こないだ、ふと疑問に思ったこと。
「足るを知る」必要があるのは
どーしてなのか。
ひとつは、環境を守るため。
もうひとつは、
きりのない欲望を追いかけている間は、
幸せになれそうにないから。
その場合の「足るを知る」の対象はモノかな?
モノはほどほどで満足した方が、
幸せに近づいていけるとして、
じゃあ、どこまでも欲していいものはない?
それは、考えること。
考えることはどこまでも求めていける。
今のご時世みたいに、問題の早期解決のためには、
誰かの強いリーダーシップを期待して、
自分で考えるのを放棄したくなる時だってあるけど。
それは、
自分の自由を放棄するのとイコール。
疲れた時、ヒトラーに任せたように。
やっぱり、自分の自由を守りたければ、
自分で考えることからしか始まらない。
モノへの欲望には制限が必要で、
思考は、むしろ制限してはいけない。
どこまでも、各自で進めていくべき。
ふーん、なんでかな。
なんだ、わかったぞ!
そういうことか!
そもそも、モノは有限にできていて、
思考や精神の世界は無限に広がっているからだ!
おお~、宇宙と自分が、
マクロコスモスとミクロコスモスが
呼応している!
そう思うと、
毒のある思考を垂れ流すとか、
意味のない心配に気持ちを支配されるとか、
自分の中で起こるミクロなことも、
どこかでマクロに影響しちゃうかも。
そんな呼応があるとしたら、
自分の思考は宇宙大の責任があったりして。
(かなり妄想入ってるけど)仮にそうだとしたら、
自分が宇宙をきれいにできたりもするわけか???
いや、まんざら妄想でもないよね。
誰かが無自覚に毒を吐けば、
近くの人も楽しくなくなるし、
地道な努力を積み重ねていたら、
周りの人も力づけられるわけで。
実際に、サイズ感の大小はあるけど、
1人の力で、
周りを良くも悪くもできている。
おもしろい~~~~!
地道に思考と行動を重ねて、
より良く生きようとするすべての人に
感謝だな!!
たどたどしく紡ぎ出した言葉に「そうなんだなぁ」と言っていただけると、「やっぱりそうなのか~」って嬉しくなります。足腰弱いんで、人の力をお借りして生きてます(^^)。いつも、ありがとうございます。
ZIP様
定義を楽しまれたのですね。
原因を考慮して結果を変えることもできれば、
結果を考慮して原因を変えることもできる。
足るを知る・・・
唯人・・・みたいなね・・・
自分に訊くのがよいです。