様な感じがするのである。

過去の言動実績が産み出した錆とも云える様な悪因縁を洗い落とすには、
避けては通れない道なのだろう…とも思うから、
逃げもせず、恐れもせずに関わっているわけだけれども、
誠の神様の選別によって、残るべき物は必ず残り、
不要な物は必ず取り去られ、必ず最善の方向に進むものであると、
筆者は信じて疑わないものである。

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 美山彦は、つひに我を折り帰順の意を表したるにぞ、
ここに四人は、美山彦以下に天教山(テンケウザン)の教示を諭(サト)し、
向後(カウゴ)を戒め、悠々として鬼城山(キジヤウザン)を下り、
ナイヤガラの瀑布(バクフ)に一同身を浄(キヨ)め、
ふたたび宣伝使として諸方を遍歴したりける。

 (大正十一年一月十六日、旧大正十年十二月十九日、外山豊二録)

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前々回から、筆者は春日姫のやり方は、

「正しくは無いけれども悪いとは言い切れない」

と繰り返し評して来たわけだが、この美山彦の改心という結果から思うに、
要するに春日姫は錆びた刀を磨く泥の様な役割を果たしたのであろう。

病に効く薬も量を間違えれば毒になる…というわけで、
悪を救おうとすれば、
多少は自ら汚れる事も覚悟する必要があるのかもしれない。

清廉潔癖のまま、この世で救いの活動をする事などは、
土台不可能なのではなかろうか?

いつまでも吾一人清廉潔癖でいたいのなら、
この地上に降りて来なければよいのである。

宣伝使といえば天使であるから、天使として地上に降りて来た以上は、
こういう自覚も必要だし、悪を跳ね返そうと思えば、
多少、勇ましい声を張り上げる事も必要なのかもしれない。

当然、それもこれも全て、地の上に「皇道経済」が実施されるまでの、
脱線ぶりだということになろうと、筆者は考えるのである。

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

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第5章 抔盤狼藉(ハイバンラウゼキ) (255)

2010年11月13日 23時48分57秒 | Weblog
霊界物語 第六巻 霊主体従 巳の巻 第一篇 山陰の雪

 にはかに館の大広間は陽気立ち騰(ノボ)り、
酒や果物(クダモノ)は沢山に運ばれ、
木葉奴(コツパヤツコ)の端(ハシ)にいたるまでずらりと席に列し、
大樽や甕(カメ)を中央に据ゑ、竹を輪切にしたる杓(シヤク)にて、
酌みては呑(ノ)み、酌みては呑み、一所懸命に謡(ウタ)ひはじめたり。

しかして酔がまはるに連れて杓の引奪(ヒツタク)りあひが始まり、
頭を杓でこつりとこづかれ、
禿頭(ハゲアタマ)の爺(オヤヂ)は面部と頭部とに沢山の出店を出し、
次第々々に舌は縺(モツ)れ、泣く奴、笑ふ奴、怒る奴、様々なり。

甲 『ヤイ、皆の奴(ヤツ)ら、けつたいが悪いぢやないか。
   美山彦(ミヤマヒコ)が大将面しよつて、毎日々々、
   俺(オイ)らを敵の末か何かのやうに扱(コ)き使ひよつて、
   自分ばかり酒を喰ひよつて、
   春日姫(カスガヒメ)の膝枕に身(ミ)も魂(タマ)もとろかしよつて、
   お負けに足を揉(モ)め、手を揉めと人に嬉しいところを見せつけ、
   自分ばかり酒を喰つて、
   己(オイ)らには一口でも呑めと言ひよつたことはありやしない。
   俺(オ)りや、いつも器(ウツハ)を片付けるときに盃を一つ一つ舐(ネブ)つて、
   香(ニホヒ)を嗅(カ)いで満足(タンノウ)しとつたのだ。
   今日は春日姫にや、
   痩(ヤ)せ馬が荷を顛倒(カヘ)すやうにして厭(イヤ)がられてゐたのが、
   どうした風の吹きまはしやら、尼(アマ)つちよの方から結婚してくれと、
   ぬかしよつたとか言つて、吝(シワ)ン坊(ボウ)の美山彦が、
   地獄の釜を一足飛びをするやうな気に到頭(タウトウ)なりよつて、
   腐りかけた酒を俺たちに鱈腹(タラフク)呑(ノ)めといひよるのだ、
   実に業腹(ゴフハラ)だ。
   甘く見よつて馬鹿にするにもほどがあるぢやないか』

と腕を捲(マク)りて、自分の腹を二つ三つ拳(コブシ)でたたきながら、
面(ツラ)ふくらしていふ。

乙 『大きな声でいふな、皆の前だ。
   また杓で一杯も舐らしてもらはうと思ひよつて、
   貴様の今言つた悪口を大将に告げる奴があつたらどうする』

甲 『どうするも、かうするも俺らの知つたことぢやない。
   春日姫は美山彦の大将が、どうかするのだらう。
   俺らはどうするあてもありやしないし、
   マア腐つた酒でも呑ンでおとなしく寝ることだよ』

丙 『オイあまり座が淋(サビ)しくなつたやうだ、一つ謡つたらどうだ。
   あのウラル彦の神さまの宣伝歌は俺らには天国の福音(フクイン)だ。
   呑(ノ)めや騒(サワ)げや一寸先(イツスンサキ)は闇(ヤミ)よ、
   闇の後(アト)には月(ツキ)がでるなンて甘(ウマ)くいひやあがらア。
   俺らは酒さへありや、嬶(カカ)も何も要(イ)らぬ』

丁 『お前何ほど天来(テンライ)の福音でも、呑めぬ酒に酔へるかい。
   酒は百薬の長だとか、生命(イノチ)の水だとかいふけれど、
   呑みたい酒もよう呑まずに、毎日扱(コ)き使はれて、
   ナイヤガラの赤い水を、酒だと思ふて呑んでゐても、
   ねつからとつくりと酔はぬぢやないか、これを思へば悲しい浮世だ』

とそろそろ泣きだす可笑(ヲカ)しさ。

戊 『オイ、こんな目出度い場所で、メソメソ泣くやつがあるかイ』

丁 『泣かいでか、今夜は美山彦が春日姫としつぽり泣きよるのだ。
   俺らはその乾児(コブン)だ、泣くのがあたり前よ』

戊 『貴様の泣くのと、春日姫の泣くのとは泣きやうが異ふ。
   丁度鶯(ウグヒス)の梅が枝にとまつて陽気な春を迎へて鳴くのと、
   鶏(ニハトリ)が首を捩(ネヂ)られ毛を抜かれ、
   絶命の声を張り上げて鳴くのと程の相違があるのだ』

甲 『この間もアタけつたいの悪い天教山(テンケウザン)の癲狂人(テンキヤウジン)が、
   そこらうちを歩きまはりよつて、
   照るとか、曇るとか、浮くとか死ぬとか、時鳥(ホトトギス)がどうとか、
   触(フ)れ歩くものだから、毎日々々地響きはしだす、
   雨はべそべそと貴様の涙のやうに降りしきる。
   谷間の水は赤泥(アカドロ)となつて、
   水もろくに呑まれやせないぢやないか。
   あんな奴(ヤツ)は一時も早くどうかして、
   ナイヤガラの滝にでも、打ち込んでしまひたいものだなア』

乙 『ウン、その宣伝使か、それや今夜出てきをつた。
   奥の間に鯱(シヤチ)こ張(バ)つて大きな目玉をむいて、
   生命(イノチ)のもはや尽(ツ)きとる彦(ヒコ)とか月照(ツキテル)とかいふ奴と、
   腹がすいて、ひだる彦(ヒコ)とかいふ奴が、美山彦の計略にかかつて、
   今はほとんど籠(カゴ)の鳥、あれさへやつてしまへば、
   雨も止むだらうし、地響も止まるだらう。
   縁起糞(ゲンクソ)の悪いことをふれ廻るものだから、
   天気がダンダン悪くなるばかり、俺(オ)りや、
   彼奴(アイツ)たちの囀(サヘヅ)る歌を聞くと妙に頭がガンガンぬかして、
   胸を竹槍で突かれるやうな気がするのだよ』

戊 『そこが美山彦は偉いのだ。
   お前たちがその宣伝歌とやらを聞いて
   苦しむのを助けてやらうといふ大慈悲心から、
   その宣伝使をこの館に甘(ウマ)く引つ張り込んで、
   今夜は荒料理することとなつてをるのだ。
   マアそれでも肴(サカナ)に、
   寛(ユツ)くり酒を呑んで夜明かしでもしようぢやないか』

といづれの奴も皆へべれけに酔ひつぶれ、
碌(ロク)に腰の立つものもなき有様なりける。

 奥の一間には、美山彦、春日姫は今日をかぎりと盛装を凝らし、
結婚の式を挙げつつあり、
そして容色うるはしき春姫(ハルヒメ)が酌を勤めつつありたり。

春日姫は力かぎり媚(コビ)を呈して美山彦に無理やりに、
面白き歌を謡ひながら酒を勧むる。

美山彦は春日姫の勧むるままに酒杯を重ね、
つひには酩酊の極、頭が痛み眩暈(メマヒ)するといひつつその場にドツと倒れ、
雷のごとき鼾声(カンセイ)をあげて正体もなく寝入りてしまひたり。

春姫は立ち上るとたんに長き高き酒樽に衝突し、
樽は転げて美山彦の頭上に、酒を滝のごとく濺(ソソ)ぎたり。

美山彦は両手にて虚空を探るごとき手つきして寝返りをうち、
苦しげに唸(ウナ)りゐる。

 春日姫は春姫をともなひ奥殿に進みいり、
月照彦天使(ツキテルヒコノカミ)に委細を物語り、
春姫をして一室に控へたる足真彦(ダルマヒコ)を招かしめ、
男女四柱(ヨハシラ)はここに緊急会議を開きける。

 アヽこの会議の結果や如何(イカン)。

 (大正十一年一月十六日、旧大正十年十二月十九日、加藤明子録)

『音惚花活気好@kakky』的『第5章 抔盤狼藉(255)』分解(一)

2010年11月13日 23時47分57秒 | Weblog
霊界物語 第六巻 霊主体従 巳の巻 第一篇 山陰の雪

平成二十二(2010)年十一月十三日 旧十月八日(土)

 にはかに館の大広間は陽気立ち騰(ノボ)り、
酒や果物(クダモノ)は沢山に運ばれ、
木葉奴(コツパヤツコ)の端(ハシ)にいたるまでずらりと席に列し、
大樽や甕(カメ)を中央に据ゑ、竹を輪切にしたる杓(シヤク)にて、
酌みては呑(ノ)み、酌みては呑み、一所懸命に謡(ウタ)ひはじめたり。

しかして酔がまはるに連れて杓の引奪(ヒツタク)りあひが始まり、
頭を杓でこつりとこづかれ、
禿頭(ハゲアタマ)の爺(オヤヂ)は面部と頭部とに沢山の出店を出し、
次第々々に舌は縺(モツ)れ、泣く奴、笑ふ奴、怒る奴、様々なり。

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今週は、おそらく六年ぶりくらいに風邪らしい風邪をひいたので、
今朝までひどい咳に悩まされていたのだが、
朝起きてすぐに長葱を生でかじり、昨晩炊いたカレーを頂いて、
もう一寝入りしたら、奇跡的に咳が治まり、
先刻、風呂に入って汗を流したので、若干まだ声もかすれ、
時々洟をかみつつも、三日ぶりくらいに、無事、

夕拝(夜拝)「天津祝詞・神言・石笛・讃美歌・霊界物語拝読・感謝祈願・基本宣伝歌奏上」

をさせて頂く事が出来たので、今、またカレーを頂いて、
心勇みつつ、このブログの更新に取り掛かる事が出来た。

今日は世界史的にも、なかなか結構な日で、
吾が愛する神奈川県横浜市のみなとみらい地区で、
APEC「アジア太平洋経済協力」が行われ、
今は多少落ち目らしい米国オバマ大統領と、
同じく尖閣諸島問題での一見軟弱な態度が不評な、
与党政権民主党総裁管首相とが、
筆者がその気になれば、
愛用ママチャリのマイチャーリーをユルユルローリンさせて、
三十分ほどで行けるほどの会場で会見を実現したり、
尖閣諸島問題でややこしい関係にある中国の胡錦濤首席やら、
これまた北方領土問題でお騒がせ中のロシアのメドベージェフ大統領とも、
公式会見を実現させたり、
舞台は違うけれどもミャンマーのアウンサン・スーチー女史さんが、
七年半ぶりに解放されたりと、割とよいニュースが多かった。

中でもオバマ大統領が記者会見の場で、

  「日本は世界のモデル」

という意味合いの事を公式発言したのが筆者にとっては慶事だったのだが、
筆者がこの件についてツイッターで、

 「日本は世界のモデルというのは、日本は世界の型と米大統領が公言したも同然」

という意味の事をつぶやいたら、
その次のニュースからはその部分のテロップがカットされていて、
日本の報道事情の裏側の暗黒面を垣間見たりもしたのだが、
そんな意味を感じさせるつぶやきをしたら、その次のニュースでアナウンサーが、

「オバマ大統領の発言中にテロップが一部表示されませんでした。失礼しました。」

という意味の事を言っていたので、何の事かは断言出来ないけれど、
筆者なりに口元を緩める事が出来た。

ミロクの世、地上天国の基本である皇道経済が実施されるという事は、
資本主義社会での勝ち組にとっては、まだまだ面白くないのであろうから、
そういう方面に気を使ったのか?
はたまた、そちら方面から「待った」がかかったのか?
わが愛する日本国の明暗相混ずる部分を実感出来た様な気がしたのだ。

そんな一見目出度くもあり、要注意でもある世界史の分岐点的今日と、
なんとなく一致する様な、この「第5章 抔盤狼藉」の冒頭部分である。

筆者も一緒になって飲んで浮かれて楽しみたいし、
八岐大蛇の様に素盞嗚尊に首の全てを斬り落とされる前に、
たらふく酒を飲まされて猛々しく荒れる力を封じられる側に入るのも厭だし、
…という様な段取りだ。

筆者も三十代の頃ならば、こんな風にややこしくいろいろと考えるよりも、
映画「椿三十郎」でのワンシーンを観た時の様に爽快な気分にもなれるのだが、
こういう「ざまあみろ」的な爽快感ではなくて、
もっと頭のいい、品のイイやり方があるのではないか?…と、
そんな「椿三十郎」で捕らえられた老中の様な気分になっているのもちょっと不思議だ。

とりあえず素盞嗚尊が退治した八岐大蛇の尾から取り出した「草薙の剣」というのを、

「頭の悪い雑魚共を権力者たちの首を抑えて一気に平らげる。」

という風に筆者には読み取る事が出来るので、
言って聞かない身魂連中を改心させるためには、
こんな謀略的な「ざまあみろ」的戦略も必要なのかな?
…と、若干ためらいながら受け入れざるを得ない様な…

ちょうど勝海舟が人斬り伊蔵に刺客を斬り殺してもらったあと、伊蔵に説教したら、

「わしが斬らなんだら勝先生が斬られてましたぜ。」

と逆手をとられて閉口した様な、そんな塩梅の気分である。

仏教的というか宗教的には、岡田伊蔵に警護させていたから刺客を呼び寄せた。
…という解釈も出来ないわけではないのだが、
掃除をしようと思えば穢い所から逃げるわけにもゆかず、
ゴミに触れずにゴミは片付けられないのだから、
御神業というものは、まったく綺麗事だけの理想論だけではいかないなあ…と、
なんとなく清濁併せのむ大神様の御経綸の前では、筆者などちっぽけなものだと、
そんな事を思いめぐらせるのである。

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甲 『ヤイ、皆の奴(ヤツ)ら、けつたいが悪いぢやないか。
   美山彦(ミヤマヒコ)が大将面しよつて、毎日々々、
   俺(オイ)らを敵の末か何かのやうに扱(コ)き使ひよつて、
   自分ばかり酒を喰ひよつて、
   春日姫(カスガヒメ)の膝枕に身(ミ)も魂(タマ)もとろかしよつて、
   お負けに足を揉(モ)め、手を揉めと人に嬉しいところを見せつけ、
   自分ばかり酒を喰つて、
   己(オイ)らには一口でも呑めと言ひよつたことはありやしない。
   俺(オ)りや、いつも器(ウツハ)を片付けるときに盃を一つ一つ舐(ネブ)つて、
   香(ニホヒ)を嗅(カ)いで満足(タンノウ)しとつたのだ。
   今日は春日姫にや、
   痩(ヤ)せ馬が荷を顛倒(カヘ)すやうにして厭(イヤ)がられてゐたのが、
   どうした風の吹きまはしやら、尼(アマ)つちよの方から結婚してくれと、
   ぬかしよつたとか言つて、吝(シワ)ン坊(ボウ)の美山彦が、
   地獄の釜を一足飛びをするやうな気に到頭(タウトウ)なりよつて、
   腐りかけた酒を俺たちに鱈腹(タラフク)呑(ノ)めといひよるのだ、
   実に業腹(ゴフハラ)だ。
   甘く見よつて馬鹿にするにもほどがあるぢやないか』

と腕を捲(マク)りて、自分の腹を二つ三つ拳(コブシ)でたたきながら、
面(ツラ)ふくらしていふ。

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今ふと映画「用心棒」の中で桑畑三十郎が、

 「人をあんまり安く使うと後でかえって高くつくぜ。(大意)」

…みたいな事を言ったのを思い出した。

力主体霊(つよいものがち)、体主霊従(われよし)の身魂達の主従関係には、
常にこの様な不平不満が充ち満ちている。
…という風に解釈してよいのではなかろうか?

筆者も路上ミュージシャンをやってた頃、
時々、飲み屋などに招かれてライブらしき事をさせて頂いたのだが、
最初の頃は、なかなかのチップが入って喜んでいたものだが、
回を重ねる毎に、段々実入りが少なくなって、嫌味まで言われる様になり、
こちらが近寄らなくなると、あんなに世話してやったのに恩知らずが…
という様な悪評判を立てられている様な、そんな不快な気分になったものだが、
所詮、商売の世界は儲けが多くてこそのつきあいなので、
如何に理想は出口王仁三郎聖師が唱えるミロクの世の皇道経済とはいえ、
自由競争の社会に交われば、筆者だってどうしても金の魔力に惑わされ、
こんな厭な面を自ら味合わなければならなくなってしまうのだ。

要するに、これらの雑魚共が、こんな下賤な事を口走るのも、
みんな貧富上下の差が激しい事が原因なのだ。

皇道経済は、世界万民分け隔てなく、
今の値打ちで言ったら十億円の値打ちもあると考えられる、
この「霊界物語」の中での十万円を与えられ、
極端に貧しい者が一切無くなり、
またその今の値打ちで言ったら十億円と考えられる、
十万円以上の財産を私有する事が出来ないという貧富の極端な差がなくなる、
それはそれは結構な経済システムなので、
そんな世の中になったら、ここに出て来る様な悪人達は、
まず現れ様もなく、きっと、皆、品のいい温厚な皆さんになる筈なのだ。

この経済問題は、この三次元の物質社会を根本的に立直す為の重要課題である。

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乙 『大きな声でいふな、皆の前だ。
   また杓で一杯も舐らしてもらはうと思ひよつて、
   貴様の今言つた悪口を大将に告げる奴があつたらどうする』

甲 『どうするも、かうするも俺らの知つたことぢやない。
   春日姫は美山彦の大将が、どうかするのだらう。
   俺らはどうするあてもありやしないし、
   マア腐つた酒でも呑ンでおとなしく寝ることだよ』

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筆者はいわゆる社会の下層階級にいる養父や、その妹家族達が大好きである。

そしてその逞しさに心の底から尊敬の念を抱いてもいる。

だがしかしその一方で、この皇道経済が実施されたら、
養父や、その妹家族などの下層階級が味合わされている悔しさや、
それに打ち勝つ為の狡猾さも、まったく必要ない夢の様な地上天国が実現する。
…と思えば、これを養父や親戚達に言わずにはいれるわけがないのだが、
そんな筆者の熱い思いも、貧乏を逞しく生き抜く清貧に慣れ過ぎてしまうと、

「そんな夢みたいなことばかり言うな。」

…といって筆者をかえって馬鹿にするばかりで、
大好きで尊敬している養父や親戚達の無知さを呪わずにはいられなくなる。

それもこれも皇道経済が実施されるまでの仮の屈辱だと思う事は出来るが、
理屈では判っていても、感情の方はなかなか複雑である。

しかしそんな筆者ではあるが、筆者は、ここでの木っ端連と比べれば、
皇道経済という理想が与えられているのだから、大いに幸せである。

…と自分で自分を励ますわけなので、
やはり吾が愛する横浜で、APECの様な経済会議が催され、
そこでTPP「環太平洋戦略的経済連携協定」の様な事が論じられていると思えば、
なんとかもう一歩踏み込んで皇道経済に近づく話題が起こってほしい。
…という強い思いが込み上げて来るのを否めないのだ。

こんな話は、やはり中流階級以上の豊かさに慣れ親しんでいて、
それなりに学識のある身魂でなければ理解できるものではないと思うと、
ただの物知りではいけないが、教養の徹底というのは絶対に必要だと感じるのだ。

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丙 『オイあまり座が淋(サビ)しくなつたやうだ、一つ謡つたらどうだ。
   あのウラル彦の神さまの宣伝歌は俺らには天国の福音(フクイン)だ。
   呑(ノ)めや騒(サワ)げや一寸先(イツスンサキ)は闇(ヤミ)よ、
   闇の後(アト)には月(ツキ)がでるなンて甘(ウマ)くいひやあがらア。
   俺らは酒さへありや、嬶(カカ)も何も要(イ)らぬ』

丁 『お前何ほど天来(テンライ)の福音でも、呑めぬ酒に酔へるかい。
   酒は百薬の長だとか、生命(イノチ)の水だとかいふけれど、
   呑みたい酒もよう呑まずに、毎日扱(コ)き使はれて、
   ナイヤガラの赤い水を、酒だと思ふて呑んでゐても、
   ねつからとつくりと酔はぬぢやないか、これを思へば悲しい浮世だ』

とそろそろ泣きだす可笑(ヲカ)しさ。

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高貴な神々も歌を愛するのだが、こんな低俗な身魂でも、
やはり歌も踊りも好きなのだ。

しかし、そういえば太古、オウスノミコトがクマソタケルを騙し討ちにした時も、
女に化けて踊ったりしながら酒に酔って油断したクマソタケルを倒し、
ヤマトタケルノミコトの名を贈られたわけだが、それを名乗ったが為に、
父、景行天皇の取り巻きに嫌われて都から所払いされる様に遠征に明け暮れたので、
それに比べたら、ここでの春日姫の戦略は、多少はマシなのかもしれない。

…と思いつつも、筆者も自称ハードロッカーなので、
エレキギターをガンガン弾いてシャウトして歌い、
リズムに合わせて身体を動かすのが好きだから、
なるたけこうした正邪の神の戦いという様な世界とは関わりたくはないのだが、
ミュージシャンとして社会に受け入れられようと思えば、
どうしてもこうした政治的な方面と関わらざるを得ないのが若干不愉快ではある。

それもこれもやはり、皇道経済が実現されるまでの矛盾だとは思えるが、
こんなつまらん問題に巻き込まれないで、思う存分ギターをカキ鳴らし、
天国に昇る心地でシャウトして歌える世界を、一日も早く実現したいものだ。

丁 『お前何ほど天来(テンライ)の福音でも、呑めぬ酒に酔へるかい。
   酒は百薬の長だとか、生命(イノチ)の水だとかいふけれど、
   呑みたい酒もよう呑まずに、毎日扱(コ)き使はれて、
   ナイヤガラの赤い水を、酒だと思ふて呑んでゐても、
   ねつからとつくりと酔はぬぢやないか、これを思へば悲しい浮世だ』

筆者は血液型O型のラテン系気質だからなのかもしれないが、
あまり酒を飲まなくても、バンドのイケる演奏の中で、エレキ・ギターをカキ鳴らし、
シャウトして歌っていられれば、いわゆるアドレナリンが噴出して、
果てしなく自己陶酔していられる事を知っているから、
「世直し」という価値観に出会いさえしなければ、
きっとそれだけやって生きていられたろうと思うのだが、
世を立て直す誠の神様の道に触れてしまった以上、
皇道経済ということを抜きにしては、もう完全に自己陶酔することは出来なくなった。

技術として、そんなフリをする事は充分に出来る様になったので、
その程度でも喜んでくださる皆様とは、まだ楽しくやらして頂いてはいるのだが…

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戊 『オイ、こんな目出度い場所で、メソメソ泣くやつがあるかイ』

丁 『泣かいでか、今夜は美山彦が春日姫としつぽり泣きよるのだ。
   俺らはその乾児(コブン)だ、泣くのがあたり前よ』

戊 『貴様の泣くのと、春日姫の泣くのとは泣きやうが異ふ。
   丁度鶯(ウグヒス)の梅が枝にとまつて陽気な春を迎へて鳴くのと、
   鶏(ニハトリ)が首を捩(ネヂ)られ毛を抜かれ、
   絶命の声を張り上げて鳴くのと程の相違があるのだ』

甲 『この間もアタけつたいの悪い天教山(テンケウザン)の癲狂人(テンキヤウジン)が、
   そこらうちを歩きまはりよつて、
   照るとか、曇るとか、浮くとか死ぬとか、時鳥(ホトトギス)がどうとか、
   触(フ)れ歩くものだから、毎日々々地響きはしだす、
   雨はべそべそと貴様の涙のやうに降りしきる。
   谷間の水は赤泥(アカドロ)となつて、
   水もろくに呑まれやせないぢやないか。
   あんな奴(ヤツ)は一時も早くどうかして、
   ナイヤガラの滝にでも、打ち込んでしまひたいものだなア』

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最近筆者はナイヤガラの滝とか川は米国だけの事ではなく、
日本の華の東京の事でもあろう…という思いを強くしている。

…というのも、鬼城山の国魂は灰色の玉なのだが、
その灰色の玉がコンクリートだという事を、
ハリウッド映画「フリント・ストーン モダン石器時代」を、
テレビでたまたま観て直感する事が出来たからなのだ。

勿論、それが大本や愛善苑などで公式に言われている事かどうかは知らない。

あくまで筆者が個人的に感じた事なので、閲覧者の皆さんが、
これについてどう思うかは、各自の判断にお任せするのである。

この筆者の個人的な発見にしても、筆者にしてみれば天来の福音だが、
理解できない皆さんからすれば、ここでの酔ってくだまく連中の様に、
頭が痛くなる様な発見かもしれないわけだ。

筆者の「みんなしあわせになれ」でも、拍手喝采する人もあれば、
大いに眉をしかめる皆さんもあるわけである。

権力というものは、こうした反対勢力を強引に従わせるものだと思うのだが、
そういう事を「草薙の剣」というのではなかろうか?

日本武尊も、この草薙の剣を後妻に渡してから不運の連続に見舞われる。

反対勢力=必ずしも「悪」とも言い切れないが、理屈を説いて悦服しない相手には、
武力制圧という事も必要である。…という事かもしれない。

筆者は最近エアーソフトガンが趣味であるが、
他人にこれを薦める時には一応モラルとして、
これで生き物を撃つのは危険だという注意を付け加える事を忘れない。

MAGNUM FORCE(歌詞付き)~ 全世界のTOY GUN 愛好家たちに捧ぐ ~


だがそれは生き物が傷つくから危ないのではなくて、
あんな玩具のエアガンで、へたに生き物にチョッカイを出すと、
かえってその生き物に襲われる危険性があるから撃った本人が危険なのだ。

武器という物は、相手の命を奪える威力を持つ物で無ければ、
かえって持っている方が危険なのだ。
そんな武器は持っていない方がマシである。

「生兵法は怪我のもと」

…というやつである。

かの坂本龍馬でも、四人くらいの剣豪を相手になら、
六連発の銃で応戦出来たかもしれないが、
寺田屋で複数の捕り手に囲まれた時は、かえってその拳銃の限界が災いして、
深い手傷を負いながら命からがら逃げ出して生死の間を彷徨った。

あんな場合は下手に弾数が少ない拳銃に頼るより抜刀するか、
抜刀せずに屋根伝いに逃亡した方がマシだったのではないかと思う。

下手に高杉晋作の友情で頂いた拳銃があったので、その威力を試してみたくなり、
無駄な危険を招いたのかもしれないとも思えてしまうのだ。

今でも戦場などでは、接近戦、肉弾戦ともなれば、弾数がなくなれば、
刃物の方が優位だろうと思うのだが、
筆者が好きな歴史上の英雄であるワイアット・アープなども、
暴漢の拳銃を奪って、それで殴り倒すという戦法が得意だったらしい。

人間なんて、案外そんなもので充分撃退出来るのだが、
相手によっては艮(トドメ)を刺さないと後の復讐が恐ろしかったりするのが、
こうした修羅の世界の宿命だ。

「草薙の剣」は皇位継承の神器の一つである。

…というところに意味があるのだと言えると思うわけだが、
それを持っているだけで、特に日本人には効果があった。
…という事になろうと思う。

何せ、日本人というのは皇室好きの国民性だから…。

その草薙の剣を自ら手放してしまい、万民と平等の立場で理想を貫こうとしても、
たぶんおそらくうまくいくものではないのだろう。

世の中、どんな間違った事でも、東大博士とかが威厳を持って言えば採用されるし、
どんなに正しく立派な事でも、その辺の浮浪者が言っても、普通は誰も聞かない。

権威というのは、実に憎たらしいものだが、豪族を抑えるには不可欠なものらしい。

『音惚花活気好@kakky』的『第5章 抔盤狼藉(255)』分解(二)

2010年11月13日 23時44分48秒 | Weblog
乙 『ウン、その宣伝使か、それや今夜出てきをつた。
   奥の間に鯱(シヤチ)こ張(バ)つて大きな目玉をむいて、
   生命(イノチ)のもはや尽(ツ)きとる彦(ヒコ)とか月照(ツキテル)とかいふ奴と、
   腹がすいて、ひだる彦(ヒコ)とかいふ奴が、美山彦の計略にかかつて、
   今はほとんど籠(カゴ)の鳥、あれさへやつてしまへば、
   雨も止むだらうし、地響も止まるだらう。
   縁起糞(ゲンクソ)の悪いことをふれ廻るものだから、
   天気がダンダン悪くなるばかり、俺(オ)りや、
   彼奴(アイツ)たちの囀(サヘヅ)る歌を聞くと妙に頭がガンガンぬかして、
   胸を竹槍で突かれるやうな気がするのだよ』

戊 『そこが美山彦は偉いのだ。
   お前たちがその宣伝歌とやらを聞いて
   苦しむのを助けてやらうといふ大慈悲心から、
   その宣伝使をこの館に甘(ウマ)く引つ張り込んで、
   今夜は荒料理することとなつてをるのだ。
   マアそれでも肴(サカナ)に、
   寛(ユツ)くり酒を呑んで夜明かしでもしようぢやないか』

といづれの奴も皆へべれけに酔ひつぶれ、
碌(ロク)に腰の立つものもなき有様なりける。

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これはある意味言霊の活用法というのを考えた場合、
当たっている様な事の様にも思えてしまうので、少し考えてみよう。

出口王仁三郎聖師に見込まれて霊界物語の筆録者を務めた谷口正治氏も、
後に光明思想系の「生長の家」を興したわけで、
筆者はその弟子に当たる五井昌久先生が興した白光真宏会の
「世界平和の祈り」を実践しながら、先生の御法話集を愛読しつつ、
いろんな神秘学を雑学的に学習して最終的に「霊界物語」に辿りついた。

その「世界平和の祈り」に出会う何カ月か前に「みんなしあわせになれ」
を一生歌い続ける事を決意したわけだが、そこに至るまでの筆者は、
今でもエアガンの愛好家である様に、かなり過激なタカ派だった。

勧善懲悪だったので、自分なりに、自分が実践できる武術を研究したし、
武器に対する知識も、それなりに身に付けた。

そんな体験の中で、その気になればタオル一枚あれば人は殺せるとか、
そんなダークな事を、かなり本気に考えていた時期があった。

だが、その様な暗黒時代の筆者は、いつもあちこちに腫れものが出来たり、
ショッチュウ風邪気味で苦しんだりと、実際いい事は無かったので、
「みんなしあわせになれ」から始まった光明思想への道は、
本当に有難い希望の光であった。

ところがようやく求めに求めた「霊界物語」に辿り着いた時、
そこには人間のみならず神々の醜態が赤裸々に綴られていて、
実際、戸惑わなかったわけではないのだが、
そこに至るまでに十年間、人間は理想論そのままの美しい生き方など、
そんなに簡単に出来るものではない。
…という事も思い知っていたので、
「霊界物語」に登場する神々のお粗末さが、この上ない救いになったのだ。

理想論を貫徹するのは本当に苦行と言っても差支えないほどの忍耐が必要だ。

筆者は自慢するわけではないけれども誘惑に弱い。

そんな誘惑に弱い筆者が御神業などとんでもないと思っていたが、
どうしてもこの道に関わらずにはおれない様な運命に巻き込まれて、
今日まであれよあれよという感じで、その流れに立ち向かいつつ、
「霊界物語」という救いの船に乗って、この荒浪を乗り越えて来たのだと思う。

だから、ここでくだまいている木っ端共の気持ちもよく判る。

判るからこそ、このままではいけないと思うので、
こうした問題を根本的に解決するのは皇道経済の実施以外には無いと確信するのだ。

ある程度経済的に満たされている時には光明思想以外には無いと思えるのだが、
社会に接して怨みたくなくても恨みが蓄積されると、
大峠予言的な事をやって社会に警鐘を鳴らし、
憂さ晴らしをしたくなるのも人情だと思う。

筆者も基本的には「日月神示」などのタイプの預言とか神示は、
暗黒思想的で嫌いだが、そうしたものが世に湧き出して来て、
それが支持される社会の持つ矛盾も見逃すわけにはいかない。

理想論を追求する忍耐強い上根の身魂の皆様には聞き苦しい事かもしれないが、
やはりこうした現世ならではの問題を根本的に解決するのは、
皇道経済の実施であると、筆者はその確信をいよいよ深めるばかりである。

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 奥の一間には、美山彦、春日姫は今日をかぎりと盛装を凝らし、
結婚の式を挙げつつあり、
そして容色うるはしき春姫(ハルヒメ)が酌を勤めつつありたり。

春日姫は力かぎり媚(コビ)を呈して美山彦に無理やりに、
面白き歌を謡ひながら酒を勧むる。

美山彦は春日姫の勧むるままに酒杯を重ね、
つひには酩酊の極、頭が痛み眩暈(メマヒ)するといひつつその場にドツと倒れ、
雷のごとき鼾声(カンセイ)をあげて正体もなく寝入りてしまひたり。

春姫は立ち上るとたんに長き高き酒樽に衝突し、
樽は転げて美山彦の頭上に、酒を滝のごとく濺(ソソ)ぎたり。

美山彦は両手にて虚空を探るごとき手つきして寝返りをうち、
苦しげに唸(ウナ)りゐる。

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先週も筆者は主張したけれども、春日姫のこういうやり方はよくないと思う。

しかし三年間受けた屈辱を考えたら、
これくらいの事はまだ生易しいのかもしれない。

だが、そんな考え方は宗教的な理想からみれば、恐ろしく醜いのだ。

現代の死刑問題にしても、
宗教的モラルに照らしてみたら死刑は絶廃するべきだと思うが、
何も遺族への同情ばかりではなく、生き物の本能的感情として、
人命を軽々しく奪う奴など死刑にするのが当たり前だとも感ずるわけだ。

だが理性があるので、それは言ってはいけない事だとセーブするのである。

春日姫のやっている事は正しくはないけれども、
悪い事だとは言い切れないものがある。

この辺が実に難しい問題だ。

一方、この美山彦という奴は、
シラフでかかったらとても女が一人で太刀打ちできない様な、
そんな野蛮な腕力の持ち主だったのだろうが、
それでも力で捩じ伏せずに、
春日姫を逃げられない所に囲って、ねちっこく口説き続けただけで、
強姦するところまでいかなかったわけだから、
それを考えれば、実に中途半端な悪党でもあり、
ある意味、救いようのある良心も隠している、
わけありの悪党なんだな…という、些か甘い判断もする事が出来る。

また春日姫も、単身逃げ出す事も可能だったのかもしれないが、
そんな事をすれば忽ち囚われの身の月照彦が殺されてしまうかもしれないし、
そんな風に思えば実にもどかしい屈辱的な三年間を耐えて来たのだろうし、
それが足真彦が来て味方の男が一人増えたのが励みになって、
やっとのことで、この策略の実行に及んだということになるのかもしれない。

正しくはないことだけれども、情状酌量の余地があると、
いえないこともないことだ。

実に女の操を守り通すというのは難しいものだ。

今の様にフリーセックスを笑って言える時代とは違って、
肉体の貞操が重視される宗教的モラル全盛の社会では、
実に実に扱いがデリケートな問題だし、
そんな観点から観れば、この春日姫の戦略は、
実に天晴れという事になるかもしれない。

もし、前回筆者が指摘した様に、
後世で春日姫と美山彦が結婚する様な因果になったとしても、
本来、善悪も、敵味方も無い筈のミロクの世での事ならば、
そんな事でこの正しからざる事の罪が償われるのならば、
それはそれでよいことなのかもしれないし…。

「愛と許し」が最優先である救いの世界では、それが正しい事になる筈なのだ。

善悪の価値判断を何処に置くかで、その評価も全く逆転する場合もある。

詳しくは知らないが、それはおそらく、
民衆キリスト教と過激イスラム教くらいに違うのではなかろうか?

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 春日姫は春姫をともなひ奥殿に進みいり、
月照彦天使(ツキテルヒコノカミ)に委細を物語り、
春姫をして一室に控へたる足真彦(ダルマヒコ)を招かしめ、
男女四柱(ヨハシラ)はここに緊急会議を開きける。

 アヽこの会議の結果や如何(イカン)。

 (大正十一年一月十六日、旧大正十年十二月十九日、加藤明子録)


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今でも野性の猿・熊・猪が、人里に出没して農作物を荒らしたり、
民家に侵入したり、老人などを襲ったりした結果、
捕獲されたり、銃殺されたりしているわけだけれども、
動物愛護の視点から観れば「何も殺す事はないだろう」
という事になるのも判るし、人語の通ずる相手ではない野獣を、
迂闊に開放すれば人里が危険に晒される事になる。
…というのも判らないこともでもないと思う。

現状、筆者が住んでいる神奈川県横浜市南区辺りには、
こんな問題は起こりそうもないので、
半分興味本位に「もののけ姫」の様に思えてしまったり、
大本神諭にある様に、その時になれば神も神代のままの姿を現わして、
お手伝いする事になるという事の具現化の一つなのではないか?
…とも言いたくなってしまうのだが、現地の皆さんにとっては、
きっとそれどころではない問題だろうと思う。

手負いの野獣は凶暴になるらしいからトドメを刺す方がいいだろうし、
檻に捕獲して、人間を襲わない様に教育して、人里大使的に開放する。
…という理想的な方法を採る事も出来るだろう。

どちらを選ぶかは地域の行政予算が大きな影響を与えるらしいが、
こんな問題の根本的な解決にも、皇道経済の実施が必要不可欠なのだと、
筆者はますます、その思いを深くするばかりである。

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

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第4章 立春到達(リツシユンタウタツ) (254)

2010年11月05日 21時54分27秒 | Weblog
霊界物語 第六巻 霊主体従 巳の巻 第一篇 山陰の雪

 花の顔色(カンバセ)、霞の衣(コロモ)、姿優(スガタヤサ)しき春の日の、
花に戯(タハム)る蝶々(テフテフ)の、得も言はれぬ風情をば、
遺憾なくあらはしながら、宣伝使の前に座を占めたる美人あり。

 足真彦(ダルマヒコ)は思はず、

  「ヤア」

と叫べば、女性はハツと胸を仰(オサ)へ、

 『鬼熊(オニクマ)はあらざるか、鬼虎(オニトラ)はいづこぞ。
  申付くべきことあり、早く来れ』

と、しとやかに呼ばはりたり。

されど何れの者も、この女にまかせて何彼の準備に取りかかり、
近辺には一柱(ヒトハシラ)の厄雑男(ヤクザヲトコ)さへをらざりける。

 女性はあたりに人無きを見すまし、
梅花のごとき美しき唇をやうやく開きて、

 『アヽ貴下(キカ)は足真彦にまさずや。
  月照彦天使(ツキテルヒコノカミ)は、
  当山に割拠する美山彦(ミヤマヒコ)の謀計にかかり、
  今や奥殿に休息されつつあり。
  悪人の奸計にて、痛はしや、今宵のうちにその生命(イノチ)も、
  晨(アシタ)の露と消えたまはむ。
  貴下もまた同じ運命のもとに
  刃(ヤイバ)の露と消えさせたまふも計りがたし。
  心配(ココロクバ)らせたまひ、妾(ワラハ)と共に力を協(アハ)せ、
  この館の悪人どもを打亡ぼして、世界の難を救ひたまへ。
  妾は月照彦天使の懇篤なる教示を拝し、
  吾が夫鷹住別(タカスミワケ)は宣伝使となりて天下を遍歴し、
  妾は御恩深き月照彦の御跡(ミアト)を慕(シタ)ひ、
  一つは吾が夫鷹住別にめぐり会はむと、
  モスコーの城を後にして、雨に浴し風に梳(クシケヅ)り、
  流浪(サスラ)ひめぐるをりから、
  今より三年のその昔、美山彦の計略に乗せられ、
  鬼熊彦の馬に跨(マタガ)り、この深山の奥に誘拐(カドハ)かされ、
  面白からぬ月日を送りつつある春日姫(カスガヒメ)にて候』

とありし次第を涙とともに物語り、
かつ足真彦の耳に口寄せ、何事か囁(ササヤ)きにける。

 足真彦は、無言のまま打ちうなづきぬ。
春日姫は、あたりに何人も無きに安心したるものと見え、
涙を片手に、激昂の色を満面に漂はせながら、

 『妾(ワラハ)は美山彦の妻なる国照姫(クニテルヒメ)が、
  ウラル彦に招かれて、ウラル山に出発せしより、
  閨淋(ネヤサビ)しき美山彦のために

  「昼は娘となり、夜は妻となれよ」

  との日夜の強要に苦しみ、
  涙の日を送ること茲(ココ)に三年に及ぶ。
  されど妾は貞操(ミサヲ)を守り、今にその破られたることなし。
  しかるに美山彦は執拗にも、
  最初の要求を強要してやまざるを幸(サイハ)ひ、今宵は一計を案出し、
  美山彦の一派の悪人等を打ち懲(コラ)しくれむ。
  その手筈(テハズ)はかくかく』

とふたたび耳うちしながら、悠々として一間に姿を隠したりける。

 場面は変りて、ここは見晴らしの佳(ヨ)き美山彦の居間なり。
美山彦にとりて強敵たる月照彦、
足真彦の甘々(ウマウマ)とその術中に陥(オチイ)り、
吾が山寨(サンサイ)に入り来れるは、
日ごろの願望成就の時到れりとなし、勝誇りたる面色にて、
花顔柳腰(クワガンリウエウ)の春姫(ハルヒメ)に酌(シヤク)させながら、

 『飲(ノ)めよ騒(サワ)げよ
  一寸先(イツスンサ)きや暗黒(ヤミ)よ
  暗黒(ヤミ)のあとには月が出る
  月照彦(ツキテルヒコ)の運(ウン)のつき
  足真(ダルマ)の寿命(ジユミヨウ)も今日かぎり
  春日(カスガ)の姫(ヒメ)は軈(ヤガ)て妻(ツマ)』

と小声に謡(ウタ)ひながら、
上機嫌にて果物(クダモノ)の酒をあふりゐたり。

 かかるところに、衣摺(キヌズ)れの音しとやかに、
襖(フスマ)を押開け入りきたる女は、
美山彦の須臾(シユユ)も忘るる能(アタ)はざる春日姫なりける。

 春日姫は満面に笑(エ)みをたたへ、
美山彦にむかひて会釈しながら盃(サカヅキ)をとり、
美山彦に差したりしに、美山彦は意気揚々として、
満足の色をあらはしながら、春日姫の顔を酔眼朦朧として眺めゐたり。

春日姫は春姫に目配(メクバ)せしたれば、
春姫はこの場を立ちて、奥殿の月照彦命の居間に急ぎける。

春日姫は形容をあらため、襟を正し、さも嬉しげにいふ。

 『今日は如何(イカ)なる吉日ならむ。
  日ごろ妾が念頭を離れざる彼の月照彦の、
  貴下(アナタ)の術中に陥(オチイ)れるさへあるに、
  又もや足真彦の、貴下の神謀鬼略によりて、
  この山寨に俘虜(トリコ)となりしは、
  まつたく御運の強きによるものならむ。
  妾はこの二人さへ亡きものとせば、
  この世の中に恐るべき者は一柱(ヒトハシラ)も無し。
  今宵は時を移さず、貴下の妻と許したまはざるか。
  幸ひに夫婦となることを得ば、
  たがひに協心戮力(リクリヨク)して二人を平げ、
  彼が所持する被面布(ヒメンプ)の宝物を奪ひ、
  かつ足真彦は、天教山(テンケウザン)の木(コ)の花姫(ハナヒメ)より得たる
  国(クニ)の真澄(マスミ)の玉(タマ)を所持しをれば、
  之(コレ)またマンマと手に入るからは、大願成就の時節到来なり。
  この吉祥(キツシヤウ)を祝するために、今宵妾と夫婦の盃をなし、
  かつ残らずの召使どもに祝意を表するために、
  充分の酒を饗応(フルマ)はれたし』

と言ふにぞ、美山彦は大いに喜び、心の中にて、

 「アヽ時節は待たねばならぬものだなア、
  日ごろ吾を蛇蝎(ダカツ)のごとく、
  毛蟲のごとく嫌ひたる春日姫の今の言葉、
  まつたく縁(エニシ)の神の幸(サキハ)ひならむ。
  善は急げ、又もや御意の変らぬうちに」

と二つ返事にて春日姫の願を容(イ)れ、手を拍ちて侍者を呼び招けば、
禿頭(ハゲアタマ)の鬼熊彦(オニクマヒコ)はたちまち此の場に現はれたり。

美山彦(ミヤマヒコ)は機嫌よげにイソイソとして、

 『今宵ただちに結婚式を挙ぐる用意をせよ。
  召使(メシツカヒ)一同に残らず祝酒を与へて、思ふままにさせ、
  各自に唄ひ舞ひ、踊らしめよ』

と命令したれば、鬼熊彦は、

 「諾々(ハイハイ)」

と頭(カシラ)を幾度も畳にうちつけながら、
喜び勇みて此の場を駆(カ)けだしたり。
而(シカ)して一般に、今宵の結婚の次第を一々伝達せしめたりけり。

 (大正十一年一月十六日、旧大正十年十二月十九日、藤松良寛録)

『音惚花活気好@kakky』的『第4章 立春到達(254)』分解

2010年11月05日 21時53分45秒 | Weblog
霊界物語 第六巻 霊主体従 巳の巻 第一篇 山陰の雪

平成二十二(2010)年十一月五日 旧九月二十九日(金)

 花の顔色(カンバセ)、霞の衣(コロモ)、姿優(スガタヤサ)しき春の日の、
花に戯(タハム)る蝶々(テフテフ)の、得も言はれぬ風情をば、
遺憾なくあらはしながら、宣伝使の前に座を占めたる美人あり。

 足真彦(ダルマヒコ)は思はず、

  「ヤア」

と叫べば、女性はハツと胸を仰(オサ)へ、

 『鬼熊(オニクマ)はあらざるか、鬼虎(オニトラ)はいづこぞ。
  申付くべきことあり、早く来れ』

と、しとやかに呼ばはりたり。

されど何れの者も、この女にまかせて何彼の準備に取りかかり、
近辺には一柱(ヒトハシラ)の厄雑男(ヤクザヲトコ)さへをらざりける。

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今回の分解の内容とはまったく無関係だけれど、
今日の旧暦である九月二十九日は、筆者の旧暦の誕生日である。
新暦の誕生日まではあと十二日あるのだが、
今週はいろいろ忙しくて、このブログを更新する気になれたのが、
たまたまなのか惟神なのか今日になった事には、
もしかしたらまた何か意味があるかもしれないので、
それを楽しみにしながら今週も分解を進めて行こうと思う。

ちなみに天保8年9月29日(1837年10月28日)は、
大政奉還を決意した徳川慶喜の誕生日だった。

西暦1837年10月28日は蠍座になるので、
筆者と何か共通する事でもあるのだろうか?

…と、今回の分解とは全く関係ないであろう情報を得てしまったのだが、
はたして今回の分解内容との関連性はあるや?なしや?

昔の活動弁士が語り出しそうな、この、

『花の顔色(カンバセ)、霞の衣(コロモ)、姿優(スガタヤサ)しき春の日の、
 花に戯(タハム)る蝶々(テフテフ)の、得も言はれぬ風情をば、
 遺憾なくあらはしながら、宣伝使の前に座を占めたる美人あり。』

…という語り口調からすぐに察せられるのは「恋の予感」なのだが、
足真彦神は後に達磨太子に生まれて来るという因縁の身魂の筈なのに、
こんな足腰がこそばゆくなる様な展開があるのだろうか?

…とはいえ、恋の香りを放っているのは足真彦の方ではなくて、
この謎の美人の方なのだけれども…?

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 女性はあたりに人無きを見すまし、
梅花のごとき美しき唇をやうやく開きて、

 『アヽ貴下(キカ)は足真彦にまさずや。
  月照彦天使(ツキテルヒコノカミ)は、
  当山に割拠する美山彦(ミヤマヒコ)の謀計にかかり、
  今や奥殿に休息されつつあり。
  悪人の奸計にて、痛はしや、今宵のうちにその生命(イノチ)も、
  晨(アシタ)の露と消えたまはむ。
  貴下もまた同じ運命のもとに
  刃(ヤイバ)の露と消えさせたまふも計りがたし。
  心配(ココロクバ)らせたまひ、妾(ワラハ)と共に力を協(アハ)せ、
  この館の悪人どもを打亡ぼして、世界の難を救ひたまへ。
  妾は月照彦天使の懇篤なる教示を拝し、
  吾が夫鷹住別(タカスミワケ)は宣伝使となりて天下を遍歴し、
  妾は御恩深き月照彦の御跡(ミアト)を慕(シタ)ひ、
  一つは吾が夫鷹住別にめぐり会はむと、
  モスコーの城を後にして、雨に浴し風に梳(クシケヅ)り、
  流浪(サスラ)ひめぐるをりから、
  今より三年のその昔、美山彦の計略に乗せられ、
  鬼熊彦の馬に跨(マタガ)り、この深山の奥に誘拐(カドハ)かされ、
  面白からぬ月日を送りつつある春日姫(カスガヒメ)にて候』

とありし次第を涙とともに物語り、
かつ足真彦の耳に口寄せ、何事か囁(ササヤ)きにける。

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『女性はあたりに人無きを見すまし、
 梅花のごとき美しき唇をやうやく開きて』

…というのは神柱たるべき姫神としては、少々不穏な態度かな?
と筆者は思うのだけれども、語っている内容にも、
月照彦天使が今にも死にそうだなどと言っているのは、
ちょっと怪しい感じがするのだが、どうなのだろう。

筆者はこのストーリーの成り行きをスッカリ忘れているので、
今、まったく新鮮な気持ちで、この物語の顛末を見守っているところだ。

しかし、

『足真彦の耳に口寄せ、何事か囁(ササヤ)きにける。』

…というのも、なんだか怪しいムードである。

本物の春日姫は足を痛めた夫鷹住別を籠車に乗せて、
旅をしていた筈なのだが、その続きの展開として、
今、この様な状態になっているのだろうか?

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 足真彦は、無言のまま打ちうなづきぬ。
春日姫は、あたりに何人も無きに安心したるものと見え、
涙を片手に、激昂の色を満面に漂はせながら、

 『妾(ワラハ)は美山彦の妻なる国照姫(クニテルヒメ)が、
  ウラル彦に招かれて、ウラル山に出発せしより、
  閨淋(ネヤサビ)しき美山彦のために

  「昼は娘となり、夜は妻となれよ」

  との日夜の強要に苦しみ、
  涙の日を送ること茲(ココ)に三年に及ぶ。
  されど妾は貞操(ミサヲ)を守り、今にその破られたることなし。
  しかるに美山彦は執拗にも、
  最初の要求を強要してやまざるを幸(サイハ)ひ、今宵は一計を案出し、
  美山彦の一派の悪人等を打ち懲(コラ)しくれむ。
  その手筈(テハズ)はかくかく』

とふたたび耳うちしながら、悠々として一間に姿を隠したりける。

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これまた全然関係ないのだけれども、
筆者は今、テレビシリーズ「ルパン三世」で、
ルパン三世と十三代目石川五右衛門が、
謎の女 峰不二子にかどわかされて、
互いに殺し合おうとしたストーリーを思い出してしまった。

『最初の要求を強要してやまざるを幸(サイハ)ひ、今宵は一計を案出し、
 美山彦の一派の悪人等を打ち懲(コラ)しくれむ。
 その手筈(テハズ)はかくかく』

…というやり方も、
およそ正しい姫神の考える事ではないような気がするのだが、
はたしてこの先、どういう事になるのだろうか?

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 場面は変りて、ここは見晴らしの佳(ヨ)き美山彦の居間なり。
美山彦にとりて強敵たる月照彦、
足真彦の甘々(ウマウマ)とその術中に陥(オチイ)り、
吾が山寨(サンサイ)に入り来れるは、
日ごろの願望成就の時到れりとなし、勝誇りたる面色にて、
花顔柳腰(クワガンリウエウ)の春姫(ハルヒメ)に酌(シヤク)させながら、

 『飲(ノ)めよ騒(サワ)げよ
  一寸先(イツスンサ)きや暗黒(ヤミ)よ
  暗黒(ヤミ)のあとには月が出る
  月照彦(ツキテルヒコ)の運(ウン)のつき
  足真(ダルマ)の寿命(ジユミヨウ)も今日かぎり
  春日(カスガ)の姫(ヒメ)は軈(ヤガ)て妻(ツマ)』

と小声に謡(ウタ)ひながら、
上機嫌にて果物(クダモノ)の酒をあふりゐたり。

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この程度の事なら、それほど残虐な悪玉ではないように思えてしまうのは、
現代人として暮らしている筆者の悲しいところなのかもしれないのだが、
それでおとなしくやられてしまう様な月照彦、足真彦ではしょうがなかい。

「そうは問屋がイカのナントカ」

…という事になるのであろうことは容易に想像する事が出来る。

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 かかるところに、衣摺(キヌズ)れの音しとやかに、
襖(フスマ)を押開け入りきたる女は、
美山彦の須臾(シユユ)も忘るる能(アタ)はざる春日姫なりける。

 春日姫は満面に笑(エ)みをたたへ、
美山彦にむかひて会釈しながら盃(サカヅキ)をとり、
美山彦に差したりしに、美山彦は意気揚々として、
満足の色をあらはしながら、春日姫の顔を酔眼朦朧として眺めゐたり。

春日姫は春姫に目配(メクバ)せしたれば、
春姫はこの場を立ちて、奥殿の月照彦命の居間に急ぎける。

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正直言って、筆者も美女は嫌いではないので、
堅苦しい神事ばかりの話に襟を正してばかりいるよりも、
こんなくだけた席で、

「据え膳食わぬはなんとやら」

…的にもてはやされたいものだが、
所詮世の中、夫婦でも恋人でもないのに、
美女がこんな風にもてなしてくれるからには、
きっと何か裏があるに違いない。

…と、嫌々ながらも疑ってかかるべきだろうと思ってしまう。

現実の社会では、世間体とかもあるし、人の目が気になるから、
どうしても男女が接近するまでには時間がかかるものだが、
筆者の夢の中…おそらく精霊界でタイプの異性に出会った場合は、
何の迷いもなく抱き合ってしまったりするから、
それに比べたら、こんな勿体つける様なデレデレっとしたやりとりは、
善悪混濁した世の中ならでは事なのだろう。
…という風に位置づけしておこう思うのだが…?

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春日姫は形容をあらため、襟を正し、さも嬉しげにいふ。

 『今日は如何(イカ)なる吉日ならむ。
  日ごろ妾が念頭を離れざる彼の月照彦の、
  貴下(アナタ)の術中に陥(オチイ)れるさへあるに、
  又もや足真彦の、貴下の神謀鬼略によりて、
  この山寨に俘虜(トリコ)となりしは、
  まつたく御運の強きによるものならむ。
  妾はこの二人さへ亡きものとせば、
  この世の中に恐るべき者は一柱(ヒトハシラ)も無し。
  今宵は時を移さず、貴下の妻と許したまはざるか。
  幸ひに夫婦となることを得ば、
  たがひに協心戮力(リクリヨク)して二人を平げ、
  彼が所持する被面布(ヒメンプ)の宝物を奪ひ、
  かつ足真彦は、天教山(テンケウザン)の木(コ)の花姫(ハナヒメ)より得たる
  国(クニ)の真澄(マスミ)の玉(タマ)を所持しをれば、
  之(コレ)またマンマと手に入るからは、大願成就の時節到来なり。
  この吉祥(キツシヤウ)を祝するために、今宵妾と夫婦の盃をなし、
  かつ残らずの召使どもに祝意を表するために、
  充分の酒を饗応(フルマ)はれたし』

と言ふにぞ、美山彦は大いに喜び、心の中にて、

 「アヽ時節は待たねばならぬものだなア、
  日ごろ吾を蛇蝎(ダカツ)のごとく、
  毛蟲のごとく嫌ひたる春日姫の今の言葉、
  まつたく縁(エニシ)の神の幸(サキハ)ひならむ。
  善は急げ、又もや御意の変らぬうちに」

と二つ返事にて春日姫の願を容(イ)れ、手を拍ちて侍者を呼び招けば、
禿頭(ハゲアタマ)の鬼熊彦(オニクマヒコ)はたちまち此の場に現はれたり。

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「日ごろ吾を蛇蝎(ダカツ)のごとく、
 毛蟲のごとく嫌ひたる春日姫の今の言葉、
 まつたく縁(エニシ)の神の幸(サキハ)ひならむ。」

…などという春日姫が、突然掌を返した様にこんな甘い事を言って来たら、
冷静な時なら、

「こいつは怪しいぞ。よく調べてから相手しないと、
 どんな目に遭わされるか判ったものではない。」

…と要注意しながら、
相手に悟られない様に騙されたフリをするのだと思うのだが、
たぶん美山彦は慢心していて、自分の事を天下の智将、大英雄…
くらいに自惚れているのであろうから、
もしかしたらホントに簡単に騙されてしまうのかもしれない…

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美山彦(ミヤマヒコ)は機嫌よげにイソイソとして、

 『今宵ただちに結婚式を挙ぐる用意をせよ。
  召使(メシツカヒ)一同に残らず祝酒を与へて、思ふままにさせ、
  各自に唄ひ舞ひ、踊らしめよ』

と命令したれば、鬼熊彦は、

 「諾々(ハイハイ)」

と頭(カシラ)を幾度も畳にうちつけながら、
喜び勇みて此の場を駆(カ)けだしたり。
而(シカ)して一般に、今宵の結婚の次第を一々伝達せしめたりけり。

 (大正十一年一月十六日、旧大正十年十二月十九日、藤松良寛録)

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仏教的な因縁因果の法則によると、
例え嘘でもこんな策略で偽りの契りを結んだりすれば、
それが縁になって後の世にホントに夫婦になって、
苦労して償わなければならなかったりするので、
筆者的には春日姫のこの色仕掛けは、あまり賢いやり方だとは思わない。

現代社会はマスメディアが発達して、
小説・雑誌・ラジオ・映画・テレビなどで、
この様な男女のドロドロとした関係を、
酒のつまみにして見る事が出来るが、
世の中全体は、百年ほど前には、
ろくなマスメディアガ無かったので、
身を守る為に、善悪ともどもに、知略を廻らし戦わせて、
あまりよくない因縁を造り続けて来た筈なので、
現代の様な一見恵まれた時代のありふれた幸福な家庭で、
突然、発作的な凶悪事件が発生する因縁になっていたのではなかろうか?
…と筆者は思うのだがどうだろうか?

今、どんなに真っ当に暮らしていたとしても、
それは現代の様に、ある程度、多くの人々が経済的安定を得ているからで、
現世でどんなに真面目にやっていたとしても、過去世において、
ここでの春日姫の様な悪知恵を利かせた事をやった因縁があれば、
一旦、幸福な結婚をした様な夫婦が、突然つまらないことで憎み合って、
とんでもない不幸な結末を迎えて、互いの恨みと罪を清算する様な事に、
なったりするのだろうな…と筆者は思うのだが、どうだろうか?

筆者としては、もしこの春日姫が正しい姫神であるならば、
後から来た足真彦に相談して、どの様にすればよいか確認をとり、
いったん足真彦を釈放して、足真彦が味方の正しい神達と協力して、
もうちょっとマシなやり方で月照彦天使を救出する事が出来る時を与えるべきで、
この物語の様に、わざわざ美山彦をその気にさせて騙す様なやり方を
するべきではなかったのではないか?
…と思うのだが、はたして他の読者の皆様はどの様に思われるだろうか?

そういえば、今回の分解の最初に話題にした徳川慶喜も、
天下の智将とは言われていたけれども、随分と迷いながら大政奉還を決意し、
徳川の存続に未練を残しながら、いろいろと奇策を行った結果、
随分と有能な志士達の無駄な血を流す事になったのではないか?
…という疑いもあるので、多少はこの偽美山彦や、
色仕掛けでその偽美山彦を騙そうとしている春日姫に似た、
後に禍根を残す様な、怪しいことをしていたのではなかろうか?

筆者としては、もっと爽やかな、スカッとした解決策が他にあるのが、
本当の正しい神様のやり方なのではないか?…と思うのだが、どうだろうか?

なんとなく現在の、スッキリとしない日本政府と諸大国との、
気を引きあう様な、ヌメヌメッとした、歯切れの悪いやり方と似ていて、
筆者としては実に面白からぬ気分になってしまうのを止められないのだ。

嗚呼、惟神霊幸倍給坐世(カムナガラタマチハエマセ)

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