
風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:普門院(信州ノ白狐ヲ祀)
様 式:春日造変態
御祭神:倉稲魂命カ



松江城の堀に掛かる北堀橋を渡るおり、東を見ると向こう岸に千木掲げた社を見つけることができた。地図に神社を示すものはなく、そこは天台宗普門院(願応寺)の境内となっている。塀越しにも立派な社を見ることができ、山門を潜ると左手(西)に朱の鳥居、拝殿、春日造の社殿を見ることができる。扁額に稲荷大明神と刻まれていた。
『雲陽誌』などに依れば、そもそも富田城の祈願所として崇敬された寺院が、松江開府以降も各国主の庇護を受け続けたもの。松平直政公の松江入府のおり、夢に白狐が現れ「信州(旧領松本)にて我に信心ありしゆえに是までまいりたり。普門院を宿坊としてある・・・」と申し、目覚めて庭先を見るとまさにこの白狐の姿があったとのこと。直政公はこれを崇めて、普門院の賢清上人召して城内に稲荷を勧請せしめ、その別当職に任じた。その後、明治年間に普門院境内鎮守社へ分霊遷座され現在の様に祀られている。
〈所在地〉
島根県 松江市 北田町
参拝日:平成24年 3月31日

風土記:法吉社
延喜式:法吉神社
雲陽誌:大森明神(宇武加比賣命)
様 式:大社造変態
御祭神:宇武加比賣命
合祀神:天児屋根命・天太玉命




松江市旧市街の北部を東西に走る城北通りを須賀神社手前で北に入るとすぐ西側に鳥居と境内が見える。社地周辺は整備され、参道の石段を登ればすぐ正面に拝殿、その奥に杮葺きの美しい本殿が建つ。この他、本殿南側には古い石祠が一宇、北側には稲荷神社が祀られる。
拝殿には扁額にかえて自然木の板が掲げられ、そこには「神代のむかし、宇武加比の姫命が、天翔りつつ、光満つ清き山河を賞でたまひ、鎮まりませる法吉村」と記されていた。境内より東の方を振り返ると、古くからの道一筋が綺麗に伸び、往時はこの道のまわりにも実り多き田畑が広がっていた。近隣うぐいす台の最深部には、当社が由来する宇牟加姫御陵と伝わる方墳がのこされている。


同社は風土記、延喜式に記載される古社とされ、村誌他によれば御祭神の宇武賀比比賣命は神魂命(神産巣日之命)の御子神で、大国主命が兄八十神の厄により大火傷を負われた際、支佐加比比賣命とともにその治癒に尽力された神とされている。またその後、法吉鳥(鶯)と化して飛び渡られ、遂にこの地に宮所をお定めになった。この辺りの地名としてみえる法吉、鶯谷にはその縁を見ることができます。合殿の二柱については、現社地に奉遷せらる年代・社名などは不詳なれど、四十八代称徳天皇の天平神護元年に勧請せると記される。
〈境内社〉



諸書に同社の境内社名は記されず。稲荷神社は社殿前の幟に志谷稲荷神社としるす。その縁は不詳。同じく本殿南方に龍の意匠が残る石祠が見えるも同じく不詳。雲陽誌法吉の頁に記される社は同社の他、鹿島明神(武雷命)、智者明神(思兼命)、稲荷(倉稲魂命)である。
〈所在地〉
島根県 松江市 法吉町
参拝日:平成24年 3月25日

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:牛頭天皇(素戔嗚尊)・本宮大明神(天児屋根命)
様 式:流造変態
御祭神:須佐之男命
合祀神:天児屋根命(本宮神社)




松江城北方の環状を成す城北通りを走ると、田原池を過ぎたあたりで北側に鳥居と社碑を見つけることができる。また、車道の南側にも石灯がたっているのがみえるのは、城北通りが新たに丘を切り分けて通された道であることを示している。国土地理院の空撮に顧みると、現在では店舗や住宅が立ち並ぶこの辺りも半世紀前は一面田畑しかなかった。境内は南面、石段を登った成地はさほど広くなく、正面に拝殿その奥に流造の本殿が静に建っていた。西側に近年改められた神楽殿、本殿奥には雀部(ササベ)稲荷神社と同じ稲荷神社の二宇が建っている。



拝殿に記された由緒によれば、同社の創立年代は不詳なれで、古くは勝天王社、牛頭天王と呼ばれ、村民の吉岡某が播州明石浦広峰より勧請。とくに疫病疱瘡に対する守護神として崇められ、松江藩三代綱近公も同社に祈願をなしたとのこと。疫病疱瘡よりの守護については、『雲陽誌』に蘇民将来の由来としてくわしく記されております。また本宮神社の天児屋根命を合祀する縁について、元は西方田原谷に鎮座した田原神社(春日神社)として祀られたが、天正の戦火に消失し現在は奥谷に遷されている。一方、旧社地を元宮として祀り続けたのものが、やがて本宮神社となり、いつしかこれも衰微しついに須賀神社に合殿にいたったとようである。
〈境内社〉


稲荷二宇あり。雀部稲荷神社とされるが、二宇いずれも是か、また西側のみかは不明。雀部稲荷神社は食稲魂命を祀る。もとは浜佐田町堂土に鎮座していたものが、いつの頃か須賀神社境内に遷し祀られることとなった。旧村誌には玖夜社、須賀社いずれも同じ神職の勤めによれば、この境内に遷すこととなったとある。
〈所在地〉
島根県 松江市 春日町
参拝日:平成24年 3月25日

風土記:阿羅波比社(社伝)
延喜式:―
雲陽誌:照床明神(天照大神)
様 式:大社造変態
御祭神:天照大御神




松江城を中心に市街を眺めると西には南北に伸びる丘陵を見ることができるが、これを愛宕山などと呼ぶとのこと。宍道湖畔まで続くこの丘陵の北よりに同社は鎮座している。古くからの住宅の間に鳥居と社碑を見つけることができ、合わせて児童公園の入口を示していた。長い参道の脇には多くの石灯が並び、やがて児童公園のグランドが広がり、その奥に立派な拝殿と本殿が見えくる。その他、北側には神楽殿、南側には歳徳神の堂が二つ並んでいた。本殿の脇には、神木の切株が残り幣を捧げ祀られている。



同社の由緒を『神国島根』に依れば、慶長以前は土地の名より寺床神社と呼ばれ、寛永年間以降に照床神社と称し奉られるとのこと。なお、この社を風土記に記載される阿羅波比社とするむきについて、そもそも丘陵のいずれかにありし古社を戦国の争乱に際し龍雲寺近傍の現社地に遷したものとしてする。なお、現在外中原に阿羅波比神社が鎮座するについては、松江開府に伴う城下建設の過程で御霊を奉遷せる結果とも記す。
〈境内社〉



本殿南側に歳徳神の祠二宇あり。また更に南側公園の端に神宮寺あり。
〈所在地〉
島根県 松江市 黒田町
参拝日:平成24年 3月25日