向かった先は 立川綜合病院
天候は雨 そして 霧が立ち込めていた
このご時世 県外からの来訪者
それも 突然の 予期せぬ来院
仕事柄 受入困難 知りつつも
父の最期 知りたい
その一心だった
体温計 含む 3回の検温を経て
幸いにも 主治医 ワーカーに
お目にかかることが できた
S先生 曰く
父は 胆管ガン
判明時 既に手術は 手遅れにて
抗がん剤治療 試みるも 直に効果なし
最期の4日間は モルヒネ投与にて
苦しまずに 逝った…
「当初、お父さんは『俺はこれまで2度、死にそうに
なった。だから今度も(生還する)』と仰っていました」
「でも、さすがに手立てがなくなった時、『俺には
まだ仕事が残っている。代金を既にもらってる
お客さんが待っているんだ』と仰って…」
『先生に、喰ってかかった…』
「あッ、そこまでは…(苦笑)。その後、体調がみるみる
悪くなり、ベッドから動けなくなりました…」
S先生 とても気さくに お話くださる
『父は、自分に子どもがいるとは…』
「私が尋ねた時は、『俺はひとりだ』と…」
「あぁ、思いだしてきました。お父さん、『俺は今まで
散々やってきたすけ、バチがあたったんだと…」
バチ ねぇ…
ワーカー Oさんからは
その間際
2度ほど 父の姉妹 面会したが
私たちも 大変だからと…
あぁ 言いそうだなぁ
父は 自分には甥がいる
いざとなれば その甥が 助けてくれる
Oさん 甥に連絡
すると 叔父の面倒は みきれんと…
それも 言うだろうなぁ
いちいち 僕は納得する
『ちなみに、病院費の未払いは…?』
「それはありませんよ!」
命に関わる お金は払う…か
『父が亡くなって後、亡骸は誰が…』
「記録には、【退院】としか記載がありません。
お亡くなりになられても、私どもは【退院】と
記載するのです」
甥が 少なからず 関わってくれたのだろう…
奇遇だったのは Оさんも 社会福祉士
僕と 同じ大学の 卒業生だった
最後 お互い 頑張りましょう
そう 声を掛け合って 別れた
俺は独り身だと 勝手なことを 言い貫いた父
良く思うなら
僕や家族に その最期くらい
迷惑をかけない決意
それとも
あくまで 最期まで 自分本位
僕も 既に他人だから 告げるは不要
それも今となっては 確かめる術なし…
事実として あるのは
家賃を 踏み倒し
遺言めいた ものもなく
数台の車 仏壇を含む家財の始末
それらを
甥を含む 厚意ある方が
少なからぬ 財を投じ 解決してくれた こと
その折 おそらく
僕と繋がり 連絡をとる 責任転嫁よりも
このまま僕と 縁ますます遠くなるも
父と僕の これまでを察し
告げぬが良しと…
大切なこと
なんだかんだの 父であったけれど
そのおかげで 今の僕が ある
地に足を つけられるようになった
今の僕が いる
全く…
好きだった 山口百恵
改めて 手向けに してあげっサ
とっくに 関係ない かもだけど
僕は お目さん 忘れねすけネッ
いい日旅立ち 山口百恵