忍山 諦の

写真で綴る趣味のブログ

洛北大原-三 千 院 (1)

2013年01月27日 | 洛北大原

    三 千 院 (1)

  京都 大原 三千院
    恋に疲れた 女がひとり
      結城に塩瀬の 素描の帯が
        池の水面に 揺れていた
     京都 大原 三千院
           恋に疲れた 女がひとり

永六輔の詩にいずみたくが曲をつけ、「女ひとり」の曲名で、
デューク・エイセスが歌い、大ヒットしたのは昭和41年のこと
である。
以来、大原の三千院は世間の脚光をあびるようになった。

もともと大原は、京洛を北へ遠く外れ、わずかばかりの土地の
農家、山賤らのほかは、世捨人らが、ひっそりと隠れ住む、鄙
の里であった。

   

いつの頃からか比叡山を下った天台僧侶が、高野川の東、
呂川と律川が流れる魚山の裾に草庵を結び、律川の瀧で
天台声明の技を磨くようになった。

   

来迎院、勝林院、実光院など、今も幾つかの天台寺院が声明を
伝え、大原は「声明の里」と呼ばれている。

三千院は、それら諸寺の要のような役割を担った門跡寺院(梶
井門跡)であるが、坂本、洛中などを転々とし、ここ大原の地に
移ったのは明治になってからである。

参道には残り雪で造った雪だるまが立ち、その後には
「女ひとり」の歌碑が建つ。

   

呂川ぞいには土産物、工芸品などを並べる店が並び、思わず足を
止めたくなる。

   

大原は冬枯れのこの時期、年中で最も人の姿が少ない。

   

石段を登ると、その先に三千院の御殿門が姿を現す。

   

城郭のように厳めしい石積は一面苔が張り付き、その上を蔦がはう。

   

門前には飲食店、土産物店が軒を並べる。

   

その先の未明橋の下は、

   

律川が流れる。

   

呂と律とは、あいまって声明の旋法。

律川の流れを遡ると一の瀧(音無の瀧)がある。

   

かつてある上人が、この瀧で声明の修行をしていたところ、
声明と瀧音とが相和し、瀧の音が消えたという。
以来、一の瀧を「音無の瀧」と呼ぶようになったという。

 


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