長崎の原爆の日
[長崎型ファトマン] 側の女学生と比べて見て下さい
昨日は長崎に第二の原爆が投下された日であった。
その日は私にとっても灼熱の広島から姉が歩いて帰宅した日でもあった。
姉が無事帰って来たことで我が家はみんなホッとした空気が流れていたように思う。 私も朝から近くの川に泳ぎに行って一日過ごしたのではないか?
長崎の原爆の報道は残念ながら何時(イツ)あり、何刻(ナンドキ) 耳にしたかは判然としない。
当時の私は終戦が近いと云うのに本土決戦を盛んに訴えるラジヲに呼応して私も銃を持ち戦う気持ちがあったことは事実である。その為の学校に進学する夢と希望も当時はあった。
国家存亡の時でもあったのだ。
東京を始め爆撃を受けて各地の都市の焼け野原を知ったのは終戦後ではなかったかと思う。
長崎の原爆の被害者でも姉と同じような経験をされた方々が多くいらっしゃったと思う。
一瞬にして15万人の方々が死傷されて広島市同様に長崎市街地は全滅した。
昨日は、TVで追悼の多くの方々の様子を見ながら、現在 我が国の原子力発電が供給電力の12%(少し古い資料)を占めていることを思うと、「核」が「両刃の剣」であり、戦争では正に「気狂いに刃物」と化している。
原子力発電も100%安全でないことはチェルノブイリや米国のスリーマイル島原発事故 等で重大事故が明らかになっている。
我が国でも事故による多くの方々の死傷者が発生している。その都度、関係者は
「二度と再び繰り返しません」と言いながら・・・
ここで日本の国民の国家についての対応を今一度考えてみたいとおもう。
10年位前に、「ねんりんピック」で神奈川県の一選手として参加した時に開会式が開催県の体育会館の屋内で行われたが、国旗掲揚、国家斉唱があり私共は全員起立して司会者の指示に従ったが一部に階段状の通路に腰を掛け煙草を吸い(勿論禁煙である)選手同士で雑談に耽る方が多く見られた。見ると既に60歳台の方々である。
最近の国旗、国歌、反対問題の影響を無意識に受けている方たちではないかと感じたが・・・
以前、米軍基地に入った時に、たまたま夕方で米国の国旗が国歌の放送とともに降ろされていた。私はそれを何とも思わず数歩、歩いた時に隣の米国軍人の方が私の肩に手を触れ降ろされている国旗を指さされた。はっとして軽くその軍人に会釈して私達夫婦も立ち止まり私は胸に手をあてた。
目前を見ると基地内全員が一瞬に止まり国旗に向かい軍人は敬礼をなし一般人は胸に手を当てていた。
私自身、国旗に対する敬意の礼儀を何時の間にか忘れてしまっていたのだ。
非常に恥ずかしい思いをしたものだ。
建国記念日、等 祝日には以前(子供時代)は各家庭の門柱や玄関に国旗を掲揚したものだった。然し今は町内でも国旗は一本も見られない。
子供たちは学校で国旗は軍国主義で悪いことの象徴と教えられているようだった。
我が家でも祝日は国旗を掲揚の予定だったが子供から
「止めてよ~!」の一斉攻撃に中止して、そのまま現在に来ている。
何も形式的に国旗を掲揚する必要はないと思うが、少なくとも日本人として自国に誇りを持って国旗の掲揚で自分の意思の表示をするのは個人の自由と私は思っている。
自国の国旗に敬意を払わないため他国の国旗にも無関心で居られるのではないかと思う。
オリンピックでも先日のサッカーでも国旗掲揚の場面はネグられている。日本の国歌を歌っていた選手は私の見る限り一人のみだった。
右翼、左翼の問題ではないと思うが?
「長崎の日」に改めて国家、国民と「平和」とは何かについて、そのあり方を考えた。
そんな父を「カッコ良い!」と思った私は、「日本のキューリ婦人!アイソトープ技師または、放射線技師になりたい!」なんて!しかし、父は「子どもを生む女の子は、絶対やめたほうがいい。」と猛反対されました。
広島でも、直接の被爆ではなく爆心地を歩き回った人が、塵や埃の残留放射能により遺伝子が変化し今でも影響があるそうですね。国は直接被爆しか認めていなかったが、やっと最近間接被爆が問題にされ出したとか。
平和利用か核兵器か?そんなこと、人間がこじ付けて居るだけで、放射能の影響は変わりないのです!絶対安全?ゼッタイなんてあるのでしょうか?
電力不足は…、我が家は殆どクーラーを使いません。PCで、電気の無駄使いをしているかもしれませんがね。
「みんな日の丸を背負って戦地に行った。千人針だといって、腹に巻いて死んで行った。日の丸というだけで、嫌悪感を催す人が居る。血塗られた旗を、国旗と認めるのか」と言われた。
しかし、私は、「ヨーロッパを始め、主だった国は戦争を経験していない国なんて無い。最近独立した国はいざ知らず、血塗られた経験のない国は無いといって良いでしょう。それより、二度と過ちを繰り返さないよう過去の反省を踏まえ、日本国民が誇れる国にしていくべきだと思う。日の丸を敬遠するのではなく、過去の過ちを反省し、誇れる国の印となるよう努力すべきだと思う。」と、反論しました。
国歌に対しては、解釈の違いが問題のようで、平行線だったと思います。
ほかの方は、いかがお考えでしょうか?
然し、学生時代に私は姉の友達を列車で見ました時に頭にスカーフを被っている方を多く見ました。
姉に聞くと
「彼女たち皆んな頭の毛が抜けてしまったの・・」 と哀しそうに言っていました。
その彼女達も数ヶ月後、頭髪も元に戻り一同ホッとしたものです。
私が知る放射能の影響は姉から聞くのみで他の方のその後は判りません。姉は元来が無口で余り喋りません。
ご指摘の間接的影響に付いては私もイロイロと耳にしますが詳しい内容は判りません。
私も1~2年毎に送られる同窓会名簿の名前は少なくなるばかりです。
最後に放射能の影響に限らず全てに「絶対安全」OR「完全無欠」は在り得ないと私は認識しています。
空調は使われていないそうですが、私も出来ればそのようにしたいと思っていますが、ここは過密住宅地で前面に舗装道路があり「夏は暑くて、冬は寒く」とても出来ません。
PS:返事が遅くなりすみません。もう一つの問題は少し時間を下さい。
貴重な体験談を、ありがとうございます。
私もその通りと思っています。さぞ論敵は多かったでしょうに・・・?
私も元、義務教育の先生の知り合いが多く、「国家」「国旗」の件に話が行くと彼らと激論に成ります。
所詮、全ては平行線です。根本的に考え方が異なっていますので・・・
ただ、面白いことに定年退職後、実社会に出て少し考え方が変わって来たな?と先日は感じました。