
風土記:久多美社
延喜式:久多美神社
雲陽誌:久多美大明神(大己貴尊)
様 式:春日造変態
御祭神:大己貴尊・事代主神・味耜高彦根神・天御梶姫神




県道24号線を大東方面へ向い、千本貯水池の南端からおよそ500mほどで東側の山手へ。やがて鳥居をめじるしに境内を見つけることが出来る。昔とさほど変わらず稜線にしたがって棚田が続く地域で、家々の数はさほどに多くはなかった。田畑の間の小道を歩き鳥居を潜ると、静かな境内に巨木を背にして拝殿と本殿が建っていた。


同社の由緒について『旧忌部村誌』によると、出雲風土記意宇郡の久多美社であり、延喜式に記載の由緒正しき社であったと記されている。久多美山は主祭神大己貴命の出雲国経営の一拠点となった場所と考えられており、当初は山頂に社が築かれ祀られていたものの、中世築城のおりに麓へ下ろされたもよう。史上有意な社であったものの徐々に社勢が衰微し、明治四十五年五月に政治的影響もあって大宮神社(忌部神社)に他の諸社とともに合祀されてしまう。しかし由緒ある久多美社の消滅に氏子各氏の落胆が大。社殿再奉の動きが早くから起こり、大正十二年遂に現社地に社殿を造営し奉遷、復興に至った。現在の本殿後方の削平地中央には、合祀以前のものと思われる礎石が露出しており、合祀と再建という同社の複雑な歴史を感じ取ることが出来る。
〈所在地〉
島根県 松江市 東忌部町
参拝日:平成24年 5月 5日