『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

「らしさ」を見守る覚悟

2015年10月14日 | 考える日々
夜が早くなりました。
ちょっと前までは、7時過ぎても明るくて、
「いつ宿題するの?」というくらい遊んでいたのに、
今はもう5時半になると夜の気配に包まれます。

子ども(3年生)もいったん帰って来ますが、
遊び足りなくて、近所の子と家の前で遊んでいます。
おいしそうな匂いも漂ってくるのでしょう。

「ごはんが出来たよー」と呼ばれて、
一人抜け、二人抜け、つまんなくなってきて、
おなかもすいて、適当に帰ってきます。
昔懐かしい路地裏の風景です。

家に帰ったら、義務が彼女を襲います。
宿題は?ピアノは?明日の用意は?
ぼ~っとしてるなら、このお皿運んで!
…みたいな。
カワイソ。ぼーっとさせてやろうよ(^^)。

言いたくないけど、言わなきゃ、やる前に明日になる。
まぁ、宿題は、しなけりゃしないで
忘れ物もしたらしたで、
怒られたり困ったりして学んだらいいと思うんだけどね。

ところで、
私はずっと自分の関心を深めて学んでいくつもりだし、
アートに底知れぬパワーを感じ続けているのです。
だから、子どもが自覚的に楽しく思えるまでは、
勉強ってホントにいいものだよ、と伝えるべく、
多少の口添えと、一緒に学ぶことはしようかな、と思います。

本質的に学ぶのは楽しいことだし、
勉強が嫌いになったらもったいない。
芸術だって、どれほど人生を豊かにすることか。
ならば、その課程だって、楽しく豊かであって欲しい、
というのが、あるべき姿だよな、と思うわけで。

何のために学ぶのか。
答えは各種あると思うけど、
私は、その人がその人になっていくために学ぶ、
と思っています。
それが、成長だと。

だから、彼女が何かに夢中になっている時は、
そっちを優先させることも多々あります。
センセイ、ごめんなさい。
でもそれは、必ず彼女を成長させていると思うから。

子どもに寄り添いたい私。
数年前、子どもをリードしてあげたい先輩ママさんに
「まだ保育園だからよ。小学校に行ったら焦るよ」
と、言われました。

小学校に行って3年経つけど焦らないなぁ…。
高学年になったら、中学生になったら焦るんだろうか?

彼女らしくない時は、心配になるけどね。
それは、焦るというより、
しんどかったら聞くよ? という感じ。

んで、聞かせてもらって自分が力不足だった時には、
めちゃくちゃ焦ります。
助けて~~!!と、頼もしい人たちにSOSを出して
助けてもらったことも多々あります。

高学年の親になったら、考えが変わるのかなぁ。
ドグマに縛られず、自分なりの正解を自分で考え、
さらに、自分の頭で考えた正解に縛られず、
自分の心の変化があれば、それも無視せず敏感に、
変化があれば、それも楽しみ、味わおうと思います。

そのうち、本人が学ぶ意味を自覚してきたら
必要に応じて勉強するでしょ。
しなかったら、その勉強は必要ないんだろうし。
親にジャマされても続けるほど何かに夢中になっているなら
それが彼女らしさを生かす大きなヒントなんだろうな。

と、これは自分の経験から。

子どもの成長のためには、親にも覚悟が必要ですね。

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