協働広報という言葉があるそうである。ひょんなことで、『広報』(9月号 日本広報協会)の取材を受けることになり、インタビュー記事となった。
協働広報との対比で言えば、さしずめ私の仕事は、協働まちづくりや協働立法であるが、今回、協働広報というものがあるのをはじめて知り、ちょっと意を強くした。
いくつかの論文を読んで感じたことは、参加との区別があいまいなこと、その延長線で、民の行動原理に基づく協働広報の具体的内容が見えにくいというのが、率直な感想である。今のところ、その答えを出す能力はないので、もう少し勉強したいと思うが、対象が広報という表現にかかる分野である分、協働につきものの公共性のテストをめぐっては、厳しい議論が予想されるところである(憲法秩序そのものに関する直截的な議論になりそうである)。
取材は、ワンパターンの横須賀中央ジョナサンで行った。打ち合わせといえば、いつもジョナサンであるが(客が少ないのがいい)、今度、新しいところも開拓しよう(今のところドッグカフェしか思いあたらない)。
協働広報との対比で言えば、さしずめ私の仕事は、協働まちづくりや協働立法であるが、今回、協働広報というものがあるのをはじめて知り、ちょっと意を強くした。
いくつかの論文を読んで感じたことは、参加との区別があいまいなこと、その延長線で、民の行動原理に基づく協働広報の具体的内容が見えにくいというのが、率直な感想である。今のところ、その答えを出す能力はないので、もう少し勉強したいと思うが、対象が広報という表現にかかる分野である分、協働につきものの公共性のテストをめぐっては、厳しい議論が予想されるところである(憲法秩序そのものに関する直截的な議論になりそうである)。
取材は、ワンパターンの横須賀中央ジョナサンで行った。打ち合わせといえば、いつもジョナサンであるが(客が少ないのがいい)、今度、新しいところも開拓しよう(今のところドッグカフェしか思いあたらない)。