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出雲国神社めぐり

島根県東部の神社探訪記!
犬もあるけば、神社にあたる!!

五十田神社

2012年01月06日 | 松江市(旧市域)

風土記:大井社(※別説あり)
延喜式:大井神社(※別説あり)
雲陽誌:磯田明神(経津主命・武甕槌神)
様  式:王子造
御祭神:経津主神・武甕槌神

   

国道431号線から鹿島方面へ至る県道264号を北へいくと、宍道湖農道を越えたあたりから左手に丘陵が続き、右手には田園が広がる。下古志公民館を越えてすぐ左手(西)に鳥居を見つけることができた。境内は二壇にわかれ、下の壇右手に神楽殿、上の壇には本殿と拝殿のほか石祠、神饌所が建つ。

『神国島根』は、風土記の大井社、延喜式の大井神社で元々は現社地より東方にあったと記す。周辺が佐陀神社領となるに及び、その末社に連なり社家大井祝が奉仕することとなる。これとは別に、佐太水海辺に鎮座していたものが、洪水にて丘麓西の大井垣漂着したことにより大井神社となり、やがて現社地五十田に移して磯浜神社と称するとした説もある。詳細は不確かで、風土記の大井社は別に比定されるものもあり、考察すべき事象と思われる。明治年間には下古志集落の産土神として村社に列せられ、整備された境内からは今日も篤く信奉されていることが感じ取れる。

〈境内社〉

本殿右手に狛犬一対をそなえた石祠がある。『神国島根』に依れば境内社は秋葉神社(秋葉神)とされる。

〈所在地〉
島根県 松江市 古志町

参拝日:平成23年12月11日

杢屋神社

2011年12月29日 | 松江市(旧市域)

風土記:毛之社
延喜式:―
雲陽誌:木工夜大明神(蛭兒尊)
様  式:王子造
御祭神:蛭児尊
配祀神:天照大神・天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神・伊弉諾神・伊弉冊神

 

県立松江聾学校の後背の山中に鎮座している社。東方を正面としつつ、南北に広い境内の北側に、珍しい王子造の本殿、拝殿ならびに神楽殿が並び立つ。

『神国島根』に拠れば、元は佐陀神社御笠山の南麓字椋屋に坐して椋屋大明神と称す。佐陀神社の末社二十三社の一として佐太大神を祀っていたようである。近世以来は内野間地区の産土神として崇められ、名を杢屋大明神あるいは杢屋神社とし、祭神を佐陀神社南殿の縁により蛭子尊と改めた。明治七年大谷地区の若宮神社、大正二年に七所神社を合祀。

〈所在地〉
島根県 松江市 古志町

参拝日:平成23年12月11日

玖夜神社(切明社)

2011年12月28日 | 松江市(旧市域)

風土記:同玖夜社
延喜式:―
雲陽誌:切明々神(國忍別命)
様  式:小祠(切妻破風造)
御祭神:國忍別命

国屋の街道を玖夜神社の看板を目印に西に入りすぐ左手の茂みの内に同社は鎮座する。風土記の島根郡に玖夜社と同じ玖夜社の二社があり、『雲陽誌』のころにはいずれも殿宇が破却し仮殿にて祭られていたとのこと。今日、玖夜神社といえば鞍掛の社が広い境内、社殿を持ち著名となっており一般的。

〈所在地〉
島根県 松江市 国屋町

参拝日:平成23年12月11日

柿原水神社

2011年12月27日 | 松江市(旧市域)

風土記:―
延喜式:―
雲陽誌:―
様  式:大鳥造小祠
御祭神:天水分神・速秋津比古神・国水分神

 

西谷町峯谷を上り杢屋神社を探していたところ、柿原池のほとりに小祠と鳥居が佇んでいるのが見えた。当初はこれが杢屋社かとて小道を分け入ったところ、鳥居には柿原水神神社の扁額が掲げられていた。

脇にあった柿原池の由緒案内によれば、昭和十四年の大旱魃を契機に、旧生馬村・古江村の発起にて起工。第二次大戦の混乱により一時工事は中止されたものの昭和二十九年に竣工。近隣の治水・飲料水に大きな役割を成した。以来半世紀を経て、老朽化による漏水事故など発生したため、平成十八年より五年の歳月を掛けて大改修工事を実施。社殿中には宇太水分神社平成二十一年歳旦祭祈祷の神札が見え、竣工に併せて水源の神が勧請されたものと思われる。周囲4km、貯水量290万トンの池畔に小さく建つ社もいずれ趣のある景色を成していくことと思われる。

〈所在地〉
島根県 松江市 西谷町

参拝日:平成23年12月11日

持田神社

2011年12月24日 | 松江市(旧市域)

風土記:持田社
延喜式:―
雲陽誌:大宮大明神(天太玉命・縣大宮姫命・天鈿女命)
様  式:大社造変態
御祭神:大宮比賣命・天鈿女命・猿田彦命・天太玉命
合  祀:天御蔭命(青蔭神社)・高降姫命(高野社)・別雷命・木花開邪姫命(加茂神社)・忍穂耳命(丸山神社)
     誉田別命(若宮神社)・金山彦命(金比羅神社)・国常立命(国司神社)・大物主命(日吉神社)
     伊弉冊命(熊野神社)・護国英霊九十五柱

   

松江市内から旧島根町に至る主要県道21号線沿い、県の主導にて進められたソフトビジネスパークの東口から右手(北東側)に境内を見つけることができる。亀尾・日吉集落の中心にあり、古くは風土記にも社名を見つけることができ、この地の氏神として丁重に祭られてきた。境内正面は田園が広がり、鳥居と隋神門をくぐれば、一壇上に拝殿と大社造の立派な本殿を見ることができる。境内は全般に掃き清められ、紅葉の朱は本殿と見事な対比を成していた。

当社の由緒を遡ると、創建の詳細は不明といえども風土記に所載の持田社され、『雲陽誌』には文永年間の棟札を見ると記される。主祭神の大宮比賣命に因み中世は大宮大明神として崇められ、天鈿女命、猿田彦命とともに天照大御神岩戸篭り、天孫降臨に所縁ある神が祀られている。ことに岩戸に舞を奉じた両女神の縁があることから亀尾地区では今日でも神楽の伝統を受け継ぎ、当社の例祭他、近隣各社の例祭にも舞を献ず。

明治期に旧持田村内各社を合祀しており、鳥居脇には丸山神社合祀の碑が見える。これは戦国期に頭痛にて苦しみ落命された丸山権太左衛門の霊を祀ったことに始まり、頭痛に悩む遠近の多くの祈願者があったと伝わる。明治六年に賀茂神社に合祀され、明治四十一年に持田神社に合祀されるに及んでも、丸山神社としての崇敬が篤く続いた。

〈境内社〉
 
本殿左に歳徳神を祀る。本殿背後に石祠および幣を数多供える。

〈所在地〉
島根県 松江市 西持田町 亀尾

参拝日:平成23年11月25日