玖波 大歳神社

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現代(従来環境の崩壊) 三 共同体の変化 五 大嘗祭の意義

2012-01-27 12:41:35 | 日記・エッセイ・コラム

 五 大嘗祭の意義
 「天の岩戸」伝説を日蝕などの自然現象と考える方も多くおられる様である。しかし、元々の神の性格付けとして、「国生み」の部分では大八洲国や山川草木を生んだ後、天下の主君として日の神・月の神・蛭子・素戔嗚尊を生み、日の神・月の神に付いては天に送り高天原の仕事をさせている。黄泉の国から伊奘諾尊が帰られて禊ぎを行ったとき、天照大神・月読尊・素戔嗚尊の三柱の神が生まれ、天照大神には高天原を、月読尊には青海原を、素戔嗚尊には天下を治めるように任じている。また、一書(第十一)では、天照大神には高天原を、月読尊には日と並んで天のことを、素戔嗚尊には青海原を治めるように任じている。これらの部分ではそれぞれの性格を決めることは出来ない。しかし、素戔嗚尊が田の溝を埋めたり畦を壊したり、荒らしたことから、梅雨や台風や暴風雨などの責任者であった面が窺える。また、保食神の一件については、太陽の運行に沿った季節折々の作業・行事日程が陰暦と不具合(閏月などで旧十一月に冬至が来ないなど)を生じた時の調整役(米・魚・動物など様々なものを揃えて相手の合意を得る)が保食神であって、その調整が上手くいかず、天照大神が暦について一手に扱う事になったことを意味しているように感じられる。天照大神は夏至冬至を始め太陽の運行を把握し、その季節折々の作業・行事日程を決める事を掌握し、月読神は月の運行による暦の編纂を司り、素戔嗚尊は潮の干満を始め、風雨についても司る存在であったのではないだろうか。天照大神が担った暦等に関わる仕事は誰にとっても非常に大切なことである。
 天照大神は多少の素戔嗚尊の荒びについては寛容であったが、行事の中で大切な新嘗祭を行うことの妨害(稚日女尊の死や席を糞で汚したことなど)をされることは許せなかった。岩戸に隠れられたことは、稚日女尊の死を忌むために受け持っている仕事を放棄したことであり、様々な面に支障をきたし、誰もが仕事に復帰することを望んだものと思える。その気持ちを天児屋命の神祝によって、皆に望まれていることを知り復活されたのであろう。この「皆に望まれての復活」こそ大嘗祭の由来だと考えられる。
 因みに新嘗祭は、天皇の御田の新穀を神事にお供えする祭りが中心であり、「天の岩戸」の時点においては、天皇は存在せず、天照大神が御田の新穀を神事にお供えしていたもので、天照大神と天皇が重なって見えてくる。新嘗祭の内容に国民の望むところによって天皇になられる意味を加えた大嘗祭において、「天皇霊が宿る」とは天照大神と一体になることを意味し、お供えの対象の神はおそらく高皇産霊尊であり、神官の最高位として奉仕することも最も大切な仕事の一つであろう。
 今日、皇位継承は日本国憲法、皇室典範によって、規定されておりそれに基づいて決定されるのに践祚の儀・即位式・大嘗祭がなぜ必要なのか疑問に感じることがある。三種の神器を受ける践祚の儀は「天つ日嗣」つまり皇祖の御霊威、御精神を継承される方であることを認める儀式であり、合わせて科学万能の現代においてなお神話とリンクして現在があることを示す儀式として意味がある。また、天皇であることを宣布する即位の儀は広く正統性を明示する儀式であり、公示公告と同様に考えることが出来る。大嘗祭については、新嘗祭が天皇の御田の新穀を神事にお供えすることに対して、「延喜式」の「百姓の営るところの田を用いよ」という規定により、悠紀・主基の斎国を定め、その斎田の新穀を神事にお供えすること、更に、各地の特産農林水産物の献上を行うことであり、この事は、天皇の即位を国民挙って望んでいることを示す意味がある。ただ、歴史的に新嘗祭と大嘗祭に差違があるのか否かについて精査する必要がある。また、大嘗祭が「国家国民挙ってのものでない。」と多くの国民が感じた場合、大嘗祭の意味は有るのか無いのか、もし無いとするならばそれは新嘗祭であり、差違を「天皇の即位を国民挙って望むこと」として意味を持たせたことが、形式としては天皇であっても実質として天皇では無いと言われることに繋がりはしないだろうか。別の場でより深い検討が必要である。

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