野叟解嘲(やそうかいとう)ー町医者の言い訳ー

老医師が、自ら患者となった体験から様々な症状を記録。その他、日頃、感じていることや考えていることを語ります。

手術を待つ間

2022年10月22日 | 日記

前回、椎間板ヘルニアに対して、手術をお願いしたところまでお話ししましたが、当初、痛みは自制内でしたので、予定手術とするはずでした。予定までの時間稼ぎにと硬膜外ブロックを受けました。初めは、いわゆるサドルブロックを行いました。麻酔薬が効いてくると、運動麻痺は出ませんが会陰部の感覚が無くなりました。看護師から「失禁することがある」のでと紙オムツを履かされました。5,6時間で薬効は切れると聞かされたのですが、6時間過ぎてもなかなか効き目が消えず、会陰より陰部の感覚が無くなり、かなり膀胱が緊満してきて、トイレに行くのですが、尿閉状態なのです。オムツをしているとはいえ、自然に出るのに任せるというのは思った程楽ではなく、トイレで便座に座って、長いこと尿道口を眺めているとチロチロと尿が漏れ出るようになったのは、ブロック後9時間くらいが過ぎた頃でした。一時はどうなることか心配しましたが、少し出始めたら少量ずつ排尿ができるようになり、どうにか眠ることができました。しかし、足の痛みに対するブロックの効果はずっと早くに切れていて、身動きするたびに痛みが左足に走る状態に戻っていました。それでも予定変更とはならず。その後、2度のルートブロックも受けましたが、ほとんど効き目がない事態になり、予定を早めるようお願いして、緊急というとオーバーですが予定外の手術となったのでした。

手術の効果は劇的でした。麻酔が覚めた時から、足の痛みは消えており、臥床状態からほとんど動けなかったのが、座位が取れるようになり、すべり症による痺れ感も全く無くなりました。。主治医からは、しばらく安静にするように勧められ、コルセットを装着して退院したのでした。その後の半月ほどは絶好調でした。今思えば、この「絶好調」が落とし穴でした。すぐに診療に戻ったまでは問題なかったと思うのですが、その後、クリニックの改装に合わせて、1か月間休診したのですが、この間の安静度が足りず、その後の症状の推移に悪影響を及ぼしたと反省と後悔をしています。

この回復過程については次回以降にお話しします。飽くまで個人の感想の部類ですが、この過程こそが、このブログをはじめようと思った理由です。こんなに色々な症状が出るものかと、驚きの毎日が現在まで続いています。

 

 

 


椎間板ヘルニアの合併

2022年10月10日 | 日記

前回は、腰椎すべり症の画像と症状について書きました。さて、すべり症が判明した時点では手術は考えていませんでした。次にお見せするMRI画像は、すべり症が判明してから3年ほど経ってからのものですが、ある日、突然に右臀部に電気が走るような感覚が出現しました。力仕事をしたわけではなく、風呂上りに体を拭いている時、ちょっと前かがみになった瞬間の出来事でした。その後、右臀部から大腿後面、下腿から足の外側にかけて、軽い痛みが続くようになりました。これは⁉と思って撮影したものです。

L5S1にヘルニアが見えます。これは厄介なことになったと思いました。日に日に症状が強くなっていき、歩くこともままならなくなり、ついに観念して、手術を予定することとしました。丁度、クリニックの改装の予定もあったので、その工事に合わせて診療を休み、治療しようと考え、何とか時間を稼ごうと硬膜外ブロックも2度受けました。しかし、いずれもブロック後の数時間しか効果がありませんでした。右のAXIAL画像を見てお判りでしょうが、脱出したディスクは見事に椎間孔にはまっています。これは最も痛みが強いと言われるタイプです。若い頃、尿管結石も患ったことがありますが、その痛みの比ではありません。結石の際には、ペンタゾシンの注射をしてもらいましたが、その時も傷みは消えませんでした。でも、何故か「痛ててて」と言いながら笑いが止まらない不思議な状態でした。今回は、笑う余裕はありません。右臀部から足先にかけて「冷凍した(「熱した」ではありません)金属棒を刺されたような激痛が、動くたびに走ります。人生最高の痛みと言って間違いありません。幸い、神経痛ですから激痛は瞬間的で、数分間は余韻があるものの長くは続きませんでした。しかし、寝ていても、少しでも動くと痛みが出ますので、「ほとんど一睡もできない」状態でした。この「ほとんど」というのは、自分では眠った記憶がないのですが、日中も眠気を感じないのです。おそらく数分ずつ、細切れに眠っていたのだと思います。いずれにしろ、どうにも堪えきれず、手術予定を早めてもらうべく、緊急に入院をお願いしたのでした。

次回、硬膜外ブロックの経験についてお話します。