(1)弁護士会は公的法人であること
弁護士会は、弁護士の品位を保持し、弁護士の事務の改善進歩を図るため、弁護士の「指導」、「連絡」及び「監督」に関する事務を行うことを目的とする法定の法人である(弁護士法31条)。弁護士に対する国家権力の監督を排し、自治を認めていることの帰結として、弁護士となるには弁護士会に加入しなければならない。すなわち、弁護士会は国家権力に代わり弁護士を監督する公的団体であり、弁護士の加入は強制である。
したがって、弁護士会の会長、副会長、懲戒委員会委員、綱紀委員会委員は、いわゆる「みなし公務員」である(弁護士法第35条第3項、第54条第2項、第66条の2第4項、第70条の3第4項)。
公務員が、その資格において、特定の政党と同じ主義主張を掲げて政治活動を行うことなど、法は全く想定も許容もしていないはずである。
(2)弁護士会の政治活動
ところが、弁護士会及びその連合体である日本弁護士連合会は、長年にわたり、特定の政党と同じ政治的主張を掲げて、これを全世界にアピールする政治活動を行ってきた。本件のような朝鮮学校の問題の外にも、死刑制度に反対、憲法9条の改正に反対、安全保障関連法に反対、特定秘密保護法に反対、テロ等準備罪に反対、靖国神社公式参拝に反対等、数々の会長声明や決議がある。その内容だけを見たら、特定の政党の政策と思うものばかりであり、明らかに政治活動である。
これら政治的主張を、弁護士が個人の資格で、あるいは有志が任意加入の団体を作って宣伝するのではなく、強制加入で全弁護士が加入している弁護士会がその会長声明として発信すれば、一般国民は当然、それが傘下の弁護士全員の総意であると受け取る。だからこそ政府に対する圧力ともなり、国際社会に対する影響力も大きくなる。その影響力の大きさを狙って、個人や任意団体ではなく、わざわざ弁護士会の活動として発信しているのである。
このような政治活動が、弁護士の「指導」「連絡」「監督」をするための公的団体の、みなし公務員である会長に許容されるわけもない。このような不当な政治活動は極めて問題であり容認できないと、多くの国民が考えていた。
本件の朝鮮学校に関する補助金についての会長声明も、このような長年の政治活動の一環として行われたもので、この時期に神奈川県弁護士会だけでなく、何と日弁連と全国21もの単位会が同様の会長声明を発出した。まさに異常な数の大量会長声明問題が発生していたのである。
(3)本件会長声明の問題性
本件会長声明の内容は、自治体が朝鮮学校に補助金を出すことを求めるものである。
そもそも教育基本法16条により、不当な支配に服する教育に公金を投じることは許されない。朝鮮学校は、北朝鮮の支配に服する朝鮮総聯の支配に服しており、教科書に拉致問題について記述することすら、各朝鮮学校法人が自律的に実施することが出来ない。そのことは、神奈川県弁護士会の会長声明自身が認定している(甲15)。「全国の朝鮮学校の教職員等で構成された教科書編纂委員会」が編纂した教科書でなければ使えないというのであるから、この「教科書編纂委員会」の不当な支配に服しているのは明らかである。もちろん「教科書編纂委員会」の正体は朝鮮総聯であるが、本件会長声明は、その肝心の核心部には絶対に触れない。だから、政治的に偏向した会長声明だというのである。
そのように教育の自律性が朝鮮総聯によって歪められている以上、朝鮮学校に補助金を出すことは教育基本法16条に反するから違法である。違法な補助金を要求する行為も違法である。
それだけではない。北朝鮮が核開発やミサイル発射を行っているため国連で経済制裁決議がなされており、日本政府はその資金が北朝鮮の核開発等に流れないよう確保しなければならない国際法上の義務を負っている。加えて、拉致問題解決のため日本政府が独自の制裁を実施している。そのさなかに、本件会長声明は、日本の公金で補助金を出せ、出さないのは違法であり差別であるとまで書いたものである。
この会長声明がもし仮に、弁護士会として責任を持って朝鮮学校と朝鮮総聯の関係を調査し、“補助金が朝鮮総聯を通じて北朝鮮に流れることは無いことが確保されている。だから補助金を出せ”“朝鮮学校の教育が朝鮮総聯により不当に歪められていないことが確保されている。だから補助金を出せ”と主張するのであれば、まだ筋は通る。しかし会長声明は、それについては言及を避け、北朝鮮が朝鮮学校を支配している問題から目をそらすことを要求している。会長声明は、このように、北朝鮮と朝鮮総聯にとって不都合なことを隠し、補助金という北朝鮮と朝鮮総聯にとって好都合なものを要求し、もって経済制裁を無効化し、日本の対外的存立、安全を損ない、拉致被害者と家族を切り捨てる内容である。
このような北朝鮮の利益擁護のための政治的声明が、少数者の人権擁護などという美名で正当化され得ないのは、通常人なら誰でもわかることである。朝鮮学校の子どもたちは、生まれ育った家から私立の朝鮮学校に通わせてもらい、朝鮮の仲間とコミュニティを形成し、朝鮮の名前を名乗り、朝鮮語を学び、家族に愛されて暮らす幸福な子どもたちである。一方、拉致被害者はそのような自由も家族の絆も民族のアイデンティティも全て、何十年間も奪われ続けている。究極のマイノリティであり、究極の人権侵害の被害者である。その救出のために日本政府が、経済制裁で圧力をかけて譲歩を引き出そうと懸命の努力をしている。帰国を待つ家族は高齢化し、亡くなった方もおられ、救出は喫緊の最優先課題である。その努力を無力化する本件会長声明が、少数者の人権擁護を目的とするものでないことは誰の目にも明らかである。
本件会長声明は、拉致問題について教科書が改訂されないことにつき、朝鮮学校の子どもたちには責任が関係ないから、それを理由に補助金を支給しないのは差別だと述べる。しかしこれは、順序が逆である。朝鮮民族が子どもに民族教育を授けたいのであれば、政治的に中立な教育機関を設置すれば良いにもかかわらず、ことさらに、北朝鮮支持という政治的立場を旗幟鮮明にした朝鮮総聯の教育機関に子どもたちを通わせている保護者こそが、教育に政治性を持ち込んだものである。その結果、補助金は不当な支配に服していない学校でなければ支給できないから、補助金が支給されないこととなっているだけである。他の学校は不当な支配に服していないという要件を満たしているから補助金を受給できているのに、朝鮮学校だけは不当な支配に服しつつ補助金を受給できるようにしろとは、まさしく「逆差別」「在日特権」の要求である。
以上のように、本件会長声明は、少数者の人権擁護でも何でもない、ただの北朝鮮の利益を代弁する政治活動である。弁護士の「指導」「連絡」「監督」の「事務」を目的とする公的団体である弁護士会(弁護士法31条)が行うべき活動として、絶対に許容され得ない。弁護士法31条に違反する違法な行為である。
多くの日本人が上記のように考え、本件懲戒請求に及んだのである。そのように思料したことに根拠がないとか違法とかいうことは出来ない。
大量懲戒請求にかかる訴訟で、会長声明の内容に踏み込まず、一律に弁護士会の声明発出は許されると判断した判決があるが、誤りである。
したがって、このような違法な会長声明に賛同したり容認している所属弁護士も、会長に次いで非難に値すると思料し、本件懲戒請求を行ったものである。
(4)懲戒請求者らの考えと同趣旨の弁護士著作
このように弁護士会の政治活動を非行であると思料したことは、通常人の常識的な思考であって、原告らが喧伝するような(甲5、甲6)、本件ブログに「煽動された」「根拠の無い」「不当な」ものなどではない。
本件ブログが弁護士会の偏った政治活動を非難し懲戒請求を呼び掛けていた当時、この問題を正面から取り上げた書籍は見当たらなかった。しかしその後、米国カリフォルニア弁護士のケント・ギルバート氏が平成30年11月に「日弁連の正体」を上梓し、翌令和元年11月には同氏と東京弁護士会所属の北村晴男弁護士が「日弁連という病」を上梓し、本件ブログや本件懲戒請求と同趣旨のことを世に問うた。彼等は本件ブログに「煽動された」ものではない。
ケント・ギルバート氏は、要約すると「日弁連の最大の敵は『日本国』であり、日弁連が守りたい人権とは、『日本国の国家権力の被害者の人権』だけ。拉致被害者は、北朝鮮の被害者だから日弁連は冷たい。北朝鮮は日本国と対立している国家だから、『敵の敵は味方』ということ。だから日弁連は『恒久平和主義』と唱えつつ、日本の平和を脅かす北朝鮮のミサイル実験や核実験については見ないフリ。『北朝鮮は拉致被害者を還せ』などと、日本国を利するような発言をすると、『ヘイトスピーチ』『差別主義者』とされてしまう。しかし、本当の差別主義者は、日弁連の方だ。日弁連は自分たちの政治闘争にとって利用価値がある人の人権だけを擁護しているから。」という趣旨のことを述べている。
北村晴男弁護士は、そのような政治闘争を展開する弁護士会を見て「俺は政党に入ったんじゃない!」と怒りを抱き続けたといい、「私だけでなく多くの一般市民も、日弁連の総会決議・会長声明や多くの政治活動について、偏向した左翼政治闘争と思うでしょう。政治的な内容の意見書や会長声明を弁護士会の名前で出すというのは、私は違法だと思っています」と述べている。
このように、本件ブログに賛同した懲戒請求者らの見解は、多くの一般市民が通常考えることである。本件懲戒請求が不当違法の評価を受ける謂れはない。
4 対象弁護士の賛同・容認・推進行為
会長声明の名義人である弁護士会長や、発出を決定した理事(副会長)が国民からその非行を問責されるのは当然である。
しかし、たった1名の弁護士会長と数名の副会長だけで、そのような違法な政治的声明を長年発出し続けることができるものではない。言うまでもなく、会員弁護士がこれを支持し、会長選挙でそのような会長を選出し、その活動を支えているから、できるのである。弁護士でない一般国民には会長選挙の選挙権もなく、弁護士会の総会に出席する権利も議決に参加する権利も無い。そうである以上、会長と副会長の非行の監督責任は、会員弁護士全員に帰属するものである。
前記の北村晴男弁護士によれば、弁護士会の活動に怒りを抱き続けたのは何と1989年4月に東京弁護士会に入会して以降ずっとであるという。しかもそれは北村氏だけでなく「大変多くの(恐らく3万5000人以上の)いわばサイレントマジョリティの弁護士たちの共通認識であったはず」という。そのため北村氏は「我々弁護士が真っ先に声を上げなければいけないのに」、「この不正義は弁護士会の自治で正すことはほぼ不可能です。だから外圧でしか変えられないのではないかという絶望感が、私にはあります。」「自治で変わらない理由というのは、客観的には我々会員の怠慢です。しかし本当にそんな暇はないんですよ。」などと述べている。
このように暴露された内情を知るにつけても、政治的会長声明を可能にしているのは、それらを積極的に作出する少数の左派弁護士と、暇が無いといってそれを黙認放置する大多数のサイレントマジョリティの「怠慢」であることがわかる。その不正義を「外圧」によって正そうとしたのが、一連の大量懲戒請求ということになろう。
したがって、違法な会長声明の発出についての会員弁護士の非行とは、積極的に会長声明の発出を働きかけたり起案したり賛同を表明する作為はもちろんのこと、そのような政治的声明のあることを知ってこれを黙認し傍観する不作為も、さらには会長声明の存在すら知ろうともしない究極の怠慢も、全てが含まれる。だからこそ、最後は21の単位会の弁護士全員が懲戒請求されたのである。
5 小結
以上のとおり、本件懲戒事由前段は事実上及び法律上の根拠があるから、平成19年判決の基準の「事実上又は法律上の根拠を欠く場合」に当たらない。したがって本件懲戒請求は不法行為を構成しない。
第4 本件懲戒事由後段(在日コリアン弁護士会連携)の事実上及び法律上の根拠について
本件懲戒請求の懲戒事由後段は、「直接の対象国である在日朝鮮人で構成される在日コリアン弁護士会との連携も看過できない」である。
団体名は正確には「在日コリアン弁護士協会」、略してLAZAKである。
原告はLAZAKの構成員である。
LAZAKは、設立の第一の目的として、在日コリアンが政治的意思決定過程に参画する権利(参政権・公務就任権)を確保することを挙げている団体である。
もちろん、韓国籍であれば韓国で、北朝鮮籍であれば北朝鮮で、日本国籍であれば日本で、参政権を享有しているであろうから、ここで言われているのは、日本にいて、(帰化しようと思えば出来るのに敢えてしないで韓国人や北朝鮮人として在留しながら)、日本の参政権を獲得しようという運動のことである。
最高裁マクリーン事件大法廷判決(昭和53年10月4日)が、「わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等」は「外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解される」と明確に断じている。LAZAKの設立目的は、国民主権の見地から外国人に認められない権利を確保しようというものであり、日本国にとって極めて危険である。
ましてや、韓国民は憲法で国民に国防の義務が課され、北朝鮮は先軍政治の国であり、そのような北朝鮮や韓国が反日的な武力行使(竹島の不法占拠、ミサイル発射等)を現に行っているのである。そのような国の国民に日本の参政権を与えることなど、日本の安全保障上あり得ない
したがって、弁護士でありながら日本のマクリーン事件判決(最高裁判決である)を無視して、日本の安全保障を脅かす活動をしているLAZAKと連携する弁護士を懲戒請求したものである。
第5 人種差別の主張について
原告は、本件懲戒請求が人種差別であると主張するが、人種や民族や出自に着目して原告を対象弁護士に選定したものではない。
原告は、単にLAZAKの構成員であるにとどまらず、LAZAK編の「ヘイトスピーチはどこまで規制できるか」の共同著者である。同書籍は「表現の自由を前に立ちすくむわけにはいかない!」と謳って、日本人が国と国民を守るためにする言動のうち、在日コリアンにとって不安や不快に思われる言動を「レイシズム」「人種差別」であるとくくって規制しようという本であり、日本人の表現の自由や国家防衛の固有の権利を侵害することを煽動する本である。
そこで、そのような原告の活動に着目して懲戒請求の対象弁護士に選定したものであり、出自に着目したものではない。よって、人種差別には当たらない。
第6 同種事案判決で司法が見解を裁いている誤り(大量誤判の根源)
いわゆる大量懲戒請求を受けた対象弁護士が懲戒請求者を提訴した多数の事件で、単独不法行為の構成では証明できるはずがない損害や因果関係が認定され、認容判決が下されている(たとえば200通の懲戒請求書が端緒となって懲戒手続きが開始されているから、懲戒請求者Aの行為がなくても他の懲戒請求者の行為によって「弁明の負担」は生じており、Aの行為と「弁明の負担」の結果とは因果関係が無いはずである。それなのに安易に因果関係が認定されている)。法理論を曲げてまで認容判決を書くのは、懲戒請求者に対する差別である。
その差別の根源には、大量懲戒請求を「頭おかしい」所業と見る見解がある。しかし、懲戒請求者らは別に「頭おかしい」人々ではない、普通の国民である。ただ、前提として見ている事実と、その事実に対する評価、危機感、警戒感が、それを共有しない人々とは異なるだけである。
危険を察知し警戒するのは人間の自己防衛本能である。どのような危険を察知し、どの程度警戒するかは、人により、またどのような事実を見ているかにより、相当に異なる。懲戒請求者らは、諸外国、特に近隣諸国により日本の主権が脅かされ日本人の生命身体自由が奪われるという危険を敏感に察知し警戒している人々である。その根拠は北朝鮮の核開発、ミサイル発射、拉致、韓国の竹島不法占拠、それら外国の国民が日本の参政権を要求していること等、枚挙にいとまがない事実群である。
日本が奪われるという危機感が強いほど、それを防ぐため真剣に必死になる。その必死の形相は、その危機感を共有しない人々の目には「頭おかしい」と見えるかも知れない。しかし、本当に「頭おかしい」のは、数々の予兆を見て何の危機感も抱かずのほほんとしている人々の方かも知れない。それは見解の相違であり、その見解の相違は、民主的過程で政治的に調整していくことである。司法が一方の見解に立ってもう一方を「頭おかしい」と裁くべき事柄ではない(司法は政治的責任を取れない)。
2011年3月11日より前に、「千年前に大津波があったから、再び起こる危険があるのに、東北の沿岸に事務所を開いている弁護士は、依頼人や事務員を津波で殺す殺人未遂の犯罪者だ」といって懲戒請求する者があったら、「頭おかしい」と言われたかも知れない。しかし東日本大震災で現実に甚大な津波被害が発生した後からみればどうだろうか。「千年前に大津波があったこと」「東北の沿岸に事務所を開いていること」は事実であり、事実の根拠はある。その二つを結び付けて危険な行為(非行)と評価するかどうかは、見解の違いである。弁護士会は、震災の前であれ後であれ、懲戒処分しないかも知れないが、それと懲戒請求が不当違法かどうかとは別問題である。予見する被害が甚大であればあるほど、必死に食い止めようと思って懲戒請求までするのである。司法は甚大な被害が発生しないと責任を持って言える立場でない以上、その見解について不当違法の判断をすべきではない。弁護士会が、懲戒請求者とは見解を異にするのであれば、懲戒処分しないで直ちに手続きを終了すればよいだけである。「沿岸に事務所を開いた」ことで懲戒請求されたからといって、対象弁護士の名誉信用が害されることもないし、弁明の負担も身分上の制約も生じない。
同種事件の認容判決群は、あたかも弁護士会が懲戒処分するかしないかの判断をする時のように判断して、懲戒しないと結論付け、それにより懲戒請求が不当違法と裁いている。しかし、北朝鮮の核開発、ミサイル発射等は事実であり、朝鮮学校が北朝鮮(朝鮮総聯)の傘下にあることも事実であり、弁護士会が朝鮮学校に補助金を出せと会長声明を発したのも事実であり、対象弁護士が会長声明を承認(黙認含む)したのも事実であり、LAZAKが韓国と北朝鮮の国民である在日コリアンに日本の参政権を与えよと活動しているのも事実であるから、事実の根拠はある。弁護士会に、事実と異なることがもたらされたわけではない。会長声明を承認(黙認含む)する行為は、日本を脅かす北朝鮮を利する非行であるというのは、懲戒請求者らの見解である。司法は見解を不当とか違法とか言って裁くものではない。(司法は、補助金により経済制裁の効果が薄れ北朝鮮が日本を侵襲する結果になっても、責任を取れない)。弁護士会が、違う見解を持つのであれば、懲戒処分しないで直ちに手続きを終了すればよいだけである。そのような理由で懲戒請求されたからと言って対象弁護士の名誉信用が害されることもないし、弁明の負担も身分上の制約も生じない。
法は、政治的見解を裁くことをせず、淡々と、確立した法理論、法律実務に従い、棄却判決を下すべきものである。
第7 小結
以上のとおり、本件懲戒請求の懲戒事由は前段・後段ともに事実上及び法律上の根拠を有するものである。
根拠となった事実に対する評価が、懲戒請求者と弁護士会(ないし裁判所)とで異なるとしても、そのことによって懲戒請求が事実上及び法律上の根拠を有していなかったことになるものではない。見る角度が異なれば評価も異なるのは当然だからである。
したがって、本件懲戒請求は不法行為に当たらない。