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岐阜・長良川の鵜飼 ②

2005-06-05 08:50:34 | 旅・鉄道・グルメ…
岐阜・長良川の鵜飼 ②

◆鵜匠の手縄さばきで鵜が鮎を捕らえる。

長良川の鵜飼は古典漁法を今に伝える岐阜市の夏の風物詩。その歴史は古く、約1,300年にまでさかのぼることができます。

    
「美濃を制するものは天下を制す」 難攻不落の城は天下への架け橋。

金華山山頂に最初に砦が築かれたのは建仁年間(1201~1204年)、鎌倉幕府執事の二階堂行政によるといわれています。その後、美濃の守護土岐氏の筆頭家臣斎藤氏が居城とするものの、下克上により斎藤道三の手に。1567年には道三の孫である龍興を倒した織田信長が岐阜城を手に入れ、この地方一帯を平定。名をそれまでの稲葉山城から岐阜城へ改名し、後に安土城が建設されるまでの10年ほどの間、天下統一の拠点となりました。
しかし1600年、関ヶ原の合戦の前哨戦で、信長の孫、秀信が西軍に味方したため東軍に攻め入られ落城。翌年岐阜城は廃城となり天守閣、櫓などは加納城に移されました。
現在の城は昭和31年に鉄筋コンクリート造り、3層4階建てとして復興されました。平成9年には大改修を行い、岐阜市のシンボルとなっています。
3階までは史料展示室に、4階の楼上は展望台になっており、清流・長良川、遠く連なる伊吹の山並など壮大な自然が一望でき、夏の夜間営業では、オーロラに例えられるパノラマ夜景も楽しめます。また、岐阜城のすぐ東にある「岐阜城資料館」は昔の武器庫、食料庫を復元したもので、岐阜城に関連する資料を多数展示しています。


話は少々それたが…

織田信長や徳川家康など時の権力者たちの保護を受け、俳聖・松尾芭蕉も「おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな」という有名な一句を残しています。

また、昭和11年と昭和36年の2度にわたり、チャップリンも見物のために来岐。鵜匠をアーティストと賞賛し「ワンダフル」を連発したといわれています。



鵜飼は鵜匠が10~12羽の鵜を見事な手縄さばきで操り、鵜が次々に鮎を捕る日本の伝統漁法の1つ。毎日を鵜とともに暮らす鵜匠は代々世襲制で、常日頃から鵜と一緒に生活しているので、鵜匠と鵜は呼吸の合った動きを見せ、見事に鮎を捕らえてくるのです。暗闇に満ちた水面にかがり火を焚いた鵜舟がゆっくりと現れ、鵜匠の掛け声のもと、一斉に鵜が鮎を捕らえ始めます。目の前で、勇壮な歴史絵巻が繰り広げられ、幽玄の世界へと誘います。(岐阜市鵜飼観覧船事務所 〒500-8009 岐阜市湊町1-2 TEL 058-262-0104 のサイトから転用)


2005/06/05

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