『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

「唯一無二の自分」を確認できる地点

2020年01月02日 | 考える日々
いろんな機械のおかげで、家事がラクになりました。
その輝かしい科学の進歩は、
使い方によっては負の面もあります。
人が、身体・心・精神の3つの重なりでできているとしたら、
70年前、科学は人の身体を殺しました。
でも、人の心までは殺せなかったと思います。

そこからさらにどんどん便利になって、今。
「音楽かけて」と機械に言うだけで、
好みの音楽を選んで流してくれるそうです。
反面、人が機械に合わせて仕事をするようになりました。
今はまだ人に合わせて仕事をする現場もたくさんありますが。

コンピュータの分析に従っていれば、
販売予測や製造スケジュールなんかが
自動的に、高い確率で計算できるから、
納期ギリギリで「材料がありません」なんてことを防げます。

また、身近なコンビニでも、
お昼にあんなに一気に人が殺到しても
お弁当が品切れになったりしないし、
多品種の雑貨も、ほぼ品切れなく管理され、補充されています。

熟練の人が判断しなくても、誰でも妥当な判断ができるし、
自分がいなくても仕事が回るようになれば、長い休暇も取りやすい。
ストレスから離れて、つかの間の夢の国ナントカランドへGO!
3日後、元の隊形に戻れ、GO! ああ…。

いくら休みが取りやすくなっても、
「自分の代わりがいくらでもいる」という状態が
人として嬉しいわけがありません。

唯一無二の存在としての、人間ひとりとしての、
今ココであれこれ感じている
「自分」という存在の確かさ。
人生の大半を過ごす職場が
自分の存在を確認できる場所ではないなんて!

終身雇用は崩壊した要因のひとつには、
もしかして、
「私が(雇用側なら「君が」)辞めても変わりはいるから」
という存在の軽さもあるかもしれません。

30年ほど前に、
「存在の耐えられない軽さ」っていう映画もあったなぁ。
唯一無二の運命の彼だと思ってた相手が浮気性で、
実は自分は大勢の女の一人でしかない。私の存在が軽すぎる。
そのことに疲れ果てて…。
たしか、そんな映画でしたか。

会社が相手の男だとしたら、
新人研修で、人格を変えるほどの教育を施し、
亭主関白で、しかも、替えの女は星の数ほど。
そりゃ、続けるの大変だよね。

男も女も友達も、イヤなのに互いに縛り合う必要はないけど、
安心して相手にリクエストできたり、
自分のアホをさらして許されるような関係が作れたら。

夫婦でも親子でも友人関係でも師弟関係でも、
そういうことが許される濃い関係を作る勇気を。

ケンカしても、迷惑かけても、相手がまっすぐ向き合ってくれる。
そういう信頼関係の中にいれば、
代わりのいない自分を確認できます。
自分が唯一無二だと確信できます。

その信頼関係の相手が機械だったらと思うと、
心を閉じずにいられません。
心を閉じてやりすごせる範囲を超えたら、心も壊れるわ。
いくらでも変わりはいると思うと、心が凍ります。
「感受性なんが磨いても苦しくなるだけ」、などと。

車やバイクで暴走する人も、
犯罪行為で人に迷惑をかける人も、もしかして、
自分の存在を確認したいと切望するあまりに、
やりすぎてしまうのかもしれません。
心閉じてがんばりすぎた人も、バランスが崩れます。

便利レベルで機械が言うこと聞いてくれるのはいいけど、
もはや不気味レベルに近い。そこまではいらない。
誰かが向き合ってくれることで「自分がいる」ってわかる。
誰も自分に向き合ってくれない中では、確認が難しい。

子どもに伝える努力目標としては、
人を愛すること、きちんと人と向き合うこと、
そして自分で自分を自分らしく、
一生かけて自分の望むような人間に育てていくこと。

…ああ、全部私の課題だわ。
私たちの課題でもある、かな。



※人と向き合うのはハードルが高いなら、
好きなものときちんと向き合うところから始めますか。
ココ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿