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捕虜慰めた三線、再び 戦後沖縄に豚届けた嘉数さんの親族保存

2017-03-04 15:22:25 | ニュース

捕虜収容所に差し入れられ、戦後沖縄に戻った三線と所有者の嘉数進さん。遺影は差し入れたとされる嘉数亀助さん=3日、糸満市の自宅

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沖縄戦で米軍の捕虜となり米国ハワイの「砂島収容所」に収容された県人に県系人が差し入れた三線が戦後沖縄に渡り、糸満市内の元捕虜の家族の元に保存されていたことが、3日までに分かった。三線を差し入れた県系人は、食料難に直面した戦後の沖縄を救うため豚550頭を届けたハワイ沖縄連合救済会の中心人物・嘉数亀助さん(1897~1975年)とみられ、当時収容されていた、おいの嘉数清昌さん=享年60歳=が沖縄に持ち帰っていた。三線は6月、再び海を渡り、ハワイで行われる「ハワイ捕虜収容所県出身戦没者慰霊祭」で演奏される予定。

亀助さんは戦前、10代でハワイに渡って苦学の末に金融会社を起業。県系移民に融資することで社会進出を後押ししたほか、戦後の沖縄を救うため尽力した人物。三線は、当時17歳でハワイの収容所に入っていたおいの清昌さんが戦後、沖縄に持ち帰ったが、来歴は不明だった。今は清昌さんの弟・進さん(72)が所有している。

三線は、琉球三線楽器保存育成会(岸本吉雄会長)に所属する琉球古典音楽の人間国宝・照喜名朝一さんらが今年2月に鑑定した結果、昭和初期に作られた黒木材質の「真壁型」であることが分かった。

三線の棹部分には嘉数家の屋号「前真知田(めーまちた)」が記されていた上、ハワイの亀助さんの家族らが「三線とすしを差し入れた」と証言していたことも確認されており、進さんは「この三線が亀助の物だった可能性が高い。収容所にいたおいに差し入れたのではないか」と話した。

三線は「さんしんの日」の4日、読谷村で開かれるイベントでも披露される。嘉数家の長男だった亀助さん、その末弟の父を経て屋号を継いだ進さんは「三線を家宝に、嘉数家を守っていきたい」と誇らしげに語った。(久場安志)

 

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ゆかる日 まさる日 さんしんの日

2017-03-04 15:17:01 | ニュース

さんしんの日の記念行事で三線の演奏に合わせて「かぎやで風」を披露する演者=4日午後1時すぎ、読谷村の読谷村文化センター鳳ホール

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3月4日の「さんしんの日」にちなみ、県内各地で正午から「かぎやで風」などの演奏が始まった。琉球放送は「ゆかる日 まさる日 さんしんの日」をテーマに、読谷村文化センターを主会場にして各地をつなぎ、公開生放送をした。

赤犬子宮前で三線と舞を奉納する読谷村文化協会の会員ら=4日午後0時20分、読谷村楚辺の赤犬子宮

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三線歌謡の始祖とされる「赤犬子」(あかいんこ、アカヌクー)をまつる読谷村楚辺の赤犬子宮前では、同村文化協会の会員約50人が集まり、三線と舞いを奉納した。

仲里義光文化協会会長は「県外・国外でも三線文化が語り継がれていることは沖縄の大きな宝物だ」と意義を語った。




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沖縄空手会館が落成 世界発信の殿堂に期待高まる

2017-03-04 12:14:03 | ニュース

嬉しいことにサンシンの日と重なりました。

空手発祥の地・沖縄の発信拠点として期待されている沖縄空手会館が4日、豊見城市豊見城の豊見城城址公園跡地で落成した。

国内外の空手関係者や県内経済団体などから約千人が落成記念式典に参加した。同日9時半から空手関係者らによる記念植樹、県無形文化財「沖縄の空手・古武道」保持者らによる演武、テープカットが行われた。

沖縄伝統空手道振興会の喜友名朝孝理事長は「沖縄空手会館を通じて沖縄で発祥した空手を世界へ発信していきたい」と力を込めた。

 

沖縄空手会館公式サイトはこちら☆

 

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