市民活動総合情報誌『ウォロ』(2013年度までブログ掲載)

ボランティア・NPOをもう一歩深く! 大阪ボランティア協会が発行する市民活動総合情報誌です。

2008年9月号(通巻438号):この人に

2008-09-01 13:34:54 | ├ この人に
人とつながるコツ? 
それはいかに“いらん事を言うか
言わんか”に尽きるわね。

佐竹紀美子(マイケアプラン研究会世話人)

急速に”超高齢社会”へと突き進む日本。00年からスタートした「介護保険制度」は、介護の担い手に対する意識を「家族」から「社会」へと大きく転換させるきっかけとなった。
京都の「マイケアプラン研究会」では、制度スタート時より、「自立」「地域とのつながり」という観点から、当事者を主体としたケアプラン作成の提案を行っている。同研究会の設立から現在まで、世話人として同団体をリードしてきた佐竹紀美子さん。そのもうひとつの顔は、いろんな活動を通じてつながった多彩な人たちとの絆を深め、さらに新たなフィールドを切り拓く”仕掛け人”としてのものだ。
すべての市民活動の原点ともいえる佐竹紀美子流”人つなぎの極意”。同研究会の10年を追いながら、その素顔に迫ってみた。




■10月にスタートするマイケアさんの連続講座(左ページ)のテーマは「介護とジェンダー」。時流を見すえた企画ですね。

 ちょうどウィングス京都(注1)さんから助成をいただけることになってね。ただ、何でもええんやなくて、「男女共同参画」というセンターの趣旨に合わせなあかんいうので、急遽考えたんですわ。とはいえ、75年の国際婦人年をきっかけに「グループ50(男女はフィフティ フィフ
ティ)」という会を立ち上げたり、ウィングスの設立など市政への提言もしてきました。そやからそんなに唐突なものやないんです。

 実はうちの会では助成事業は初めてで、10年間いろんなとこでワークショップやシンポしてますけど、みんな自主事業。そやからもう勝手がわからんで、ここんとこ何遍もウィングス通いです。でも慣れたらなんでもない。むしろ今回のような機会がないと、なかなかこんなテーマに着目しませんから、私たちもいい勉強になったしね。ほんま、ありがたいこと
ですよ。

■介護保険制度のスタートは00年。もう8年になるのですね。

 介護保険制度自体は画期的な制度やと思います。核家族化、それに共働き世帯が主流になりつつあった当時の日本社会は、家庭内介護だけではもうギリギリ限界やったんですから。95年に定年を4年残して役所をやめた後、義母の介護を4年間してましたから、私も実感しますわ。義母は介護保険が始まる直前に旅立ちましたが、当時は私が日常のケア(注2)をしつつ、週1回、まったく民間のヘルパーさんに来てもらってました。そのヘルパーさんと、もうむちゃくちゃ相性が合ったというか、ほんまええ人でね。資格を取ったばかりで、すごく意欲的に、かつ親身に義母に接してくださって。家庭内介護だけやと義母も私たち夫婦も、「到底持たへん」って思いましたね。
 見ず知らずの他人が家に上がり、下の世話までしてくれる…「そんな世間体の悪いこと嫌やわぁ」みたいな旧来の日本人の意識が、制度の普及につれて徐々に変わっていったのは介護保険のおかげです。

■「マイケアプラン研究会」の設立は99年、制度施行の前年ですね。

 当初、私たちが素晴らしいと思っていたのは、「利用者が自由にサービスを選び、事業者と契約する」という介護保険制度の理念でした。それがいつのまにやらどこかへ行ってしまって、「ケアマネ(注3)任せ」のお仕着せ制度にすり替わっていた。役所が作った介護保険の手引き書には、判で押したように「ケアマネに、ケアマネに…」。介護プランの自己作成(注4)ができるなんてどこにも書かれてへん。
 「なんかおかしいんちがう?」。そこからでしたね。今度の連続講座の講師にもなっている現代表の小國(注5)も、津止(注6)も、みんなこの疑問を感じていて。2人とも男やのに“マイケア産みの親”やて、よう言われてますけど(笑)。当時、津止は京都市社協にいたんです。それで社協がバックアップしてくれていろんな面で助かったし、事務局も当時は社協に置いてのスタートでした。設立は99年8月。国際高齢者年(注7)の年で、キックオフイベント「何とかしまひょ この問題」を開きました。当時は20人くらいのスタートでした。今では会員100人近くいてますけどね。02年に東京で会員の一人が全国ネット(注8)を発足させて、ずいぶん活動を広げてます。
 私も最初からのかかわりですけど、うちでは世話人、つまり運営委員を数人決めてます。その面々がね、介護関係の人ばかりでなくて、けっこう多彩な顔ぶれなんですよ。そやから続いたんやろか。
 でもね、みんないろんな自己主張持ってる人ばっかりでしょ。私なんか石橋を叩いて叩いて叩き過ぎて潰してしまうタイプで…、最近は追い詰めるタイプになっているかも(笑)。片一方では大風呂敷広げる人あり、もっと慎重にせんとあかん言う人ありで、そんなせめぎ合いをどう調整していくか。中には「天敵」同士みたいな人もいて、まあ今のように安定するまでに結構時間かかりましたわ。いろんな人が出入りしましたけど、商売のネタにしたい、みたいな考え方やと続かんみたい。でも私とこをヒントに、いろんな活動や事業を立ち上げ、頑張っている人もいますよ。まあ「来るモンは拒まず、去るモンは追わず」ですわ。

■そもそも「マイケアプラン」というコトバも、介護保険スタート時にはほとんど知られてなかったですね。今では普通名詞的に使われつつあるのも、佐竹さんたちの市民活動の成果といえますね。

 私とこは「作成や手続きは誰がするか」にこだわってるわけやなくてね。「生活のプラン、人生のプラン」である「ケアプラン」の内容を、最終的に誰が決定するのか、みなさんに考えてほしいんです。それにね、作成の過程に、一緒に生活する家族、友人、地域の人がどのようにかかわってくるかも重要です。「自己作成」という「プラン作成+手続き」を毎月貫徹するんやなくて、自分のライフプランを十分に話せ、それを尊重してくれるケアマネがいれば、その人に手続きを依頼したらいい。良心的な独立型ケアマネや、ボランティアケアマネを見つけたら、しっかりネットワークを結ぶことです。最初はケアマネ活用でスタートして、慣れて
くれば自分で手続きをするのもいいですしね。
 『私にもつくれます マイケアプラン(入門と実践ガイド)』を編集発行したのも、こんな私たちの思いを発信するためです。ワーキンググループを作って、何度もディスカッションを重ね、00年11月に初版を発行しました。07年11月に改訂第2版を出しましたが、もう累計で2万部を突破したんですよ。見開きA3版で使いよいし、直接書き込めるワークシートを付けてるところと、うちの会の考え方をきちんと書いていて、単なるハウツー物ではないのが自慢です。「マイケアプラン」は私たちが生み出した造語と信じてますが、今ではかなり普通名詞的に使われているみたいでうれしいですわ。

■同研究会をリードする傍ら、「児童家庭支援センター博愛社(注9)」での相談員、「憲法九条京都の会」の呼びかけ人、それに桃山学院大学では「社会福祉援助技術現場実習」を担当し…という八面六臂の活躍ぶりですね。うまい時間の使い方の秘訣など、伝授してほしいです。

 ちがいますねん。こればっかりで休む間もなく動き回ってると思ってはる人が多いけど、実際は自分の趣味や、プライベートな交友に使ってる時間が多いんですよ。ご縁だけですわ、私の生活は。変なんですけど“テレパシー”“シンクロ”の連続でね。今まで知らなかった人でも、今後つながっていけそうな予感がしたら、どんどん付き合っていく。英語はまったくダメですが、外国の方とも楽しく付き合っていけるのも”ご縁と予感”からです。
 マイケアの活動にしても、みんな活動中はマイケアに関する話題しかせえへんでしょ。それが、偶然別の場所、別のイベントなんかで一緒になってね、へぇこの人、こんなこともしてる、あんな趣味持ってはるんや、って分かると、私、そっちのほうへひっついていく性向が昔からあるんです。
 そこで「ふーん、ふーん」と言うだけで、あと何もせえへんかったらそれで終わりですけど。猫がちょっかいを出す(注10)ように、ちょっとしたつながりが生まれたら、そっちの人たちとの交流の輪がどんどん広がる。夫にもしょっちゅう「またお節介して」と言われますけど、その時点から夫婦単位の付き合いにシフトするので人生何倍も楽しくなります。
 人とつながるコツは、いかに“いらん事を言うか言わんか”に尽きるわね。私のような人間がボラに目覚めたのも、ずっと昔、大阪の「ワインと音楽を楽しむ会」という集まりであるボランティアの方と知り合ったことに端を発してます。それが今の私のすべてにつながっているんです。つくづく思いますわ。偶然は必然を生み出すものやなあと。
 「介護」の“介”という字には、「人と人とを結びつける」という意味があるんです。書いてみたらわかるでしょ。「心の手」さえあれば、また別の人にどんどんつなげて行けますから。私の“ボラ”の原点かなあ。

インタビュー・執筆 
編集委員 村岡 正司

●プロフィール●
1939年京都市生まれ。社会福祉士、介護支援専門員、京都市介護認定審査会委員、京都市介護相談員。京都府立大学卒業後、京都市に就職、教育・福祉畑に在職。95年退職、義母の老いと共に歩み介護に専念。99年、京都発の市民活動団体「マイケアプラン研究会」の設立に参加、世話人に。「介護サービスのケアプランは、利用者が自分でつくるのが基本」という同研究会のビジョンを広く全国に提案するため、日々精力的に活動している。http://homepage3.nifty.com/mycare/

(注1)ウイングス京都:京都市男女共同参画センター。1994年京都市が開設し、現在は指定管理者として財団法人京都市女性協会が運営管理を行っている。
(注2)ケア:マイケアプラン研究会の定義では、「心くばり」「注意深く」という意味。単に「看病する、介抱する」という意味だけではない。
(注3)ケアマネ:「ケアマネジャー(介護支援専門員)」。居宅介護支援事業所・地域包括支援センター・介護老人福祉施設等に所属し、介護保険の要介護認定者に対し、在宅介護サービス利用者からの依頼により、ケアプランを作成、ケアマネジメントを行う
(注4)自己作成:介護保険を利用するときの行政用語、「セルフプラン」とも言う。プラン作成と諸手続きも含めてすべて利用者が行うこと。「マイケアプラン」というコトバはもう少し広い意味を持っているが、各自治体の介護保険のパンフレットには、これらについて詳しく説明されていないのが当会の実態調査でわかっている。
(注5)現代表の小國:小國英夫(おぐにひでお)。マイケアプラン研究会代表。現京都光華女子大学人間科学部長
(注6)津止:津止正敏(つどめまさとし)。マイケアプラン研究会発起人の1人。立命館大学産業社会学部教授。専門は社会福祉・地域福祉・ボランティア論。
(注7)国際高齢者年:1991年、第46回国連総会において採択された「高齢者のための国連原則」(the United Nations Principles for Older Persons)、すなわち高齢者の「自立」(independence)、「参加」(participation)、「ケア」(care)、「自己実現」(self-fulfilment)、「尊厳」(dignity)を実現することを目的 とする。これらを政策及び実際の計画・活動において具体化する年になった。
(注8)全国ネット:「全国マイケアプラン・ネットワーク」。
    http://www.mycareplan-net.com/
(注9)博愛社:『ウォロ』2004年10月号(通巻399号)「まちを歩けば」参照。
    http://www.osakavol.org/volo/volo2004/volo3997.html
(注10)猫がちょっかいを出す:猫がちょいちょいと手を出してたわむれるように、物事によく手を出すをたとえていう。チョイ掻きであろう。(『大阪ことば事典(牧村史陽編・講談社学術文庫)』より)

自己作成のバイブル的冊子
『私にもつくれます マイケアプラン』改訂第2版
介護保険改定後の支援のプランの立て方、自治体の取組み、など自己作成のノウハウやすぐに役立つ情報満載。1冊500円 送料80円(実費)申し込みは、FAXまたはメールで
FAX 075-315-0551 mycareplan@nifty.com


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