ひらつか日記

1999年に漫画家おかざき真里ホームページの連載コーナーとしてスタートした身辺雑記×音楽紹介日記です。

幸せで泣けてくる

1999年09月30日 | ブラック
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「平塚ちゃんはいつもこういう泣きそうになる曲を聴いてるのか?」と、おかざき真里が「おしゃべり」コーナーに書いている。そうなのだよ、ふふふ。泣いているのだ(笑)。わたしは結構涙もろい。悲しい映画とかみるともうだめだ。「ええーあれで泣いたの?」と言われることが多い。あまりかっこわるいので、実は映画はほとんど見ない。もう1年以上、映画館にいってない。テレビドラマでもだめだ。かっこわるいから、ドラマもまったく見ない。だめだめな出来のつまんないドラマでも泣けてくる。テレビの前で泣くなんてくやしいではないか。その点、音楽はこっそり聴けるからいい。そういえば、今年のはじめに、強烈なインフルエンザが流行りましたよね。わたし、見事に罹って、40度を超える高熱で会社を数日にわたって休んでしまったのですが、そのとき苦し紛れにテレビをつけたのでした。そしたら再放送の「水戸黄門」やってた。悪代官と、かわいそうな貧乏娘と、父親と。さすがにこれでは泣けないな、とアタマは思ってるのに、涙がボロボロ出てきて、しゃくりあげてしまった。これは涙もろい性質だとかそういう次元とはちがう。うわ、これは相当身体が弱ってるんだな、と思った。身体的に泣いていたのだ。少しだけ、ほんの少しだけなのだが、死ということを意識した。老いる、というのは、このインフルエンザが数時間にもたらした変化を数十年かけて辿っていくことなんだ、少なくとも身体的にはそうなんじゃないか…と考え始めたところで、またうつらうつら熱にやられて昏々と…。今日は、「泣きそうになる曲」じゃなくて、幸せな音楽を聴いてみよう。上のジャケット(結構すごいな)は、Greatest Hits Vol. 2 / Barry White 。これはすごいよ。もう全編「ラブ」なのだ。「ラブ」でアタマがやられちゃうくらい、ドボドボズブズブに「ラブ」だ。「It's Ecstasy When You Lay Down Next To Me」とか曲名だけで、日本人の淡白な感性はクラクラきてしまうのではないか。幸せすぎて、ちょっと泣けてくるかもしんない。

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唇のジャケット(外盤はデザインちがい)は、O Sorriso Do Gato De Alice / Gal Costa 。これはブラジルですね。とても明るい色彩、ゆれて自在に伸縮するタイム感。全編「サウダージ(郷愁)」な感じで、これまた幸福の中で泣けてくるような感覚もある。


日常に陥没を生じさせる力

1999年09月29日 | ワールドミュージック
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ふと気が付くと、夏の気配はすっかり消えて、いつの間にかちゃんと秋になっている。そりゃそうだ、もう10月だもの。ところで、おかざき真里の漫画の熱心な読者とはいえないわたしが感想めいたことを書くのは気がひけるが、わたしがおかざき真里の漫画で感服するのは、ストーリーの展開の中途にボコンと時空が陥没したように出てくる例の草のイメージだ。嗅覚にくるんだよ、あれ。冷たい土の匂いと、草いきれ。嗅覚って、とても個人的な一種の記憶のようなものでもあるのだけれど、どこかしら個人を超越した何かにつながる感覚でもあるように思う。現代では、日常生活の中にそうした陥没が生じることはほとんどまったく無くなってしまった。さて、今日のCD、まずアートワークがとても美しい。2枚とも、イギリスのリアルワールドレーベルのもので、このレーベルは世界各国の優れた、しかしメジャーレーベルとは縁のないミュージシャンの音を(多分採算度外視で)リリースし続けている。どのCDも、それぞれに素晴らしい。ああ、音楽というものは、日常に陥没を生じさせる力をもっているのだ、ということを思い出させてくれてうれしくなる。薔薇の棘のジャケット、こちらはNight Song / Michael Brook, Nusrat Fateh Ali Khan 、もう一枚はBlack Rock / Djivan Gasparyan, Michael Brook 。前者はパキスタンの伝統音楽(Qawwal)のヴォーカリスト、後者はアルメニアの伝統的な管楽器(duduk)の奏者の音楽で、どちらも個人の感情からはなれたところにある何かを感じさせてくれるような高みを聴かせてくれる。両方ともMichael Brookというカナダ人プロデューサーがそれぞれの民族性あふれる音について、それが欧米文化圏の一般音楽リスナーの耳にすんなりと届くように、音響のトリートメントを行っている。それは、Deep Forest のような第三世界を単にネタにしただけの通俗ポップスとは比較にならない上品なもの。



上質のセンチメント

1999年09月27日 | ロック・ポップス(欧米)
Secrets of the Beehive


先週末「最近痩せたよーヨレてるよー」とおかざき真里に顔をまじまじと見られてしまった。そうなのだ、わたしも気になっていた。顔がヤツれてきてる。でも、ポイントは体重が変わっていないことだ。痩せてきているのではなくて、肉の移動だったのだ! いったいどこに…。しかし、まあ、疲れてるのは疲れているので、今朝の朝食からちょっと栄養面の強化を図ってみた。いつものバタートーストに、蜂蜜を重ねて塗ってみただけなのだが(笑)、これがなかなかおいしいのだった。蜂蜜って、今までなんとなく縁がなかったのだ。年に一度、どこかでホットケーキを食う機会に出くわしたとき以外は、食するきっかけみたいなものがなくて。蜂蜜は偶然家にあったもの。製造者ラベルを見ると、岐阜県だ。へえーと思ってたら、うちの奥さんいわく、「蜂蜜といえば岐阜じゃないの」だそうで、わたしは地元なんだけれどぜんぜん知らなかった。そういえば、近所にも蜂飼ってるところあったなあ。あと、ラベル読んでてわかったんだけど、蜂蜜って腐らないんだって。すごいなあ、不思議だなあ。そうだ、「蜂」の話が出たついでだ、今日のCDはこれにしよう。Secrets Of The Beehive / David Sylvian 。タイトルが「蜂の巣の秘密」という一枚。なんと言うか、ずーんと「暗い」音楽なんだけど、上質のセンチメントがあって、とても気に入っている。わたしは「秋」というと、これが聞きたくなるのだ。ビクトル・エリセの「みつばちのささやき(Spirit of the beehive)」あたりが好きな人は、絶対に聴いておかねばならない。佳曲「Orpheus」「Boy With The Gun」あたりはぜひ試聴を。


田舎

1999年09月24日 | 電子/音響/ハウス
A Blessing of Tears: 1995 Soundscapes, Vol. 2


ほんとは今日は会社を休んでいるはずだった。昨日はお彼岸だったし、ずいぶん無沙汰をしていたから、久々に実家に顔を出して静養ついでに墓参でも…と殊勝なことを考えていたのだった。諸々の状況が絡み合って、会社のデスクに座っている結果になった。なかなかうまくはいかないものだ。おかざき真里がこの連載のリードに書いているように、わたしの実家は岐阜にあって、和菓子屋をやっている。これだけ聞くとなんだか大変に情趣に富んでいるが、実に大変な田舎なのであった。ちなみに、地図を見ると、ほんとに何もないのだ。電車も走ってなければ、コンビニもスーパーもない。小学校3年生の時、村にはじめて信号機がついて、ついたその週に同級生が車にはねられた。信号なんか見たことなかったのだ、無理もない。小学校6年生の時、村にはじめて喫茶店ができた。開店記念に、お客に気のきいたコーヒーカップを配っていた。おいしいコーヒーを、という志はよかった。よかったのだが、やっぱりお客は入らなかった。村の人にとって、喫茶店というのは初めてで、いったいいつどういうときに行っていいものかよくわからなかったのだ。結局、国道沿いのトラック運転手をターゲットに変えて、今では「めし・ラーメン・しし鍋・とんかつ・コーヒー」という複雑な看板がかかっている。なんだかせつなくなってきた(笑)。記憶って不思議なものなのだよね。今日は、せつないやつを紹介しようかな。A Blessing Of Tears / Robert Fripp 。これ、全編エレクトリックギター一本で音を出している。しかもライブ。どうやってやってんの?という興味はともかく、とってもせつなくて繊細な音楽。初めてギターを買ってくれた母親の死に捧げられているそうだ。


This Land



もうひとつ、This Land / Bill Frisell 。ジャケットに写っているのは、アメリカの田舎の風景。このギタリスト、実はこの連載の最初に紹介した、Naked Cityのギタリストでもあるのだが、ああいう激情的なものも得意だけれど、むしろこっちの系統、失われてしまったアメリカ音楽のせつなさを、とつとつと辿っていくパッセージの方に本分がある。


人の気配のしない音楽

1999年09月22日 | 電子/音響/ハウス
The Orb's Adventures Beyond the Ultraworld


さきほどおかざき真里が外から帰ってきたと思ったら、すぐにそそくさと出て行ったぞ。まだ19時台なのに、めずらしい。何か約束があるんだろうな。しかし、そういうときでも、このホームページの「おしゃべり」には書き込みをしていく。ホームページは、おかざき真里にとって「盆栽」のようなものなのかもしれないな。ぼくはあいかわらず、「しょぼしょぼ」した状態が続いている。昨日、なんでああいう曲をあげたんだろう、といろいろ考えていったら、「人の気配のしない音楽」ということにいきついた。あの作曲家(Bruckner)は、ほんとに「人の気配のしない音楽」を書くのだ。今日はもうひとつ、「人の気配のしない音楽」を。The Orb's Adventures Beyond The Ultraworld / The Orb 。2枚組の大作で、全曲切れ目なく流れていくが、最初の曲「Little Fluffy Clouds」と最後の曲「Huge Ever Growing Pulsating Brain That Rules From The Center Of The Ultraworld」がいい。


約20分

1999年09月21日 | クラシック
Bruckner: Symphony No. 6 in A major

おかざき真里がさっきやってきて、膝の上に座ると「ひらつか日記読んだよ。なんか閉塞してんだって?」というので、「いや、べつに、そんなことないんだ」と答えておいた。でも、よくよく考えてみると、仕事は山積して煮詰まり気味だ。ひとつひとつねじ伏せていかないといけないのだが、どれもこれも結構難儀ではある。さて、こういう時に、わたしはこういうレコードを聴くことが多いように思う。Bruckner: Symphony no 6 / Tintner, New Zealand Symphony の第二楽章アダージョ。900円くらいで売ってた廉価版CD(ジャケットも安いデザインで泣けてくる)なのだが、こいつは数多いわたしの所蔵CDの中でもヘヴィローテーションの部類に属する。まだ大手量販なら売ってるので、もし見つけたらお買い得。第二楽章、約20分だけでもじゅうぶん元がとれます。


閉塞感

1999年09月20日 | ロック・ポップス(欧米)
A History (1982-1985)A History (1986-1989)


会社のパソコンが新しくなった。前に使っていたのは、96年夏の最新機で、これまでそれなりに速いマシンだと思って使ってきたのだが、やはりというか99年夏の最新機の前ではずいぶんと遜色してしまった。しかし相当量のスピードアップであろうにもかかわらず、問題なのは、ぼくがそれにものの1時間でなれてしまったことで、すでに数時間が経過した今となっては全く何の感動もなしにキーをたたいているのがなんだか因業だ。限界効用逓減。もしくはインフレ。ものすごく経済学的に正解なのがいや。最近のこの国の閉塞感の正体って、こういうことかもしれないな。今日は、これを紹介しておきます。A History, Vol.1: 1982-1985 / Golden Palominos 。80年代前半のニューヨークの音。大変閉塞してる息苦しい音楽です。息できない感じ(笑)。前回のNaked Cityは、ギタギタでしたが、閉塞してなくて、どこか爽快な感じもあったんですが、これはもう閉塞しきってますね。この後、このバンドは80年代も終わりになった頃、とてもせつない音をだす、静かなバンドへと変貌をとげました。それは、こちら、A History, Vol.2: 1986-1989 / Golden Palominos です。このバンドが吸っていた80年代のアメリカの空気の変容、みたいなものが感じられて興味深いです。わたしたちが再びゆっくりと呼吸できる時代、それはもう見えているような…見えていないような…。


動体視力

1999年09月16日 | クラシック
Black Box [Torture Garden/Leng Tch'e]


CAFE MARI」HTML担当の平塚ちゃん。平塚ちゃんは岐阜の和菓子屋の長男、でも和菓子屋は弟が継ぐ。平塚ちゃんは知的でクール、でも6つ年上の女の人と出会って3日で結婚を決めるという情熱もあわせもつ。平塚ちゃんは物知り、でも幼稚園児並みの知能しか持たないおかざきにきちんとHTMLを教えてくれる、そして会社内にある「シーマン」の飼育係にも任命された。平塚ちゃんは、断るのが上手くない…。そんな平塚ちゃんの、おかざき真里観察日記?

うーん。この連載のリード、おかざき真里が書いたのだが、やっぱりというかいつもながら鋭いのである。なんでこの人は、こういう具合に鮮やかに人や状況を斬れるのだろうか。それも最小の身振りで。わたしは詩がわからなかったのだけれど、おかざき真里とつきあうようになって、ちょっとだけ詩がわかってきたような気がするのだった。わたしもそれなりに斬る腕前には自負があるのだが、わたしの方法はどちらかといえば力学法則的というか、ロジックに依っている。思考でヤルのだ。おかざき真里は直観、それもきわめて反射運動にちかいレベルで斬ってくる。まるで格闘家のよう。となると、格闘と詩は似ていることになるな。プロレスのような叙事詩的ロマンの文脈じゃなくてね。もっと身体的、動体視力の文脈で。というわけで、こんなことをつれづれ書いていけばいいですか?では、今日の音楽は、Torture Garden / Naked City をどうぞ。直観と反射運動と動体視力。これをバンドでやってみた、というものすごいCDです。ものすごすぎたのか、ついた邦題が「拷問天国」。長くて3分、だいたい数十秒の曲が40曲くらいはいってます。バンド版ゴダールみたい。生でみたかったな。こりゃエグすぎる、という方は、こちらを。

Boulez Conducts Webern


Pierre Boulez Conducts Webern 。俳句のようなクラシック。こちらも長くて10分、短いと1分半という不思議なクラシック音楽。なるほど、詩なんだ。