松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆かながわ政策法務研究会から・条例の完成度

2022-06-27 | はじめての条例づくり
 久しぶりにリアルの研究会だった。

 10年ぶりくらいになるが、みんな年を取った。人とのことを言えた義理ではないが。

 発表の前段は、川崎市の職員の方によるジェンダーをめぐっての研究で、地道な調査に基づく研究だった。結論は、そうだろうなと思っていたものであるが、それが裏付けられたもので、仕事をしながら、すごいと思う。

 そのあと、私ののんきな発表なので、彼我の差は大きい。

 私のテーマは、住民自治の条例づくりで、(1)主権者が主権を行使する前提を整える・市長選挙公開政策討論会、(2)社会の持続可能性の前提としての若者参加・新城市の若者政策を取り上げた。

 報告は、50分くらいということなので、これなら十分、むしろ時間が余ると思っていたが、40分くらい話したところで、まだ全体の3分の1も行かないことになった。慌てて、後半は、超スピード、三段跳びでの話となった。若い人が多かったので、役所における仕事の仕方のような、やや、余計な話に、つい、話が広がってしまったのがいけなかった。

 研究会の魅力は質疑で、自分が考えてなかったこと、あるいは、漠然と思っていたことが提起され、触発されることである。

 こんな質問があった。公開政策討論会は、市民が運営するが、その運営形態を条例に書いた方がよかったのではないか。たしかに、これによって、この条例が持っている懸念、つまり「市長が運営する」ということに対して、条例運営の市民性がより明確になるからである。

 実際は、条例制定当時では、運営形態まで明確に決められなかったのが本当のところであるは、これは、次の公開政策討論会に向けての課題だろう。早速、市役所に情報提供しておこう。

 この問題は、条例の性質によって、どこまで詰めておくべきか、条例の完成度の問題であるが、それが、条例の垣根に大きく影響する論点だと思う。

 これまで条例は、どこからつつかれても、問題のないものとしてつくるものとされていた。たしかに、権利規制型の従来の条例では、その通りだろう。あいまいな内容で、市民の権利が制約されるのは妥当ではない。

 他方、創造的な条例では、そこまでの完成度が要求されるのか。創造するには、さまざまな資源が必要であるし、条件もある。これらは、いつも十分とは限らない。公開政策討論会では、これを運営する市民がいて、初めて運営できる。創造には、試行錯誤もあるし、次にはさらに改良するという工夫があってよいと思う。

 学会では、こうした議論はないが、その遠因は、信託論によって、地方自治を論じる画一性に捉えると、そもそも、こうした問題意識すら起きないだろう。この点は、何度も書いているが、地方自治は、信託論で論じる部分と公共体の論理(協力、助け合い)で論じる部分が混在しているからである。

 つまり、これまでのようなリベラリズム一直線で論じるか、コミュニタリアニズムも加味して論じるかの政治哲学の問題でもある。難しい理論とは別に、実際、企業では、ある程度検討したら、試しにやってみて、改良、改善を重ねながら、いい商品をつくっていく(これは白岡市の行政評価委員会で企業出身の委員から教わった)。

 最初から、完璧なものをつくろうとすると何もできないし、完璧でないとの批判を恐れてしまうと、結局、何もしない方がいいという日本病になってしまう。これでは担当者や役所は、責任は問われないが、社会は悪くなるばかりという、一番、悪い選択となる。

 
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