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カリフォルニア便り ーFROM OQ STUDIOー

~南カリフォルニアから~
陶芸家の器と料理、時々王様の日々

マリンなゴブレット その2

2011年04月10日 | Ceramics

マリンでもう一色忘れてはならないのが赤でしょうか。

白、赤、紺のトリコロールカラーですね。

ファッション的には赤の分量を最小限に抑えて行こうかと思っている次第です。

例えば白と紺のお洋服に、極小の赤い珊瑚のピアスを使うとか、そういう事です。

陶芸では、ちょっとスペインを意識した存在感のある赤いゴブレットをば。


スペインを意識したと言いながら、イメージした赤は日本の誇る漆でございます。

日本に置ける漆の基本色はご存知のように赤と黒かと思います。

黒は漆黒と呼ばれるように色にそれほどの違いはありませんが、

漆の赤には色々な種類が有ります。

その中に『うるみ』と呼ばれる赤がありまして、それがこちら。


 

この赤に関しては黄味が強めですが、”うるみ”は本来もう少し黒を感じる赤です。

ご覧の通り、この素地は木ではありません。土です。


 

焼き物に漆を塗った片口でございます。ちなみに私の作品ではありません。

ワタクシもこの赤を、釉薬にて出してみたいと思っておりました。

そして作りましたのがこちらです。

 

夏のゴブレット ”うるみ”

 

黒みの強い赤を出す為に、素地の土にダークブラウンを使いました。

こちらのゴブレットにもエンブレムが付いておりまして、

エンブレムを作った土は磁土ですので、

そこの部分だけ釉薬の色出しが明るくなっています。

この赤は、許容範囲の広い赤とでも申しますか、

漆器を料理に使う際も『古代朱』と呼ばれる朱肉のような赤と比べて、

お料理を選ばない懐の深さを感じます。

 

 

 

庭から切って来たブーゲンビリアのフューシャピンクが、

むしろ葉もののグリーンを使わない事で、この『うるみ』の赤と

お互いを引き立て合うように感じますが、いかがでしょう?


こちらのゴブレット、我が家のバーテンダーはサングリアを飲むのに使うそうです。

それでは、料理担当の私はタパス料理でも作る事にいたしましょう。

 

Hasuta Luego

 

 


マリンなゴブレット その1

2011年04月09日 | Ceramics

今更という感じなのですが、今年はマリンファッションが気にかかる私です。

私はどちらかと言いますと山岳宗教のように山を崇める所がありますが、

今年は海でございます。

今回、海は大変な悲劇をもたらした訳ですが、

その海を、この夏を通して考えてみようと思っております。

その影響は既に陶芸にも出ておりまして、

パキッとしたマリンをイメージした作品が幾つか出来ております。

夏のゴブレット ”マリンストライプ”

 

濃いネイビーと淡い黄色のストライプのゴブレットです。

磁土を使ってスムースな仕上がりになっている上に、

大変ガラス質の強い上薬を使用しておりますので、

プールサイド等で、濡れた手で持ちますと結構滑り易いのですが・・・・・

 

 

大好きなエンブレムを中央に配して、

手の引っかかりを付けてありますので心配ご無用。

このエンブレムの色は土の自然な色なのですよ。

エンブレムのみ、色の違う土で作りました。

私はどんな時でも、土の姿を作品の上に残したいのです。

このゴブレット、個人的に大変気に入りました。

何だか夏が待ちどうしくなって参りました。


では

 

 


オリジナル

2011年04月07日 | Ceramics

大好きな街が有ります。とても小さな学生の街。

質の高い教育内容で知られる大学を取り囲むように街が有り、学生や教授が暮らしています。

その大学には陶芸がメジャー科目として有るので、優れた陶芸家を何人も排出しています。

その街に、大好きなスペイン料理のレストランが有るので時々出掛けて、お散歩するのです。

お散歩をしながら考えるのもやっぱり陶芸の事。

ギャラリーやギフトショップを覗きながらあれこれと・・・・・

そんなお散歩の途中、見つけてしまいました

この看板に目が釘付けです。とてもシンプルな線で表現された清潔感のある図柄。

こういう物を見てしまうと、作ってみたくなるのです。

組皿 ”音の妖精”

 

優しい雰囲気を出したかったので、水彩画の筆でストロークを残して描きました。

ちゃんと可愛らしい名前もつけましたが、これは私が使うのです。

こういう物は売ってはいけません。

私が轆轤を挽き、絵付けをし、釉薬を掛けて焼きましたが、

あくまでも、このお皿の一番の主役はこの二人の妖精達です。

そしてこれをデザインしたのは私ではないからです。


この国の大学で受ける教育の中で、最も厳しく教え込まれるのが、

オリジナルにクレジットを与える」という事なのですが、

これは文章にしろアイディアにしろデザインにしろ、

とにかく発表するものが自分のオリジナルでない場合、

必ずオリジナルが誰なのかを明らかにするという意味です。

もしもこの約束を破った場合、例外無く退学です。

そしてその事実は全国の大学に通知され、少なくとも公立の大学には2度と戻れません。

これは、あらゆる事に寛大なこの国としては、非常に厳しい制度だと思います。

そして私はそれを素晴らしいと思い、当然卒業後も忘れた事はありません。

 

そういう事なので、このお皿は私がオリジナルではないと私自身で判断しました。

本当は、この素晴らしいデザインをされた方にこのお皿を差し上げたいくらいですが、

これはどうやら古くから有るネイティブアメリカンの図案の様です。

そんなわけで、クレジットの所在を明らかにする事は出来ませんが、

このお皿を使う度、「素敵なデザインをありがとう」と心でつぶやく私です。



 


小さな水盤のアレンジ

2011年04月04日 | Ceramics

小さな水盤を作りました。”水の器”という連作の中から、

こちらは『睡蓮』という素敵な名前をつけさせていただきました。

お漬け物や和菓子などを少量盛って、浅鉢としてもお使いいただけます。

 


中央に盛り上がりが有り、少し彫りを入れてあるのですが、

これは装飾以上の狙いが有って施したものです。

 

実はこれ、『剣山止まり』と私が呼ぶ、剣山が滑ってしまうのを防ぐのに、

大きな役割を果たしてくれる細工なのです。

器の形を活かす為には、剣山をどの位置に置くかが重要ですが、

特に、中央ではなく端に寄せて置きたい場合、

水を張った水盤の中で重い剣山はよく滑り安定してくれません。

大きな剣山でしたらそれなりの安定感も有りますが、

このように小さなものは水盤の中を泳いでしまうので、

それを解決出来る装飾をデザインに取り入れました。

私は植物の花の美しさと同じように葉の美しさを愛しているのですが、

この器も、睡蓮の葉の形を意識しました。残念ながら私の庭に睡蓮が無いので、

こちらはカラーの葉です。

 

今日はこのカラーの葉三枚と、間もなく季節を終えるフリージアを2本だけ使って、

器のデザインと澄んだ水の美しさとを活かしたシンプルなアレンジをしてみます。

一番大きな葉を剣山の最も近くに倒すように入れ、

中ぐらいの葉、一番小さな葉の順に茎を長くして写真のように組んで行きます。

もうこれで剣山は隠れてしまうのです。

西洋式のフラワーアレンジメントの場合オアシスを躍起になって隠す必要がありますが、

こういった生け花寄りのアレンジは茎が水からスッと立ち上がる部分を見せる事が美しさですので、

剣山を隠す事に気を取られるあまり、根元がごちゃごちゃしないように気をつけます。

葉の陰から、私の彫った模様が顔をのぞかせていますね。

見る人が「あれ!何だろう?」と覗き込む程度に控えめに見せてあげるのも、

器を活かすという事だと思います。


少し余談になりますが、

素晴らしい器(私のではないですよ)をお持ちの方は、

時としてその器を活かそうとするあまり、その魅力を全部見せようと、

お腹いっぱいのアレンジなり盛りつけなりをしてしまう事が有ります。

陰から少しだけ見せる事で、見る人の想像力や好奇心をかき立てたり、

お料理を奇麗に食べ終わったあと、

それはまるで食材達が「ありがとう」を言っているかのように、

器の底から素晴らしい意匠が現れる効果を狙って、

最初はあえて盛りつけで隠してしまうなど、

遊び心を持って、お使いになられると楽しいのではないでしょうか?


話がそれました。

剣山が隠れてしまえば、怖いものは無いですね。

思うがままに伸びやかに、お花を入れれば良いのです。

私はこんな風に2本のフリージアを入れました。

このアレンジは、水を見せる事で清潔感や涼感を表現するものですので、

コーヒーテーブルなど、比較的低い場所に置くと、いっそう効果的と思います。

タイシルクのピンクに器の優しい色とフリージアのきっぱりとした黄色が春らしい、

小さいながらも存在感のあるあしらいになりました。

 

今夜は親しいお友達をお招きしています。

食後はここで、美味しいコーヒーが飲めそうです。

どんな事件が起ころうと、季節は移ろうものですね。

日中の気温が25度を超える日も出始め、間もなく薔薇の季節が始まります。

 

では

 

 

 

 

 


非売品

2011年03月11日 | Ceramics

私は自分の作品を願わくば多くの人に愛されながらお使いいただきたいと願いながら作っている。

でもただひとつ、自分の為にしか焼かないシリーズが有る。つまり非売品。

 

ジュピター” と名付けたシリーズを私は自分の為だけに作り続けている。

昔、一人の女性がわざわざこれを見る為に海を越えてやって来て下さった事が有る。

非売品である事をくどくど説明したけれど「構いません」と。

その女性は4時間の間この焼き物の前に黙って座り続けていた。

「何か見えますか?」私は尋ねた。

その女性の答えは思いもかけないものだったけれど、その答えが気に入ってしまった。

帰って行く彼女に、遠くから尋ねて下さったお礼とともに、

「重いですよ」と言いながら、私は中でも一番好きな物を選んで手渡した。

そんな例外は数える程しか無くて、それさえもお金を頂いた事は一度もない。

大した作家でもないのに何故そんな生意気な事をするかと言えば、

この焼き物は私の土への祈りそのもので、他の誰の為にも作れないからだ。

器を作る時には使って下さる方のことをひたすら思いながら作るのが礼儀。

でもこの焼き物は違う。

この焼き物に込められた本当の意味は、私にしか解らないし、

それは私以外の誰にとっても何の意味も無い。

私は生涯このシリーズを焼き続けるつもりで、非売品である事も生涯変わらない。


思う所有って、私はこの焼き物を4年間封印して来た。

その封印を今年の終わり頃解こうと思っている。

楽しみでもあり、恐ろしくもある。

今の自分が見えるはずだ。

 

 

Are You Ready ?