On The Road

小説『On The Road』と、作者と、読者のページです。はじめての方は、「小説の先頭へGO!」からどうぞ。

5-42

2010-03-05 19:31:00 | OnTheRoad第5章
 「気がきかないアドバイスをしてごめん」と、ヨシユキさんが会社の封筒からペンションのパンフレットを取り出した。「ホテルか高級レストランっていうのは東京の相場でした」
 店が決められなかったのは東京の相場にこだわりすぎたというより、アネキが言うようにドタンバにならないと動けない僕のせいだ。下見に行ったクセにあのあと誰にも相談もしていないのだから。
 パンフレットには、僕と同じくらいヘタな字がいっぱいのメモがはさんであった。

オーナーおススメランチ(デザート付)1人3000円(ぜー込) 新せんな魚介コース
2/12、正午、大人2名(男女各1名)

 小さく切ったコピー紙に書きなぐりの文字が躍っていた。

 「仮予約だけどキャンセルは前日昼までです。普段はランチはやってないから、仕込みとかあるみたいで」とヨシユキさんが言って、パソコンから打ち出した地図も出した。ペンションには見覚えがある。すこし古いけど、雰囲気のいい建物だ。

 「兄さん、ありがとう」と僕はパンフレットを受け取った。パンフレットのなかのペンションのダイニングには大きなミッキーがソファに座っていて「ウェルカム」と言っているみたいだ。あずにこのミッキーを見せたいと僕は思った。

5-41

2010-03-04 20:36:14 | OnTheRoad第5章
 なでしこの駐車場に車をとめて家に帰ると、ゆったりしたワンピースを着たアネキがユリナちゃんを連れてきていた。余韻にひたっていたかった僕は「アネキ、太った?」と禁句を言った。
 デートで食事をする店をまだ決められないことにいらだっていたにしても、女性が太るというコトバをイヤがるのはわかっていたから、言った瞬間に僕は怒られるのを覚悟した。

 でもアネキは怒らなくて、ユリナちゃんが誇らしそうに言った。「ユリナ、おねえちゃんになるの」
 アネキは「ね」とユリナちゃんを見てうなずいた。お母さんが「今夜はユリナちゃんの好きなハンバーグよ」と台所から顔をのぞかせた。玄関にはお父さんと僕のクツともう一つ、男ものの革靴。

 「グズな弟にパパがプレゼントを持ってきたわよ。早く手を洗ってきて」とアネキに言われて、僕は手を洗ってからいつもよりにぎやかなダイニングに入った。
 テーブルの上にはハンバーグやサラダやスープやカボチャの煮付けやローストビーフが並んでいて、すこし赤い顔をしたお父さんとヨシユキさんがビールを飲んでいた。「コージ君もおめでとう」とヨシユキさんに言われて、あずとキスできてよかったねと言われた気がした。

5-40

2010-03-04 20:35:13 | OnTheRoad第5章
 「お大事に」の明かりが消えた。運転席に座ったあずが僕の左手をそっと下に引っぱった。僕の顔が窓のあたりまで下がったところで、僕の頬にあずの唇が触れた。「7年分のキスだよ」

「7年分なら」と僕はすこしかがんで、あずの唇を唇で探した。ココアを飲んでいたあずの唇はチョコクッキーの味がした。

 短いキスのあと、あずはサンバイザーを下げて鏡をのぞき、「ダイジョーブ」と笑った。それから「じゃあね」
 僕はあずの車から一歩離れて「木曜日、10時になでしこで」と言った。車のエンジンがかかり、ゆっくり車をバックさせて、あずが手を振った。僕もあずに手を振って、しばらく見送ったあと車のキーを探した。アキトシさんから渡されたキーにはナンバーが書かれたフダがついているだけで、キーホルダーはついていない。

 あずの車が行ってしまうと外は思ったより暗くて、僕はキーを差し込むのに苦労した。じっと立っているうちに寒さが身にしみてきて、あずに先に帰ってもらってよかったと思った。

5-39

2010-03-04 20:32:17 | OnTheRoad第5章
 あずの軽自動車も白で助手席にミッキーが乗っている。僕は運転席まであずを送った。病院の正面は明かりが消えて、病室の窓と救急の受付だけが明るい。寒さは今ごろがピークだと思う。

 あずがバッグから車のキーを出した。キーホルダーもミッキーだ。「あずって、ミッキー好きなんだ」と僕が言うとあずはまた笑った。「コージくん、ミッキーに似てるって言われたことない?」
 その答えはノーだ。だいいち僕は人気者じゃない。

「このミッキーは初月給で買ったの、ずっとほしかったんだ」。あずがキーのボタンを押してドアをあけた。ルームライトがついて、ドアの回りが明るくなった。
 あずが左足を運転席にすべりこませた。「来週はミッキーを後ろの席に座らせてくるね」
来週の木曜日は約束のデートだ。僕は「デートのまえに、しておきたいことがあったんだ」と言ってひと呼吸ついた。「あず、好きだ」

 「ありがとう」とあずは答えた。「私はずっと好きだったよ」

5-38

2010-03-03 21:19:44 | OnTheRoad第5章
 高校のときも僕は何をするにもこだわりがないと思われていたらしい。短距離でも跳躍でも出場する選手がいなければなんでもいやがらずにやっていた、とあずが笑った。なんでも得意なわけじゃないけどホントいやがらずに。
 あずは長距離が得意だったから、ほかの種目をやるつもりはなかったそうだ。仕方なくじゃなくて、一生懸命やっている僕はカッコよくなかったかもしれないけど、あずはそんな僕を「けっこう好き」だった。「だってマネできないもん」

 「僕は自信を持って堂々と走っていたあずの脚が好きだったんだ」と言って僕は気付いた。あずの脚は茶道部の木村さんの脚に似ているんだ。

 「脚が好きなんて言うとセクハラになるよ」と言ってから、「私はほっそーい脚になりたかったんだ」とあずが笑った。「あのときにそう言ってくれたら、拒食症になんかならなかったのに」
 「17や18の男子なんてガキだから気付かなかったんだ。ホント、ごめん」。僕は何度も頭を下げた。「そのままでいいよ」

 「なんか、恥ずかしくなってきたから、頭下げないで。つらいこともあったけど、今はけっこういい感じだから」。あずが言って喫茶店の伝票を手に取った。「コージ君は300、私は350円」僕たちはワリカンと決めていたけど、僕が350円渡すと、ありがととあずが受け取った。