常々思うのだが、私は感情に支配されている。
私だけではなく、大多数の人がそうなのかもしれない。
いい気分でいると、大体なにをやっても楽しい。
体調も良くなる気がするし、
生きているだけで幸せとすら思える。
気分が沈んでいると、楽しいはずのことが楽しくなくなり、
考えなくてもいいことを延々と考えて悩み、
なんで生きているんだろうと思ってしまう。
感情に支配されている、ということは、
逆に感情を支配できれば、つらいことも少なくなるのではないか。
いままでの人生を振り返ってみて、
気分が沈む原因として一番多いのが、
他人の言動だ。
そんな言い方しなくてもいいじゃないか、
というシチュエーションだったり、
公共の場所でマナーの悪い人に遭遇した時などだ。
腹が立ったり、悲しくなったり、虚しくなったりする。
だからこう考えるようにした。
自分の人生は自分が主人公であり、
その他の人はみんな端役(エキストラ)なのだ。
例えば会社の上司だとしても、
その人は私の人生にとっては端役であり、
端役の言動でいちいちイライラするのも馬鹿らしい。
自分のミスを認め反省し、お叱りも真摯に受け止めるが、
それ以外の言動にいちいち反応してイライラしたりへこんだりするのは、
時間の無駄だと思うようにした。
逆に他人の人生にとって自分は端役であり、
自分がどうこうしようが、相手にとっては端役なのだから、
自分の力不足やミスに対してあまり悲観的になり過ぎたり、
深く考え過ぎなくてもいいのではないかと思った。
(努力しなければならないところはちゃんとするが)
負の感情が湧き出してきそうな気配を感じたら、
もう楽しいことしか考えない。
だけど「楽しいと思えること」を自分の中に持っていないと
成り立たないので、それが途切れないようにしなければいけない。
楽しいことを探す方が意外と大変だったり・・・と思ったが、
嫌なことをするわけでもなく、嫌いな人に会うわけでもない。
自分が好きだと思えることをただひたすら探すということは、
頭で考える必要はまったくなくて、
お気楽に何も考えず、自分の感性に従ってただ動けばいいのだから、
これほど楽なものもないなと思った。
なんかいいな~とか、なんか好きだな~とか、
なんでかわからんが心地いいな~とか、落ち着くな~とか、
「なんかいい」程度のものでもいいんだ。
そんな「なんかいい」ものを、
心が元気なときにたくさん見つけておいて、
ポケットにそっとしまっておくだけでいい。
負の感情が湧き出してきたら、
そのポケットから楽しいことを取り出して、
それで頭の中をいっぱいにしてしまう。
明るい気持ちならきっと前向きに努力できる。
不況不況の世の中で、将来を悲観して悩んだりすることもあるけれど、
そうならないかもしれない未来のことを考え続けて
暗い気持ちでその日まで生きるのと、
それはそれとして、毎日明るい気持ちで生きるのとでは、
最後に大きな差が出ると思う。
「毎日考えて悩んで、結局最後までつらいことばかりだった」
「つらいこともたくさんあったけど、それでも楽しいこともあったよ」
死ぬ直前に自分の人生を振り返って、
後悔するのは絶対に前者だ。
お金がたくさんなくても楽しいことはある。
楽しいことを考えている時間が長いほうがきっと幸せだ。
私だけではなく、大多数の人がそうなのかもしれない。
いい気分でいると、大体なにをやっても楽しい。
体調も良くなる気がするし、
生きているだけで幸せとすら思える。
気分が沈んでいると、楽しいはずのことが楽しくなくなり、
考えなくてもいいことを延々と考えて悩み、
なんで生きているんだろうと思ってしまう。
感情に支配されている、ということは、
逆に感情を支配できれば、つらいことも少なくなるのではないか。
いままでの人生を振り返ってみて、
気分が沈む原因として一番多いのが、
他人の言動だ。
そんな言い方しなくてもいいじゃないか、
というシチュエーションだったり、
公共の場所でマナーの悪い人に遭遇した時などだ。
腹が立ったり、悲しくなったり、虚しくなったりする。
だからこう考えるようにした。
自分の人生は自分が主人公であり、
その他の人はみんな端役(エキストラ)なのだ。
例えば会社の上司だとしても、
その人は私の人生にとっては端役であり、
端役の言動でいちいちイライラするのも馬鹿らしい。
自分のミスを認め反省し、お叱りも真摯に受け止めるが、
それ以外の言動にいちいち反応してイライラしたりへこんだりするのは、
時間の無駄だと思うようにした。
逆に他人の人生にとって自分は端役であり、
自分がどうこうしようが、相手にとっては端役なのだから、
自分の力不足やミスに対してあまり悲観的になり過ぎたり、
深く考え過ぎなくてもいいのではないかと思った。
(努力しなければならないところはちゃんとするが)
負の感情が湧き出してきそうな気配を感じたら、
もう楽しいことしか考えない。
だけど「楽しいと思えること」を自分の中に持っていないと
成り立たないので、それが途切れないようにしなければいけない。
楽しいことを探す方が意外と大変だったり・・・と思ったが、
嫌なことをするわけでもなく、嫌いな人に会うわけでもない。
自分が好きだと思えることをただひたすら探すということは、
頭で考える必要はまったくなくて、
お気楽に何も考えず、自分の感性に従ってただ動けばいいのだから、
これほど楽なものもないなと思った。
なんかいいな~とか、なんか好きだな~とか、
なんでかわからんが心地いいな~とか、落ち着くな~とか、
「なんかいい」程度のものでもいいんだ。
そんな「なんかいい」ものを、
心が元気なときにたくさん見つけておいて、
ポケットにそっとしまっておくだけでいい。
負の感情が湧き出してきたら、
そのポケットから楽しいことを取り出して、
それで頭の中をいっぱいにしてしまう。
明るい気持ちならきっと前向きに努力できる。
不況不況の世の中で、将来を悲観して悩んだりすることもあるけれど、
そうならないかもしれない未来のことを考え続けて
暗い気持ちでその日まで生きるのと、
それはそれとして、毎日明るい気持ちで生きるのとでは、
最後に大きな差が出ると思う。
「毎日考えて悩んで、結局最後までつらいことばかりだった」
「つらいこともたくさんあったけど、それでも楽しいこともあったよ」
死ぬ直前に自分の人生を振り返って、
後悔するのは絶対に前者だ。
お金がたくさんなくても楽しいことはある。
楽しいことを考えている時間が長いほうがきっと幸せだ。