代用食
代用食(だいようしょく)とは、【米や麦などの主食の代わりに用いる麺類や芋類などの食品】(広辞苑)とある。
今や、飽食の時代といわれ、代用食という言葉も説明しなければならない時代になった。まことに結構なことと言いたいが、それはそれで将来が心配されている。
戦中戦後の飢餓の時代を過ごした者は、代用食にでもありつければ、夢中で貪(むさぼ)り食ったものだ。雑炊も今のように贅沢なものではなく、湯の中に野菜の切れっ端が浮かんでいる程度のものだった。
米などは滅多に入っているものではなく、たまに入っていても、数粒が汁の中を浮遊していようものなら、それこそ大騒ぎして喜んだものだった。
こんな笑い話がある。
雑炊に珍しく蜆(しじみ)が入っていた。それもふたっつ……も。大喜びで箸を使い掴もうとするが、掴めない。いくらやっても、ダメ。
よっく観たら、自分の眼の玉が写っていたとか。
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とにかく喰うものがなかった。畑にできるところは全部畑にして、食料増産に励んだ。今の北朝鮮のニュース写真をみると、その当時を想い出す人も多いだろう。
校庭の畑作り作業 食料不足を補うため、学校の校庭までが畑として使われるようになりました。 http://www.pcf.city.hiroshima.jp/kids/KPSH_J/frame/hirotop8.html |
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戦時下の食生活 駅弁
http://www13.ocn.ne.jp/~seiroku/shokuseikatu.html より
弁太平洋戦争が始まると、国民の食料事情は悪化の一途をたどり代用食といわれる食べ物が食べられるようになっていった。
パンは小麦粉に芋などの野菜や野草が混ぜられて作られ、寿司も米の代わりにうどんや、そばが使われたりした。
そんな中で駅弁も代用弁当として焼き芋が売られたりなど苦肉の策で販売が続けられていた。
昭和19年9月11日8時に作られた駅弁の包み紙
八王子駅で販売
御寿司と印刷されているのだが、その上からゴム印で「御瓣當」と訂正されている。材料が入手困難で寿司ができなくなったため、このように改訂して当時手に入る食材で作ったのであろう。
製造の玉川亭は昭和初期より駅弁を八王子駅で販売していた業者で寿司弁当は販売当初より作られていたものです。この業者は残念ながら最近廃業し現在八王子駅では新宿の駅弁が販売されております。
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………というような塩梅で、本日は代用食をイメージして作ってみた。しかし筆者とて飽食の時代にドップリ浸かっている当今、結構贅沢なものになってしまった。
題して ホットドッグもどき
①小麦粉と生卵(全卵)1個を水(または牛乳)で溶く。少々かき混ぜて、粘りけを出しておく。油を少量しいたフライパンで焼く。【材料は二人前分】
②両面を焼き上げたら、皿に取り置く。
③同じフライパンに油を少し足す。チョリソソーセージとキャベツの細切りを炒める。軽く塩胡椒を振る。
④先程の皿のクレープもどきの上に乗せて、完成!
⑤味付けやトッピングはお好みで……。今回はケチャップ、マスタード、マヨネーズ、焼きそばソースなどを適宜かけて食べた。
安くてお手軽にできるから、喰い盛りの子供を抱えている家庭にはうってつけな気がする。でも、これはもう代用食ナンカじゃあない。立派な一品だ(?)。 おいしいよ。
06.10.08