古くは我輩は大学では「体育系」と言われていた。
高校3年の時に大学の進学を決めるのに当時「進学適正検査」?と言う試験があった。
その試験が理科系と文科系とに分けられていたのだ。
「君は理科の点がいいな・・・理科系に進学するのがいい」と担任の先生からの指導があったと思うが定かではない。人生の進路は そんな単純なものではないとも思うが・・・・。
我輩は理科。文科 共に同じような点数だったと思う。担任の指導先生からは さして理系文系の話はなかった記憶がある。「どちらでも希望のほうへ」くらいだったのかも?
当時は理系が華やかで就職の率がいい・・それに亡父の望みも理系だった。・・・と言うわけで建築に進んだものだ。何故か?父は作家など眼中に無かったみたい。
「作家は稀な才能が要求されるし生活が安定していない・・・食べるのが大変だ」くらいの認識しかなかったようだ。
明治生まれの父には若くして自殺した多くの著名な作家を知っていたのかも?
今でも文系、理系、それに体育系、等 分けられるようだだ。我輩の学生時代はさらに政治活動をする学生とそれに見向きもしないノンポリと言う区別もあった。
校庭でなにやら大声で叫んでいる奴が多かったが我輩など「何??やってんだ?」と白けていたな。こちらは製図や宿題、課題レポートに目が回る生活だった。
それにアルバイトもいそがしかったし・・・。政治活動をしているのは大体が文系だったようだ。工学部は アホーが多いとか彼らは抜かしていたそうだ。
我々は校庭で怒鳴る彼らを「なんて暇な奴だ」くらいだった。それに「デモに参加すればパン一個に300円呉れる」と言う噂もあったが参加する時間がもったいない。
早い話が政治には全く興味はなかったね。
授業が終われば道場に行き遅くまで汗を流していた。ただ練習が終り先輩の汗まみれの道着を1年生として洗うのが多少面倒だったが・・・。何しろ腹が空いていたからね。
////////////////////////////////////////////////////////
発信箱:日本人になる国=小国綾子(夕刊編集部)
毎日新聞 2012年05月01日 00時17分
http://mainichi.jp/opinion/news/20120501k0000m070098000c.html 以下全文 ↓
発信箱:日本人になる国=小国綾子(夕刊編集部)
毎日新聞 2012年05月01日 00時17分
「私、ニホンジンです」。エブル・イスピルさん(37)の言葉にちょっと驚いた。髪をスカーフで隠した外見は、見るからに敬虔(けいけん)なイスラム教徒の女性だったから。
日本暮らしが10年目を迎えた07年、同じトルコ出身の夫と日本国籍を取った。「日本が好き。ずっと暮らしたい。日本の奨学金制度で大学院を出たので日本に恩返しもしたい」。今は両国の文化交流のためのNPO法人で働いている。「トルコへの愛国心は変わらない」という。それってどんなアイデンティティー?と尋ねると、「トルコ系日本人かな」と答えた後、「日本じゃこんな表現、使わないね」と笑った。
ふと米国の市民権を持つ日系人の知人たちを思った。50代の移民1世は「米国では私は日本人。でも日本に行くと米国人だと感じるの」と語り、日本に暮らしたことのない若い移民2世は「日本はあこがれの国」と言い、日本人の名前を持つ移民3世は「ニホンゴ分からない」と英語で言った。米国では3人とも「日系アメリカ人」だ。
私自身、米国にいた頃よく「アメリカ人にならないの?」と聞かれ、驚いた。移民の国アメリカでは元をただせば多くの人が「○○系アメリカ人」。だから米国は「アメリカ人になる国」で、日本は「日本人に生まれる国」なんだ、とずっと思い込んでいた。エブルさんに会うまでは−−。
.日本国籍を取得する外国人は毎年1万人を超える。大半は中国、韓国人だ。それ以外の国からは昨年1444人。数こそ少ないが、この10年で2倍以上に増えた。
多様性は国の豊かさであり強さでもある。内向き度では日本の上を行く米国だが、その魅力は国内で「世界」と出会えることだ。「日本人に生まれる国」から「日本人になる国」へ。「○○系日本人」という言葉が当たり前になればいい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つぶやき
確かに日本も○○系日本人とマスコミに出ることはいいと思うが そのような時は大体が犯罪に絡んでいて中国系や韓国系の人が多いので直ぐに「差別だ」と反対の烽火が上がり、腰の弱い政府はよう実施に踏み切らない。
情けない限りだ。犯罪を犯す 彼ら(中国、韓国)には「金」のみで民族の誇りなどないからね。あれば犯罪などしないと思うが・・・。
然し これからは事件にしろ、美談にしろ○○系日本人と公表してほしいな。
高校3年の時に大学の進学を決めるのに当時「進学適正検査」?と言う試験があった。
その試験が理科系と文科系とに分けられていたのだ。
「君は理科の点がいいな・・・理科系に進学するのがいい」と担任の先生からの指導があったと思うが定かではない。人生の進路は そんな単純なものではないとも思うが・・・・。
我輩は理科。文科 共に同じような点数だったと思う。担任の指導先生からは さして理系文系の話はなかった記憶がある。「どちらでも希望のほうへ」くらいだったのかも?
当時は理系が華やかで就職の率がいい・・それに亡父の望みも理系だった。・・・と言うわけで建築に進んだものだ。何故か?父は作家など眼中に無かったみたい。
「作家は稀な才能が要求されるし生活が安定していない・・・食べるのが大変だ」くらいの認識しかなかったようだ。
明治生まれの父には若くして自殺した多くの著名な作家を知っていたのかも?
今でも文系、理系、それに体育系、等 分けられるようだだ。我輩の学生時代はさらに政治活動をする学生とそれに見向きもしないノンポリと言う区別もあった。
校庭でなにやら大声で叫んでいる奴が多かったが我輩など「何??やってんだ?」と白けていたな。こちらは製図や宿題、課題レポートに目が回る生活だった。
それにアルバイトもいそがしかったし・・・。政治活動をしているのは大体が文系だったようだ。工学部は アホーが多いとか彼らは抜かしていたそうだ。
我々は校庭で怒鳴る彼らを「なんて暇な奴だ」くらいだった。それに「デモに参加すればパン一個に300円呉れる」と言う噂もあったが参加する時間がもったいない。
早い話が政治には全く興味はなかったね。
授業が終われば道場に行き遅くまで汗を流していた。ただ練習が終り先輩の汗まみれの道着を1年生として洗うのが多少面倒だったが・・・。何しろ腹が空いていたからね。
////////////////////////////////////////////////////////
発信箱:日本人になる国=小国綾子(夕刊編集部)
毎日新聞 2012年05月01日 00時17分
http://mainichi.jp/opinion/news/20120501k0000m070098000c.html 以下全文 ↓
発信箱:日本人になる国=小国綾子(夕刊編集部)
毎日新聞 2012年05月01日 00時17分
「私、ニホンジンです」。エブル・イスピルさん(37)の言葉にちょっと驚いた。髪をスカーフで隠した外見は、見るからに敬虔(けいけん)なイスラム教徒の女性だったから。
日本暮らしが10年目を迎えた07年、同じトルコ出身の夫と日本国籍を取った。「日本が好き。ずっと暮らしたい。日本の奨学金制度で大学院を出たので日本に恩返しもしたい」。今は両国の文化交流のためのNPO法人で働いている。「トルコへの愛国心は変わらない」という。それってどんなアイデンティティー?と尋ねると、「トルコ系日本人かな」と答えた後、「日本じゃこんな表現、使わないね」と笑った。
ふと米国の市民権を持つ日系人の知人たちを思った。50代の移民1世は「米国では私は日本人。でも日本に行くと米国人だと感じるの」と語り、日本に暮らしたことのない若い移民2世は「日本はあこがれの国」と言い、日本人の名前を持つ移民3世は「ニホンゴ分からない」と英語で言った。米国では3人とも「日系アメリカ人」だ。
私自身、米国にいた頃よく「アメリカ人にならないの?」と聞かれ、驚いた。移民の国アメリカでは元をただせば多くの人が「○○系アメリカ人」。だから米国は「アメリカ人になる国」で、日本は「日本人に生まれる国」なんだ、とずっと思い込んでいた。エブルさんに会うまでは−−。
.日本国籍を取得する外国人は毎年1万人を超える。大半は中国、韓国人だ。それ以外の国からは昨年1444人。数こそ少ないが、この10年で2倍以上に増えた。
多様性は国の豊かさであり強さでもある。内向き度では日本の上を行く米国だが、その魅力は国内で「世界」と出会えることだ。「日本人に生まれる国」から「日本人になる国」へ。「○○系日本人」という言葉が当たり前になればいい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
つぶやき
確かに日本も○○系日本人とマスコミに出ることはいいと思うが そのような時は大体が犯罪に絡んでいて中国系や韓国系の人が多いので直ぐに「差別だ」と反対の烽火が上がり、腰の弱い政府はよう実施に踏み切らない。
情けない限りだ。犯罪を犯す 彼ら(中国、韓国)には「金」のみで民族の誇りなどないからね。あれば犯罪などしないと思うが・・・。
然し これからは事件にしろ、美談にしろ○○系日本人と公表してほしいな。
私は今、50才です。子供は20代です。朝鮮人は少し横に置いときまして、
欧米人がアジア人(東洋人)をひとくくりにするのは良くないですね。
東日本大震災で敵性国家と友好国家がはっきり分かりました。
明治、大正、昭和、平成と時代は流れていますが、その時代における世界観は大変に重要だと考えます。それをマスコミを経ずに直接的次の世代に伝えて行きたいです。
いつも返信ありがとうございます。勉強させて頂きます。
アプリ拝。
勤めていた時の同僚に凄く礼儀正しい方がいて今時 、珍しいと思っていたら その人の結婚式に呼ばれて初めて国籍が元朝鮮の人と知りました。儒教の教えを忠実に守っておられたのですね。
最近の韓国では日本の旗を燃やしたり踏んだり、とても理解できません。どこの国にも「よい人」「悪い人」「普通の人」はいるものです。
朝鮮半島の人とは今はお付き合いはありませんのでなんとも言えませんが・・・。これらを見ると正直 嫌になりますね。
中国だって「山の郵便配達」などの映画を見ると昔の日本の姿を髣髴とさせます。然し中国政府のむき出しの脅しや恐喝はいただけません。
中国、朝鮮、日本 この東洋の三国は不思議なほど異質なものをお互いに持っているようです。これを理解していないのが西洋及び米国です。彼ら(欧州、米国)は同じ東洋人として評価していて その違いに全く無関心で且つ無知と言ってよいですね。
私は相手の方が何処の国の方であろうと「郷に入れば郷に従う」この常識さえあれば問題はないと思っています。
拉致された多くの日本人を救えない日本の国 自体にも腹を立てています。日本の国内で攫われたのですよ。それを知っても何も出来ない、何もしない自民党にも呆れていましたが今の民主党はもっと酷いですね。長くなりましたので・・。お気づきの点はまたコメントください。有難うございました。
戦後生まれの私と戦前生まれでいらっしゃるosamuさまとの間で微妙な朝鮮人に対する感情の違いを感じるのです。
それは嫌悪感に近いですね。戦後に朝鮮人が戦死した日本人の土地を占拠して、現在のパチンコ屋を経営しているのは知っていますが、それ以外にも朝鮮人が日本人に実害を加えた事実があるのですか?
私は平氏の血を継ぐ日本人ですからご安心くださいませ。それより、歴史が伝えていない真実を知りたいのです。
子供の頃からペンシル・ロケット?糸川教授なみですね。
>食堂の運営を自治会でさせろと・・
これは何処の大学でもありましたね。私達はこういう話には関心がありあmせんでした。勝手にやれよ・・・くらいで
>マルクスを読まないやつは・・・
これはどうも・・・判りません。小説はよく読みましたが・・・。今の政府 幹部の一人の「暴力装置」には驚きましたね。未だ全学連を背負っている?地球市民と言っているので地球を背負っている心算かも?
学生の政治運動は私は賛成できません。ただ大学の先生がそれを指導しているのが気に入りませんね~ェ イザとなれば先生はソッポを向いているのが普通です。まァ学生は教授のモルモットのようなものといえるかも?私のような頭の弱いものは相手にされませんから・・・。頭の弱いのもよかったですね。
私の友人に日本在住の朝鮮人がいます(韓国人ではありません)。 日本では忌み嫌われて朝鮮では「在日」と蔑まれるとの事です。行くとこが無いと嘆いていました。
「じゃぁ在日朝鮮人クラブでも作ったら?」と勧めると「それは朝鮮総連と同じ事だ」との事。
では拉致問題を解決したら一躍ヒーローになれるよ!と勧めると「在日に何が出来るか!」と怒る。結局、既決する場所が無いのが現状みたいです (笑)。
まあ頑張って生きて下さい。だけど少し可哀想ですね。
私は子供の頃から化学が好きでボールペンの芯(真ちゅう製)に火薬を詰め、発射実験するなど、危ない子でした。
学校は体育会系、空手部有機化学科です。理学部と人は言ったかも知れません。部活が終わると町道場で練習、夜10時頃よれよれで下宿にたどり着いていました。先輩と違い、勉強はいつしたのか記憶にございません。
学生運動ボケは文系、教育系が多く、点数が低くてもはいれる時代だったので、我々体育会系は逆に馬鹿にしていましたが。
彼らはずるっこく、食堂の運営を自治会でさせろと、後でわかったのは手間賃に自分達の食費をただにしていたそうで、あきれたものです。
良くピケを張っていましたが、数と腕力で簡単に破れたのですが、かわいそうでやめておきました。
大好きな授業が受けられず大変残念でしたが~
マルクスを読まないやつは、紙切れ一枚の薄っぺらいヤツだ!と言って、皆からバカにされていた男は今はどこで余生を送っているやら。マインドコントロールされたままなのでしょう。田舎出身でおぼこかったですからね~ 草々
メタボ拝
いよいよ一年で過ごし易い時期になりましたね。
闘争にはは余り興味を持っていなかったが昭和時代の大学学生の闘争は文科系の人が多かったのですね。
○○系日本人!と言う発表!グッドアイデア!
九連休の残りのGWもお楽しみ下さ~い!
('_')5月の第1日目は広島植物公園に咲く水芭蕉をアップしましたので御覧頂ければ幸せます。
('_')それではGW明けにまた伺わせて頂きますね!
('_')爺のGooブログの方に来訪・コメントを、お待ちしていま~す!バイ・バ~ィ!!