社会をいい感じに統制していくためには、「基準」は必要なんだと思う。標準とかスタンダードとか平均とかあって、それが「普通」っていう概念になっていって。一般的には、とか、普通は、とか、そんな誰の正義かわからない言葉に、昔はいっぱい傷ついちゃったりした。
「基準」があることが悪いことじゃなくて、その基準に満たないことで生まれる、劣等感や孤独感があって、基準を満たしてる人がいっぱいいる中での満たしてない自分とか、別の世界から見たら、大した問題じゃないことが、生死を分けるような大問題になったりして。
いいとか悪いとかじゃなくて、違うことが当たり前だってことを、真っ直ぐに受け止められる人ばかりだったら生まれない偏見。でもその偏見のぬるま湯の中で守られてる自分。うーむ。。
昔、トルコ人の父とセルビア人の母を持つロンドン育ちのボーイと恋をした。
「あなたのアイデンティティはどこにあるの?」なんて、若いから、恋人だから許される質問をしたことがある。彼は自分はトルコ人だと思うって答えたけど、トルコで育ったこともなければ、トルコ語も喋らないボーイが、自分をトルコ人だというのが不思議でしょうがなかった。今もわからない。
でもその質問をなんのためらいもなくした当時の自分の無知と無邪気さに、この本を読んでドン引きした。ただ、そういうアイデンティティとか、センシティブな問題を、センシティブだと思わなくてはいけないことにも納得がいかない。納得がいかないのか、理解ができないのか、単一民族しかいない国で育った私にはまだわからない。
宇宙人でも来ない限り、本当の「ダイバーシティ」なんて無理なんじゃないか?来たところで、結局フタを開けてみたらお台場と変わらなかったりして?
偏見がなくなれば、本当にみんなが幸せになれるのか?世の中がどうでも、自分が幸せなら幸せなんじゃないのかな?幸せは他人にはわかるものじゃないよな。でも、他人に幸せそうって思われることが幸せって思う人もいるよ。そもそも幸せって何かな??とかとか。。
色々考えるいい本だった。消化するのに時間もかかって1週間は感想書けなかった。
幸せはわからない。「基準」はないと思う。
平和を目指そう。
「基準」があることが悪いことじゃなくて、その基準に満たないことで生まれる、劣等感や孤独感があって、基準を満たしてる人がいっぱいいる中での満たしてない自分とか、別の世界から見たら、大した問題じゃないことが、生死を分けるような大問題になったりして。
いいとか悪いとかじゃなくて、違うことが当たり前だってことを、真っ直ぐに受け止められる人ばかりだったら生まれない偏見。でもその偏見のぬるま湯の中で守られてる自分。うーむ。。
昔、トルコ人の父とセルビア人の母を持つロンドン育ちのボーイと恋をした。
「あなたのアイデンティティはどこにあるの?」なんて、若いから、恋人だから許される質問をしたことがある。彼は自分はトルコ人だと思うって答えたけど、トルコで育ったこともなければ、トルコ語も喋らないボーイが、自分をトルコ人だというのが不思議でしょうがなかった。今もわからない。
でもその質問をなんのためらいもなくした当時の自分の無知と無邪気さに、この本を読んでドン引きした。ただ、そういうアイデンティティとか、センシティブな問題を、センシティブだと思わなくてはいけないことにも納得がいかない。納得がいかないのか、理解ができないのか、単一民族しかいない国で育った私にはまだわからない。
宇宙人でも来ない限り、本当の「ダイバーシティ」なんて無理なんじゃないか?来たところで、結局フタを開けてみたらお台場と変わらなかったりして?
偏見がなくなれば、本当にみんなが幸せになれるのか?世の中がどうでも、自分が幸せなら幸せなんじゃないのかな?幸せは他人にはわかるものじゃないよな。でも、他人に幸せそうって思われることが幸せって思う人もいるよ。そもそも幸せって何かな??とかとか。。
色々考えるいい本だった。消化するのに時間もかかって1週間は感想書けなかった。
幸せはわからない。「基準」はないと思う。
平和を目指そう。