『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

変化のない生活の中でも楽しさが増やせる2つの方法

2020年05月11日 | 考える日々

PexelsによるPixabayからの画像

いつものように、
家族とおいしいお店に食べに行ったり、
友達と楽しい場所に行ったり、
ワクワクするイベントに参加したりできない。

かわりに、家の中で、
手を動かしてあれこれ作ったり奏でたり、
工夫することが、楽しみにつながっている、
ということを、昨日改めて感じてました。

手を動かすだけで充分嬉しい? 母の日の贈り物

ということはね、
スマートスピーカーとかに向かって
「音楽をかけて♪」とか言うのは、
楽ではあるけれど楽しみがひとつ減ることになるのかもよ?

「そんな曲は私の趣味じゃない」って文句が増える。
好きなものを自分で選んでかければ、
「この曲は、この人の演奏が熱くていいんだよね」って
何度同じのを聞いても満足なのに。

そうやって楽しみが減って文句が増えるから、
その分を埋めるために、外からの刺激が必要だった、
もっと満足できるものを探す必要があった、
とかいう可能性も、あるはず。

いくらでも素晴らしい演奏が聴ける時代に、
ヘタクソなピアノを練習して、
何か月もかけて1曲弾けるようになる、なんて
効率から考えたらナンセンスの極み。

でも、実感として、
その1曲弾けることが、どれだけ嬉しいか!
うまく弾けるようになったら、
普段の控え目な自分(?)を見失って
「聞いて聞いて~」って思うくらい(^^)。

炊飯器は、面倒くさいルーティンを省力化し、
必ずおいしく炊ける便利なもの。
そっち方向でず~っと進化してきたけどね。

目盛りのないお鍋でご飯炊くと、
水加減や火加減など考えるから、炊きあがりが毎回違うし、
その分、蓋を開ける瞬間も楽しいし、おいしく炊けたら嬉しい。

車で移動したら5分で着くのに、
わざわざ散歩するのと似てるかも。
写真を採る方がリアルなのに、絵を描くとか、
家具を買えば早いのに、日曜大工するとか、
100円で買えるのに陶芸教室でお皿を作るとか…。

そういうのって、
「自分で手を動かすことが楽しい」以外に
取り組む理由がないよね。
その楽しさにピュアに向き合う喜びを感じるよね。

少なくとも、今、私は、
人とのつながりで生きている実感が薄いので、
手を動かすことが生きている実感につながってる。

前は、喜びの大きさは、投下した時間に比例する
と思ってたけど、
ここにきて、他の要素もあるぞ? と思うようになった。

喜びはそれに込めた「気持ちの強さ」に比例する。
ある人にとって、野球が命と同じくらい大切だとしても、
別の人にとっては、囲碁こそが大切、とかね。

それからそこに、
ひとかけらの「自分ならでは」の要素が入っていることも、
喜びを感じる大きな要素だと思う。

ゴールがプログラムされたゲームは、
いかにスムーズにプログラムに沿って進むかが問題で、
自分が入る余地がほとんどない。

一方で、育成系とかシミュレーション系のゲーム(というのか?)。
ここに椅子を置いて、カーペットはこの色でとか…は、
そこに「自分ならでは」の価値観が入ってる分、
ギガを食ってるとわかってても削除しにくい。

なるほど。
外で人と会うのを自粛するべき今のような時には、
・気持ちの強さ
・「自分ならでは」の要素
のうち、どちらかの要素を大きくしてみたら喜びが増えるのかも。
そうかそうか(^^)。

心理学の本を読めばもっとクリアな言葉がありそうなのに、
こーゆーことをツラツラ考えてるのもね、
手探りで自分の中から考えを紡ぎ出すこと自体が、
「自分」を少しずつ意識していけるのが楽しいのよ。うん。

「下手の考え休むに似たり」っていう言葉もあるけど、
それは他人からみた価値でしかないから、どうでもいい。
あれ? エゴイスト発言だ(^^;)。
こういうのって、贅沢な時間なんだね。


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