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母の病気

2021年02月03日 17時41分00秒 | 母の病気
重い話なので、気が滅入るのが移りますよ。

スルーされた方がイイかも知れません。









今ね、身内のおバカの話なんですが

妹が関西から東京へ行ってるらしいです。

息子くんのアパート(社会人一年目)には泊まらず、

母のいる妹たちのとこに滞在だとか。
昨日は病院にも付き添ったようです。

ただね、目的が週末のライブなんだって!
コンサートじゃないよ。ライブハウスでのライブね!


今のこの時期にする行動とは思えない🌀🌀🌀😱🌀🌀🌀
妹はテレワークだし、
母はがん患者だし。

ライブ後、そのまま関西に帰るなら少し安心?


当の本人はかなり大きな会社で経理部門で働いてます。(秘書検定1級などが身を助けたのかな)


コロナ運んでしまったら…って思いが至らなかったのかな。


バカだなぁと思うけど、人の行動には制限はできないし、ね。アタシャカンケーナイワサ!





で、昨日は妹(関西)が付き添って病院へ。






母のすい臓がんも今までの抗がん剤が効かなくなり、

次は鎖骨下にポートなるものを埋め込み、48時間かけて直接薬を流す治療に移る。

母に合う薬を模索する為、入院して行うのを勧められてたので、

決めてきたと。



このポートを埋め込んだ母のガン友たち(2人)結局、先が短かった。2ヶ月もってないようで…
(比較のために…受けなかったガン友も同じ程度。。。受けなかった人はかなりの高齢であること、かなり痩せていたとの様子)





今まで渋ってた母が受け入れたものの医師は
「手術を受ける気持ちが変わって
受けたく無くなったら電話してくれたら
それでイイから!」って。


母の好きなハキハキズバズバものを言う医師に見捨てられたら大変!って思っちゃうし、
最近この手術を受けたガン友にも勧められたこともあってかなりの乗り気。。。



ワタシと弟は、もぅいいんじゃないかと思っててーーーー。

入院して体力を落とすことよりも、
無治療に切り替え 痛みなどを取る対処療法にした方が今の生活の質を落とさずいけるんじゃないかと。




かなり前からこのポートを勧めてきてた医師に対し、
お約束の治療をちゃっちゃっと進めようとしてるように映ったワタシには少し不信感があるせいかも知れない。。。





ワタシの兄弟4人。
ワタシ→妹(関西)→弟(東京)→妹(東京・同居)

ワタシと父の病気を最期まで看取った弟が同じ意見で、

ちと兄弟の意思決定がまとまらず。。。

まぁ、母の生き方、命だから 決めるのは母なんだけど、ね。




今日、電話で話したら
「もぅホントは何も治療なんかしないで死んでもいいんだ。」とか、バカなこと言ってるし

「投げやりで捨て鉢なものの考え方は間違ってる」とつい言ってしまった。
痛みもなくすぐに死ねるワケがないじゃん!それは実に愚かな発言だよ!


母は昔からはっきりしすぎてるところがあって ゼロか100、白か黒、正か悪と区別したがる。
そのくせ肝心の核のところの話は有耶無耶にして逃げるんだな。



それに、今回妹(関西)が行くことも付き添ったことも実は妹(関西)や母からは聞いていない。

お母さんに会いにきましたー。
病院に付き添いまーす!くらいのこと兄弟LINEで流せばイイのに、

母も、今度来るのよ〜とも言わない。


なんか閉鎖的っていうのかさ、それでいてどうしようかしら?
みたいなことは聞いてくるから 妹や母に対して温度差を感じてしまうんだよね。


ワタシに何を求めてる?無収入の主婦ですけどーー。



これは今までの生き方や関わり合い方があるから「仕方ないか」と弟と話しているんだけどーーー。
父が癌センターでこのままでは危険だから家族を呼べるなら呼んだほうがいいと言われた時
妹(関西)は「親父が死んだら連絡して」と言い放ったからね。その分母にはベッタリですーーー。
ワタシはムスメを連れて新幹線に飛び乗りました。




母の昔々からの仲良し役員ともだちが年始にすい臓がん末期と診断されて闘病1ヶ月半で亡くなったと。
その当時の教員で母たちとも交流が続いてたワタシたちの恩師も年末に亡くなったことを知らせた。

母曰く、すい臓がんになって2年半生存してるからね。





うーーーん、どうよ。ワタシ!
この日のブログを数ヶ月先に振り返って読んで何を思うだろうか。。。


ワタシは冷たいのか?感情的になることはあまりないかな。


仲良しの友人(高校時代)が病気で突然亡くなったし、
その頃の友人の旦那さんも腎臓がんで闘病の末亡くなった。
父も胃がんから大腸がんになり、何十センチも切り取ったが最後に見舞った時に突然の大きな声で『ありがとう!』と言って翌日亡くなった。

人の生き方、人生に否定は出来ない




んーーーー、やっぱりここで母に
『もう抗がん剤を打つ積極的な治療は止めて、QOLを落とさずのんびりと好きな生活をして(どうせ徐々に落ちていくんけれど)最期を迎えようよ。』と言ったら後々背負うものが大き過ぎるのも辛くなるか。。。








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