先日、読書会を開きました。名づけて「自由を考える会」。
もちろん先日ご案内した
「自由の哲学」改め、「自由を考える」を読む会です。
→お手伝いさせてもらった「自由を考える」の本が出版されました!
http://blog.goo.ne.jp/oneby1/e/7d0de6ce2b5955e19465049154927992
読書会なんてのは、専門家とか研究者とか、
特別な教育を受けた人とか…がやるもんだと思っていたので、
「読んだことあるだけ」「好きなだけ」「思い入れがあるだけ」の私が、
そんな大それたこと言い出すなんて、どーしちゃったんだろう?
と、我ながら「誰が乗り移ってんの??」という感じです。
これまでの半生、
いつも、世の中の大きな流れに興味が持てずに、
仕方なく端っこの方をヨタヨタ歩いている方で、
同じく、ヨタヨタ歩いている隣の人たちと
「行くなら一緒に行く?」と、手をつないで歩いていく方のキャラ。
人を引っ張るなんてとんでもなくて、
こんなの初めてです。ドキドキ。
関心を示してくださった方が一人だけおられたので
「ヨシ、1人でも居てくださるなら始められる!」って。
やろうと決めてから、世界史やシュタイナーの自伝など、
アレコレ調べたり、ココでこれを伝えよう、などと用意して、
メモしてたんです。
メモの文字数は、一万文字を越えてどんどん膨らみます。
で、2日前の朝、早起きして、また資料のメモを膨らませていたら、
そのメモのファイルがまるごと消えてしまいました…。
え、うそでしょ。唖然。茫然…。
うひゃ~~と、しばらく抜け殻になってしまいました。
でも、2日後には読書会。ジタバタしても、今さらな状態。
時計を見る度に、自分の誕生日の数字になってるという不思議。
これって、何かのメッセージ????
なんだか、ワケのわからない大きなものが応援してくれているのを感じて、
「これは、予定された原稿じゃなくて、ライブで行けってことだな」
とそれを受け止めて、当日。4名もの方が参加してくださいました。
ホントにありがたかったな~。
来てくださった方が「自分のこと」として読めるよう、
みんなで1枚ずつ絵を描いて、ご自分の話をしていただいたり、
その言葉に感じる私の思いをいろいろ話したり…。
あれこれやってみたいな~と思ってたこと、伝えたいこと、
複数で深めたいことを、試してみました。
参加いただいた方には、
「たどたどしくて申し訳なかったな~」と思いつつ、
まぁ、なんとか、1回、終了。
2段落半しか進まなかったけどね。いいのいいの。
あ~、めちゃくちゃ疲れた。
そして、めちゃくちゃに充実感とフツフツと喜びを感じ、
その日の夜、なんと良く眠れたことか。
読書会が終わって、遅めのランチをしながら、
「オキツさん、やさしいから、しょーもないことでも言えて良かった~」
「すごい人がいると、わかってない、って思われそうで、
こっちもすごい事言わなきゃ、って思うけど、何でも言える感じがいい」
なんて、嬉しい言葉をかけてくださいました。
その言葉に甘えるってことじゃないんですけど、
「専門家じゃないことのメリットもあるんだ」って、初めて認識しました。
そっか、そうなんだ。いいなぁ~。
ほとんど「オキツさんを育てる会」みたいになってますが(^^;)。
だって、来てくださる方が、私より知識も人生経験もよほど豊富なんだもの。
たとえば、
世界史の大きな流れの中で、どういう位置づけでこの本が書かれたのか、
とか、自分の考えをちょこっとお話してたら、
一人の方から「それって何年くらいの事ですか?」と質問があったんです。
私、年代とかは100年刻みくらいでしか捉えてなくて、
横に置いてた世界史年表で調べようとしてたんですけどね。
そしたら、すかさず、他の方が「○○年頃ですよ」と教えてくださり、
また、他の方が「日本だとどのくらいの時代ですか」と聞けば、
「○○時代の終わりごろです」って、別の方が。
「すっご~い、みなさん覚えておられるんだ!」ってちょっとカンドーしました。
用意した資料のメモが消えちゃっても、何の問題もありませんでした。
不思議だなぁ~、ホント。
今、自分でできることは、この本を自分の事として読むこと。
そこからブレないように、これからも読んで行こうと思います。
この路線なら、続けられそうです。
次は11月11日(金)9時半~、阪神間の某所で開催します。
オキツをご存じで、参加されたい方はご連絡ください。
私をご存じない方は、
私があたふたしなくなりペースが掴めるまでしばしお待ちを。
この本への愛と、一緒に読む人たちへの愛と、
自分を世に生かしたい、という思い、かなぁ。
何にしろ、子どもを産み育てるドキドキに似て、
「自信が出来てから始める」ってわけに行かないけど、
誠実につきあって行こうと思います。
もちろん先日ご案内した
「自由の哲学」改め、「自由を考える」を読む会です。
→お手伝いさせてもらった「自由を考える」の本が出版されました!
http://blog.goo.ne.jp/oneby1/e/7d0de6ce2b5955e19465049154927992
読書会なんてのは、専門家とか研究者とか、
特別な教育を受けた人とか…がやるもんだと思っていたので、
「読んだことあるだけ」「好きなだけ」「思い入れがあるだけ」の私が、
そんな大それたこと言い出すなんて、どーしちゃったんだろう?
と、我ながら「誰が乗り移ってんの??」という感じです。
これまでの半生、
いつも、世の中の大きな流れに興味が持てずに、
仕方なく端っこの方をヨタヨタ歩いている方で、
同じく、ヨタヨタ歩いている隣の人たちと
「行くなら一緒に行く?」と、手をつないで歩いていく方のキャラ。
人を引っ張るなんてとんでもなくて、
こんなの初めてです。ドキドキ。
関心を示してくださった方が一人だけおられたので
「ヨシ、1人でも居てくださるなら始められる!」って。
やろうと決めてから、世界史やシュタイナーの自伝など、
アレコレ調べたり、ココでこれを伝えよう、などと用意して、
メモしてたんです。
メモの文字数は、一万文字を越えてどんどん膨らみます。
で、2日前の朝、早起きして、また資料のメモを膨らませていたら、
そのメモのファイルがまるごと消えてしまいました…。
え、うそでしょ。唖然。茫然…。
うひゃ~~と、しばらく抜け殻になってしまいました。
でも、2日後には読書会。ジタバタしても、今さらな状態。
時計を見る度に、自分の誕生日の数字になってるという不思議。
これって、何かのメッセージ????
なんだか、ワケのわからない大きなものが応援してくれているのを感じて、
「これは、予定された原稿じゃなくて、ライブで行けってことだな」
とそれを受け止めて、当日。4名もの方が参加してくださいました。
ホントにありがたかったな~。
来てくださった方が「自分のこと」として読めるよう、
みんなで1枚ずつ絵を描いて、ご自分の話をしていただいたり、
その言葉に感じる私の思いをいろいろ話したり…。
あれこれやってみたいな~と思ってたこと、伝えたいこと、
複数で深めたいことを、試してみました。
参加いただいた方には、
「たどたどしくて申し訳なかったな~」と思いつつ、
まぁ、なんとか、1回、終了。
2段落半しか進まなかったけどね。いいのいいの。
あ~、めちゃくちゃ疲れた。
そして、めちゃくちゃに充実感とフツフツと喜びを感じ、
その日の夜、なんと良く眠れたことか。
読書会が終わって、遅めのランチをしながら、
「オキツさん、やさしいから、しょーもないことでも言えて良かった~」
「すごい人がいると、わかってない、って思われそうで、
こっちもすごい事言わなきゃ、って思うけど、何でも言える感じがいい」
なんて、嬉しい言葉をかけてくださいました。
その言葉に甘えるってことじゃないんですけど、
「専門家じゃないことのメリットもあるんだ」って、初めて認識しました。
そっか、そうなんだ。いいなぁ~。
ほとんど「オキツさんを育てる会」みたいになってますが(^^;)。
だって、来てくださる方が、私より知識も人生経験もよほど豊富なんだもの。
たとえば、
世界史の大きな流れの中で、どういう位置づけでこの本が書かれたのか、
とか、自分の考えをちょこっとお話してたら、
一人の方から「それって何年くらいの事ですか?」と質問があったんです。
私、年代とかは100年刻みくらいでしか捉えてなくて、
横に置いてた世界史年表で調べようとしてたんですけどね。
そしたら、すかさず、他の方が「○○年頃ですよ」と教えてくださり、
また、他の方が「日本だとどのくらいの時代ですか」と聞けば、
「○○時代の終わりごろです」って、別の方が。
「すっご~い、みなさん覚えておられるんだ!」ってちょっとカンドーしました。
用意した資料のメモが消えちゃっても、何の問題もありませんでした。
不思議だなぁ~、ホント。
今、自分でできることは、この本を自分の事として読むこと。
そこからブレないように、これからも読んで行こうと思います。
この路線なら、続けられそうです。
次は11月11日(金)9時半~、阪神間の某所で開催します。
オキツをご存じで、参加されたい方はご連絡ください。
私をご存じない方は、
私があたふたしなくなりペースが掴めるまでしばしお待ちを。
この本への愛と、一緒に読む人たちへの愛と、
自分を世に生かしたい、という思い、かなぁ。
何にしろ、子どもを産み育てるドキドキに似て、
「自信が出来てから始める」ってわけに行かないけど、
誠実につきあって行こうと思います。
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