南海和歌山線を紀ノ川駅で降りて加太線に乗り換え、終点の加太で下りる。
しばらく歩くとそこは加太漁港である。
古い家なみの集落をぬけるとその先に朱塗りの鳥居が見えてくる。
淡嶋神社(加太神社)である。
全国に約1000社、といわれる淡嶋神社の総本社である。
祭神は少彦名命、大己貴命、息永足姫命の三柱である。
少彦名命は高皇産霊神の子で医薬の神、大己貴命は国譲りの大国主命、息永足姫命は仲哀天皇の皇后で天皇の死後に自ら兵を率いて三韓征伐をしたとされる神宮皇后その人である。
医薬の神といわれる少彦名命と姫神である息永足姫命を祭神とするだけにこの神社は婦人病や安産、子授けに功験があるといわれ、昔から参詣客の多くは女性である
人形供養の神社としても広く知られ、本殿の中も、
そして境内にも参詣客が供養のため納めた雛人形、市松人形など、あらゆる人形でいつぱいである。
神社では納められた人形をしばらくあずかり、定期的にお清めと魂抜きのお払いをしたの後に焼却する。
祭神の息永足姫命が三韓征討の帰路に海が荒れ、お祈りをすると「船の苫を海に投げ、その流れるままに船を進めよ」とのお告げがあり無事に友が島までたどり着いたのを感謝し、持ち帰った宝物を友が島で少彦名命と大己貴命の二神に奉納したのが神社の起こりで、後に子の仁徳天皇が友が島から加太の地に社を移したと神社の縁起が伝える。
神社のすぐ目の前紀淡海峡にその友が島の島影が浮かんでいる。
しばらく歩くとそこは加太漁港である。
古い家なみの集落をぬけるとその先に朱塗りの鳥居が見えてくる。
淡嶋神社(加太神社)である。
全国に約1000社、といわれる淡嶋神社の総本社である。
祭神は少彦名命、大己貴命、息永足姫命の三柱である。
少彦名命は高皇産霊神の子で医薬の神、大己貴命は国譲りの大国主命、息永足姫命は仲哀天皇の皇后で天皇の死後に自ら兵を率いて三韓征伐をしたとされる神宮皇后その人である。
医薬の神といわれる少彦名命と姫神である息永足姫命を祭神とするだけにこの神社は婦人病や安産、子授けに功験があるといわれ、昔から参詣客の多くは女性である
人形供養の神社としても広く知られ、本殿の中も、
そして境内にも参詣客が供養のため納めた雛人形、市松人形など、あらゆる人形でいつぱいである。
神社では納められた人形をしばらくあずかり、定期的にお清めと魂抜きのお払いをしたの後に焼却する。
祭神の息永足姫命が三韓征討の帰路に海が荒れ、お祈りをすると「船の苫を海に投げ、その流れるままに船を進めよ」とのお告げがあり無事に友が島までたどり着いたのを感謝し、持ち帰った宝物を友が島で少彦名命と大己貴命の二神に奉納したのが神社の起こりで、後に子の仁徳天皇が友が島から加太の地に社を移したと神社の縁起が伝える。
神社のすぐ目の前紀淡海峡にその友が島の島影が浮かんでいる。