「人を見る目があればな~」と
思ってきた。
クラスで誰と誰がつきあってるとか、
全然わからなかったし、
先輩や後輩の誰がいまこんな状態、
とかも、わからなかった。
友だちは、個別に話をするからわかる。
わかる…というか、
聞く役割とかモメごとの仲裁役が多かったから、
その都度、それぞれの気持ちにシンクロしがち。
つまり、誰がつきあってるとか、
先輩とか後輩とかには、
興味がなかったんだろうな~と
今になって思う。
今日、日常的に顔を合わせている人に、
「アナタってこう思ってるんでしょ」
って言われた内容が、自分とはほど遠いどころか、
私が生き方として「それじゃない」と決めていることで、
すごくびっくりした。
誤解された怒り? わかってもらえない悲しみ?
う~ん、それもあるけど、むしろ
「1年以上そこに居て、そこまでわからんとか、アリ??」
というビックリとか呆れ、かなぁ。とほほ。far away~~~。
無関心って、すごい。
「見る目以前の問題だったかー」と思った。
前から、その場所には、
もう少しコミュニケーションが要ると思って、
折々にそれを求めてたんだけど、
相手はそれを求めてなくて、結果、このありさま。
これって、何の合図かなぁ?
何かザラッとする時は、
何かを学べってことなんだろうけど。
そだなぁ。
私も、目の前にいる人にしか集中できなくて、
昔の友だちとかは、わりと意識から消えてるから、
それも、無関心、の一種だよな。
顔を合わせた時に、前の時点から始められる
と思ってるし、実際にそうなんだけど、
知らない間に切れちゃって、
それきり会わない人も多い。
ちゃんと意識の中に、
いろんな友達や知り合いを包んでる人は、
変わらずつきあい続けていけるんだろうな。
ということに気付いたのでありました。
愛の反対は無関心。
byマザーテレサ
なるほどね。
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