2008年1月04日(金)
ネコも人間もみんなみんなアトム(原子)からできていることを思い出した。中学生のときだっただろうか、万物の根源は水であるとか、火であるとか唱えた人たちがいたとかいないとかを習ったのは。そして紀元前の古代ギリシャでは、もうそんな頃から『万物の根源はアトム』である、なんて提唱していた人たちがいたというのだから凄いっ!凄すぎる。
Wikipediaを引いてみると、『原子論はすべての物質は非常に小さな粒子(原子)で構成される」という理論の総称。』ときたもんだ。
こういうものをレウキッポス師匠やアナクサゴラス師匠に学んだデモクリトスさんが研究し広めていったのだそうだ。
デモクリトスさん、お名前だけは存じ上げておりました。(昔、学校の期末試験の問題に出たような記憶がうっすらと)
この現代になって、どうやら万物の根源は火や水ではなく、原子であるということが分かっている。デモクリトスさんたちの言う通りだった。
ネコも人間も、今僕が座っている椅子も机もこの文章を書いているパソコンも参考書も海も空もありとあらゆる緑も大地もみんなみんなアトムの産物だ、アトムの子たちだ。(そういえば山下達郎さんの歌に『アトムの子』というのがあったなぁ)
『アトムの子』
(作詞:山下達郎 作曲:山下達郎)
♪どんなに 大人になっても
僕等は アトムの子供さ
どんなに 大きくなっても
心は 夢見る子供さ
(おおっ、やっぱり山下さんはアトムが万物の根源であることを歌詞にしていたのか!)
♪いつでも 百万馬力で
みるみる 力がみなぎる
だからね さみしくないんだ
僕等は アトムの子供さ
(あれっ?単に手塚治虫さんのマンガに憧れた世代の歌詞なのかな?)
まあ、山下さんがどのような思いでこの歌詞を書いたのかは知ったことではないが、とにかく僕自身でも『我々この世に存在するものすべてはアトムの子なのだ』というところに行き着いたのだから、それでよしとしよう。
こうなると仏教の考え方なのか、どこか他の宗教の考え方なのかという知識は持ち合わせていないけれど、『輪廻転生』というのもあながち非科学的な宗教色コテコテのものではなさそうに思える。
三輪明宏さんの前世は島原の乱で有名な天草四郎らしいのだが(どっかのスピリチュアル系のTV番組で見た)、それもありうるかもしれない。
ただし、残念ながらアトムが前世を引きずりながら輪廻転生していくとは思えない。アトムには記憶は残らないと思うのだ。
この世のすべてがアトムの集まりなのだから、動物の前世が動物とは限らない。物かもしれない。植物かもしれない。土だったかもしれない。そして、おそらくはひとつのものに絞ることなどできないはずである。自分自身のアトムの組成を調べれば、そこには「あなたの体の一部になる前は牛の筋肉の一部だったんすよ」とか「あなたがペロッと舐めたボールペンの芯の部分だったのよ」とか「3日前に食べられたサンマですよぉ、お忘れですか?」とか、あらゆるところにあったアトムたちが混ざり合って構成されていると考えるほうがより自然な発想ではないだろうか?
今読んでいる『動物看護のための小動物栄養学』の最初に出てくる栄養学概論の導入部を引用してみる。
-栄養(Nutrition)とは新陳代謝を意味する。「陳」は「古」と同意義で、新陳代謝とは古いものを新しいものと入れ換える営みである。「新しいもの」とは栄養素または養分(Nutrient)、「古いもの」とは体内で生じた種々の老廃物のことであり、動物は生きるために常に老廃物を排泄する一方で、新たに栄養素を摂取しなければならない。その営みが栄養である。-
(『改訂版 動物看護のための小動物栄養学』著者:阿部又信 ファームプレス)
ということが書かれている。「陳」が「古」という意味だなんて全く知らなかった。すでに概論の導入部ですっかり感銘を受けてしまい、話が『アトムの子』にまで行ってしまった。ついでに『般若新経』まで思い出してしまった。『色即是空・空即是色』の『空』とはこのダイナミックかつ繊細な宇宙全体の営みのことなのではないだろうかとさえ思ってしまった。
こうなってくると、本来はなにが誰のものということなどもないのかもしれない。すべての根源はアトムであり同時に宇宙なのだ。今の一瞬、僕は人間だけれど、次の瞬間には別のものになっている。
アトムから比べるとちょっとサイズが大きすぎるけれど、僕たちは細胞からできている。細胞ももちろんこの宇宙の流れに逆らうことなく新陳代謝が行われている。細胞は毎日生まれ、そして死んでいく。死んだ細胞には新しい細胞があてがわれる。その繰り返しだ。
今日の自分と来年の自分の細胞は、まったく違う。(同質だが古いものが新しいものにものに置き換わってしまっているのだ。)
こうしてアトムの流れは滞ることなく流れていくのだろう。人類が滅んでも地球が爆発しても関係なく宇宙全体のアトムの流れは滞ることがない。
これ以上書いていると頭のおかしな人だと思われるからもうやめておこう・・・
写真は哲学者フクの図
ネコも人間もみんなみんなアトム(原子)からできていることを思い出した。中学生のときだっただろうか、万物の根源は水であるとか、火であるとか唱えた人たちがいたとかいないとかを習ったのは。そして紀元前の古代ギリシャでは、もうそんな頃から『万物の根源はアトム』である、なんて提唱していた人たちがいたというのだから凄いっ!凄すぎる。
Wikipediaを引いてみると、『原子論はすべての物質は非常に小さな粒子(原子)で構成される」という理論の総称。』ときたもんだ。
こういうものをレウキッポス師匠やアナクサゴラス師匠に学んだデモクリトスさんが研究し広めていったのだそうだ。
デモクリトスさん、お名前だけは存じ上げておりました。(昔、学校の期末試験の問題に出たような記憶がうっすらと)
この現代になって、どうやら万物の根源は火や水ではなく、原子であるということが分かっている。デモクリトスさんたちの言う通りだった。
ネコも人間も、今僕が座っている椅子も机もこの文章を書いているパソコンも参考書も海も空もありとあらゆる緑も大地もみんなみんなアトムの産物だ、アトムの子たちだ。(そういえば山下達郎さんの歌に『アトムの子』というのがあったなぁ)
『アトムの子』
(作詞:山下達郎 作曲:山下達郎)
♪どんなに 大人になっても
僕等は アトムの子供さ
どんなに 大きくなっても
心は 夢見る子供さ
(おおっ、やっぱり山下さんはアトムが万物の根源であることを歌詞にしていたのか!)
♪いつでも 百万馬力で
みるみる 力がみなぎる
だからね さみしくないんだ
僕等は アトムの子供さ
(あれっ?単に手塚治虫さんのマンガに憧れた世代の歌詞なのかな?)
まあ、山下さんがどのような思いでこの歌詞を書いたのかは知ったことではないが、とにかく僕自身でも『我々この世に存在するものすべてはアトムの子なのだ』というところに行き着いたのだから、それでよしとしよう。
こうなると仏教の考え方なのか、どこか他の宗教の考え方なのかという知識は持ち合わせていないけれど、『輪廻転生』というのもあながち非科学的な宗教色コテコテのものではなさそうに思える。
三輪明宏さんの前世は島原の乱で有名な天草四郎らしいのだが(どっかのスピリチュアル系のTV番組で見た)、それもありうるかもしれない。
ただし、残念ながらアトムが前世を引きずりながら輪廻転生していくとは思えない。アトムには記憶は残らないと思うのだ。
この世のすべてがアトムの集まりなのだから、動物の前世が動物とは限らない。物かもしれない。植物かもしれない。土だったかもしれない。そして、おそらくはひとつのものに絞ることなどできないはずである。自分自身のアトムの組成を調べれば、そこには「あなたの体の一部になる前は牛の筋肉の一部だったんすよ」とか「あなたがペロッと舐めたボールペンの芯の部分だったのよ」とか「3日前に食べられたサンマですよぉ、お忘れですか?」とか、あらゆるところにあったアトムたちが混ざり合って構成されていると考えるほうがより自然な発想ではないだろうか?
今読んでいる『動物看護のための小動物栄養学』の最初に出てくる栄養学概論の導入部を引用してみる。
-栄養(Nutrition)とは新陳代謝を意味する。「陳」は「古」と同意義で、新陳代謝とは古いものを新しいものと入れ換える営みである。「新しいもの」とは栄養素または養分(Nutrient)、「古いもの」とは体内で生じた種々の老廃物のことであり、動物は生きるために常に老廃物を排泄する一方で、新たに栄養素を摂取しなければならない。その営みが栄養である。-
(『改訂版 動物看護のための小動物栄養学』著者:阿部又信 ファームプレス)
ということが書かれている。「陳」が「古」という意味だなんて全く知らなかった。すでに概論の導入部ですっかり感銘を受けてしまい、話が『アトムの子』にまで行ってしまった。ついでに『般若新経』まで思い出してしまった。『色即是空・空即是色』の『空』とはこのダイナミックかつ繊細な宇宙全体の営みのことなのではないだろうかとさえ思ってしまった。
こうなってくると、本来はなにが誰のものということなどもないのかもしれない。すべての根源はアトムであり同時に宇宙なのだ。今の一瞬、僕は人間だけれど、次の瞬間には別のものになっている。
アトムから比べるとちょっとサイズが大きすぎるけれど、僕たちは細胞からできている。細胞ももちろんこの宇宙の流れに逆らうことなく新陳代謝が行われている。細胞は毎日生まれ、そして死んでいく。死んだ細胞には新しい細胞があてがわれる。その繰り返しだ。
今日の自分と来年の自分の細胞は、まったく違う。(同質だが古いものが新しいものにものに置き換わってしまっているのだ。)
こうしてアトムの流れは滞ることなく流れていくのだろう。人類が滅んでも地球が爆発しても関係なく宇宙全体のアトムの流れは滞ることがない。
これ以上書いていると頭のおかしな人だと思われるからもうやめておこう・・・
写真は哲学者フクの図