ひらつか日記

1999年に漫画家おかざき真里ホームページの連載コーナーとしてスタートした身辺雑記×音楽紹介日記です。

サラリーマンになりたかった

1999年10月29日 | ジャズ
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小さい頃になりたかったもののひとつに「サラリーマン」があった。ぼくの家は、和菓子屋で、親父は菓子職人。親戚見回してみると、美容師とか、お茶の製造販売とか、とにかくサラリーマンがいなかった。テレビをつけると、サザエさんがあったり、ドリフの会社コントがあったり、ああいうのがよくわかんなくて、なんだか謎めいた見知らぬ世界への憧れだったのである。…というわけで、一族初の大卒として、曲がりなりにも「サラリーマン」になってもうすぐ10年。あたりまえながら、「謎」はどんどん減っていって、「サラリーマン」は今やぼくにとっての「現実」になってしまっている。しまっている…と書くと誤解されそうだが、ぼくはこのささやかな現実、結構気に入ってるのだ。他にいろいろ夢をみなかったわけじゃないけれど、まあ、これでそこそこいいんじゃないの、というヌルイ感じで。しかし、世の中、どんなところにも、難しいことってあるものだ。どんな世界を選択してもね。サラリーマンの場合、その難しさって、やっぱり「集団」というものの難しさだったりするんだろうな。今日はこのレコードのことを書く。Priceless Jazz Collection / Duke Ellington 。デューク・エリントンという人は、自分のビッグ・バンドを率いて、たくさんの素敵なポピュラー・ミュージックを生みつづけたアメリカの偉大なジャズ・ミュージシャン。彼のレコードをかけるたび、バンド・メンバーの誰もが、この古き良き「親方」としてのデューク・エリントンに敬愛の念をもって、そのボスの音楽を慈しむように演奏している様子が伝わってきて、そこに静かな感動をおぼえてしまう。このベスト盤に収録された「Mood Indigo」「In A Sentimental Mood」あたりの演奏を聴いていると、こういう「親方」と「バンド」の関係、そうしたものへの憧れが何とはなしの郷愁のようなものを誘って心をうつ。「集団」の最も幸福なありかたのひとつといえるんじゃないだろうか。余談だが、このデューク・エリントン、うちの社長に顔が似ている(笑)。


インスタントな清涼感

1999年10月28日 | 電子/音響/ハウス
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明け方まで仕事して、今朝は早くから人に会っていたので、非常に眠い。ボケボケである。夕方、あまりにツライので席で居眠りこいてしまった。口あいてたような気がする。うー。今も眠いぞー。仕事は終わらないぞー。しくしく。アタマがボケボケの時は、軽薄な音楽が欲しくなる。別に深く考えて選んだわけではないが、こんなのかなりいい感じだ。Ultimate Drum & Bass / Various Artists 。ドラムン・ベースというジャンルの、様々なミュージシャンの作品を集めたコンピレーション盤。たぶん、数年後にはこのコンピ盤は廃盤、収録アーティストたちはほとんど誰も前線には残ってないだろう。時代の先っぽで、新しいリズムを、何よりまず素人半分の作り手が面白がって、一種「身内で遊んでる」感じでポンポン生まれてくる音。一種の「泡」のように儚いが、それゆえの輝き、というのもあって、素敵に軽薄なのだ。このジャケットデザインの安っぽさ! 例えるならば、ワインやウイスキーじゃなくて、安手のサイダーのよう。芳醇な味わいよりも、こういうインスタントな清涼感が欲しくなるときもあって、それはそれで悪くないのである。


自意識過剰

1999年10月27日 | クラシック
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おかざき真里は、今日はニットのキャップをかぶってオフィスに現れた。似合っててかわいいではないか。どれ、ぼくにもかぶらせて。へえ、どうやってかぶったらいいの、これ。あ、かぶせてくれるの、あ、こうやるんだ、ふうん、これでいいの。どう、似合ってるかな。あ、そうか、トイレの鏡ね、ちょっと行ってくる…うんうん、わりと似合ってたよー。いいな、ニットキャップ。なに、髪型が保守的すぎ。なに、せっかく髪型変えろって、ヘアスタイル特集のポパイ渡したのに、切ってきたと思ったら前と変わってないじゃんかって、うん、悪かったよ、悪かったてばさ。そうなんだ、意気地なしだよな、おれ。じゃ、キャップ返すよ。匂いかいだりして。あらま、無視かよ。おかざきってば、アタマのカタチよさそうだよね。ぼくさ、絶壁なんだよね。ほらほら、触ってみ。なに、ぜんぜん絶壁とはいえない。あ、そ。自意識過剰だってわけね。なに、こないだ階段から落ちたときも、ふんふん、たいしたことない擦り傷見せまわって、ほうほう、この世が終わりそうな顔してたってか。なに、tinpo(おかざき真里の旦那)の腕みてみろって。どうしたの、tinpoくん。なに、風呂場でこけた。うわ、すごいね、この傷。うへー痛そー。なに、これに比べたら屁みたいな傷だったって言うわけ。そんなことないってばさ。ほら、もう消えかけだけど、tinpoのこれの半分くらいの長さあるじゃんよ、傷。ほら、うそじゃないってば、見ろって、あら、無視すんのな。まあ、いいよ、おれは意気地なしで自意識過剰な男だもん。粗チンだし。え、なに。いつも粗チン、粗チン、って自分で言いふらしてるとこみると、それも自意識過剰の一環で、実はそんなに粗末でもないんじゃないかって言う…うーん。どうだろ。それはよくわからんなあ。それはともかく、ミュージシャンで自意識過剰といえば、やっぱりこの人、ヘルベルト・フォン・カラヤンだろう。世界的な大指揮者として有名だが、実になんというか、カッコつけてた人だった。美形で、指揮姿はいつも目を閉じて(譜面を見ずに)暗譜で陶酔しきったノーブルな動き。写真は必ず一定の方向からしか撮らせない、なにせうなるほど金はあるので、自家用ジェットにクルーザー、ポルシェにハーレーダビッドソン。クラシック評論家から、響きが浅薄だの、内容が無いだの、音楽実業家だの、さんざん皮肉られても、どこふく風。圧倒的に美しく、ポップな響きの仕上げで、クラシックなど見向きもしなかった層も含めてレコードを売りに売った。ビートルズよりレコード売ってるというから、ものすごい。彼の音楽はとてもわかりやすいのだ。精神性とか、深みとか、そんなことよりも、ひたすら端麗甘口、絹のようなサウンドの仕上げ。内容云々いう前に、美麗な響きに酔わされてしまう。芸術家というより、デザイナー、と言う人もいて、それはある程度的を得てそうだ。そんな彼の、膨大な録音の中から、これまた特に端麗甘口なアダージョ(スローな楽章)ばかりを集成したコンピレーション盤が、ここ数年ロングランヒットを続けている。Adagio Karajan / Herbert von Karajan, Berlin Philharmonic Orchestra 。冒頭の、マーラーの第五交響曲のアダージェットは、ヴィスコンティの映画「ヴェニスに死す」で使われて、あまりにも有名。ここからはじまって、脳味噌が溶けそうな甘い甘い音楽が続いていく。クラシック演奏史上最高のナルシストぶりなのだ。おれってカッコいいだろ…あまりの自意識過剰ぶりにのけぞるが、ここまでやれば、ご立派ご立派。芸として超一流。他の指揮者じゃ逆立ちしたって、こんな企画CDは出してもらえないだろう。このジャケットのデザインだって、この人以外ではあり得ないデザイン(笑)だし。クラシックビギナーはもちろん、硬派のクラシックファンも馬鹿にせず、一家に一枚、ぜひ。


ワーカホリック

1999年10月26日 | ロック・ポップス(欧米)
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おかざき真里が珍しくミニスカ以外の格好で現れた。パンツも案外似合うのね。ぼくの席でひとしきり与太をとばしていくが、表情が硬いぞ。仕事大変なんだな。無理しないように。それにしても、日記(おかざき真里の)を読むと、ほんとに馬車馬のように仕事してるな。猛烈すぎる。馬車馬、といえば、99/10/23の「おしゃべり」で有馬さんが紹介していた、フランク・ザッパを思い出す。この人も、ほんとに馬車馬のように仕事をしてた人だった。生涯に何十枚もの高密度な作品(ジャズ畑では百何十枚…という人もいるけれど、テープ回してドバーっと録るだけの場合が多いので、単純に比較はできない)を残しながら、ヒットチャートと縁があったのは、 Hot Rats / Frank Zappa くらいか。ロック、ジャズ、電子音楽、クラシック…と様々な様式に変化自在、表面上のスタイルがあまりにも広範な領域にわたるので、一般の音楽リスナーには彼の全貌をつかまえることは難しい。ましてや正当な評価となると、後世を待つしかないのが実情だ。とにかくものすごい勢いと、ものすごい意欲でもって、休む間もなく、創作に全生涯をささげた人だった。残された膨大な作品群、その作品点数もさることながら、質というか、こめられた情報量の目の詰みかた、1曲の中に惜しげもなく投入されたアイデアの途方もないボリュームに圧倒される。普通のミュージシャンだったら、彼の1曲の中にちりばめられたアイデアのほんのいくつかを使って、何枚もアルバムが出せるはず。もう、取捨選択もなく、高尚な構想から下賎な思いつきまで、あふれ出てくるものすべてをバンバン作品にほうりこんでいった人だった。それが広範な音楽スタイルで、バラバラとリリースされてくるから、もう普通のミュージシャンとつきあう感覚ではとても追っかけられないのだ。とはいえ、実はザッパの音楽のエッセンスをつかまえることはそんなに難しい話ではない。スタイルはものすごく広範にわたるが、やってることはすべて同じなのだ。なにをやってもザッパ節、とでも言おうか。まあ、興味のある方は、有馬さんにメールを出してみよう。とりあえず、ここでは彼の馬車馬のような音楽人生を象徴するような、 Shut Up 'N Play Yer Guitar / Frank Zappa を。「黙ってギターを弾いてくれ」という邦題のこの作品、CD3枚組の大作だが、彼の数多くのライブステージの録音から、彼のギターソロだけを切貼りして編集、ひとつの作品に仕上げられたもの。最初から最後まで猛烈なスピードでつっぱしる、ギターソロだけ100%の目くるめくような2時間弱(笑)。ワーカホリックだ、エコノミックアニマルだといわれる日本人が、世界で一番これを理解してあげられそうな気がするのはぼくだけか。とにかく、こういうものすごい勢いで仕事ができる、というのはそれ自体で才能なのだ。おかざき真里のプロとして一流の仕事ぶり・猛烈ぶりを見てると、ザッパの姿とかぶるのだった。


CM思い出話

1999年10月22日 | ロック・ポップス(欧米)
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あーくたびれた。泊り込みの作業が終わってオフィスに戻ってきたところ。CAFE-MARI「おしゃべり」コーナーでは、「バッファロー'66」が評判いいみたい。映画をほとんど見ないわたしだが(9/30 1999の日記参照)、この映画の予告編は目撃しちゃったのだった。映画って、予告編はどれも傑作ぞろいなんだよなあ。本編を見てガックシくるのも多いからなあ。予告編っていいなあ。予告編大好きなのだ。予告編をたくさん見たい。「バッファロー'66」の予告編は、この音楽が流れていた(…と思う。ちがってたらごめん)。 In The Court Of The Crimson King / King Crimson に収録されている「Moonchild」という曲。これいい曲なんだよね。余談だけど、このアルバム、ビートルズの「アビイロード」(10/14 1999の日記参照)をチャート1位から追い落としたので有名。史上最高のプログレバンド、キング・クリムゾンのこれがデビューアルバム。バブルの頃、三陽商会(アパレル)のCMに使われて、しびれたなぁ。素材違いで、同じアルバムの中から「21st Century Schizoid Man」編もあった。あと、ジミ・ヘンドリクスの「 Wind Cries Mary 」編とかね。思えば、60年代後半のロックはものすごかった。ロックというジャンル自体の青年期だったのだ。1年に何枚も「10年に一度」級の大傑作がドバドバとリリースされる、という異常状況。当然、ぼくも生まれたか生まれてないかというくらいの時期でもあり、往時の空気は知りようもないのだが…。今日は疲れたので、CM思い出話ということで…(笑)。


流れよわが涙、と警官は言った

1999年10月20日 | ロック・ポップス(欧米)
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ちょっと仕事がたてこんで、日記を書く時間がとれない。明日、明後日は作業で泊り込みの缶詰状態が待っている。今もその準備で顔色がない。とはいえ、例えば、今、ぽっかり純度100%のヒマが突然やってきたら、ぼくはどうするだろうか。いや、というより、どうなってしまうだろうか、と言ったほうが正確かもしれない。生のストレスこそ、生きる張合いになってしまっているのだ、悲しいことに。ふとそう思ったら、アタマの中にこのレコードが聴こえてきた。Strangers In The Night / Frank Sinatra 。なんでやねん(笑)、フランク・シナトラ。ぼくだって往時を知るわけではないが、世の中の若い世代の大部分にとっては、「マイ・ウェイ」おじさん、としてしか知られていないんじゃないだろうか。あるいは米国ショービジネス界の闇の帝王。ぼくはどちらのイメージにも思い入れはないが、ただ、彼の歌唱は大変素晴らしいものだと思う。知らない人には、クリックして試聴いただくしかないのだけれど、アメリカの栄光のすべて、そしてその闇のすべてを一身にひきうけたような、うまく言えないが、「時代」が唄っているのだ、としか言いようのないような、個を超えたオーラが発散されているのだ。その彼の歌声が、冒頭に書き付けた気分と、ぼくのアタマの中でシンクロするのはなぜだろうか。「流れよ我が涙、と警官は言った (Flow My Tears, the Policeman Said ) / Philip K. Dick 」 。そのミッシング・リングは、これ、この一冊である。フィリップ・K・ディック、という作家は、「電気羊はアンドロイドの夢を見るか?」、そうそう、あのブレードランナーの原作者として知られている70年代を代表する米国のSF作家だ。この一作、彼の書いたものの中で、最高とはいわないが、なかなかの佳作なのだ。全米3000万人のファンを持つTVのスター歌手が、ある日、世界から突然忘れられてしまう、というところから話ははじまる。鬱々としたムードの中、誰も知らないスター歌手、という奇妙な存在をめぐって、様々な登場人物とエピソードが交錯していく。読んでるだけで気が滅入ってくるようなところもあるが、総体として、どこかしら慰められるような気分にもなる。忘れられたスター歌手が生きていくということ。作中のエピソードの数々につきあっていくと、生きていくための根源的な張合いみたいなこと、それは人それぞれのフィクションなのだけれど、その虚構性と正面から向き合った上でそれをひきうけていこう、という開き直りのような力が湧いてくる。うまくいえないなあ(笑)。文章下手くそ(笑)。まあ、興味があったら読んでみてください。ぼくはこれを時々部分部分、読み返してしまうのだった。読み返すたびに、作中のスター歌手は、きっとこんな歌を唄ったにちがいない、と思うのが、Strangers In The Night / Frank Sinatra なんである。シナトラはすごく大きなものを一身にひきうけて唄っているのだ。さて、仕事に戻るとしよう。


悪い夢

1999年10月18日 | 電子/音響/ハウス
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さっき、みんなで残業めしに行ってきた。愚にもつかないおしゃべりをしてるうちに、髪型の話になって、そのとき忽然と一昨日見た夢の内容を思い出した。夢の中で、ぼくは美容院で髪を切ってもらっているのだが、美容師はばっさばっさと思い切りよく髪を切っていく。あれ、ちょっとまって、と思ってるうちに、頭の真中だけをさらに短く切っていく。まるで毛の少し伸びた侍のように、真中だけ、地肌が見えてくる。それでもぼくは何も言い出せず、きっとプロなんだから、最終的にはなにかいいようにおさまりをつけてくれるはずだ、と祈るような思いで鏡をみている…。ささやかだけれど、典型的な悪夢だ。そこで起きている状況に手も足もだせないままでいる感じ。リアリティはあるが、妙に非現実的な空気も同時に漂っている。夢なんだ…という感覚もうっすらとありながら、同時に恐怖も感じている。なんともいえない独特の秩序が支配している感じ。そういえば、おかざき真里も、昔、夢をノートにとっていた時期があるといってた。あんまり長期にわたって言語化しつづけると、精神に悪い影響を与えるといってたのはきみだったっけ。この一種、奇怪な秩序で構成されている世界、まるで夢の中にいるような感じになってしまうような音楽というのがある。一番上のジャケットは、Surfing On Sine Waves / Polygon Window 。ジャケットからしてイッちゃってる。リチャード・D・ジェームスというイギリス人が変名(Polygon Window)で出したテクノ作品。他にも、Aphex Twin などさまざまな名前でCDを出しつづけている。本人いわく、常に音楽を作っていないと死んでしまう…のだそうで、音のつくりかた、曲のつくりかたとしてかなり本気で狂ってる感じがこわい。

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このジャケットは、Schoenberg - Verklarte Nacht / Herbert von Karajan, Berlin Philharmonic Orchestra 。シェーンベルク(1874-1951)という今世紀はじめに現代音楽の扉を開いたウイーンの作曲家の弦楽作品。邦題は「浄められた夜」とも「浄夜」ともされる。一聴、濃厚なロマンティシズムでむせかえりそうになるが、聴いてるうちに、どこかしら別の秩序のようなものがひたひたと忍び寄ってくる。これは少し前の時代の音楽、例えばワーグナーあたりには聴かれない性質のものだ。この頃から音楽が、個人のアタマの中を相手にしはじめたことがわかって興味深い。月明かりのような静かな錯乱…。

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一番下は、Out To Lunch / Eric Dolphy 。エリック・ドルフィーという管楽器奏者のジャズアルバム。何と言うか、白昼夢、のような不気味な感触。この3枚の中ではわたしは一番これがこわい。昼間、堂々と狂ってる感じなのだ。パースのひんまがった風景をみせられているよう。子供の頃、ウルトラセブンの「第4惑星の悪夢」の回をみて、ものすごくこわかった、それを思い出す。この回、子供向けの特撮番組のくせに、異星に迷い込んだ体験を延々数十分、ただただ執拗に広角レンズでとってたのだ。この話には怪獣もでてこなかった。歪曲した風景だけが深く鮮烈に記憶に残っている。

推薦blog: Chameleon Blog


ジョン・ケイル

1999年10月17日 | ロック・ポップス(欧米)
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「そりゃ平塚ちゃん、ホモじゃん、ホモ」と、おかざき真里。金曜日の宵のオフィス、おかざき真里の声があんまりうれしそうなので、残業中の何人かがこちらをふりむいた。「そうかなあ」「そうだよ、ホモだよ、男の声にしかグッとこないんでしょ」「うん…。女の声も聴かないではないけど、よほどキャラクターがたってないとだめ」「やっぱホモじゃん、ホモ」。おかざき真里と話をしていたら、たまたま音楽の話になって、「あ、あたしね、女が歌ってるやつには基本的に興味がないから」「あ、そうなの。実はぼくもなんだよねえ。持ってるCD、女性ヴォーカル比率が極端に少ない。なぜか気づいたら男ばっかなのよ」…となったところで、冒頭につながった。そうか、ホモだったのか、オレ(笑)。まあ、幸い周囲にうっかりホレちゃうようなイイ男もいないので、実際的な話としては当面心配の必要はなさそうだが…。男声のCDが多いといっても、別に性的嗜好でもってそうなってるわけではなく、音楽的に素晴らしいなあ、好みだなあと思うものが、たまたま男声ということなんだと思うんだが…ほんとにそうかと言われると自信ないけど(笑)。しかし、実は、もしかするとそういう文脈でシビれてるかもしれない…と思い当たるミュージシャンがいないでもない。それは、ジョン・ケイル。ほとんどの人にとっては、アンディ・ウォーホルのバナナのジャケットで有名な「Velvet Underground」の初期メンバー、という知られかただと思うけど、ぼくにとってのジョン・ケイルは、グループ脱退後のソロワークにある。同じ Velvet Underground にいた、ルー・リードに比べると、圧倒的に売れてないのだが、ぼくはルー・リードより断然ジョン・ケイルをとる。93年だか94年だか、ジョン・ケイルがひっそり来日して、九段会館(なんとシブイ会場選択!)でライブをやったことがあった。ステージ上には、一台のピアノと、たてかけた一本のギター。ジョン・ケイルは一人で、ピアノを弾きながら、あるいはギターを弾きながら、淡々と曲を唄っていく。MCもなく、笑いもせず、これといった身体の動きもなく、目を閉じたまま、静かに、力強く。何と言ったらいいか、とにかくカッコいいのである。男なのである。ぼくはまるで小娘のように腰が抜けちゃったのである(笑)。男…といっても、ルー・リードや、(おかざき真里の好きな)トム・ウェイツのようではない。ぼくはそっち方面の男らしさはちょっと苦手なのだ。この時のコンサートと同趣向のものが、ライブアルバムとしてまとまっていて、それが冒頭のジャケット、Fragments Of A Rainy Season / John Cale 。ぼくの男の好みを知りたい人(いるのか?…笑)は、ぜひ試聴を。冒頭の「Child's Christmas In Wales」からラストの「Hallelujah」まで、ただひたすらにカッコいい。ぼくの個人的な好みなので、わかんない人は深くかかわらずそのまま通り過ぎるように(笑)。

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ところで、「うん…。女の声も聴かないではないけど、よほどキャラクターがたってないとだめ」というところ、じゃあ、どんなのだったらいいわけ、といわれて思い出したのがこれ。The Lion And The Cobra / Sinead O'Connor 。88年当時、CMで使われていて、その声を聴いてノックアウトされたのだった。すっかり黒人の太ったおばさんが歌ってるんだと思ったら、こんな変テコなおねえちゃんだった(笑)。でもすごい声。野太いというのでもなくて、どちらかというと繊細なんだけど、ものすごい存在感。ぼくがCMで聴いたのは、「Troy」という曲でした。


音圧

1999年10月15日 | ワールドミュージック
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一昨晩「CAFE-MARI」のオフ会で騒いで以来、ずっとローだった体調と気分が上向きになってきた。もちろん、参加してくれたみんなと楽しいお話しができたことが一番の薬になったのは間違いない。おかざき真里がいつも言っているように、人間ひとりでは生きていけないのである。それに加えて、でかい音を聴いた、というのも効いたのではないかと思う。店のバンドの音。音というのは、身体や精神に大きな作用をもたらすものなのだ。そこで思い出したのが、このCD、SET / Youssou N'dourだ。アフリカはセネガルの国民的スター、ユッスー・ンドゥールの1990年のアルバム。ピーター・ガブリエルのアルバム(So / Peter Gabriel)への参加を契機に、広く国際的な知名度を得た彼、普段は自国の聴衆にむけてカセットテープでの国内リリースを行っているが、この頃から、欧米マーケットにむけて、別録音でのCDアルバムのリリースがはじまった。この見事なアルバムが出た頃、彼は自分のバンドをつれて来日、ものすごいライブコンサートを見せてくれた。このコンサートの日、ぼくは非常に体調が悪かったのを覚えている。もうコンサートにいくのはやめて、帰ろうかと真剣に考えたほど。おまけに必死にたどり着いたホールは、ただの体育館のようで、椅子なんぞはひとつもなかった。あまりにキツイので、隅っこの壁によりかかり、地べたに座り込んで半分ウトウトしていると、そのうち、ステージ上に彼らが現れた。そして、最初の一曲。もう、なんといったらいいか、ものすごいグルーヴと、みぞおちにくるようなとてつもない音圧、そして彼の空間を切り裂くようなヴォイス。コンサートの組み立てとか何とかそんな小手先はおかまいなしに、のっけから全開でグイグイおしてくるバンドに、ぼくはひっくり返って驚いた。アタマが真っ白になって、全身から汗がふきだして、そして終わったころには体調が完全に直っていたのだった。前より元気になってたくらい。言葉もなかった。圧倒的、という文字を見ると、今でもこのときのことを思い出す。音楽は、特に生音は、身体に作用する。可聴域以外の周波数が効くのだろう。残念ながら、CDにはこういうの、入らないのだ。上記のCDにも、生の100分の1も入っていないとこれは自信をもって断言できるが、それでも非常に素晴らしく、時々ひっぱりだして聴くたび熱くなる。

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ちなみに前述のSo / Peter Gabriel は、80年代ポップミュージックの超名盤。持ってない人はぜひ。この人は、CDで聴くことに積極的な意味がある。ヘッドホンで目を閉じて聴いてみよう。録音芸術の奥深さを悟るかもしれない。


サムシング

1999年10月14日 | ロック・ポップス(欧米)
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昨晩は、この「CAFE-MARI」初のオフ会に参加した。お店は、六本木「ABBEY ROAD」。ビートルズのコピーバンドのステージが聴けるユニークな店だ。そもそもは、「おしゃべり」コーナーでの「初めて聴く洋楽のおすすめは?」談義に端を発する。ぼくたち30代が若い彼らにすすめるにあたって、各自あれこれ考えてみたんだけど、究極はやっぱりビートルズだよねということで意見が一致したのだった。それならオフ会の場所はこの店が…というわけだ。しかしやっぱり、いいなあ、ビートルズ。あらためて感心してしまった。ロックという音楽自体がまだ若くて可能性に満ちていた時代の音。こんなアイデアはどうだろう、という創意が曲の随所にきらめいていて、これは惰性で録っちゃったな、という捨て曲がほとんど見当たらない。ものすごく高級で微妙な音楽をやっているのだけれど、難解になったり前衛になったりすることなく、世界中の人の心をつかむポップさを獲得しているのが素晴らしいのだ。お店のバンドは、ぼくたちのリクエストにもこたえてくれた。どうだ、おかざき真里。ぼく推薦の「Something」、いい曲だろうが。ジョージ・ハリソン、一世一代の名曲。レノン=マッカートニーの曲だけ聴いてるとよくわかんないが、こういう曲を聴くと、ビートルズのすごさがよくわかる。曲を作ったのは確かにジョージ・ハリソンなのだが、何かしら目に見えない力のようなものが、この曲を作曲者の意図を超えて別次元の高みにおしあげているのだ。これまた昨晩バンドが演奏したリンゴ・スターの「Octopus's Garden」とかね。これなんか、失礼ながらほんとにどうってことない曲なのに、何かが作用してビートルズになっちゃうのだ。この2曲とも、Abbey Road / The Beatlesに収録されてるから、若者はすぐ買うように(笑)。損はさせない。なんだか、今書いたところを読んでみたら、ジョージとリンゴが才能ないみたいに思われそうなので、もう一言。まずリンゴ。ビートルズのサウンドをビートルズたらしめているのは、リンゴのドラムの独特のタイム感に負うところがかなり大きいとぼくは思っている。リンゴがたたかないと、ビートルズになんないのだ。まあ、要するに下手ウマのはしりともいえるが(笑)、ヨタってるのかタメてるのかわかんないくらい伸縮するフィルの間合い、ドタドタバシャバシャいう音色、微妙に各所でずれまくるタイミング…などなど(全部ほめ言葉…笑)、ものすごく個性的なドラミングである。これ、他の人に絶対真似できないのだ。

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あと、ジョージね。この人のホントのところは、あまり知られていないが、ほんとにいいミュージシャンなのだ。そういうほめかたしか言葉が見つからないのがこの人の微妙なところ(笑)。「something」が気に入ったなら、これ、ジョージのソロアルバムなんだけど、All Things Must Pass / George Harrisonをおすすめしたい。新しもの大好きな彼、ビートルズに当時最新のテクノロジーだったシンセサイザーを持ちこんでピロピロやってみたり、インドにかぶれて謎のインド風ソロアルバム(結構とほほな味わいでこれはこれで通好み?)を出しちゃっりしたこともあって本質以外のところで誤解されがちなのだが、ほんとはこういうまっとうな人なんだ、ということがわかるアルバム。間違えてインドのやつを買わないように気をつけること(笑)。まあ、CDにして二枚組だし、売れてないから値段も高いし、若者にはおすすめしない。まずは、スレっからしのビートルズ・ファンに聴いてほしいのだった。若者は、まずビートルズをそろえて、レノンをそろえて、その後でも遅くないからね(笑)。あ、そうだ、最後に言っておかなきゃ、若者は誤解するかもしれないな、ぼくたち30代もビートルズはリアルタイムじゃないからね(笑)。その点はきみたちとおんなじだ。