玖波 大歳神社

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現代(従来環境の崩壊) 三 共同体の変化  四 人間関係の希薄化

2012-01-27 12:39:33 | 日記・エッセイ・コラム

 四 人間関係の希薄化
 過疎過密と少子化と共に人間関係の希薄化も見逃すことが出来ない。生活が豊かになり楽しみ事が多くなったことや、テレビなどのメディアが視聴率を競って、視聴者の興味・関心を引きつけるために様々な工夫を行い、時計の替わりに常時玉石混合の情報を垂れ流していることなどにより、自分たちの努力で生活の中に楽しみを見付ける事が少なくなり、それだけで満足し、他者との関わりを煩わしいものと感じるまでになっている。それは、貧しい時代に形成された、四季折々の季節の変化を肌で感じ、多くの人々が集い、酒を飲み、会食をし歌舞に興じる様な楽しみを駆逐してしまっている。
 年寄りが、「昔は、腹一杯ご馳走を食べられることが楽しみであちこちの祭りによばれていった。しかし、今は、日頃からご馳走を食べていて、祭りのご馳走を特別に感じることもなく、逆にあまり好まなくなってしまっている。晴と異が逆転してしまった。」と話してくれたことを思い出す。日頃から、テレビで派手で豪華な催し物ばかりを見せられていると田舎の様々な行事が陳腐なものに感じられて、関心も非常に薄いものになってしまっているように思える。
 本来、世界人口と食料の生産量の関係から見て、人間は粗食・粗衣でなければならないもので、日本における生活水準は世界中を見渡しても非常に高いものである。今の豊かさは、先進国の特別なものであり、それを継続することは将来の人類に対して大きな負債を残すことになるだろうし、発展途上国が先進国並の生活水準になると世界規模の危機を迎えることになる。
 また、一人一人が助け合わなくても生きていける社会は、人との関わりを希薄にしていく。隣に誰が住んでいるのかも分からず、孤独によって精神を病むような人々も増加し、更に犯罪も増加してくる。戦後、日本の古きものを否定し、欧米を良しとする方向で進んできたが、今こそ日本の古きものの中にある良きものを見直すべきではないだろうか。その根本が生産を中心とした共同体文化であり、人間関係を濃密にしていくことである。その方法として、「同じ釜の飯を食べた仲」や「お近づきのしるしの一杯」や「一宿一飯の恩義」や三三九度や固めの杯のように寝食を共にすることによって人間関係をより深いものにしていくことが大事である。天皇即位の時、大嘗祭を行い、天皇としての資格完成のために、蓐・衾を備えた悠紀主基殿で神と寝食を共にし、天皇霊が身体に入るまで引き篭もり深い物忌みを行っていることと同様なものであり(この儀式は、一説には、天孫降臨の時邇邇芸命が真床襲衾を被っていたことに由来するとしており、これを取り除いたとき完全な天子になるのである。)、祭りの後の直会も同義であり、日本人の遺伝子にその感覚が残っているうちに、寝食、特に飲食を共にする場を多く持ち、共同体の結び付きを強化していくべきである。強い結び付きは、共同体内での助け合い、孤独感からの脱出、犯罪の減少に繋がっていくと思う。それ以上に、メディアという虚像に人生を支配されることなく、自分に直接触れ合う現実生活を確認しながら生きていける事に繋がり、限りある人生を大切にすることでもある。人生を大切にすることは、自分を大切にすることであり、自分を大切にすることは、自分をこの世に存在せしめるあらゆる存在に感謝の意を示すことである。

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