ギャンジャン

人は独りでは生きてゆけないのに人は独りで死んでゆく。刹那い一瞬に人は何を求める?

lovely fairy 岡田有希子

2007-05-16 08:28:08 | OKカヲルジャングル
昨日の九スポのコラム(エンタメ激闘区域)からです。
>77歳・相澤秀禎会長が激白 聖子、のりピーを育てた サンミュージック39年目の真実<1>

 サンミュージックを設立して来年で40周年を迎えますが、いろいろな思い出があります。なかでも忘れられないのは1986年4月8日、岡田有希子の自殺です。しょっちゅう夢に出てきました。
 実は自殺する3日前の4月5日、有希子がボクの家に食事に来たんです。そのときに「私なんかもうダメだから」という暗い話を始めたんですよ。「何だよ。これからレコードも売れて、やっとうちの大きな花になってもらおうと思ってるのに、そんなんじゃ困るよ」と言ったら「いるじゃない、上に」と、のりピーのことを言い出したんです。ちょうど、のりピーもいたのでサインしてあげてよって言ったら、私の部屋に飾ってあった自分の写真に「to のりっぺ」とサインしてくれたんです。
 ボクの会長室にはタレントの写真は飾らないようにしているんですが、お前はずっとオレのところのタレントにするからなって意味も込めて、のりピー向けにサインしてくれた有希子の写真だけは飾ってあるんです。精神的なものかもしれませんが、それから夢には出なくなりましたよ。
 自殺する前日の夜、思い焦がれていた俳優峰岸徹のところに行ったそうなんです。
 ところが、行ったら女性がいた。有希子は2人がいちゃついているのを、外で一晩中聞いていたみたいですね。
 早朝にタクシーに乗って東京駅の八重洲口まで送って行ったというタクシー運転手が、車の中で有希子は泣いていたと証言してましたからね。純粋に峰岸にほれていたんだと思いますよ。でも彼女は、電車に乗らず青山の自宅に戻り、ガスをひねり自殺を図った。一晩中、寝てなきゃ神経もおかしくなりますよ。
 有希子の自殺未遂を知って、すぐに事務所に連れて来させたんですが、ボクは歯医者に行っていなかったんです。ボクが歯医者から戻ると事務所のビルの下は大騒ぎ。有希子が飛び降り自殺したんです。ボクを待っている間、ボクに(タレントとしての心構えなど)何か小言を言われるのが嫌で、屋上に行って飛び降りたとばかり思っていたんです。
 ところが、彼女が残した1冊の日記風のノートを読むと自殺の真相が理解できました。その日記には相手の男性の名前(峰岸)はもちろんのこと、彼女がうれしくて喜ぶさまから、真綿で首を絞められるような心情なども克明につづられていたんです。最後の”さよなら”の言葉は有希子の遺書に感じましたね。その日記は今も会社の金庫に眠ってます。
 命日にあたる4月8日にはいまだに多くのファンの方々が、たくさんのお花を飾ってくれます。有希子はいまだに生きているんですね。歌唱力はもちろんのこと、頭もいい子だったから生きていたら歌を作ったり、詞を書いていたりしたかもしれませんよ。

 


あなたに抱かれ遠い星へと旅してみたい♪
「くちびるNetwork」の歌詞です。
「くちびるNetwork」は作詞・松田聖子、作曲・坂本龍一ではじめてオリコン1位を獲得した彼女の最大のヒット曲。

当時大学生だった私はこのニュースをサークルの部室で知りました。
現役トップアイドルの投身自殺など前代未聞の出来事です。
尾崎豊の死とは違った衝撃でした。

同期には…吉川晃司、菊池桃子、荻野目洋子、長山洋子、安田成美、少女隊。
岡村有希子っていう似たような歌手がいたのをご存知かな。

堀越学園のクラスメイトには、本田美奈子、南野陽子、長山洋子、倉沢淳美、高部知子などがいたそうです。
本田さんが亡くなったときに倉沢淳美のインタビューがあって、卒業アルバムが写し出されました。
倉沢淳美の左右の人は今はもういないのですね。
工藤美奈子(本田美奈子)─倉沢淳美─佐藤佳代(岡田有希子)