『音惚花活気好@kakky』=垣内政治的《霊界物語学》の日記的な雑記の様なレポート状の諸々?

出口王仁三郎聖師による弥勒胎蔵経『霊界物語』を『音惚花活気好@kakky』的に学問してみるランダムレポート?

序文

2007年05月21日 20時10分48秒 | Weblog
霊界物語 第三巻 霊主体従 寅の巻

 艮(ウシトラ)の金神(コンジン)出現以後三十年の立替(タテカヘ)は、
いよいよ明治五十五年、すなはち大正の十一年、
三千世界一度に開(ヒラ)く梅の花の機運に到達したのである。

つぎに坤(ヒツジサル)の金神(コンジン)出現以後二十五年、
桃李(タウリ)ものいはずして桃李ものとなりし神の教示も、
いよいよ開く桃の春、五十二才の暁に、月の光に照らされて、
霊界探険物語り、ももの千草(チグサ)も、百鳥(モモドリ)も、
百(モモ)の言問(コトト)ひ言止(コトヤ)めて、
三月三日(ミツキミツカ)五月五日(イツツキイツカ)の神の経綸(ケイリン)を詳細に、
悟る神代(カミヨ)の魁(サキガケ)となつたのも、
まつたく時の力といふべきである。

明治三十三年九月八日の神筆に、

 『出口直(デグチナホ)は三千世界の根本の因縁から
  末(サキ)の世のことまで書かす御役(オンヤク)なり、
  それを細(コマ)かう説いて聞(キ)かせるのが
  海潮(カイテウ)の役であるから、一番に男子(ナンシ)が現はれて、
  次に女子(ニヨシ)が表はれたら、大本(オホモト)の中の役員も、
  あまり思ひが違(チガ)ふてをりたと申して、
  きりきり舞をいたして喜ぶ人と、
  きりきり舞をして苦しむ人と、
  力一杯われの目的のために、
  男子女子を悪くまをすものとができるぞよ。
  神を突(ツ)き込(コ)みておいて、がで開いて、
  まだ悪くまをしてあるく、取次がたくさんにできるぞよ。
  云々』

 大本の筆先(フデサキ)は、
どうしても男子女子でなければ真解(シンカイ)することはできぬのは
神示のとほりである。

しかるに各自の守護神の御都合の悪いことがあると、

「女子の筆先は審神(サニハ)をせなそのままとつてはいかぬ」

とまをす守護神が現はれてくる、困つたものだ。

九月八日にいよいよ神示のとほり女子の役となり、
隠退して霊界の消息を口述するや、
またまた途中の鼻高(ハナダカ)がゴテゴテ蔭で申し出したのである。

女子の帰神(キシン)の筆を審神する立派な方が沢山できて、
神様も御満足でありませう。

 また、明治五十五年の三月三日(ミツキミツカ)五月五日(イツツキイツカ)
といふ神の抽象的教示にたいして、
五十五年は大正十一年に相当するから、
今年は女子の御魂(ミタマ)にたいして肉体的結構(ケツコウ)があるとか、
大本の神の経綸(シグミ)について
花々しきことが出現するかのやうに期待してをる
審神者(サニハ)があるやうにきく。

されど神の御心と人間の心とは、
天地霄壌(セウジヤウ)の相違があるから、
人間の智慧や考へでは
たうていその真相は判(ワカ)るものでない。

五十五年といふことは、
明治二十五年から三十年間の神界経綸(ケイリン)の
表面に具体的にあらはれる年のいひである。

 三月三日(ミツキミツカ)とは
三(ミ)ツの御魂(ミタマ)なる月(ツキ)の大神(オホカミ)の示顕が、
天地人三体に輝きわたる日といふことである。

日は「カ」と読む、「カ」はかがやくといふことである。

今まで三十年間男子の筆先の真意が充分に了解され、
また従道(ジユウダウ)二十五年に相当する女子の御魂の光が、
そろそろ現はれることを暗示された神諭(シンユ)である。

二十五年間、周囲の障壁物にさまたげられた
女子の御魂の神界経綸の解釈も、
やや真面目になつて耳をかたむくる人が出現するのを、

「女子にとりて結構(ケツコウ)な日である」

と示されたものである。

あたかも暗黒の天地に、
日月の東天を出でて万界を照らすがごとき瑞祥(ズイシヤウ)を、
五月五日(イツツキイツカ)といふのである。

五(イツ)は言霊学(コトタマガク)上「出(イツ)」であつて、
五月五日(イツツキイツカ)は出月出日(イツツキイツカ)の意味である。

二十五年の天津風(アマツカゼ)、いま吹きそめて経緯(タテヨコ)の、
神の教示も明らけく、
治まる御代の五十五年〈出神出念(シユツシンシユツネン)〉、
いよいよ神徳出現して、
神慮の深遠なるを宇宙に現出すべき時運にむかふことを
慶賀されたる神示であります。

 月光(ゲツクワウ)世に出でて万界の暗を照破す、
これ言霊学(ゲンレイガク)上の五月五日(イツツキイツカ)となるのであつて、
けつして暦学上の月日(ツキヒ)でないことは明白である。

三月三日(サングワツミツカ)と五月五日(ゴグワツイツカ)に、
変つたことがなければ信仰をやめるといふ無明暗黒の雲が、
遠近(ヲチコチ)の天地を包むでゐるやうに思はれましたから、
一寸(チヨツト)略解をほどこしておきました。

これでもまた女子の御魂の言は審神(サニハ)をせなくてはいかぬと、
唱ふる豪(エラ)い人々が出現するかもしれませぬ。

これが暗黒の世の中といふのでせう。

 神諭に「女子にとりて結構な日である」云々は、
微々たる五尺の肉体にたいしての言ではない。

神霊そのものの大目的の開きはじむるを
慶賀されたる意味であることを了解すべきである。

千座(チクラ)の置戸(オキド)は、
瑞(ミヅ)の御魂(ミタマ)の天賦的神業たることを承知してもらひたい。

 霊界物語を読んで、
はじめて今日までの神諭の解釈にたいする疑雲は一掃され、
心天(シンテン)たちまち晴明の日月(ジツゲツ)をうかべ、
霊体力に光輝をそへ歓喜と了解の日月出現して、
いはゆる三月三日(ミツキミツカ)五月五日(イツツキイツカ)の瑞祥を
神人ともに祝することになるのである。

 五月五日(ゴグワツイツカ)は男子の祝日、菖蒲(シヤウブ)の節句である。
三月三日は女子の祝日で、桃の節句である。

女子の御魂(ミタマ)聖地に出現してより二十五年の間、
桃李(タウリ)物言はず自ら蹊(ケイ)をなせしもの、
ここに目出度く世にあらはれて苦(ク)・集(シフ)・滅(メツ)・道(ダウ)を説き、
道(ダウ)・法(ハフ)・礼(レイ)・節(セツ)を
はなばなしく開示することとなつたのも、
神界経綸の神業成就の曙光(シヨクワウ)をみとめ、
旭光照破(キヨククワウセウハ)の瑞祥にむかつたので、
神人界のともに祝福すべき年であります。

    ○

 この物語のうちに大自在天(ダイジザイテン)とあるは、
神典にいはゆる、大国主之神(オホクニヌシノカミ)の御事(オンコト)であつて、
大国彦命(オホクニヒコノミコト)、八千矛神(ヤチホコノカミ)、大己貴命(オホナムチノミコト)、
葦原醜男神(アシハラシコヲノカミ)、宇都志国魂神(ウツシクニタマノカミ)などの
御名を有したまひ、武力絶倫の神にましまして
国平矛(クニムケノホコ)を天孫にたてまつり、
君臣の大義を明らかにし、
忠誠の道を克(ヨ)く守りたまうた神であります。

本物語にては大自在天、
または常世神王(トコヨシンワウ)と申しあげてあります。

 大自在天とは仏典にある仏の名であるが、
神界にては大国主神様の御事であります。

この神は八代矛(ヤチホコ)の威力をふるつて、
天下を治めたまうた英雄神である。

 皇祖の神は、平和の象徴たる璽(タマ)と、
智慧の表徴たる鏡とをもつて、世を治めたまふのが御神意である。

 また盤古大神塩長彦(バンコダイジンシホナガヒコ)は
一名潮沫彦(シホナワヒコ)と申し上げる、善良なる神にましますことは、
前篇に述べたとほりであります。

この神を奉戴して荒(アラ)ぶる神人(カミ)らが色々の計画をたて、
神界に活動して国治立命(クニハルタチノミコト)の神政に対抗し、
種々の波瀾をまきおこしたことはすでに述べたとほりである。

そこでこの世界を救ふべく、
諾冊(ナギナミ)二神がわが国土を中心として天降りまし、
修理固成の神業を励ませたまふこととなつた、
有りがたき物語は、篇をおうて判明することであらうと思ひます。

 惟神霊幸倍坐世(カムナガラタマチハヘマセ)

 大正十一年一月三日

 王仁識

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1 コメント

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Unknown (a)
2024-02-13 20:25:21
明治大文系学部に合格した方へ

明治大学商学部の履修登録(その年何の講義を受けるか決める手続き)は他の大学と少し異なります。
実は明治大学は講義によって受けることができる学生の数が制限されており、正式な決定の前に「抽選」を行うのです。
この「抽選」は毎年どの科目も(一般教養含め)高倍率で落ちた学生は非常に苦労します。
今、明治大学を志望している学生の皆様並びにその保護者の皆様へ
明治大学商学部は合格できても入った後本当に苦労します。
私の書き込みを見たら志望学部を変えることを強くお勧めします。
2023年に同学部に入学した者より

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