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黒魔術と白魔術

2011-02-23 22:30:25 | ビジネス
塾講師研修にヨガ・・・これは黒魔術と白魔術です(笑)

塾で”教える”テクニック教わっています。分かりやすい説明の技術でもあるのですが、分かりやすいということは、”自分の思考回路”にいかに相手を同調させるか? ということです。

良い先生かどうか?それは、リズム感、滑らかな口調、生き生きとした話し方などという”相手を引き込む力”で評価されます。

今指導してくれている先生はなんと”TVショッピング”でテクを盗んだのだとか! 買わせるテク、教室で使えばテストの点が上がる。

うーん、黒魔術ですねぇ(笑) 買った後は大抵「なんでこんなもの買っちゃったんだろう?」


一方のヨガ、ヨガの講師もやっぱり、口調の穏やかさや声のトーンが大切なのは一緒です。瞑想しているときにいやーな声は聞きたくない。でも・・・

ヨガでは、相手の中から引き出す・・・判断は相手がする。先生は、どちらかというと伴奏者です。
実は”どうすればよいか”というのは一人一人が知っている。あるいは体が答えを知っている。自分自身に問うのがヨガ・・・ ゴールは同じでもプロセスは十人十色。


■ 正解がどこかにある・・・という思想

そこが違うのです。 ヨガは正解を自分に問う白魔術。 

学校の勉強なら、正解がある世界ですから、誰かに教えてもらう、という発想から出なくても大きな問題にはなりません。

ところが・・・実際は、実社会では大違いなのは大人が知っていますよね。

もう忘れかけていましたが、大人になりたての頃は「ええ~!間違いだらけじゃん!」ってみんな大人の世界を多少嫌悪したでしょう。ビックリ? ”うそお~”みたいな感覚と同時に、意外に間違いばっかりで落胆のような、安堵のような。

だから、多分正しいことをやりたいという思いは若者ほど強いですよね、政治は若い人にやってもらったほうが美しい世界ができるね(笑)

でも、自殺大国日本で自殺する人は”正解が分からなくなって、途方にくれてしまう人たち”・・・。
正しい親、正しい夫、正しい妻、正しい上司、正しい部下・・・そういう”正しい”をやってしまうからです。
そういう”正しい”があると思っているのは、先生が正解を教えてくれた時代の名残です。”どうしたらいいのでしょう?”と聞いてしまって返事が返って来ないから、死んでしまう。

もちろん、誰だって”正しくない”はやりたくありません。ただ、その”正しい”は、外から与えられた
価値観ではなく、”自分が正しいと考える、正しい”でいいのです。 そこのところが、日本の教育法だとものすごく分かりにくい。 自分で考えるって言ってもどうやって?となってしまう。 

実は正しいなんてないんだ、ということを発見するのに、かなりの年月、下手したら生涯かかってしまうような強固な信念になってしまいます。

■ ”意見を言うこと”、”その意見を受け入れる”ことは別

また、良心的な日本人の陥りがちな間違いが、「意見を言わない」。 意見を言わない理由はその意見が正しいわけではないから・・・というものです。 

でも待って。意見を言うことと、意見が受け入れられること、は違います。意見はいつだって言っていいのです。

その意見を受け入れるかどうか、は相手にゆだねられることであり、押し付けることはできません。

良い意見も悪い意見も同じです。 意見は星の数ほどあればいいのです。それだけ多様な考え方が
あるということなのですから。 納得しやすい意見もあれば、そうでない意見もある。それぞれを受け取る
人が評価して、使えばいいのです。

悪い意見、つまり悪口を誰かから言われたとしましょう。例えば、「あなたは冷たい人だ」 それはそれでいいのです。
その意見を採用しなければ、私は傷つくことはない。そういう強さを持つことは大切です。

誰しも人の評価が気になります。でも、実際他人の評価というのは、ものすごくブレます。あてにならない
ものさしなのです。

私も誰かを心の中で評価しています。ええ、それはよいときは賞賛、でも悪いときは、平たく言えば悪口・・・。

例えば、祖母。私にとっては、愛すべき老人とはなりません・・・なぜなら、祖母のあり方を私の価値観に照らし合わせると、プラス評価ではないからです・・・。

年老いて感謝の心がない、ということは 私と言う色眼鏡からみた評価。人間的な未熟さと小ささ、そして視野の狭さという偏狭さ、つまり、非常にいびつで歪んだ人間性と言う風に見えます。そうなると愛せない。

でも、多分別の価値観で見ると、違うはずなのです。誰しも自分があるべき、という自分を生きているハズ。例えば、控えめで人様に迷惑をかけない人間だ、とか思っているはずです。謙虚な自分を愛して
いるでしょう・・・。 

そうした価値観を形作るもの、ものの見方それ自体が、私達それぞれが持つ、自分らしさ、なのでしょう。

だから自分らしさを持つと言うことは、万人に好かれるのをあきらめる、ということなのです。

そうでないかぎり、他者と言う当てにならないモノサシに振り回されて、自分を何色にも染め替えながら生きなくてはいけなくなり、しまいにはすべての色が混じった、汚い色になってしまいます。

それより、何色でもいいから、純粋な色になる努力をしたほうがいい・・・。どんな色でも美しい色になれます。

そして、美しい色は何色でも人の心を打つのですから・・・。



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