忍山 諦の

写真で綴る趣味のブログ

ちびチャロの呟き(23)

2014年06月05日 | チャロとおいぼれ


チャロです。

 

心配してるんだ。
老いぼれのことをだ。

だって、
ここしばらく、老いぼれの姿みないもの…
もしかして病気なんかしてるんじゃないか、
なんてね。

でもきっと、
物好きな爺さんだから、
例によってカメラなんか持って、
あちこちホッツキ歩いてるんだろうな、
難儀な爺さんだ…    

ちびチャロの呟き(22)

2014年01月31日 | チャロとおいぼれ

ちびチャロの呟き(22)

チャロです。

  

寒いなぁ-
今年の冬は…

僕は寒いの苦手だ…
特に昼のあいだ
家に誰もいなくなるから
ガランとしてとても寒いよ。

だから、
昼間は僕用の小さなお家の中で
アンカをだいてお眠りだ…

でも時々退屈してきて家の中を歩き廻る
そして老いぼれのコタツにもぐり込んでやる…

老いぼれ、年だから、
いつもコタツの電気切り忘れる
とても暖かいよ
そこは

ところがだ!
昨日だよ
老いぼれが突然戻ってきて、
コタツにニューと足を…
その足で僕を突き飛ばした!

とても腹がたった!
だから、
僕はその足に思いきり噛みついてやった。

よほど痛かったのだろう
老いぼれコタツから飛び出して
足さすってた。

犯人が僕だと知って、
「この小さな生物め…!」
なんて、
怒ってた。

でも、
怒られる筋合いなんかない。

先に陣とったの僕だから
そこは僕のものだ
断りもなしに
足を入れる老いぼれの方が悪い!


 


おいぼれ烏有のぐち綴り(21)

2013年09月15日 | チャロとおいぼれ

おいぼれ烏有のぐち綴り(21)

今年の夏の暑さには参りました。
とにかく暑かった!
何もかも記録的で、
『千年猛暑』
などと言われました。
猛暑の期間、一滴も雨が降らず、
来る日も、来る日も36度、37度のカンカン照り、
それがまた記録的に長かった。
夜も30度を割らない暑さにすっかり体力を消耗し、
暑さ負けし、そこへ夏風邪まで患って、
医者通いをしていました。

夏向きにできているはずの我が家のチビチャロも、
猛暑の時期は、
こんなぶざまな姿で

  

くたばっていました。

でも、9月に入って雨が続き、
やっと元気を取り戻しました。

   

夏の間。水も撒いてくれず、
主を怨んでいた筈の我が家の庭木も、
生気を取り戻し、
秋の色づきと、

  

稔りを枝にむすびはじめました。

  

もうあんな猛暑は二度とごめんです。


ちびチャロの呟き(20)

2013年03月11日 | チャロとおいぼれ

               ちびチャロの呟き(20)


チャロです。


 



おとといの朝だ、
老いぼれがご飯もそこそこに家を飛び出していったよ、
いつものようにリュック背負ってカメラ引っさげて…
何処へ行くのかしらないが、
懲りない爺さんだ…





(イラストはがくげい)
 

帰ってきたのはその夜遅く、
赤い顔してご機嫌で、
僕の嫌いな酒の匂いぷんぷんさせながら…

それに、

おみやげだよ~
なんて、

変なもの買ってきたよ。





一体、考えてんだろ、
老いぼれは…
僕のおみやげならビーフジャーキーだろうが!


こんな具合だと、
そろそろ養老院だよ!
かわいそうだけど…


おいぼれ烏有のぐち綴り(20)

2013年03月10日 | チャロとおいぼれ

    おいぼれ烏有のぐち綴り(20)


昨日のことです。
天気が良いので近江八幡か、彦根でレンタサイクルを借り、湖東
の風景をカメラに収めよう。
そう思って電車に乗りました。
ところが、電車が瀬田川の鉄橋を越えるとき見た琵琶湖の姿に
びっくりしました。
湖はすっぽりと薄茶色のベールに覆われ、その姿がうすらぼん
やりと翳んでいるのです。
黄砂なのです。
ここは北京か?
そう疑いたくなるほど、それはひどいものでした。


とても写真など撮れそうになかったので、急遽、草津線に乗り換え、
貴生川で信楽高原鉄道に乗り継ぎました。


信楽は聖武天皇が瓶原に開いた恭仁大宮を建設半ばで放棄し、
信楽宮の造営に取りかかった場所です。
その信楽宮跡に行ってみました。

  

そこは四面を山に囲まれた小さな小さな盆地なのです。
小高い場所に宮跡と推定された礎石群がありました。

   

聖武はここに大毘盧遮那仏の建立に取りかかったのです。
あの奈良の大仏は、なんと、ここに造られる予定だったのです。

   

結局、それも完成をみないまま、聖武は難波宮に都を移してしまい
ました。

  

うち続く疫病と政情不安に聖武は心を病んでいたのです。


信楽焼の窯場へも足を延ばしました。

  

駅前の信楽大タヌキは今も造られたときのままの姿。
うらやましいことに歳をとらないのです。

  

焼き物をみて廻るのは楽しいものです。

  

夕方、草津に戻り、居酒屋で一杯やりました。

酒場の大将と黄砂の話をしていたところ、
話が信楽にうつり、

信楽は滋賀の唯一の霊感スポットだとか、
オーロラを観測した極地から一番遠い場所だとか、
真冬は外より6度も気温が低いとか、
大戸川は昔は神居(かむい)川と呼ばれていたとか、
色々なことを教えてくれました。

その大戸川なのですが、

   

水の澄んだ川なのにいつ行っても魚影が無いのです。
それが気になっていたので大将に聞いてみました。

「とんでもない、あの川の川下は太公望が釣果を競う釣り場」
だとか、

それ聞いて安心して帰宅したのです。


おいぼれ烏有のぐち綴り(19)

2013年01月09日 | チャロとおいぼれ

    おいぼれ烏有のぐち綴り(19)

    郷愁の味 桑酒

烏有です。

             

               (イラストはがくげい)

かねてから飲んでみたいと思っていた桑酒を、
昨年の大晦日に初めて味いました。

          

醸造元の酒蔵は湖北の木之本町にあります。
木之本町は、現在では長浜市に編入されていますが、
かつては伊香郡木之本町でした。
伊香山と呼ばれた賤ヶ岳の麓にある町です。
そこには古い歴史をもつ木之本地蔵院があります。

   

境内には地蔵堂の本尊である秘仏の地蔵菩薩と同じ姿をした
地蔵大銅像が立っています。

       

その地蔵院から北国街道を

   

北に少し歩いた所に桑酒の醸造元があります。


   

左党には清酒「鳰自慢」「北国街道」の醸造元としても知られて
います。
桑酒は約400年も前の天文年間に誕生したものだそうで、
諸病に奇効があるとされ、北国街道を往還する旅人が好んで買
い求めたそうです。
糯米と麹と桑の葉を醸造用アルコールに漬け込んで発酵させる
独特の方法で譲るのだそうです。
味は熟れた桑の実を思わせる独特の甘みと風味があり、かすか
に桑の葉の香りがします。
赤紫色に熟した桑の実を摘んで食べた子供の頃を思い出します。
アルコール約14度で、甘くて口当たりが良いので甘党でもいけ
そうです。
食前酒、薬酒として最適です。

木之本は昔から絹糸の産地で、北国街道から琵琶湖にかけて、
かつては桑畑が広がっていました。
特に賤ヶ岳の麓に広がるいかごの里は、水上勉の小説「湖の琴」
の舞台となりました。
大音地区では琴糸が、西山地区では三味線糸が作られてきま
した。

 


ちびチャロの呟き(19)

2012年12月27日 | チャロとおいぼれ

ちびチャロの呟き(19)


チャロです。

僕はいま悩んでいます。


 


いつも散歩で出会う白ちゃん。
名前は知らないけど、一目で好きになった…    


        
    
でも、
僕がいくら目線送っても、白ちゃん知らん顔して…
それが悲しい。


老いぼれも役立たずだ。
僕がもっと彼女に近づこうとしても、
後ろから紐を引っ張って邪魔をする。
僕のハートが破れそうなのに…
いじわる!
僕の初恋を邪魔するな!


役立たずの老いぼれ!
世の中のお邪魔虫!
早くさっさと人生を卒業しろ!

                     (イラストはがくげい)
                


おいぼれ烏有のぐち綴り(18)

2012年12月25日 | チャロとおいぼれ

    おいぼれ烏有のぐち綴り(18)

烏有です。

           

師走総選挙で政権が変わり、新しい内閣が誕生します。
でも、期待も、がっかりも、しない方がよいようです。

私の経験では、
この世の中に、当てにならないものが三つあります。

その一つが天気予報、
二つ目が宝くじ、
そして残る一つが政治家です。
中でも最後の一つが最も当てにならない。
当てにならない者同志が寄り集まって、当てにならない密談をする。
だから政治は当てにならない。

ごめんなさい。
一つ忘れていました。
当てにならないのがもう一匹。
我が家の

           

です。

わがままで気まぐれで、
下々の苦労など、何一つ知りません。
美味しい餌さえ有ればそれで良く、何もかも、その時のなりゆき次第なのです。
だからちっとも当てになりません。

それに、悩みも、苦しみもないのです。
もし悩みがあるとすれば、
散歩に出て、電信柱にオシッコひっかけるのに、
右足を上げるか、左にするか、

そして、

そして草むらにウンチを落とす時、
クルリ、クルリと、
3度廻って落とすか、4度廻るか…
それくらいのものなのです。

その太平楽さ、いい加減さは、つい先日まで選挙カーで、
シャガレ声でがなり立てていたお偉方と、
どこか似ているような…

何とも気楽な生き物です。

あ~あ、私しゃ、気楽な

            

になりたい。
                   (イラストはがくげい)


おいぼれ烏有のぐち綴り(17)

2012年10月27日 | チャロとおいぼれ

烏有です。

             
                  (イラストはがくげい)

東京からの帰路、逗子の海岸へ行ってみました。

    

あれは私が18歳の春だったと思います。
逗子の病院の古ぼけた外科病棟に入院したことがあるのです。
病院の庭の大木の桜が散って、
日に日に葉桜へと変わっていく頃でした。
見舞ってくれる人もなく、ベッドで一人、
傷の痛みに耐えている私に、
肥った看護婦さんが、日に何度もやさしい励ましの
言葉をかけてくれました。
傷の痛みが和らいでくると、その分だけ益していく心の傷み…、
そっと病室をぬけだして海辺へ行きました。
砂浜に腰を下ろし、持っていた本の見開きの空白に鉛筆で、
逗子の入江の淋しい景色をスケッチしました。

青春の感傷のそのずっと奥にある、
形にならない何かへの強い夢と憧れ、
心の奥にあるものの、はっきりとした姿も、その手がかりすらも、
しっかりとつかまえられないもどかしさ、
そんな思いを、ぶつけるようにして、

    

この写真の景色を描いたのです。

あれから50年もこの世の空気を吸った私が、
あの時と同じ道を歩いて同じ場所へ行ったのです。
浜へと向かう砂利道はきれいに舗装され、
辺りはびっしりと家が建ち並び、
町はすっかり変わっていましたし、
ひっそりと静まりかえっていた厨子の海は、
ウインドサーフィンをする若者で賑わっていました。

    

何もかもが、あの頃とすっかり変わっています。

ところが、この私はとなとると、おつむがやたら白くなるばかりで、
その中味は何も変わってはいません。
あのころ心をかきむしった、もどかしいばかりの夢や憧れは、
今もって何一つ実現していませんし、
その足かがりすらもつかめていないのです。

あの時と同じ場所に腰を下ろし、
同じ海を眺めながら、
つくづくと思いました。

どれだけ長く生きようと、
人間というのは、
羽化も脱皮も出来ない哀れな生き物だということを…

あの時のスケッチはもうありませんが、
ポケットへ入れて持ち帰った貝殻は、

      

今も机の引き出しに眠っています。


  いつまでも
      子どもめきたるわがこころ
             わが行ひのはづかしきかな 

                                   (若山牧水)