『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

干柿ならぬ、干した柿

2018年11月14日 | 手足を使う日々


秋の一日、山の辺の道を歩きました。
狙いは、秋の景色でもあるけど、
柿やこんにゃく、焼芋なんかを
道で買い食いしながら歩くこと~。

夫と子どもと3人で、
万歩計と時間を確認してスタート!

大神神社の一の鳥居を入ってすぐのところに、
ちょうど柿がたくさん出ていて、歩き出してすぐ
「5つで100円」なんていう破格のものがあって、
「夕方、帰りまでないかもしれない」と、
ソッコーで2袋ゲット。

重いからまた、振出しの車に戻る。
ゴメン、もう一回スタート…。

休みやすみ、夕方まで気持ちよく歩いて、
夕方、すごーくピカピカの柿がまた道にあって、
「もうちょっと買っとく?」と、
子どもが買いに行くと、
おばあさんが、「もう夕方だから」と、
半額にしてくれたので、3袋いただく。

心地よく歩き疲れ、
家に帰ってから、
3人で大量の柿の剥き。
役割は、皮むき係、ヘタ取り係、スライス係。

手仕事の苦手な夫を、
めっちゃ簡単なヘタ取り係に任命。
子どもは「スライスする」というけど、
種を取るのが結構面倒。

「種ナシにした方が良かった?」と聞くと、
「種あるのがふつーやろ」と言われた。

夜に一部屋に集まって、
家族で柿を剥いたり切ったりしている図は、
さながら、田舎の囲炉裏端。

おいしくできますように。

…でも、洗濯干したり入れたりする都度、
どんどん減って行くんだよね。
乾くまでに、半分くらいになるかも~(^^)。













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