『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

不要になったクセを卒業する

2020年05月19日 | 考える日々


誰かがそれを引き受けることでモノゴトが進み、
そして私はそれを進めたい。
身の丈を越えるのに蛮勇を奮って引き受けたコト。

結果的に、やっぱり身の丈を越えていて失敗し、
自分のせいだと落ち込む。
瞬時にそういう反応が起こる。
それは単なる心のクセ。

クセは曲者。状況は、もっと暖かい。
ずず〜んと落ち込む前に、困らせた当の本人から
「ごめんなさい、私が○○したから」と言われる。
一緒に対策を考えてくれた人や待っててくれた人たちも
「大変だったでしょ」「任せてゴメン」と思いやりに溢れている。

人ってなんてやさしいんだろう。
そう思わずにはいられない。

その暖かい風で、
自分の中の消えかけたろうそくにもう一度灯がともる。
自分の力不足だから、当然落ち込むけど、
「私ってやっぱりダメだ〜」という全否定から逃れられる。

そして、
あなたが一人で背負ってるつもり? 
なんておこがましい。
みんなで作ってることが見えないの?
もっと信頼して甘えたらいいじゃない。
SOSを出せばいいのよ、と状況に叱られる。

これまでのあれこれの失敗の中で、
「ほら、やっぱり私がやるとうまくいかない」という
自信のなさを積み重ねて、安全地帯にいるけれど、
「いい加減、そんなクセを上書き保存したら?」、と
私の中にいる、もう一人のしっかりした私に提案される。

かつて、自分を守るために
必要に応じて無意識に身に付けた心のクセなんだろうけど、
もう必要ないと思ったら、意識的に卒業しなきゃ。
と、この世を生きるしょぼしょぼの私が気づく。

「何かをすると、うまく行かないことだらけ。
でも、うまく行くこともある。
これまで運良く生きて来れたんだから、
これからもたぶん大丈夫。
自分の歩幅で自由に歩いて行け!」
…なんて、豪壮な言葉を吐いてみる。

まだ言葉にしてみただけで、
全然身につかない、雄叫びにすぎないけど、
言葉にして意識することは、はじめの第一歩。

で、踏み出す一歩は、日常のココから。
具体的な行動としては、
目の前の明日の「自由の哲学」読書会の準備に集中するのだ!
よし、読むぞっ!


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