atui・・・kurumano ondokei 34℃!
majika ! mada 6gatuda😱
kouiutokiha deni-zuni kagiru!!!
suzusi yappari kokoha bettennchida !
tyodo kappuラーメンの かやくの 如く
hikarabiteいた 先ほど
ドリンク飲んで 冷気にあたり
正気 yoyaku 取り戻す 😌
さて 最近出会った シュールな 画像 😉

ここは 知多半島 某浜
その向こうに・・・ ブルドーザー!?
何故!? 浜向こう 優に100メートルはいってる!

ここは 養殖海苔の 漁場
ふた昔前 僕は ここで
親方と共に 海苔を 養殖していまシタ 😇
遠浅の海である 伊勢湾
放っておくと 海岸に砂が じゃんじゃん 押し寄せてきマス
特に 北西の季節風(鈴鹿おろし)が吹く 冬のあと
この辺り 一帯は 堤防道路も 砂に埋まりマス
だから その砂 海に再び 返すのデスね ♬
ブルドーザーが 砂を 押し返すことで
ついでに 浜辺も かき回され
アサリを始め 貝類に 酸素&栄養も 行き届きマス ♬
一見シュール
されど 意味がある・・・
これって 僕らの日常にも アルあるかも 😉
何にせよ 僕の心の 原(現)風景 !

そうですか、知多半島某浜では、北西の
風に押され砂が堆積するのですか・・・。
こちらは、逆に発電所の堤防が出来た
影響で潮が変わり、砂浜がなくなりました。
毎年、テトラポットを海底に沈めて、
海岸を保全しています。
潮の影響って、凄く大きいです!
貴殿は、海苔の養殖もしていたのですか。
それが、また今では畑違いの仕事を
して、何か転換期があったのですねッ!
私は、船一筋でした・・・。(#^^#)
では、また。(^O^)/
お師匠さん、船乗りだったのですね!?ひょっとして、海上保安庁とか…。
海苔養殖は、日本福祉大の学生(夜間部)時にやっていました。
当時は、前半の2年を肉牛&乳牛のお世話、豚舎(あまりの臭気に気を失いそうになりました)、野辺山で1週間キャベツ作りなどで働きました。
後半の2年、および卒業後も少しの間、美浜町で海苔養殖を手伝いました。
幸いなことに、当時の僕の親方は、当地で海苔養殖を始めたパイオニアの家元で、小母さん共々、大変お世話になりました。
今でも忘れられないエピソード、いくつもございます。
夏の暑い初日、いきなり浜で900本くらいの竹差し(海苔網を張る支柱)に取り組み、その夜、顔が火照りすぎてアイスノンを顔にのせて寝たこと。
こりゃあ勤まらんかも…と思っていた矢先、浜での休憩時に食べたおにぎり(もちろん、当地の海苔が巻いてあります)とメジロ(アナゴ)の干物の美味しかったこと。何より、口数は少ないものの、人情あふれる親方と、その昔、とても辛い思いをされながら、笑顔を絶やさず僕を励まし続けてくれた小母さんがいたからこそ、僕は漁師さんに匹敵する仕事(洋上で網を張り替えたり、海苔を収穫する重労働)を全うすることができたと思っています。
僕は、当地に来て「変わった」と存じます。
それまでは、「人を見たら泥棒と思え!」と育てられ、疑い深い嫌~な人間でシタ。
大学で美浜に来て、親方や小母さん、区長さん、鍛冶屋さん、消防士さん、お百姓さんはじめ、漁師仲間の皆さんとの関わりの中、僕の人格は再形成されました。
だからこそ、CSWとして今、僕はその力を発揮することができています。
今の仕事は、そのような皆さんに恩返ししたい。そして、かつての僕のような人に、かつて僕が受けた「おもてなし」を、今度は僕が振舞いたい…。
そう思っています。
長くなりましたが、お師匠さんには、いずれお伝えしたいと思っていたことでした!
ダムさんのコメント欄拝見。感銘を受けま
した。
そういう体験があってこそ、今のダムさんが
いらっしゃるのですね。
なかなかの切れの良いスライダー(笑)、ありがとうございました!
感銘…言い過ぎっス(^^)
僕に自慢できることがあるとするならば、これまで圧倒的な失敗と、数々の挫折を経てきたことです。
一方、人生、どうやら「プラスマイナスゼロ」なんだそうです。
とすれば…。
僕の猛攻、これから始まります!
できっこない…。
この言葉、僕にとっては添加剤デス。