
風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:一成熊野神社(事解男命・伊弉冊尊・速玉男命)
様 式:流造変態
御祭神:伊弉冊尊・速玉男命・事解男命
合祀神:宮尾神社(大己貴命)・伊勢宮神社(天照大神)・三輪神社(大物主命)・若宮八幡宮(誉田別命)



西川津町楽山公園東の丘陵に南面して鎮座。第二中学側(北)より山越えして路地に入ればたやすく鳥居を見つけることが出来るが、本来の正面は南方大橋川より。西側の鳥居前には案内板があり、正面熊野神社、左(北側)は推恵神社とある。当初は、推恵神社を目指しておった為、二社並び立っていたことに驚いた。
境内は法面を削って平地を作っており、推恵神社に比べれば狭く感じられるが、南面して陽がよくあたっていた。流造りの本殿、入母屋の拝殿ともに立派な造りで、舞殿、手水社なども綺麗に整備されている。今日では学園が新興住宅街として整備されたものの、昭和の末頃まで朝酌川を境に南田町の堀までは一面が水田。西川津字市成も一個の集落で、熊野神社はその氏神として篤く崇敬を集め、今も変わらず大切にされていることがわかる。



『川津郷土誌』等に由緒を辿ると、この社は初め岩船大明神と称したものが、天正以降は子守(小森)三所大権現となり、宝永の折には熊野神社となっている。すなわち『雲陽誌』は西川津に一成熊野神社、事解男命・伊弉冊尊・速玉男命の三神をまつる記し、三所権現と称するあたりには紀州熊野三社の神を勧請し祀ることとなった思われる。
『雲陽誌』には、「何時のことかは定かではないが、古くに諸国の船入りしおり、俄かに大風起こり山より光さし来たりて遂に船沈められることがあった。船頭等が驚いて陸にあがり、里人に尋ねたるところ、子守山に霊験あらたかなる岩船明神という神があり、その咎めであろうとのこと。船頭は急ぎ山に登り、注連縄を曳かれた磐を拝んで社殿建立を祈願。後に日向より材木を取り寄せて、遂に社殿を造立。その時より子守三所権現と社号は改められた」と記されている。
〈境内社〉


本殿西側に狛犬一対を備える、石祠一宇。東側には社日他、稲藁の蛇をまく荒神・神木等多数あり。郷土史に境内社名無し。神国島根に境内社祭神とて、天照大神、素戔嗚命、大己貴命、少彦名命、大地主命の名のみを記す。
〈所在地〉
島根県 松江市 西川津町 市成
参拝日:平成24年 3月31日