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出雲国神社めぐり

島根県東部の神社探訪記!
犬もあるけば、神社にあたる!!

熊野神社(市成)

2012年05月07日 | 松江市(旧市域)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:一成熊野神社(事解男命・伊弉冊尊・速玉男命)
様  式:流造変態
御祭神:伊弉冊尊・速玉男命・事解男命
合祀神:宮尾神社(大己貴命)・伊勢宮神社(天照大神)・三輪神社(大物主命)・若宮八幡宮(誉田別命)

  

西川津町楽山公園東の丘陵に南面して鎮座。第二中学側(北)より山越えして路地に入ればたやすく鳥居を見つけることが出来るが、本来の正面は南方大橋川より。西側の鳥居前には案内板があり、正面熊野神社、左(北側)は推恵神社とある。当初は、推恵神社を目指しておった為、二社並び立っていたことに驚いた。

境内は法面を削って平地を作っており、推恵神社に比べれば狭く感じられるが、南面して陽がよくあたっていた。流造りの本殿、入母屋の拝殿ともに立派な造りで、舞殿、手水社なども綺麗に整備されている。今日では学園が新興住宅街として整備されたものの、昭和の末頃まで朝酌川を境に南田町の堀までは一面が水田。西川津字市成も一個の集落で、熊野神社はその氏神として篤く崇敬を集め、今も変わらず大切にされていることがわかる。

  

『川津郷土誌』等に由緒を辿ると、この社は初め岩船大明神と称したものが、天正以降は子守(小森)三所大権現となり、宝永の折には熊野神社となっている。すなわち『雲陽誌』は西川津に一成熊野神社、事解男命・伊弉冊尊・速玉男命の三神をまつる記し、三所権現と称するあたりには紀州熊野三社の神を勧請し祀ることとなった思われる。

『雲陽誌』には、「何時のことかは定かではないが、古くに諸国の船入りしおり、俄かに大風起こり山より光さし来たりて遂に船沈められることがあった。船頭等が驚いて陸にあがり、里人に尋ねたるところ、子守山に霊験あらたかなる岩船明神という神があり、その咎めであろうとのこと。船頭は急ぎ山に登り、注連縄を曳かれた磐を拝んで社殿建立を祈願。後に日向より材木を取り寄せて、遂に社殿を造立。その時より子守三所権現と社号は改められた」と記されている。

〈境内社〉
 
本殿西側に狛犬一対を備える、石祠一宇。東側には社日他、稲藁の蛇をまく荒神・神木等多数あり。郷土史に境内社名無し。神国島根に境内社祭神とて、天照大神、素戔嗚命、大己貴命、少彦名命、大地主命の名のみを記す。

〈所在地〉
島根県 松江市 西川津町 市成

参拝日:平成24年 3月31日

住吉神社

2012年05月05日 | 松江市(旧市域)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:住吉明神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)
様  式:切り妻造り(妻入り)
御祭神:底筒男命・中筒男命・上筒男命

  

朝酌川の東岸、大内谷地区の杜の中に鎮座している社。宅地の間より参道を入ると、同社より先に薬師堂が目に飛び込んでくる。境内は大きく二段になっており、下の壇は児童公園に、上の壇に薬師堂と同社が建っていた。薬師堂に比べると、こじんまりとした社殿で、切妻の本殿の前に同じく切り妻の拝殿が続いている。前方には同じように小さな土俵が拵えられていた。西側の小道を進んだ先には、稲藁の蛇を巻いた荒神が祀られている。

 

『雲陽誌』大内谷の頁に住吉明神は表筒男命・中筒男命・底筒男命を祀るとあり、天正年間の棟札が見られたとある。また荒神は興津彦、興津姫を祀るとも記されます。明治四十二年の官布によって一成の熊野神社に合祀となって廃社、氏子の願いによって昭和四十二年遂に再建の運びとなった。平成十七年に遷宮を経て、今日も当地の氏神として崇敬されている。

《薬師堂》
  
由緒書きに依れば、本尊は薬師如来。現存最古の棟札は享保七年のものがあり、現在の堂は天保十四年の建立のもの。享保の棟札には、藩主の祈願として「世の平安、国土の安全、気候順調、五穀豊穣、武運長久」などが記されていたとのこと。

〈所在地〉
島根県 松江市 西川津町 大内谷

参拝日:平成24年 3月31日

貴舩神社

2012年05月03日 | 松江市(旧市域)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:貴舟社(高龗神)
様  式:大社造変態
御祭神:高淤加美神
配祀神:宇比地邇神(国土神)・須比地邇神(地鎮神)

  

島根大学の西側、菅田の交差点より北へ小隘路を入った高台に鎮座している。近年の遷宮にて境内一式が整備されており、建物は少ないながら大社造の立派な社殿の他、大注連縄を掲げた拝殿が見られた。

  

拝殿の由緒書きに依れば、以前は亀田山にあったものが、慶長年間の城地の選定によって現在の菅田山崎に移され仮殿に祀られたとのこと。萬治年間に遂に本殿・拝殿の建立。松平直政公が松江城鬼門除けの社として篤く敬わったと記されます。御祭神である高淤加美神は水を司る神として祀られ、食物・農耕の基を成す神であるととともに、とくに祈雨・止雨に神徳霊験あらたかと信仰をあつめた。昭和十四年の旱魃の折には、近在各地より雨乞いの参拝があったとのこと。

〈所在地〉
島根県 松江市 菅田町

参拝日:平成24年 3月31日

摩利支神社

2012年05月01日 | 松江市(旧市域)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:松崎神社(武甕槌命)
様  式:大社造変態
御祭神:武甕槌神

  

松江城の北西、現在では商店舗や住宅が多く立ち並ぶ黒田町の街中にこんもりとした小山がありその頂に鎮座している社。コンビニエンストアの東裏手に鳥居があり、石段を上り詰めると拝殿と本殿が建っている。ふもとの県道からもまったく社殿が見えないほど木々が茂り、本殿の屋根にのみ光が降注ぐといったような感じあった。

  

『神国島根』に依れば、尼子・堀尾両氏の崇敬した社で、松平氏の治下では四代吉透公の生母養法院が特に崇敬し社殿を造営とのこと。『雲陽誌』には、養法院の花園に境内ありて、世人は摩利支天山と言うとある。また一名を松崎神社という由縁は、御祭神の武甕槌命が天孫降臨の先払いにて真っ先に下りたまわれたことから、仮名を転じて松崎になったとも記される。あるいは、社殿造営の折に瓢箪に似た石が掘り出され、瓢箪も甕も酒器なれば、祖神を甕速日神になぞらえて、武甕槌命を祀ったともされる。

〈境内社〉
 
本殿の向背に木造の社一宇あるも詳らかにあらず。また境内の松尾神社の社碑ありこれも同じく不詳。

〈所在地〉
島根県 松江市 春日町

参拝日:平成24年 3月31日

児守稲荷神社

2012年04月28日 | 松江市(旧市域)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:―
様  式:本殿・拝殿併せ[切妻造り妻入り]
御祭神:倉稲魂命
合祀神:素戔嗚命・奥津彦命・奥津姫命・事代主命・大国主命

  

島根大学付属小学校の西側、石橋町の住宅地内に鎮座。境内は半ば児童公園となっており、訪れた休日も童達が元気に遊ぶ姿を見ることができた。現在の社は拝殿と本殿が一つ繋がりとなっており、こじんまりとして見えるが、所々に見事な意匠が施されている。また拝殿軒下には、「児守」の由来から子どもの成長を祈る書き物が多く貼り付けられていた。

  

社頭の由緒書きなどに依れば、もとは松江城が建つ亀田山(宇賀山)にあったものが、築城にともない社地を改められ、寛保年間に現在の位置に移されたとのこと。子どもに対する霊験ありとの御神徳は各地に伝わり、とくに城内女中の信仰が厚かったことから、城主より「児守」の二字を賜った。現在も拝殿に張られる願文は、往時は扉や戸板にびっしりと貼り付けらる程であったとのこと。

〈所在地〉
島根県 松江市 石橋町

参拝日:平成24年 3月31日