ひらつか日記

1999年に漫画家おかざき真里ホームページの連載コーナーとしてスタートした身辺雑記×音楽紹介日記です。

「広告」について(2)

2008年08月10日 | クラシック
ショスタコーヴィチ:交響曲第9番


時代感覚として、「広告」が見たくないものになってきている、あるいは見る価値のあるものだと思われなくなってきている…というのが前回に書いたことの要点。テレビで北京五輪の開会式をみていたら、放っておいたこの稿のことが気になりだした。チャン・イーモウ、すごいね、すごい。こんな金のかかった開会式は空前絶後だろう。しかし、見ていた人の多くはおそらく食傷したんじゃないか。時代の空気と、あまりに関係がなさすぎる。少数民族の衣装を纏ったキャスト、環境問題への言及、世界各地の聖火リレーの画をプロジェクションした終盤…と、悪い冗談としか思えない箇所も散見されて、エンターテインメントとしては圧巻だが、こんなの見て感動してる場合じゃないぞ、という方にキモチの針が振れる。この感じ、今の「広告」を見るキブンと(程度の差はあれ)酷似していると思った。開催地が自国の栄光を語る。五輪の開会式とはそういうものだから、そのこと自体の是非を問うてもはじまらない。企業が自社商品の素晴らしさを語る。広告とはそういうものだから、そのこと自体の是非を問うてもはじまらない。では、中国共産党はどんな開会式をやればよかったのだろうか。今日の広告がどのようにあるべきだろうか、という問いは、実にこういう次元で考えられなければならないように思う。チャン・イーモウの表現は、広告でいえば旧来のマスマーケティングのやりかただ。エフェクトは斬新だが、メッセージングとしては古いと思う。完成された誤解しようの無いメッセージを、一方的に押し付けてくる感じ。「考えさせられる」ところが全く無い。スキが無い。受け手は、何も考えずに口を開いてポカーンと見てればいいんだ、という作りになっている。ハリウッドなんだな。受け手を白痴にするエンターテインメント。白痴にさせられるから、こんな時代にあって、こんなの見て単純に喜んでていいのか、という感覚が意識下で妙な違和感というか、拒絶感を引き起こす。「広告」が見たくないものになっているのは、受け手に暗に「思考停止」を迫るメカニズムを内包しているからではないかと思う。今の時代に、積極的に見たいと思われる「広告」の表現とは、では一体どういったものであるべきか…。また長くなりそうなので続きはそのうち。今日の推薦盤はこちら。Shostakovich: Symphony No.9 / Leonard Bernstein, Vienna Philharmonic Orchestra 。ソ連時代を生きた作曲家、ドミトリ・ショスタコーヴィチ2001.3.26日記にも記述あり)の交響曲第9番。交響曲第9番といえば、楽聖ベートーヴェンの最後の交響曲。わが国を代表する大作曲家の記念すべき第9番となれば、それはもう壮大な名曲になるに違いない、と期待するソ連当局。1945年作品ということは、第二次世界大戦の戦勝を祝うというタイミングでもあったわけで、その期待は大変なものだったはず。そこに発表されたのが、この曲。聴いていただくとわかるが、演奏時間わずか25分の小曲、腰の軽いコミカルな曲想、まるで子供の運動会?と、とてもじゃないが、大作曲家の交響曲第9番とは思えない。誰がどう聴いても、当局への反抗、ソ連文化の面目まるつぶれである。スターリン存命中だから下手すればラーゲリ送り、というシャレにならない状況下、これはまさに命を賭した一世一代の冗談であった。当局の不興を買ったショスタコーヴィチは激しい批判にさらされ、レニングラードとモスクワの音楽院教授を退任、スターリンが死ぬまで、しばらくあからさまな共産党賛美の曲を書かされる破目になる。ショスタコーヴィチはソ連崩壊を待たずに死去したので、どういうつもりでこれを作曲したのかはもはや誰にもわからないが、この交響曲第9番のスカスカで頓狂な音響は、これからもそれを聴く人に常に何かを考えさせ続けるだろう。


3 コメント

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兄ちゃん、おはよう! (妹meg)
2008-08-11 09:19:42
兄ちゃん、おはよう!
チャンさん、凄いよね、映画観ましょう♪
今までのオリンピックの中で一番綺麗だったかも。
と、おもうちょりますが。。。
考える所はなかったかなぁー。

兄ちゃん、充電器忘れてない?(ΦωΦ)
自分が最近考えてることって、自分が好きな人も同... (andomoto)
2008-08-24 15:10:32
自分が最近考えてることって、自分が好きな人も同じように考えてるんですね。話してなくても。あらためて驚きます。内容について。受け手に思考停止を迫ることの問題の本質は、送り手自身が思考停止していること。送り手は同時に受け手であるととらえることが、広告・マーケティングの革新につながらないか、と思っています。一方向か双方向か、という紋切り型の話ではなくて、ね。続きも、ぜひ。
>妹megちゃん (ひらつか)
2008-08-25 01:21:55
>妹megちゃん
あ、充電器置いたまま帰ってしまいました・・・。今度行く時に引き取りますので、保管よろしくね。オリンピック、閉会式も見ましたか。また大掛かりだったよねえ。個人的には、ジミー・ペイジが出てきたのにビックリしました(笑)。

>andomoto
送り手は同時に受け手である…なるほど。参考になるかどうかわかりませんが、最近読んだ「暴走する資本主義」(ロバート・B・ライシュ)がその参考になるかもしれません。

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