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カリフォルニア便り ーFROM OQ STUDIOー

~南カリフォルニアから~
陶芸家の器と料理、時々王様の日々

オブジェみたいな花器

2011年09月08日 | Ceramics

 

私はかつて、フラワーデザインを仕事としておりました。

ウェディングを専門とし、それに付随してレストランやホテルのいけ込み等。

肉体労働です。腰痛と手荒れとの戦い。

それでも尚、花達の力を借りて美を創造することは、それらを補って余り有る喜びでした。

ですが花の流行もファッションと同じ早さで変化しますから、これは全て過去のことです。

今の私は日常の花あしらいを楽しませて頂いている身です。

 

花を仕事としていた頃、常に疑問に思い続けていた事がありました。

『何故、花を楽しむことはこんなにお金がかかるの?』

私はとりわけ華やかなウェディングを通して花と関わっていたので尚更ですが、

プロになるまでの勉強の過程でも、計算したら気絶する程のお金がかかったのは事実です。

日々の暮らしに花を取り入れる。

それは楽しいことなのに、これほどお金がかかるとすれば、誰にでも出来ることでは有りません。

この家に引っ越し、もはや花は買うものではなく庭先で摘んで来るのが常となりました。

かつて華やかな世界で花と生きていた私が、剪定した花の命を最後まで慈しむ為に生まれた、

イギリスのフラワーアレンジメントの原点に立ち帰ったのです。

花のある暮らしは素敵です。多くの方にそれを楽しんで頂きたいと思います。

陶芸を生業とするようになった今、私の花器を制作する視点は常に『日常』に有ります。

こんなオブジェの様な花器を作りました。

どこが花器?と思われるかもしれませんが、花器です。

ペーパーシリーズの連作から、クルクルと巻いた紙をイメージしています。

単体でも使えますが、今回は二つを組み合わせて使ってみます。

まずは、設置する場所に自由に二つを組み合わせて置きます。

写真は2方向から見た図です。

ここに花を生ける訳ですが、こんな仕掛けを使います。

直径2センチ程のプラスチックの容器(こちらはヘアスタイリング剤のキャップです)に、

オアシスを頭の部分を少しだけ大きめにしてセットし、充分に給水させます。

この時、写真のように出来るだけ角を削り面を沢山作っておくと、花を簡単に挿すことが出来ます。


これを、花を生ける部分に置きます。

花材はこれだけ。全部玄関先の鉢植えから先端を切って来たものです。

今日は花は使わず、葉だけで涼しげなアレンジにしようと思います。

カランコエの葉で、上から見た時に見えるオアシスを隠します。

元々がとても小さなオアシスですから、これでもうアレンジは出来た様なものです。

次に、全体の流れを決めるジャスミンの枝を流します。

花器に様々な角が有りますから、好きなところに引っ掛けて美しい流れを作れます。

次に、最も存在感のある紫色の大きな葉を入れます。

その後、オアシスの見えているところを小さな葉で高低を付けながら隠します。

このアレンジは、コーヒーテーブルに置きますので、

あらゆる角度から見て、美しくなるようにバランスを見ながら仕上げて行きます。

出来上がりました。

伸びやかなツルとアジアンタムの繊細な葉が涼しげです。

紫の大きな葉が、どっしりとした津軽塗りのコーヒーテーブルに負けること無く、

しっかりとバランスを取ってくれています。

上から見下ろしますと、一層一振りの葉の存在感を感じます。

コーヒーテーブル周りの全ての椅子に腰掛けて、目線を確認して出来上がり。

 

お金も時間も全くかけていません。

鉢植えの観葉植物をちょっとだけ使って、

わずか5分程度で仕上げたアレンジです。

フラワービジネスから離れた今、

私の考える日常の花あしらいとは、さりげなく私らしく。


こちらは別の日のアレンジ。

黄色いダリアと白いペンタス、そしてアイビー。

どれも庭先から切って来ました。

こちら側から見ますと、黄色いダリアが主役のアレンジ。

反対側からですと、お星様の様な白いペンタスが主役になります。


私はこれからも自由な気持ちで、お使いになる方が構えずに植物達と仲良くなれる様な、

花を活かす、包容力の有る花器を作り続けて行こうと思います。

 

では


コンポートのすすめ

2011年09月04日 | Ceramics

足の付いた器を総称してコンポートと呼びます。

人数分揃えるタイプの食器よりも、デザインに遊びを加えることが出来るので、

私はとても楽しんで作らせていただく器の一つです。

キッチンの出窓には、このように色々なコンポートが並んでいて、

食べごろを待つフルーツが乗せられていたりします。

 

このコンポート。実は敷居の高い器だと仰る方も少なくない様です。

理由は、普通の器よりも出番が少なそう。どう使って良いか判らない。等々・・・

とても残念です。コンポートはとても便利で楽しい器なのですよ。

 

もしも一つだけコンポートをお求めになるのでしたら、

私は上の写真の様なボウルに足の付いたものではなく、

お皿に足が付いた小振りなものをお勧め致します。

例えばこのようなデザイン。

片手で持てる大きさで、とても軽く仕上げてあります。

そしてコンポートを使いこなすコツは、普段からこのように目に触れるところに出しておくことです。

何も乗せていなくても楽しめるように、木版画の様な削りを入れました。

私は前菜としてブドウとチーズをワインと供に出すことが多いのですが、

たった一房のブドウでも、足付きのお皿に乗せることで特別感を出すことが出来ます。

写真の手前左側にチーズが盛られる予定なのですが、

バーテンダーがお使いに行ったきり、戻って参りませんので未完成の写真となりました。

チーズを買うのに何時間掛かっているのでしょうか?

足の部分は、ロクロではなく「ひも作り」と呼ばれる手作り感溢れる作り方で仕上げました。

グルグルと縄を巻き上げた様なデザインの所々に隙間を空けてあるのですが、これは水抜きです。

コンポートの足は、通常コップを伏せた様な形になっていますが、洗う時に水が溜まります。

これを逆さにして水切りする際に、手が滑ったりして事故が起きますので、

出来るだけ扱い易いものをと考えて作りました。

こんな風に遊び心を持ってデザイン出来るのも、装飾の要素の高いコンポートならではです。

また別の日には、タイ料理でお客様をお招きしましたので、

東南アジアの大好きな果物、マンゴスチンを乗せました。

まるで木で出来た様な素朴で愛らしい姿は、テーブルのセンターピースとしてぴったりです。

お食事中は、このアートな姿を存分に堪能し、頃合いを見計らって食べ易く剥いてお出しします。

剥いた姿も、お花が咲いたみたいに可愛らしいですね~

本当に私は大好きです。マンゴスチン。

 

コンポートに乗せるものを悩む必要等有りません。

フルーツでも、おせんべいでも、野菜スティックでも、さきイカだって。

なんでもない素朴なものを、少しだけ特別に見せてくれるのがコンポートなのです。

食べ物だけでなく、ドレッサーに置いて日常使いのジュエリーや時計を並べておいたり、

色や香りや形の違うキャンドルをコーディネートしてキャンドルホルダーにしたり、

小さなオアシスをセットして、お料理を盛りつけるようにお花をアレンジしたり。。。

 

お気に入りのコンポートを見つけたら、どうか仲良くなってあげて下さい。

仕舞い込まずに、休む間もなく色々な出番を作ってあげて下さいね。

コンポートは暮らしを楽しく豊かにしてくれる器です。

 

あらら・・・・どうしましたか?

誰か来ましたよ~ ガレージが開きました。

 

どうやらバーテンダーが戻って来た様です。

冷えた白ワインを空けてディナーをスタート致しましょう。

 

では




夏のダイニングテーブル

2011年08月25日 | Ceramics

このダイニングテーブルが我が家の生活の中心です。

名の通った一流品という訳でもなく、手の込んだ装飾がある訳でもなく。

ただただどっしりとした、存在感のある大きな木のテーブルです。

今我が家にある家具のほとんどは、この家に引っ越して来てから揃えたものです。

そして、このダイニングテーブルが一番最後にやって来た家具です。

大人8人が余裕で座れて、どんな食事にも合う、それでいて二人きりで座ってもガランとしない。

それが私のダイニングテーブルに求めた条件でした。

木の種類や色などは二の次三の次。

それでも長い長い間、見つかりませんでした。

その間、私達はキッチンに置いたアイランド代わりの小さなカフェテーブルで、

並びきれない器はキッチンカウンターに待機させて、小さくなってお食事してました。


大勢のゲストと着席式でお食事をする時には、ゲストの席順に多少配慮が必要です。

気心の知れた友人だけなら、好きな場所に勝手に座って頂いて結構ですが、

通常、ホスト又はホステスがそれぞれの席にご案内する方が、

ゲストが遠慮や恥ずかしさから隅の席の争奪戦を繰り広げる事も無く、スムースに運びます。

あらかじめそれぞれの席にネームカードを添えるのも素敵です。

日本のように上座などという席は存在しないものの、重要な席というのはやはりございます。

必ずしもそうであると期待は出来ませんが、その重要な席がどこであるかを見分ける目安は、

ダイニングチェアーのデザインは同じでも、肘掛けの付いた椅子が重要席という場合もございますね。

ま、我が家にはそんなお席は存在しないと申しますか、

全てのゲストが重要ですので肘掛け椅子は有りません。

とにかく、初対面の方同士は、出来るだけ会話の弾み易い席順を考えます。

ビジネスが関わるゲストも多いので、ゲスト同士思わぬビジネスチャンスに恵まれることも有ります。

そのような嬉しいハプニングは、お招きした者としてとても光栄な事です。

ダイニングテーブルのデコレーションに関しては、様々な楽しいアイディアがありますね。

私の場合、あまり背が高すぎては相手のお顔が見えず逆効果ですが、

正面に座った方の顔やお食事の様子が丸見えにならない程度のセンターピースを配置します。

ホリゾンタルと呼ばれる形に活け込んだ、低くて横に広がるフラワーアレンジ等が一般的なのですが、

おこがましくも、大抵の場合は私の作品が並んでいます。

陶芸作品のショールームの役割も果たす我が家ですので、大目に見て下さい。

正面を見る度に、相手のお顔やお食事の様子が丸見えになってしまいますと、

返って会話に詰まってしまう場合も有ります。

心地よく楽しいお食事の為に、上手に目線をそらしたり、さりげなくプライバシーを確保するのは、

テーブルを華やかに飾ることよりも大きな、センターピースの役割かと思います。

この夏のテーブルには、ペーパーシリーズの作品を幾つか並べて、

楽しげなオンシジウムの鉢植えをフォーカルポイントに配しました。

鉢植えを食卓に置く場合には、土が見えないようにする事で清潔感が出ます。

方法は色々有りますが、私の作品は『紙』をテーマにしたシリーズですから、

柔らかく薄手の、ホラ、お洋服等を買ったとき店員さんが薄紙で包んで下さる事がありますが、

あの紙を使いました。クシャクシャと丸めてからふんわりと鉢の縁を覆うように使います。


そして、小さめの作品にはペーパーナプキンを二つに折ったものを扇状に広げてみました。

ナプキンホルダーよりも、華やかさが出てくれるのではないかと思います。

紙をイメージした焼き物と本当の紙の組み合わせ。やはりとても良く似合います。

白ばかりのデコレーションですが、それぞれの質感や微妙に異なる白が、

窓の外一面に広がっているプールのブルーや椰子の木のグリーンを映し込み、

テーブルにリズムと統一感を出してくれていると思います。


この夏のゲストのみなさまには、

このようなダイニングルームでお過ごし頂いている我が家です。


では

 

 

 


土で出来た紙

2011年07月31日 | Ceramics

ここしばらく私は土で紙を作り続けている。

白は私が陶芸を始めて以来、避け続けて来た釉薬。

嫌いなのでは無い。

好き過ぎて、使えずに今まで来た。

白について長い長い年月考え続け、日常の中で見続けて来た。

白がすべてを輝かせることも、全てを台無しにすることも知っている。

その世界に入っていくのが怖かったんだと思う。

そんな私をとうとうその『白の世界』に誘い込んだのは、

ある出来事をきっかけに、私の中にわき上がったささやかな反発心だった。

紙の皿で食事をすることを『味気ない』と断言した人が居た。

私と同じ陶芸家だった。

その食事が味気ないかどうかは、器によって決まるのではない、

食事をする人の、心のありようが決めるのだと私は思う。

どんな理由があっても、人様の召し上がり物を味気ないなどと言ってはいけない。

紙の皿に盛られた何日ぶりかの暖かい食事をほおばる人の笑顔を見れば、

その食事がこの世のどんなご馳走よりも、今彼らの心を満たしていることが判るだろうに。。。

使い手の表情を見逃し、器という、使い手が居なければ何の意味もなさないものだけに目がいってしまう。

一生懸命になるということは、そういうことかもしれないが。。。。。


紙には紙の、プラスチックにはプラスチックの、そして勿論土には土の魅力がある。

価格、衛生面、便利性、軽さを含む安全性・・・

紙の器を使うことの良さを挙げたらきりがない。

自分が愛しているものを「これがベスト」と言い切ったっその瞬間に、

愛しているはずのものが、誰かから疎まれ、遠ざけられてしまうこともあるのではないか。

そんなことを考えていたら、私は紙の楽しさや美しさを土で表現してみたいと思い始めた。

紙に言わせれば余計なお世話だろうけれど、

はじめは誰にとも無いちっぽけな復讐心も有ったように思う。

でも作れば作る程、そんなことはどうでも良くなった。

楽しくて楽しくて仕方が無い私が居た。

 

 

 

 

作品には全て同じ釉薬を使用しているが、

素地である土を変えたり、表情を付けてやることで、全く違った白を見せてくれる。

同じ作品であってさえ、光りと影をその肌に映し、七変化する。

白は凄い。

作れば作る程、頭の中には無限の可能性が広がって、

私はいつスタジオから出たらいいのか判らなくなってしまう。

 

 

 

元々が反発心などという了見の狭い、嘆かわしいスタートだったし、

依頼を受けてデザインしたものではなかったので、

自分一人で楽しみ、自分のために作るつもりだったのだが、

作品を愛して下さる方々が出来、新作を楽しみにして下さるようになった。


後日、この作品を作り始めてしばらくした頃に、私は砂漠を見た。

見たことの無い強烈な白の世界だった。

白は冷たく、且つ熱いと知った。

今も日々心の趣くままに作り続けている。

私の作る紙には、砂漠のエネルギーが吹き込まれ始めている。

陶芸が有って良かった。

そうでなければ、私には何も伝えられなかった気がする。

 

スタジオにて

 


ソーサーを作らない私のこと

2011年05月27日 | Ceramics

大好きなデミタス

 

カップ&ソーサーはスーツみたいなもの。

揃いで着てベストなバランスになるように仕立てられているから、格好いい。

素材を選べば、どんなフォーマルな席にも通用する優等生。

でもそれだけに上下を別々で着るとなんとなく無理矢理な感じかも。。。。。

私はそんな風にカップ&ソーサーを見ています。

 

そして私はお皿もカップも作りますが、カップ&ソーサーを作りません。

理由は二つ。

ひとつ目の理由は、ソーサーというのは多くの方にとって大変無駄なもので、

お皿の形をしていながらお皿として使えない、使ってもらえない。

(ま、使おうと思えば使えますが、やはり ”コレってソーサーでしょ?” 感が否めない。)

ふたつ目は、個人的に焼き物と焼き物のぶつかる音が嫌い。

この2点から、私はセットで作る事をしません。


昔から作られて来た形だけにソーサーにはしっかりと役割は有るんです。

カップを伝う飲み物を受け止めるという役割です。

古き良きイギリス人のお茶とミルクの注ぎっぷりを見れば一目瞭然。

ヨーロッパの伝統的な磁器ブランドのものはカップ&ソーサーが揃って初めてひとつの器。

どちらが欠けても、その魅力は半減もしくは全滅。そこはピアスに似てる。

だけど焼き物と呼ばれる種類のカップはどうなんだろう?

木とか貝とか金属とか・・・受け皿として異素材を組み合わせた方が使う方の個性が出ますし、

カップと受け皿が出会う時の音がステキ・・・と思う私が居ます。

この音の事なのですが、焼き物同士がぶつかり合う音は本当に耳障りなのです。

特にお茶やコーヒーを頂きながらお話ししている時等、

カップを上げ下げする度に、カチャカチャとその存在を主張しているようです。

その上若干ワイルドに器を扱う方は、さては壊れたか?と思わせる程盛大な音を立ててしまう。

磁器に比べると土ものはやわらかいので、作り手としてはつい敏感になってしまうのかな?

人の生活音というのは耳障りなものではないですよ。私はそれほど神経質ではないです。

でも、作っている人間としては、人様の会話の邪魔をするようなものを作りたくないのです。

そんな事で私は焼き物の皿をコーヒーカップの友としては作りません。


・・・と思っていたのですが、お断りするのに忍びない方からのご依頼で、作る事に。。。

でもやっぱりセットものは嫌です。いずれ来客時ぐらいしか出番の無くなるソーサーが不憫。

そこで、コーヒーカップ、小皿2種類を同じテイストで、でもセットでなく作りました。

ただ今追及中のPaperシリーズです。

ソーサーみたいに見える小皿は皿として単品でデザインしました。

勿論お使いになりたければ、ソーサーとして使って頂いても結構ですが、

If ! 単品で小鉢、小皿としてそれぞれお使いいただければ  "More than Happy"

 

私)  お好きな方のお皿をどうぞ

依頼主)いいえ、両方持って行きます

私)  セットでお使いになるのですか?

依頼主)まさかっ!お皿が見えなくなっちゃうじゃないのっ!

私)   ・・・・・

私)  でもソーサーは?

依頼主)あー、いいのいいの、ソーサーなんて普段使わないでしょ?

私)    ・・・・・

・・・・・だそうです。


では