全く次元の違う話をするApeman。

2009-04-06 | 猿でも解る『南京陥落』
Apeman大先生のお言葉。↓

>この「戦果として」というところが重要です。軍の公文書で捕虜の殺害を戦果として扱うなら、将兵がそれを新聞記者に戦果として喋ることはむしろ当然であると言わねばなりません。話を聞きたがっている新聞記者がいて、話すべき話題をもった将兵がいる。そのような場合に、わざわざ戦地に出かけた記者がゼロから話をひねり出した……などという想定こそ荒唐無稽と言うべきです。
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ワシはコメントをした。↓

ワシ。 2009/04/06 18:05
>話を聞きたがっている新聞記者がいて、話すべき話題をもった将兵がいる。そのような場合に、わざわざ戦地に出かけた記者がゼロから話をひねり出した……などという想定こそ荒唐無稽と言うべきです。

↑:と言う事は、Apemanはあの「百人斬り競争」は実際にあった!と言いたいんだね??
で?それが「据えモノ斬りの競争」・・って訳か??


戦闘詳報に戦果として記載されている案件と、
百人斬り競争を上手く絡めたつもりらしいが、
この二つは全く関係が無いよ。

「白兵戦」でバッタバッタと敵兵を切り倒して行くお話は武勇伝としての価値はあるけれど、
「据えモノ斬り」をせっせとやっても武勇伝にはならんと思うんだけどなぁ・・。
一方、戦闘詳報なんてのは、自慢話でもなんでも無い、ただの記録なんだけどねぇ。

捕虜を捉えた!って話は新聞記事にはなりそうだけど、
その捕虜を処断した!って話は別に自慢話にはならんだろう??

全く次元が違う話やな・・・。

■[南京事件]一知半解氏を分析する

Apemanへの質問。

2009-04-06 | わし日記
ワシ。 2009/04/06 17:52
ちょっとApeman大先生に聞きたいんだけど、
両少尉は「南京裁判」では“据えモノ斬り競争”を事実として裁かれたのかね?
そして浅海記者の「百人斬り競争」はそもそも「据えモノ百人斬り競争」だったのか?

もしも南京裁判所が「白兵戦、及び一般人の無差別殺人」だけを裁いたとしたら
「据えモノ百人斬り競争」は意味が無い。

が、もしも南京裁判所が「据えモノ百人斬り競争」を裁いたとしたら、
浅海の記事は「据えモノ斬り競争」であろう・・・。

当時の新聞には、「据えモノ」と云う言葉はあったのかね?無かったのかね?
ワシが読んだ限りではそんな言葉は無かったのだ。
浅海の記事は本当に「据えモノ斬り」の話なのか??

ならば↓この浅海の記事はどう捉えれば良いのかね?
>無錫進発後向井少尉は鉄道路線廿六、七キロの線を大移動しつつ前進、野田少尉は鉄道線路に沿うて前進することになり一旦二人は別れ、出発の翌朝野田少尉は無錫を距る八キロの無名で敵トーチカに突進し四名の敵を斬つて先陣の名乗りをあげこれを聞いた向井少尉は奮然起つてその夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を斬り伏せた

その後野田少尉は横林鎮で九名、威関鎮で六名、廿九日常州駅で六名、合計廿五名を斬り、向井少尉はその後常州駅付近で四名斬り、記者等が駅に行つた時この二人が駅頭で会見してゐる光景にぶつかつた。

↑:どう読んでも「白兵戦」での行為としか読めないぜ???

浅海記者が書いた百人斬りは「据えモノ」では無く「白兵戦」を想定して書いた物だろう??
上の文章を読んで、後ろ手に跪いたシナ兵の捕虜を、次々に斬っていく光景が目に浮かぶかね?

いったいドコから「据えモノ斬り」なんて言葉が出てきたんだい????
Apemanよ、知っていたら教えておくれ!

■[南京事件]一知半解氏に答える