野叟解嘲(やそうかいとう)ー町医者の言い訳ー

老医師が、自ら患者となった体験から様々な症状を記録。その他、日頃、感じていることや考えていることを語ります。

自然とは?

2024年01月28日 | 日記

前回の投稿で、「変わっていくこと」を含めて「自然」と考えるべきではないかと言いました。この「自然」の解釈が人により違っていることは、普段、意識することは無いと思います。学生の頃ですから、随分と昔の話ですが、生物学の授業がつまらなくて(ほとんどの科目がつまらないと思っていましたが)、教科書をひたすら読んでいました。授業では取り上げなかった「生態学」の項が特に興味を引きました。そこから山登りも囓っていたので、「登山者のための生態学」という単行本も購入して読みふけりました。そこから又断片的な話になり恐縮ですが、少し意見を述べます。

「自然」の風景といったとき、皆さんはどんな風景を思い起こすでしょうか。私などは里山の景色が思い起こされます。都会の人の中には、田園風景を見ても自然だと思うかも知れません。しかし、見方によっては、田畑は人間が作り出したものなので自然とは呼べないと考える人も少なくないでしょう。またある人は山間を走る道路を囲む白樺林を連想するかも知れません。しかし、白樺は基本的に日当たりの良いところでないと生育しませんので、その美しい白樺林を維持するには人の手で下草を刈り、他の樹木が伸びてこないように手を入れないと維持出来ません。どこまで人が関わった物を「自然」と呼んだらいいのでしょう?

数年前、NHKテレビの知床の世界自然遺産についてのドキュメンタリー番組で、世界自然遺産を認定する委員達が、地元の漁師達が漁のために作った番屋と、そこにいくための道路(特に橋)を、世界自然遺産として好ましくない。撤去するべきだと主張していることが紹介されていました。この意見に対して、漁師達は自分たちも含めて自然なのだと言っていたのが非常に印象的でした。

結局、人の手が加わっても、人が関わらないように放置しておいても、すべての物は変化していく物であり、やはり変化も叉「自然」なのだと考えるべきだと思うのですがどうでしょう?


生物多様性

2024年01月03日 | 日記

この数年でしょうか、生物多様性云々という話を目にしたり、耳にしたりします。かつて、私は非常に長い目で見ると、生物多様性は失われるに決まっていると考えていました。というのは、浅はかにもエントロピー増大の法則に従えば、すべての物はいずれ均一になると考えていたからです。たとえば、人類で言えば、もしも人類が永続できればですが、最終的には中国系の人間ばかりになるのではないかなどと思ったのです(僅かばかりの海外生活で、どこへ行っても中国系の人達がいるという経験から先入観を持ってしまいました)。或いは、マーケッティングの神様のような人が、「行き過ぎた競争の結果、商品はどれも似たような物になってしまう」と言った言葉が自然科学の世界でも通じるのではないかと思ったりしたのです。

しかし、そもそも地球上の環境は一様ではなく、自然の多様性は変わりようがなさそうに思えてきました。あらゆる生物は、様々な方法で種の繁栄を図るべく移動します。必ずしも自らの意志によるとは限りませんが。移動した先の在来種との交雑や捕食などにより、元々の在来種が排除されてしまうかも知れませんが、多様であり続けることは容易に想像できます。たとえば、気温に関しては極地と赤道周辺地域とでは同じにはなり得ません。先日、ヒューマニエンスというNHKのテレビ番組で「土」についての特集がありました。地球上には僅かしか「土」が無いのですが、いろいろな理由で土の成分、性質は場所により異なっていて、それらが均一になることも考えられません。したがって、その上(あるいは中)に住んでいる生き物も均一にはならない訳です。

一方、生物多様性の重要性を強調するあまり、外来種の駆除、在来種の保護に力を入れるのは如何なものかとは考えます。動植物は、種の繁栄を目指して、互いの力を借りて(利用して)生息域を広げようとします。この動きは止めようが無いでしょう。その結果、移動先で捕食や交雑により、在来種が絶滅することもあり得る(どちらかといえば可能性が高い)のではないでしょうか。従って、人間の力で人間の望むような多様性の維持は出来ないと考えるべきだと思いますが如何でしょうか。人の力で現在の状況を持続させようと思うならば、人や物の移動は制限する必要があります。飛行機、船舶によるグローバルな移動に伴って、小さな動植物も移動します。人間が意図的に動かす場合ばかりでなく、意図しないで運んでしまうことがあります。コンテナに付着したり、紛れ込んだり、船ならば船底にへばり付いて移動することもあるようです。このような動きまでは止めようが無いでしょう。大きな影響は無いと考える人も多いかも知れませんが、いずれにしろ、現状を意図的に維持することは出来ません。変化していくことも含めて「自然」と捉えるべきでは無いでしょうか。