それは 護摩焚きへの 参加(岩屋寺/南知多町)から
始まった
この後
僕は 自身のご本尊
それも
長らく 拝顔していない 詣でていない
その場所にある ご本尊に
会いたくなった…
そこで!
そうなれば… 😊
そこへ その場所へ 赴くと!
この時点で
僕が どこへ かっとんでったのか
分かる方は…
さすがですっ! (^^)/
此処は 三十三間堂
1001体の 千手観音菩薩が いらっしゃる場所 ♬💃♬
ひとつ ツッコミどころ あるならば
修理・改修にて お金が必要
寄付してください! と
方々に看板が…
ほんじゃぁ この様は いったい
なんだいねェ 😉
ここは お堂職員さんの パーキング
まぁなにィ
アンタ レクサスが 少なくとも2台
奥で よォ見えんけどォ
レボーグ(スバル)Sti も おったヨ 😜
レクサスにアンタ レボーグってたらぁ
どっちもホレ 諭吉さん 500枚くらい
なけな いかんでしょォ 😆
ワシ お堂(お寺)だからって
ボロ着とることは 違う
そう思うとるヨ
ほんでもさぁ 500万する車
買う お布施
ちょっと 高すぎや しないィ~?
これって いわゆる 内部留保
貯めこんどるって ことかいネェ! 😙
ほんで ワシら 凡夫の懐
あてにする っちゅ~んは
違う 思うよ ワシ
あ… いけないイケナイ
本題に 戻りゃぁス ♬💃♬
僕は子年で
そのご本尊 千手観音菩薩
ご本尊は その干支によって
お一人ずつ 決まっていマス
なので
アナタにも ご本尊
いらっしゃるのデスよ! 😉
千手観音菩薩は もともと
聖観音菩薩が 変化した お姿
なんでも
聖観音菩薩さんを お参りする
ご先祖さんたちが
〇〇してください
××を叶えてください と
ありと あらゆる 艱難辛苦を
お参りした 先の
形
一体には おおよそ 40本の手
一手につき 25の世界(この世のあらゆるもの)
40×25=1000
1000とは その昔には 無限を 意味するもの
つまり
千手観音菩薩は
ありとあらゆる 艱難辛苦を 救済するために
いらっしゃる…
その菩薩様が 僕のご本尊…
僕はかつて というか
今まで
子どもの時から
圧倒的に 自信が持てない
人間でした
コトが割合
上手くいっている時も
「こんなはずはない」
「いつか良くないコトが起こるに決まってる」
そう
自分で 自分の首 絞めてまシタ
そんな リアルタイム ネガティブな 人間が
上手くいく はずも なく…
40代
世間では 脂がのって バリバリできる
そう言われている 年代に
10000メートルもの 海の底に 沈んだ…
そして
今日の 僕が いマス
今の僕と
ネガティブを 拭い去れなかった頃の僕
何が違うのか…?
おそらく 覚悟 です
これから 生きていく 覚悟
CSWを 全うしようという 覚悟
家族を お隣さんを
街を 5市5町を
支えていこうという 覚悟
そして それらを
どんな 困難が 待ち受けていようとも
やり抜いてやろうという 覚悟
デス
だからなのか…
今の僕は 超がつく あきれられるほどの
ラテン系 😆
時には飄々と
またある時は 「んだとォこらぁ」
その時 その場所 その人によって
変幻自在
に なってきたような 気が
していマス
これも ご本尊のおかげかと 😉
感謝 しています
ご本尊様!
12年ぶりに ちゃんと 訪れた
三十三間堂
そして 京都
僕の旅は もうちょっと続く
もう一つ 京都で 果たすべき
大切な Mission
あるのデス
つづく
へェ~ッ!レクサス・・・!?
三十三間堂の職員は、相当な高給取りな
のですねェ~!(◎_◎;)
その給料ですが、お布施から出ているの
では・・・。!?
と言うことは、莫大なお布施が入って
来る訳で、修理、改修が必要ならその
中からやりくりすれば、出来るはず。
今さら、もっとお布施を増やせとは、
言えないはずッ!
さらに、給料もカットして費用につぎ込
むとか・・・。
私だったら、絶対お布施はしません!
だって、レクサスですよッ!(◎_◎;)
血圧が上昇して来ましたので、ここまで
とします!
では、また。(^O^)/
その時の思い出がよみがえりました。
ここでまた思い出しました、ありがとう!
修学旅行の時にも来ているのに、ちっとも記憶がなくて、ブロ友さんと再会、色々仏様の御前にて話せたことが宝。
物事の
ひとつひとつが「
自信」と「信頼」を学ぶ機会ですね。
僕はたまたま今回、お堂をひと周りしたので分かったことですが、この「実態」をご存じない参拝客が大半かなぁと思ってマス(車の車種と価格が分からないとまた、気づかない)。
この件については、次のブログで割合、明解になりますっ!
さっきコンビニで「サントリーの天然水」を買ったら、水の採取場所、おやつやさんの工房がある街でした(^^)
僕のブログが時にお役に立っていること、嬉しいデス(^^)
本当の自信が養われるにつれて、本来の「謙虚さ」が分かってきたり、自戒するという意味も、より分かるようになった気がしていマス。