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ブラックバレリーナ

2015-07-02 10:58:25 | バレエを習っています

最近、黒人のバレリーナが終に誕生した。

私は長いことバレエを習ってきたのだが、バレエが好きだという気持ちのどこかに西洋文化に対する憧れがあるのか?ないのか?もう自分でも全然分からない。

西洋かぶれだと言われても、小さいころからパンを食べているし、コーヒーだって日本の物ではない。ありとあらゆる面で西洋化された後に生まれてきたから、何が日本で何が西洋か?そんなことは考えずに全部を受け入れて育った。きっとアメリカの黒人も同じだろう。おっと最近では黒人と言う言葉は差別用語とされている。差別意識がないのに差別用語とするのが、差別の始まりのように思われるが、最近はブラックアメリカンはダメで、アフロアメリカンと言う。しかし、これには事情があって、黒人さんの中でも、色白で、ほとんど東洋人くらいの人もいるがそういう人をブラックと言うと違和感があるからだ。それでアフロアメリカン、ジャパニーズアメリカンなら意味が通る。

日本の国技、お相撲も、今ではすっかりモンゴルの国技みたいになってしまった。が、大事な精神は守られていると思う。

同じことがバレエにも起きていれば、それでもいいのではないか?と思う。

バレエは西洋の、白人の、文化だ。アラビア人など異国の姫や奴隷として描かれていても、誰も何も反論しない。おとぎの国の話はメタファーで、史実に即している訳でも、現実に即しないといけない訳でもない。が、人々のものの見方を反映していないとは言えない。昔から姫も王子も、奴隷も魔法使いも妖精も娼婦も兵隊もいたのだ。

けれどもブラックな白鳥、オデットはありえないわけで、見ていても違和感があった。それでたまたま、反対派のひとにとっては、そこは最後の牙城となっていた。私自身も、オデットを見るとき、西洋人のオデットのほうが好きだ。日本人のオデットの場合は、圧倒的な演技力で、オデットらしからぬ容姿を補って、説得力を高めている。オデットがオデットたる理由は白鳥であるということなのだから、当然だと思う。

日本人だって外国人が日本人の役を演じていていれば意義を申し立てるだろう。たとえば、しどけない着方の着物を見ると私などは直したくなる。ましてや、それが丸で日本人らしくないそぶりであれば、ガッカリを通り越して、違う!と嫌悪感さえ覚えるだろう。着物を着るということは着ているだけでなく、良いマナー、立居振舞などすべてを含むのだ。

バレエは文化であり、日本文化に外国人が相いれない(というか無知)と同じことなので、入れてもらう側が、その文化の真髄を吸収する努力をするのが当然だと思う。お相撲だって、みなちゃんこを食べているわけなのだから。

ブラックスワンと言う役がある。ブラックスワンは一方で個性が強い役とされていて、バレエの世界の最高のヒエラルキー、プリマとはまた違う…。ちょっとキャラクターな役だ。しかし、超絶技巧で凄い役には違いない。そういう役で、実力を発揮する人もいる。

ただし、プリマとは違う。ただ、その違いを、1番ではないとみるか、単なる相違とみるかはもののの味方の差だ。オデットをやる人がオデールをやれるかというとできない場合も多いだろうし、質の差であって、実力の差ではないということももちろんできる。

私はこのように思っていたので、運悪く白人が作り上げてきた文化の中で、自分の肌の色をハンデに持ちながら、踊り続けたいと思う人たちは、その文化の王道ではなく、派生形、例えば、日本人なら日本人にしかできないオリジナルのバレエを作り上げたらいいのではないか?と思っていた。

例えば、日本人の動きはきめが細かく、正確で、コールドを見ると外国のバレエ団のコールドは、名だたるバレエ団であっても、バラバラだったりもする。(特にアメリカ系)。日本人のバレリーナはパッと目立つ強い個性の個性派は少ない。でも、正確なパに年をとっても愛らしさを失わないという特徴がある。

コンテンポラリーダンスの分野では、日本の男性は大活躍で、体格の小さささえも個性となっている。すべて、実力で稼ぎ取っている地位だと言うのが凄いことだ。

そうした動きはアフロアメリカンのバレエにあったのか、なかったのか、このところ、バレエ界にはとんと疎くなってしまって、あまり動きに追従していなかったので知らない。

でも、このニュースの扱い方で行くと、どちらかというと、アメリカの大統領に終に黒人が出た!と言うことに近い気がした。つまり、黒人VS白人、という古いマインドセットで、終に白人を黒人が凌駕する時代が来た、という感じに書かれている気がした。 〇〇VS〇〇という二項対立は分かりやすいが、全然現実を正確に表してはいない。

そういう意味では、この黒人女性が試されるのは今からだ。バレエの伝統にどのような価値を追加できるのか?それは、東洋人である吉田都さんがロイヤルに何をもたらせたか?というのと同じであるべきだ。

間違っても、盛り上がったふくらはぎは美しい、ではない。バレエの伝統的な価値観では盛り上がった筋肉は醜いものとされているのだから・・・。

伝統の継承に人種は関係ないと思う、文化の継承もその文化を愛している人こそすべきだ。しかし、文化の否定と言うのは、オーソドックスではなく、カウンターカルチャーでやるべきで、今までカウンターカルチャーにおいては、伝統的に否定されてきた、個性の強い人々、男性、異国の人々が多くの実績を残してきた。

その領域にとどまらず、終に王道にも、実績を残せるバレリーナが出たのだ・・・と言うことで、今後がどのようなバレエの伝統を継承して行ってくれるのか、期待される。一人のバレエファンとして、間違ってもバレエの否定でないことを願う。

 

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