1964年 東京オリンピック
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エピソード
1964年8月21日、ギリシャ国王臨席の下、オリンピアの遺跡で採火されたオリンピックの聖火は、当初、9月6日に日航機シティ・オブ・トーキョーで香港から那覇に到着する予定でした。
ところが当日、香港は台風に見舞われ、聖火を運ぶべく待機していたシティ・オブ・トーキョー機は補助翼が破損。救援のため、東京から急派された代替機も出発時にはエンジンの不調で離陸できなくなってしまいました。
結局、このときはさらに後続の日航機を手配して聖火を那覇まで運んだものの、那覇への聖火の到着は1日おくれて9月7日になり、当時の琉球郵政が予定していた「オリンピック聖火リレー」の記念切手発行も、一日延期されています。
画像:沖縄での聖火リレー
看板が日本政府ではなく琉球政府(1952年~1972年)というのが時代を物語っています。
では、なぜ、アメリカによる占領下で、日本の国旗も通常は掲揚できかった沖縄が聖火リレーの1番最初にスタートとなったのでしょうか?
実は、当時アメリカによる占領下にあった沖縄でしたが、沖縄が日本体育協会(現:日本スポーツ協会)に加盟していたことから、聖火リレー特別委員会により、国内聖火リレーは沖縄から開始されることに決定したのでした。
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その第1走者は宮城勇氏が務めました。
聖火リレー第一走者 宮城勇さん (当時22歳)
■全身で感じた、日本人の誇り
1964年6月12日。宮城勇さんは、新聞の大きな見出しに書かれた自分の名前を見つけた。
「聖火リレー第一走者に内定」といった内容、顔写真も掲載されていた。
その日から、取材が殺到した。沖縄だけでなく、本土や海外からも。「人生の一大事が勃発したという感じでした」と宮城さんは振り返る。
終戦から19年、沖縄はまだ米国統治下に置かれていた。自動車は右側通行でドルが使われていた。隣の鹿児島県へ船で行くにもパスポートが必要だった。
日の丸の掲揚は、祝祭日を除いては禁じられていた。それゆえに、沖縄の沿道に日の丸がたなびく聖火リレーは、沖縄の人々が待ちに待っていた出来事だったのだ。
「1年に1回、正月だけは遠慮がちに日の丸を揚げる人もいましたが、わが家では揚げたことはなかったですね。沖縄では日の丸を揚げないことが普通でしたから」
/Totyo2020NHK情報サイトより
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9月9日、午前6時58分に沖縄を出発した“聖火号”(全日空)は、大観衆が見守る中、鹿児島に寄港後、宮崎を経由し千歳(北海道)に向かいました。
この鹿児島、宮崎、千歳が聖火リレーの3起点となりました。
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沖縄での聖火リレーを記念し発行された琉球切手について
3セントの切手で、価値はほとんどないですが、珍しさはあるのでは?
1964
オリンピック東京大会
沖縄聖火リレー記念
日本切手カタログ番号:琉記46
発行日:昭和39年9月7日(1964年)
発行枚数:200万枚
発行:琉球政府
状態:未使用・黄ばみ、シミ有り。
額面:3¢×20枚(1シート)
図柄:守礼門と聖火と五輪マーク
首里城の守礼門もデザインされているのでいいでしょ!
上記の切手を飾りたいと思い、額に入れて作ってみました。
東京オリンピックが開催できることを期待しましょう。
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